綾小路派は、鎌倉初期に活躍した一派で、一派の祖である定利が代表工として挙げられ、他に定吉、定則、定業、末行などがいる。綾小路派の特色としては、如何にも山城伝らしい優美な太刀姿や精緻な地鉄などが挙げられるが、同じ山城の粟田口派や来派よりも時代を遡る作風を呈し、従来、来派の祖国行と同時代とされてきたが、近年三条派や五条派に近い流派という見方が主流となっている。この太刀は、二尺八寸八分の作刀時のままの完全生ぶ茎となり、反り深く、腰反りつき、先伏せごころ、小鋒となる優美な平安末期から鎌倉初期の太刀姿で、小乱れに、小互の目・小丁子交じり、食い違い・二十刃頻りに掛り、複雑に乱れ、湯走り頻りにかかり、金筋・砂流し頻りに掛るなど刃中の働き豊かな名品である。本刀は、三条宗近として伝来したもので、明治天皇の御物と伝え、金蒔絵の菊紋が入る朱塗りの御刀箱は賀陽宮の蔵札が付く。



Ayanokoji (Yamashiro) · 山城 · 1232-1233頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位2%
現在1点販売中
綾小路派の銘鑑には定利のほか介定・定家・定俊・末行・忠家らの名が載るが、そのうち在銘の作が現存するのは定利のみに限られる。説明書は鎌倉時代の山城鍛冶を粟田口・来・綾小路の三流派とし、綾小路派は京の四条の綾小路に住した刀工の一派を指して、「祖は定利である」と記す。製作年代について銘鑑の所伝は一致せず、『能阿弥銘尽』は宝治頃、『古今鍛冶銘尽』は文永頃とし、一説に来国行と親交があり、需要の状況によって互いに代作しあったとも伝えられる。同派で作の確かな工は定利のほか定吉のみで、他の銘鑑所載工に現存作はない。
現存作を通覧した所見として、説明書は一つの定式に立ち返る。すなわち作風は三条・五条派の作域を踏襲し、粟田口国安あたりを想わせる古雅なものであるという見方である。典型の太刀姿は細身で元先の幅差が開き、腰反り高く踏張りがついて小鋒に結ぶ。刃文は直刃調に小乱れ・小丁子・小互の目を交え、乱れの間が近く小模様に複雑に乱れる。そして「焼頭にさらに小さな焼きが点続して二重刃風を形成し、匂口がうるみごころとなるなど、通説よりも年代が遡るものと鑑せられる」[[c:11]]と、説明書はこの見どころをそのまま年代判断の根拠とする。匂口のうるみは「彼の見処の一つであるうるみ」[[c:3]]と明言され、うるみを欠く稀な作はかえって例外として特記される。
鍛えは小板目がよくつみ、ところどころ流れごころや、やや肌立つ板目を交え、細かな地沸が厚くつき、地景細かに入り、沸映りが立つ。地斑風を交える作もある。最良の地鉄はねっとりとした粘りのある肌合を見せ、ある特別重要刀剣の太刀については、古伝書の「とろめきてねばきようにみへたり」[[c:5]]との表現に正に合致すると記される。刃中には足・葉が頻りに入り、小沸がつき、金筋・砂流しが細かにかかる。帽子は直ぐ調に掃きかけ、火焰風あるいは焼詰めとなり、乱れ込んで小丸に浅く返るものもある。
極めは二つの域にわたる。在銘の太刀は二字銘で、「定」の字を草書風に大きく、「利」の字をやや小さめに切り、銘は茎下部の棟寄りに、時に樋を避けて置かれる。この銘位置は国宝指定の太刀にも認められると説明書は記す。在銘作の多くは磨上で、生ぶ茎は稀とされ、磨上に際して銘を惜しんで折返銘とした刀も一口ある。大磨上無銘の刀は同じ見どころによって極められ、説明書は「定利の掟」にかなう出来と言い、無銘の優品は「有銘作に直結する作風」[[c:8]]を示すと評する。年紀作は一口も存在せず、学問はこの不在をめぐって動く。銘鑑の文永説に対して現存作はことごとく古調であり、説明書は代作の旧伝を捨てずに読み直し、もし定利と国行の接点があるとしたならば「定利の晩年と国行の初期の頃ということになろう」[[c:9]]と結論する。
少数ながら常の出来と趣を異にする作がある。匂口はうるむことなく明るく冴え、直刃調に丁子を主調とするもので、説明書はこれを若い京の名手に寄せて読む。ある特別重要刀剣の太刀は「来国行を思わせる出来で匂口がよく冴え刃中の働きも見事で、出来がよい」[[c:12]]と評された。山城鍛冶の中での定利の見分けは、本人の見どころそのものに依る。間近く小模様につまった乱れ、焼頭に点続する二重刃風、そして曇りを帯びた匂口のうるみであり、説明書はまさにこれらを、通説より一時代遡らせる証左として扱う。作域のもう一方の端には、同作中最も古様を呈した生ぶ在銘の太刀があり、恐らく初期作と鑑せられ、粟田口国安に繋がる点が看取されるという。派の継続は細く、作の確かな同派工は定吉のみで、綾小路派の現存作はほぼ定利一人の名に集中する。
藤代の格付は上々作。指定を受けた作は四十三口を数える。うち国宝は一口、東京国立博物館の管理する太刀で、本間は経眼の定利中最も優れたものと述べている。重要文化財は三口がこれに次ぎ、重要美術品の認定は五口、前田利為旧蔵の刀や、黒川福三郎旧蔵で現在は黒川古文化研究所の蔵する刀がそこに含まれる。記録上、在銘二十五口に対し無銘十七口。伝来の知られる刀は十七口、紀州徳川家、日向佐土原の島津家、前田家、松平家、また刀剣愛好家として聞こえた明治の元勲伊東巳代治の旧蔵などが挙げられ、正徳二年の本阿弥光忠折紙、金子三十枚の添う太刀もある。国宝・重要文化財は博物館・神社の護る文化財であり、記録される所蔵機関には日枝神社・伊勢神宮の名も見える。蒐集家が現実に相見えうるのは特別重要刀剣・重要刀剣の三十二口であるが、所在の知られるものの多くは私蔵・館蔵に納まって動かず、綾小路定利の在銘太刀が市に現れることは稀で、現れれば山城物鑑賞の一つの里程標となる。
定利の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
現在9点販売中
綾小路派は京の綾小路に在住して鍛刀した一派で、定利・定吉らを主要な刀工とする。銘鑑では定利の年代を文永頃としているが、現存する作品の作風は「古京物の三条・五条派の作域を踏襲した感のある古様な趣」[[c:1]]を呈しており、「通説よりも年代が遡るものと鑑せられる」[[c:2]]と繰り返し指摘されている。一説に定利は来国行の近隣に居住し、互いに代作しあったとも伝えられるが、もし両者に接点があるとしたならば「定利の晩年と国行の初期の頃」[[c:3]]ということになろうとされ、粟田口国安あたりに繋がる古雅な作域との類縁も認められている。 本派の作風上の最大の特徴は、刃文が「乱れが間近く小模様に複雑に乱れ」[[c:4]]る点にある。小丁子・小互の目・小乱れ・小のたれなどを交えた小模様の乱れに足・葉がよく入り、沸出来となる。とりわけ鑑定の決め手となるのは、「焼頭にさらに小さな焼が点続して二重刃風を形成」[[c:5]]する現象であり、湯走りや飛焼が焼頭上に点続して現れる様は同派に一貫して認められる。匂口は「うるみごころ」を呈し、この沈んだ柔らかな匂口も本派の重要な識別点である。帽子は乱れ込んで「さかんに掃きかけ」[[c:6]]るものが多く、火焔風や焼詰め風となる作も見られる。鍛えは板目肌ないし小板目肌がつみ、地沸が微塵ないし厚くつき、地景が入り、沸映りが立つ精美な地鉄を示す。姿態はやや細身で元先の幅差がつき、腰反り深く、先伏さりごころとなって小鋒に結ぶ優美な太刀姿を典型とし、踏張りを残す生ぶ茎の遺例も知られる。同時代の来派とは、焼の高低や匂口の性質、二重刃風の焼頭の有無によって区別され、備前物とは所謂「京逆足」の入り方や小模様の複雑さにおいて異なる作域を示す。 綾小路派の作は大磨上無銘がほとんどであるが、古様な姿態と独自の刃文構成により極めが可能とされ、その所伝は「首肯しうる」と繰り返し評価されている。江戸時代の刀剣書の系図には定家・定次・家安など門流を挙げ、南北朝時代から応永頃まで同派が継続したとするものもある。説示においては「古雅」「雅趣に富んだ」「滋味溢れる」といった評語が頻出し、華やかさよりも細やかな変化と深みに本派の美点が見出されている。三条・五条派の作域を基盤としながら独自の刃文意匠を確立した綾小路派は、京鍛冶の古層を伝える貴重な存在として、刀剣史上に重要な位置を占めている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。
綾小路派は、鎌倉初期に活躍した一派で、一派の祖である定利が代表工として挙げられ、他に定吉、定則、定業、末行などがいる。綾小路派の特色としては、如何にも山城伝らしい優美な太刀姿や精緻な地鉄などが挙げられるが、同じ山城の粟田口派や来派よりも時代を遡る作風を呈し、従来、来派の祖国行と同時代とされてきたが、近年三条派や五条派に近い流派という見方が主流となっている。この太刀は、二尺八寸八分の作刀時のままの完全生ぶ茎となり、反り深く、腰反りつき、先伏せごころ、小鋒となる優美な平安末期から鎌倉初期の太刀姿で、小乱れに、小互の目・小丁子交じり、食い違い・二十刃頻りに掛り、複雑に乱れ、湯走り頻りにかかり、金筋・砂流し頻りに掛るなど刃中の働き豊かな名品である。本刀は、三条宗近として伝来したもので、明治天皇の御物と伝え、金蒔絵の菊紋が入る朱塗りの御刀箱は賀陽宮の蔵札が付く。



Ayanokoji (Yamashiro) · 山城 · 1232-1233頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位2%
現在1点販売中
綾小路派の銘鑑には定利のほか介定・定家・定俊・末行・忠家らの名が載るが、そのうち在銘の作が現存するのは定利のみに限られる。説明書は鎌倉時代の山城鍛冶を粟田口・来・綾小路の三流派とし、綾小路派は京の四条の綾小路に住した刀工の一派を指して、「祖は定利である」と記す。製作年代について銘鑑の所伝は一致せず、『能阿弥銘尽』は宝治頃、『古今鍛冶銘尽』は文永頃とし、一説に来国行と親交があり、需要の状況によって互いに代作しあったとも伝えられる。同派で作の確かな工は定利のほか定吉のみで、他の銘鑑所載工に現存作はない。
現存作を通覧した所見として、説明書は一つの定式に立ち返る。すなわち作風は三条・五条派の作域を踏襲し、粟田口国安あたりを想わせる古雅なものであるという見方である。典型の太刀姿は細身で元先の幅差が開き、腰反り高く踏張りがついて小鋒に結ぶ。刃文は直刃調に小乱れ・小丁子・小互の目を交え、乱れの間が近く小模様に複雑に乱れる。そして「焼頭にさらに小さな焼きが点続して二重刃風を形成し、匂口がうるみごころとなるなど、通説よりも年代が遡るものと鑑せられる」[[c:11]]と、説明書はこの見どころをそのまま年代判断の根拠とする。匂口のうるみは「彼の見処の一つであるうるみ」[[c:3]]と明言され、うるみを欠く稀な作はかえって例外として特記される。
鍛えは小板目がよくつみ、ところどころ流れごころや、やや肌立つ板目を交え、細かな地沸が厚くつき、地景細かに入り、沸映りが立つ。地斑風を交える作もある。最良の地鉄はねっとりとした粘りのある肌合を見せ、ある特別重要刀剣の太刀については、古伝書の「とろめきてねばきようにみへたり」[[c:5]]との表現に正に合致すると記される。刃中には足・葉が頻りに入り、小沸がつき、金筋・砂流しが細かにかかる。帽子は直ぐ調に掃きかけ、火焰風あるいは焼詰めとなり、乱れ込んで小丸に浅く返るものもある。
極めは二つの域にわたる。在銘の太刀は二字銘で、「定」の字を草書風に大きく、「利」の字をやや小さめに切り、銘は茎下部の棟寄りに、時に樋を避けて置かれる。この銘位置は国宝指定の太刀にも認められると説明書は記す。在銘作の多くは磨上で、生ぶ茎は稀とされ、磨上に際して銘を惜しんで折返銘とした刀も一口ある。大磨上無銘の刀は同じ見どころによって極められ、説明書は「定利の掟」にかなう出来と言い、無銘の優品は「有銘作に直結する作風」[[c:8]]を示すと評する。年紀作は一口も存在せず、学問はこの不在をめぐって動く。銘鑑の文永説に対して現存作はことごとく古調であり、説明書は代作の旧伝を捨てずに読み直し、もし定利と国行の接点があるとしたならば「定利の晩年と国行の初期の頃ということになろう」[[c:9]]と結論する。
少数ながら常の出来と趣を異にする作がある。匂口はうるむことなく明るく冴え、直刃調に丁子を主調とするもので、説明書はこれを若い京の名手に寄せて読む。ある特別重要刀剣の太刀は「来国行を思わせる出来で匂口がよく冴え刃中の働きも見事で、出来がよい」[[c:12]]と評された。山城鍛冶の中での定利の見分けは、本人の見どころそのものに依る。間近く小模様につまった乱れ、焼頭に点続する二重刃風、そして曇りを帯びた匂口のうるみであり、説明書はまさにこれらを、通説より一時代遡らせる証左として扱う。作域のもう一方の端には、同作中最も古様を呈した生ぶ在銘の太刀があり、恐らく初期作と鑑せられ、粟田口国安に繋がる点が看取されるという。派の継続は細く、作の確かな同派工は定吉のみで、綾小路派の現存作はほぼ定利一人の名に集中する。
藤代の格付は上々作。指定を受けた作は四十三口を数える。うち国宝は一口、東京国立博物館の管理する太刀で、本間は経眼の定利中最も優れたものと述べている。重要文化財は三口がこれに次ぎ、重要美術品の認定は五口、前田利為旧蔵の刀や、黒川福三郎旧蔵で現在は黒川古文化研究所の蔵する刀がそこに含まれる。記録上、在銘二十五口に対し無銘十七口。伝来の知られる刀は十七口、紀州徳川家、日向佐土原の島津家、前田家、松平家、また刀剣愛好家として聞こえた明治の元勲伊東巳代治の旧蔵などが挙げられ、正徳二年の本阿弥光忠折紙、金子三十枚の添う太刀もある。国宝・重要文化財は博物館・神社の護る文化財であり、記録される所蔵機関には日枝神社・伊勢神宮の名も見える。蒐集家が現実に相見えうるのは特別重要刀剣・重要刀剣の三十二口であるが、所在の知られるものの多くは私蔵・館蔵に納まって動かず、綾小路定利の在銘太刀が市に現れることは稀で、現れれば山城物鑑賞の一つの里程標となる。
定利の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 山城
現在9点販売中
綾小路派は京の綾小路に在住して鍛刀した一派で、定利・定吉らを主要な刀工とする。銘鑑では定利の年代を文永頃としているが、現存する作品の作風は「古京物の三条・五条派の作域を踏襲した感のある古様な趣」[[c:1]]を呈しており、「通説よりも年代が遡るものと鑑せられる」[[c:2]]と繰り返し指摘されている。一説に定利は来国行の近隣に居住し、互いに代作しあったとも伝えられるが、もし両者に接点があるとしたならば「定利の晩年と国行の初期の頃」[[c:3]]ということになろうとされ、粟田口国安あたりに繋がる古雅な作域との類縁も認められている。 本派の作風上の最大の特徴は、刃文が「乱れが間近く小模様に複雑に乱れ」[[c:4]]る点にある。小丁子・小互の目・小乱れ・小のたれなどを交えた小模様の乱れに足・葉がよく入り、沸出来となる。とりわけ鑑定の決め手となるのは、「焼頭にさらに小さな焼が点続して二重刃風を形成」[[c:5]]する現象であり、湯走りや飛焼が焼頭上に点続して現れる様は同派に一貫して認められる。匂口は「うるみごころ」を呈し、この沈んだ柔らかな匂口も本派の重要な識別点である。帽子は乱れ込んで「さかんに掃きかけ」[[c:6]]るものが多く、火焔風や焼詰め風となる作も見られる。鍛えは板目肌ないし小板目肌がつみ、地沸が微塵ないし厚くつき、地景が入り、沸映りが立つ精美な地鉄を示す。姿態はやや細身で元先の幅差がつき、腰反り深く、先伏さりごころとなって小鋒に結ぶ優美な太刀姿を典型とし、踏張りを残す生ぶ茎の遺例も知られる。同時代の来派とは、焼の高低や匂口の性質、二重刃風の焼頭の有無によって区別され、備前物とは所謂「京逆足」の入り方や小模様の複雑さにおいて異なる作域を示す。 綾小路派の作は大磨上無銘がほとんどであるが、古様な姿態と独自の刃文構成により極めが可能とされ、その所伝は「首肯しうる」と繰り返し評価されている。江戸時代の刀剣書の系図には定家・定次・家安など門流を挙げ、南北朝時代から応永頃まで同派が継続したとするものもある。説示においては「古雅」「雅趣に富んだ」「滋味溢れる」といった評語が頻出し、華やかさよりも細やかな変化と深みに本派の美点が見出されている。三条・五条派の作域を基盤としながら独自の刃文意匠を確立した綾小路派は、京鍛冶の古層を伝える貴重な存在として、刀剣史上に重要な位置を占めている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。