説明

鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀装具[N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon Tousougu 江戸時代、奈良利寿、杉浦乗意と共に「奈良三作」と称された大名人、安親の特別保存刀装具指定作品。土屋安親は弥五八と称し、庄内藩士、土屋忠左衛門の子として寛文十年 (1670年)に生まれ、正阿弥珍久の門に学び、元禄十年(1697年)、34歳の時に江戸に出府、奈良辰政について更に修行し天性の才能を開花させた。奈良利寿、杉浦乗意と共に「奈良三作」と称され、数々の名作を世に残した名人中の名人であり、日本帝国美術史にはその作風を評して「其彫風高雅にして風流を旨とす。例えば光琳の如く、一種飄逸にして妙鏡に至れるものあり。」と記され、重要文化財6点、重要美術品14点が国の指定品に認定されるなどの高い評価を受けている。掲題の虎の児渡し図は利寿をはじめ、奈良派の多くの作家が用いていることから当時より人気の図柄であったようだ。二匹の温厚な児虎と、一匹の凶暴な児虎を連れた母虎が、川を渡る際にどのような順で運んだら児虎が襲われずにすむであろうか、という内容であるが、子を思う親のあり様、あるいは戦場において重視される咄嗟の判断力を暗示しているという。漆黒の赤銅地に眼光鋭い虎の肢体は同作の魅力を十全に伝える格調高い逸品である。

特別保存刀装具 安親
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Tokuho売切れ

特別保存刀装具 安親

縁頭

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作者について

Nara Yasuchika安親

5 重要文化財14 重要美術品9 特別重要刀剣60 重要刀剣

土屋安親は、江戸時代中期を代表する奈良派の金工である。寛文十年(1670年)に出羽国庄内藩士、土屋忠左衛門の子として生まれる。幼名は弥五八。若くして正阿弥珍久の門に入り、その才能を認められ珍久の娘を娶る。元禄十六年(1703年)三十四歳の時に江戸へ出て奈良辰政に師事し、更なる修行を重ねて天性の才能を開花させた。正徳頃には水戸光圀の甥にあたる奥州守山藩主、松平大学頭頼貞に仕え、享保十六年(1731年)六十一歳で剃髪し東雨と号した。奈良利寿、杉浦乗意と共に「奈良三作」と称えられ、その卓越した技量と豊かな表現力は後世に多大な影響を与えた。 安親の作風は、高彫、鋤出彫、薄肉彫といった高度な彫技を駆使し、金、銀、赤銅、四分一、素銅など多様な色金を象嵌や色絵で効果的に用いる点に特色がある。鉄地、赤銅地、真鍮地など様々な素材を用い、鐔、縁頭、小柄といった刀装具を手がけた。鐔においては、鉄地に槌目を施したり、真鍮地に石目や千鳥石目を打つなど、独自の地荒らしの技法も見られる。図柄は、人物、動物、山水、故事など多岐にわたり、写実的な表現の中に詩情や物語性を込めることを得意とした。特に、近江八景や芦雁、鯉、龍などを題材とした作品が多く、その構図の妙と繊細な彫技は高く評価されている。また、晩年には古銭を意匠に取り入れた枯淡な作風も見られる。作銘は「安親」の二字銘のほか、「武州住 奈良安親作」「東雨」などがある。 安親の作品は、その卓越した彫技と豊かな芸術性により、現代においても高く評価されている。特に、構図の取り方、色金の配し方、空間の表現においては追随を許さぬ均衡を見せる。説示においては、「安親ならでは」「安親独特」「安親の世界」「安親の芸術的感性と技の非凡さ」といった文言が繰り返し用いられ、その独創性と芸術性の高さが強調されている。また、「入念作」「優品」「傑作」「会心の出来」といった言葉からも、その作品の完成度の高さが窺える。奈良三作の一人として、刀装具の世界に確固たる地位を築き、後世に多大な影響を与えた名工である。

刀剣商

飯田高遠堂

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