国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
刀剣番号:AS25355 短刀:白鞘、黒漆塗合口拵え付き(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣) 銘文:備州住長船祐定作 永禄三年二月吉日 鞘書き:備州住長船祐定作 永禄三年二月吉日 長七寸三分有之 昭和乙卯年三月吉日 寒山博士 識(花押) (弊社では刀工の出来を最上作、上々作、上作、普通作に分類しております。本作は備州住長船祐定としては、上々作にランクされる作品です。) ハバキ:金着一重 長さ:22.0 cm(7寸3分) 反り:0 cm 目釘穴:1個 元幅:2.33 cm 重ね:0.83 cm 刀身重量:185 グラム 時代:室町時代 永禄三年(1560年) 体配:身幅広く、重ね厚い。表裏に梵字の彫りがある。 地鉄:小板目肌よく詰み、映りが現れる。 刃文:直刃調に匂口深く、帽子は丸く深く返る。 特徴:備州長船祐定は室町時代末期に活躍した刀工集団です。彼らは非常に多くの刀剣を制作しました。清光らも同様に多くの作品を残しており、美濃の刀工たちもまた膨大な数の刀を打ちました。 当時は戦の主力として打刀や短刀が用いられていたと言われています。江戸時代に入ると、武士は登城の際に大小二本を腰に差すようになり、短刀を帯びる必要がなくなったため、江戸期の短刀制作は衰退しました。そのため、今日では希少な新刀期の短刀を求める愛好家も多くおられます。 拵:合口拵 目貫:獅子の図、金色絵。 縁頭:縁は扇と面頬の図、頭は兜の図、金色絵。 鞘:焦茶漆塗鞘。 小柄:牛の図。小刀付き。 日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書 葵美術評価鑑定書






備前伝 · 備前
現在82点販売中
祐定派は、室町時代後期に備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市)の地に栄えた末備前の主流工房である。鎌倉以来の長船鍛冶が太刀の時代を閉じ、太刀に代わって身幅の広い長大な打刀を諸手で用いる時代に入ると、祐定の名はその新しい需要を一手に担う一群の総称となった。説明書がこれを末長船で最も繁栄した一家と記すとおり、祐定を切った工は数十を数え、近世の刀剣書は俗名を冠した者だけでも二十一人を挙げる。その大群のなかで腕においても名においても抜きん出るのが、俗名を負った数工である。最も著名にして上手とされる与三左衛門尉祐定、その父と伝える彦兵衛尉祐定、豪壮の鍛えで知られる源兵衛尉祐定、二様の作風を能くする彦左衛門尉祐定らがそれで、初代与三左衛門尉は天文六年紀の短刀から逆算して応仁元年の生まれと推定され、永正から天文にかけて一派の頂点に立った。これら名工の入念な注文打のかたわら、戦国の旺盛な需要に応える数打物が大量に鍛えられ、一派は名工と量産の二つの層を同時に抱えた。 作風には末備前の工房がわがものとした明らかな共通語法がある。刃文を統べる一つの極は、腰の開いた互の目が複式の乱れに組み上がる腰開きの複式互の目で、これに小互の目丁子・尖り刃を交え、足・葉さかんに入り、匂本位に小沸つき、小さな飛焼を交えて匂口が明るい。いま一つの極は、意図して静かな直刃あるいは広直刃で、これに小互の目を交え、砂流し・金筋がかかる。地鉄はいずれの刃の下でも小板目をよくつめて鍛え、地沸を微塵に敷き、地景を細かに織りなして、鎬寄りに淡く乱れ映りが立つことがあり、鎌倉全盛の明るい映りの名残をわずかに残す。帽子は乱れ込みに小丸となり、あるいは尖りごころに掃きかけて返る。姿は寸延びて身幅広く、重ね厚く先反りつき、両手打に適した茎となるのが時代の徴である。これらの特徴は一派を通じて繰り返されるが、名工と数打を分かつのは作域の広さと地刃の冴えである。与三左衛門尉は複式互の目に加えて沸深い皆焼と穏やかな直刃の双方を能くし、源兵衛尉は鍛錬の定評と広直刃に、彦兵衛尉は直刃を地としつつ備前本来の賑やかな乱れに、彦左衛門尉は華やかな乱れと静かな直刃の二様に、それぞれの手を見せる。これに対し数打物は作風相似て個性に乏しく、地刃の働きも浅い。 鑑定の勘所は、まずこの名工と数打との別を見極めることにある。名工の注文打は地鉄が精良で地刃の沸がよくつき匂口冴え、年紀の傍らに所持者の銘を負うものが多い。源兵衛尉の天文二十三年紀の刀は惟宗忠頼の所持銘を、彦左衛門尉の天正四年の刀は播州の和田出雲守のための「為播州住和田出雲守重代延之也」[[c:1]]の銘を負い、説明書はかかる為打・注文打があればこそ末備前の名声が高いと明言する。三工のうちでも与三左衛門尉の格はとりわけ高く、説明書は与三左衛門尉を冠するものが最も有名にして上手と記し、その典型作を末備前を代表する一口と位置づける。切れ味の評にあっても末備前は実用刀として重んじられ、戦国の武器としての需要がこの隆盛を支えた。伝来もまた一派の評価を裏づけ、与三左衛門尉の五十七歳の作は蜂須賀家に伝わり、ほかに毛利家・井伊家、皇室の御物、武将山中鹿介の所持と伝える脇指などが数えられる。幅広く明るく、腰の開いた互の目の冴えて読める在銘年紀の祐定は、長船がその最後の偉大な世代にいかに鍛えたかを語る確かな一証である。 詳しく見る →
室町時代の備前
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。
刀剣番号:AS25355 短刀:白鞘、黒漆塗合口拵え付き(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣) 銘文:備州住長船祐定作 永禄三年二月吉日 鞘書き:備州住長船祐定作 永禄三年二月吉日 長七寸三分有之 昭和乙卯年三月吉日 寒山博士 識(花押) (弊社では刀工の出来を最上作、上々作、上作、普通作に分類しております。本作は備州住長船祐定としては、上々作にランクされる作品です。) ハバキ:金着一重 長さ:22.0 cm(7寸3分) 反り:0 cm 目釘穴:1個 元幅:2.33 cm 重ね:0.83 cm 刀身重量:185 グラム 時代:室町時代 永禄三年(1560年) 体配:身幅広く、重ね厚い。表裏に梵字の彫りがある。 地鉄:小板目肌よく詰み、映りが現れる。 刃文:直刃調に匂口深く、帽子は丸く深く返る。 特徴:備州長船祐定は室町時代末期に活躍した刀工集団です。彼らは非常に多くの刀剣を制作しました。清光らも同様に多くの作品を残しており、美濃の刀工たちもまた膨大な数の刀を打ちました。 当時は戦の主力として打刀や短刀が用いられていたと言われています。江戸時代に入ると、武士は登城の際に大小二本を腰に差すようになり、短刀を帯びる必要がなくなったため、江戸期の短刀制作は衰退しました。そのため、今日では希少な新刀期の短刀を求める愛好家も多くおられます。 拵:合口拵 目貫:獅子の図、金色絵。 縁頭:縁は扇と面頬の図、頭は兜の図、金色絵。 鞘:焦茶漆塗鞘。 小柄:牛の図。小刀付き。 日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書 葵美術評価鑑定書






備前伝 · 備前
現在82点販売中
祐定派は、室町時代後期に備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市)の地に栄えた末備前の主流工房である。鎌倉以来の長船鍛冶が太刀の時代を閉じ、太刀に代わって身幅の広い長大な打刀を諸手で用いる時代に入ると、祐定の名はその新しい需要を一手に担う一群の総称となった。説明書がこれを末長船で最も繁栄した一家と記すとおり、祐定を切った工は数十を数え、近世の刀剣書は俗名を冠した者だけでも二十一人を挙げる。その大群のなかで腕においても名においても抜きん出るのが、俗名を負った数工である。最も著名にして上手とされる与三左衛門尉祐定、その父と伝える彦兵衛尉祐定、豪壮の鍛えで知られる源兵衛尉祐定、二様の作風を能くする彦左衛門尉祐定らがそれで、初代与三左衛門尉は天文六年紀の短刀から逆算して応仁元年の生まれと推定され、永正から天文にかけて一派の頂点に立った。これら名工の入念な注文打のかたわら、戦国の旺盛な需要に応える数打物が大量に鍛えられ、一派は名工と量産の二つの層を同時に抱えた。 作風には末備前の工房がわがものとした明らかな共通語法がある。刃文を統べる一つの極は、腰の開いた互の目が複式の乱れに組み上がる腰開きの複式互の目で、これに小互の目丁子・尖り刃を交え、足・葉さかんに入り、匂本位に小沸つき、小さな飛焼を交えて匂口が明るい。いま一つの極は、意図して静かな直刃あるいは広直刃で、これに小互の目を交え、砂流し・金筋がかかる。地鉄はいずれの刃の下でも小板目をよくつめて鍛え、地沸を微塵に敷き、地景を細かに織りなして、鎬寄りに淡く乱れ映りが立つことがあり、鎌倉全盛の明るい映りの名残をわずかに残す。帽子は乱れ込みに小丸となり、あるいは尖りごころに掃きかけて返る。姿は寸延びて身幅広く、重ね厚く先反りつき、両手打に適した茎となるのが時代の徴である。これらの特徴は一派を通じて繰り返されるが、名工と数打を分かつのは作域の広さと地刃の冴えである。与三左衛門尉は複式互の目に加えて沸深い皆焼と穏やかな直刃の双方を能くし、源兵衛尉は鍛錬の定評と広直刃に、彦兵衛尉は直刃を地としつつ備前本来の賑やかな乱れに、彦左衛門尉は華やかな乱れと静かな直刃の二様に、それぞれの手を見せる。これに対し数打物は作風相似て個性に乏しく、地刃の働きも浅い。 鑑定の勘所は、まずこの名工と数打との別を見極めることにある。名工の注文打は地鉄が精良で地刃の沸がよくつき匂口冴え、年紀の傍らに所持者の銘を負うものが多い。源兵衛尉の天文二十三年紀の刀は惟宗忠頼の所持銘を、彦左衛門尉の天正四年の刀は播州の和田出雲守のための「為播州住和田出雲守重代延之也」[[c:1]]の銘を負い、説明書はかかる為打・注文打があればこそ末備前の名声が高いと明言する。三工のうちでも与三左衛門尉の格はとりわけ高く、説明書は与三左衛門尉を冠するものが最も有名にして上手と記し、その典型作を末備前を代表する一口と位置づける。切れ味の評にあっても末備前は実用刀として重んじられ、戦国の武器としての需要がこの隆盛を支えた。伝来もまた一派の評価を裏づけ、与三左衛門尉の五十七歳の作は蜂須賀家に伝わり、ほかに毛利家・井伊家、皇室の御物、武将山中鹿介の所持と伝える脇指などが数えられる。幅広く明るく、腰の開いた互の目の冴えて読める在銘年紀の祐定は、長船がその最後の偉大な世代にいかに鍛えたかを語る確かな一証である。 詳しく見る →
室町時代の備前
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。