H590. 鉄地梅樹図目貫 長さ:6.2 cm / 6.6 cm 鉄地に梅の枝図を配し、花弁には金の色絵が施されています。 裏面には赤漆による銘(書き銘)が見受けられますが、経年により摩滅しており判読は困難です。 前所有者のスキップ氏は、その作風から土屋安親の作ではないかと推測しております。添えられたメモをご参照の上、ご検討ください。 落とし込みの枕付き桐箱が付属いたします。 $695.










安親
寛文〜延享(1670-1744)
相模
町彫 · Edo
現在1点販売中
土屋安親は、江戸時代中期を代表する奈良派の金工である。寛文十年(1670年)に出羽国庄内藩士、土屋忠左衛門の子として生まれる。幼名は弥五八。若くして正阿弥珍久の門に入り、その才能を認められ珍久の娘を娶る。元禄十六年(1703年)三十四歳の時に江戸へ出て奈良辰政に師事し、更なる修行を重ねて天性の才能を開花させた。正徳頃には水戸光圀の甥にあたる奥州守山藩主、松平大学頭頼貞に仕え、享保十六年(1731年)六十一歳で剃髪し東雨と号した。奈良利寿、杉浦乗意と共に「奈良三作」と称えられ、その卓越した技量と豊かな表現力は後世に多大な影響を与えた。
安親の作風は、高彫、鋤出彫、薄肉彫といった高度な彫技を駆使し、金、銀、赤銅、四分一、素銅など多様な色金を象嵌や色絵で効果的に用いる点に特色がある。鉄地、赤銅地、真鍮地など様々な素材を用い、鐔、縁頭、小柄といった刀装具を手がけた。鐔においては、鉄地に槌目を施したり、真鍮地に石目や千鳥石目を打つなど、独自の地荒らしの技法も見られる。図柄は、人物、動物、山水、故事など多岐にわたり、写実的な表現の中に詩情や物語性を込めることを得意とした。特に、近江八景や芦雁、鯉、龍などを題材とした作品が多く、その構図の妙と繊細な彫技は高く評価されている。また、晩年には古銭を意匠に取り入れた枯淡な作風も見られる。作銘は「安親」の二字銘のほか、「武州住 奈良安親作」[[c:1]]「東雨」などがある。
安親の作品は、その卓越した彫技と豊かな芸術性により、現代においても高く評価されている。特に、構図の取り方、色金の配し方、空間の表現においては追随を許さぬ均衡を見せる。説示においては、「安親ならでは」「安親独特」「安親の世界」「安親の芸術的感性と技の非凡さ」[[c:2]]といった文言が繰り返し用いられ、その独創性と芸術性の高さが強調されている。また、「入念作」「優品」「傑作」「会心の出来」といった言葉からも、その作品の完成度の高さが窺える。奈良三作の一人として、刀装具の世界に確固たる地位を築き、後世に多大な影響を与えた名工である。
安親の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在82点販売中
奈良派は、江戸時代中期に隆盛を見た刀装金工の一流派である。後藤家の格式に拠らず、独立した町彫の伝統として発展し、奈良一門の歴代の手を経てその名跡を伝えた。流派の声価を不動のものとしたのは、奈良利寿・土屋安親・杉浦乗意のいわゆる「奈良三作」である。三作の筆頭たる利寿は寛文七年に生まれ、安親はこれに次ぎ、乗意は元禄十四年の生まれにして三人の中では最も若い。安親は出羽国庄内藩士の子として生まれ、若くして正阿弥珍久に学んだ後、元禄十六年江戸へ出て奈良辰政に師事し、天性の才を開花させた。乗意は信州松本の人で、江戸に出て奈良利治門の寿永に学んだと伝えられる。かくして各地より集う才人を糾合し、奈良派は江戸金工の独立した諸流の中にあって最高峰の一角を占めるに至った。 作風においては、流派の標識として彫技と素材の幅広さが挙げられる。地鉄は赤銅・鉄・真鍮・朧銀・四分一・素銅など多様であり、これに石目地・槌目地・磨地などの地荒らしを施す。彫技は鋤出彫・高彫・毛彫・片切彫を基調とし、金・銀・赤銅・四分一・素銅といった色金を象嵌・色絵として的確に配して画題を生かす。三作はこの共通の語彙のうちに各々独自の境地を拓いた。利寿は人物図を得意とし、縁頭の製作に抜群の技を示し、鋤出高彫を基調として隅々にまで力の漲る重厚な彫口を見せる。安親は構図の取り方、色金の配し方、空間の表現において追随を許さぬ均衡を示し、人物・動物・山水・故事と多岐にわたる題材に詩情と物語性を込めた。乗意は朧銀磨地を地金とし、僅かな高低差を活かして対象の表情を豊かに表出する肉合彫の新技を編み出し、象嵌や色絵をあまり用いず鏨の力量のみで意匠を彫り上げた点に独壇場を示す。 評価と伝承においては、奈良派の諸工が刀装具という限られた画面のうちに装飾の域を超えた真の芸術的表現を達成した点が、その名声の根幹を成す。利寿の作は豪壮の気が自然に溢れる品格を備え、僅かな空間を最大限に活用して躍動感を与える技量に特色がある。安親の作には「安親ならでは」「安親の世界」といった文言が繰り返し用いられ、その独創性と芸術性の高さが讃えられ、晩年には古銭を意匠に取り入れた枯淡の作風も見られる。乗意の児落獅子図小柄は、肉合彫を駆使して千尋の谷に我が子を投げ込む獅子を彫り上げた会心の作として重要刀装具に指定され、落下する児獅子の力強さと崖上に見守る親獅子の表情に臨場感が溢れる。これら三作を頂点とする奈良派は、構図の卓抜、全幅にわたる技量の冴え、そして優品を芸術の高みへと昇華させる表現の深さによって、江戸金工の世界に確固たる地位を築き、後世に多大な影響を与えた名門である。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
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H590. 鉄地梅樹図目貫 長さ:6.2 cm / 6.6 cm 鉄地に梅の枝図を配し、花弁には金の色絵が施されています。 裏面には赤漆による銘(書き銘)が見受けられますが、経年により摩滅しており判読は困難です。 前所有者のスキップ氏は、その作風から土屋安親の作ではないかと推測しております。添えられたメモをご参照の上、ご検討ください。 落とし込みの枕付き桐箱が付属いたします。 $695.










安親
寛文〜延享(1670-1744)
相模
町彫 · Edo
現在1点販売中
土屋安親は、江戸時代中期を代表する奈良派の金工である。寛文十年(1670年)に出羽国庄内藩士、土屋忠左衛門の子として生まれる。幼名は弥五八。若くして正阿弥珍久の門に入り、その才能を認められ珍久の娘を娶る。元禄十六年(1703年)三十四歳の時に江戸へ出て奈良辰政に師事し、更なる修行を重ねて天性の才能を開花させた。正徳頃には水戸光圀の甥にあたる奥州守山藩主、松平大学頭頼貞に仕え、享保十六年(1731年)六十一歳で剃髪し東雨と号した。奈良利寿、杉浦乗意と共に「奈良三作」と称えられ、その卓越した技量と豊かな表現力は後世に多大な影響を与えた。
安親の作風は、高彫、鋤出彫、薄肉彫といった高度な彫技を駆使し、金、銀、赤銅、四分一、素銅など多様な色金を象嵌や色絵で効果的に用いる点に特色がある。鉄地、赤銅地、真鍮地など様々な素材を用い、鐔、縁頭、小柄といった刀装具を手がけた。鐔においては、鉄地に槌目を施したり、真鍮地に石目や千鳥石目を打つなど、独自の地荒らしの技法も見られる。図柄は、人物、動物、山水、故事など多岐にわたり、写実的な表現の中に詩情や物語性を込めることを得意とした。特に、近江八景や芦雁、鯉、龍などを題材とした作品が多く、その構図の妙と繊細な彫技は高く評価されている。また、晩年には古銭を意匠に取り入れた枯淡な作風も見られる。作銘は「安親」の二字銘のほか、「武州住 奈良安親作」[[c:1]]「東雨」などがある。
安親の作品は、その卓越した彫技と豊かな芸術性により、現代においても高く評価されている。特に、構図の取り方、色金の配し方、空間の表現においては追随を許さぬ均衡を見せる。説示においては、「安親ならでは」「安親独特」「安親の世界」「安親の芸術的感性と技の非凡さ」[[c:2]]といった文言が繰り返し用いられ、その独創性と芸術性の高さが強調されている。また、「入念作」「優品」「傑作」「会心の出来」といった言葉からも、その作品の完成度の高さが窺える。奈良三作の一人として、刀装具の世界に確固たる地位を築き、後世に多大な影響を与えた名工である。
安親の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在82点販売中
奈良派は、江戸時代中期に隆盛を見た刀装金工の一流派である。後藤家の格式に拠らず、独立した町彫の伝統として発展し、奈良一門の歴代の手を経てその名跡を伝えた。流派の声価を不動のものとしたのは、奈良利寿・土屋安親・杉浦乗意のいわゆる「奈良三作」である。三作の筆頭たる利寿は寛文七年に生まれ、安親はこれに次ぎ、乗意は元禄十四年の生まれにして三人の中では最も若い。安親は出羽国庄内藩士の子として生まれ、若くして正阿弥珍久に学んだ後、元禄十六年江戸へ出て奈良辰政に師事し、天性の才を開花させた。乗意は信州松本の人で、江戸に出て奈良利治門の寿永に学んだと伝えられる。かくして各地より集う才人を糾合し、奈良派は江戸金工の独立した諸流の中にあって最高峰の一角を占めるに至った。 作風においては、流派の標識として彫技と素材の幅広さが挙げられる。地鉄は赤銅・鉄・真鍮・朧銀・四分一・素銅など多様であり、これに石目地・槌目地・磨地などの地荒らしを施す。彫技は鋤出彫・高彫・毛彫・片切彫を基調とし、金・銀・赤銅・四分一・素銅といった色金を象嵌・色絵として的確に配して画題を生かす。三作はこの共通の語彙のうちに各々独自の境地を拓いた。利寿は人物図を得意とし、縁頭の製作に抜群の技を示し、鋤出高彫を基調として隅々にまで力の漲る重厚な彫口を見せる。安親は構図の取り方、色金の配し方、空間の表現において追随を許さぬ均衡を示し、人物・動物・山水・故事と多岐にわたる題材に詩情と物語性を込めた。乗意は朧銀磨地を地金とし、僅かな高低差を活かして対象の表情を豊かに表出する肉合彫の新技を編み出し、象嵌や色絵をあまり用いず鏨の力量のみで意匠を彫り上げた点に独壇場を示す。 評価と伝承においては、奈良派の諸工が刀装具という限られた画面のうちに装飾の域を超えた真の芸術的表現を達成した点が、その名声の根幹を成す。利寿の作は豪壮の気が自然に溢れる品格を備え、僅かな空間を最大限に活用して躍動感を与える技量に特色がある。安親の作には「安親ならでは」「安親の世界」といった文言が繰り返し用いられ、その独創性と芸術性の高さが讃えられ、晩年には古銭を意匠に取り入れた枯淡の作風も見られる。乗意の児落獅子図小柄は、肉合彫を駆使して千尋の谷に我が子を投げ込む獅子を彫り上げた会心の作として重要刀装具に指定され、落下する児獅子の力強さと崖上に見守る親獅子の表情に臨場感が溢れる。これら三作を頂点とする奈良派は、構図の卓抜、全幅にわたる技量の冴え、そして優品を芸術の高みへと昇華させる表現の深さによって、江戸金工の世界に確固たる地位を築き、後世に多大な影響を与えた名門である。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
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