徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
刃渡り(長さ) 49.0センチ 反り 0.9センチ 元鎬厚 7.1ミリ 元重ね6.9ミリ 先鎬厚 5.5ミリ 先重ね5.2ミリ 元幅 33.2ミリ 先幅 24.6ミリ 刀身重量567g ハバキ 金被せ( K22 機材にて測定済 電気メッキ品は画像のようNOTGOLDと表記されます) 目釘穴 1個 刃文 小丁子乱れ 沸出来(小沸) 匂口深く、葉、足、金筋、芋蔓入る 帽子 小丸に返る 鍛え 小糠心の板目肌 地鉄、詰み良く錬られる 茎 生ぶなかご 鑢目 勝手下がり 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 但馬守法城寺貞国 貞国の評価額 500万円 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 2/3 3/3





法城寺 · 武蔵 · 1658-1673頃
藤代 上作 · 刀剣大鑑 上位31%
現在2点販売中
但馬守法城寺橘貞国は、万治から寛文・延宝期にかけて江戸で作刀した刀工で、その一刀は寛文五年十月七日の年紀をもち、試刀家山野加右衛門永久による三ッ胴截断を記す金象嵌銘を裏に伴う。本工は法城寺一門に属し、説明書はこの一門を寛文・延宝の頃「江戸で最も多くの人数をもった鍛冶集団」[[c:1]]と呼び、多くの良工を輩出したと記す。一門の初代は近江守法城寺正弘であり、貞国は年代的にこれに直ぐ次ぐ。万治三年紀を裏に切った長銘の作が遺存して活動が寛文以前に遡ることを示し、説明書は本工を初代に次ぐ工とし、すでに「万治三年にその作刀をみる」[[c:2]]と述べる。藤代の極めは上作である。一派は但馬法城寺の流れを汲み、江戸の家はその分流であって、継いだ貞国の名はここでは法城寺の手を指し、同字の下坂貞国とは別人である。
本工の典型は、説明書が繰り返し初代に似ると名指す手である。小板目つみ、処々肌立ちごころに地沸よくつく地に、直刃を基調として互の目を交じえ、足太く入り、匂深く、小沸つき、砂流し刃中を走り、匂口明るく、帽子は直ぐに小丸へ返る。説明書はこの作柄を一門全体の典型とみなし、ある重要刀剣の刀は代表的な作風をよく示して、その出来が「長曽祢一門に迫るものがあり、同作中の白眉である」[[c:3]]と判ぜられ、しばし虎徹とその門に比される。直刃・互の目について説明書は帽子の収まりも同じだと記し、「帽子は直ぐに小丸に返るものが常である」[[c:4]]とし、刃文とその返りとが一つの定型として読まれる。
地鉄はより穏やかな見どころである。鍛えは小板目、よくつみ、ときに杢を交え、一刀では刃寄りに柾ごころを交える地に、地沸がつく。晩年のもっとも精緻な刀では地がもっとも冴え、説明書は板目つみ地沸微塵に厚くつき地景細かによく入る地を述べる。これこそ優作が虎徹の一門に比される所以である。その地に焼く刃文は、直刃を基調に浅くのたれごころをおび、小互の目連れて交じり、小足さかんに入り、匂深く沸厚くつき、細かに金筋・砂流しかかり、上半に二重刃・喰違刃を交え、匂口明るく、帽子は先に掃きかける。働きは現存作を通じて一貫し、なかでも砂流しがほぼ全ての作を走って、静かな直刃と互の目を平板に見せぬ。
本工の作は一つの手の二様に分かれる。第一は右に述べた法城寺の典型、直刃・互の目に匂深く帽子直ぐに小丸へ返る手で、説明書はこれを「同派、同工の特色をよく示した典型作の一口」[[c:5]]と称する。第二は平成指定の刀にみる晩年の精緻な手で、地は地景の入る精緻な小板目へとつみ、刃には二重刃・喰違刃が加わる。説明書はこの第二の貌を明確に読み、上半の二重刃について「二重刃は法城寺正弘によく見るところであり」[[c:6]]と記し、両者の近しい関係の証とみる。指定作はほとんどが在銘で、銘は生ぶ茎に切られた長銘、しばしば太鏨の大振りで、但馬守法城寺橘貞国と切る。その半数は裏に山野加右衛門永久・山野勘十郎久英・柴崎伝左衛門正次らの金象嵌截断銘を伴い、江戸の試刀家の三ッ胴截断を記して、説明書が注目する資料的価値を各作に加える。
本工を分かつものは、他派ではなく初代に対して立てられる。説明書はその手を正弘に酷似するとし、その上で差を精しく標す。地刃の冴えと匂口の力強さにおいて「地刃の冴え、匂口の力強さ等、僅かに及ばない」[[c:7]]というのである。この僅かな一点こそ両者を見分ける明示の根拠であり、僅かなだけに却って徴となる。本工自身の地に即した徴は、説明書が立ち返る肯定の側にある。互の目の下の直刃基調、砂流しに乗る匂深、精緻な作の明るい匂口、晩年の地の細かな地景である。法城寺一門において本工は初代に次ぐ最古紀の手であり、正弘の作風を多くの良工を擁する江戸の工房へ伝えた工であって、その作は一門の代表作が比される尺度をなす。
貞国は藤代の極めで上作、刀工大鑑の評価は四五〇万円である。指定の記録は重要刀剣八口にとどまり、国宝・重要文化財・特別重要刀剣を数えず、これは名匠というより一派の優れた手としての位置を示す。説明書は本工の遺例を比較的少ないとし、その小さな一群にあって指定品はほとんどが在銘、多くが截断を帯び、数口は山野家の金象嵌截断銘を伴って資料的価値を加える。大名家や博物館への伝来は記録されず、いずれも私家を経たもので、截断銘が、資料の薄い新刀がしばしば欠く伝来の名を補っている。蒐集の上では、貞国は国宝のように手の届かぬものではないが、稀である。在銘でしばしば截断により年紀をもつ重要刀剣の刀が時に市にかかるにすぎず、匂口明るく名のある試刀家の截断を帯びた出来のよい一口は、探すより俟つに値する初期江戸の在銘作である。
貞國の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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相州伝 · 但馬
現在19点販売中
法城寺は但馬国の地名であり、この派の名はそこに発する。各工の説明書がまず立ち返るのは、南北朝期この地に住んだ薙刀の名手国光であって、国光のことを地名をもって法城寺と呼び習わしたと繰り返し記される。古刀の法城寺はこの国光を源とし、銘鑑に初・二代を挙げて初代を貞治、二代を応永とするが、有銘の太刀・薙刀は伝わらず、その盛名を担う薙刀および薙刀直しはことごとく無銘極めである。古来「相州貞宗の三哲の一人」[[c:1]]に数える伝を、説明書は引くたびに「多くの疑問があり、俄かに賛成出来ない」[[c:2]]「妥当を欠く」と退け、むしろ備前物の影響が強いと結ぶ。新刀期に至り、この但馬の流れを汲む一門が江戸に移って大いに栄えた。その初代を近江守正弘とし、これに直ぐ次ぐ貞国、吉次・正照・永国らの良工を輩出して、寛文・延宝の頃には江戸で最も多くの人数をもった鍛冶集団と呼ばれた。古刀の但馬法城寺と、江戸に分流した新刀の法城寺と、この二つの活動地・時代を一派の両端として読むべきである。 作風は古刀と新刀とで趣を異にする。古刀の無銘極めは、華やかな丁子乱れを焼いて一見備前一文字に見紛うほどでありながら、地刃の沸が一段と強く、大模様の鍛えに地景が入って肌立ち、刃中に金筋・砂流しを頻りにあしらう点で備前から分かたれる。地鉄は板目に大板目・流れ肌を交えて大模様に肌立ち、乱れ映りは鮮明な口少なく淡い口が多く、その淡さこそ但州法城寺の見どころと記される。在銘の短刀は趣を全く異にし、細直刃・中直刃に二重刃を交える手と、小のたれに互の目を交え砂流しさかんにかかる手とに分かれる。これに対し江戸新刀は、各工が一様に直刃を本領とする。正弘は匂深い直刃を得意とし、広直刃に小互の目を連れ、小沸むらなく厚くつき、二重刃をまま交え、地鉄は小板目をよくつめ地沸を微塵に厚くつけてかね明るい。貞国はこれに酷似して互の目を交え砂流しを走らせ、ただ地刃の冴えと匂口の力強さが正弘に僅かに及ばないとされる。吉次は一門中で互の目が最も目立ち、小のたれに数珠刃風の互の目を連ね、覇気に満ちた作域を示す。正照は中直刃に優れ、永国は直刃の焼出しより連なる互の目を一定の軸とする。帽子はおおむね直ぐに小丸へ返り先掃きかけるのを常とし、姿は鎬低く元先の幅差目立ち反り浅く中鋒つまる寛文新刀の体配を、各工がそれぞれの手で読んでいる。 鑑定の勘所は、この古刀と新刀の二つの面にそれぞれ立つ。古刀では、淡い乱れ映りと大模様に肌立つ鍛え、地刃の顕著な働きをもって備前と分かち、無銘極めの薙刀直しと在銘短刀との間に出来口の通うところを見出して一人の工に繋ぐのが眼目である。本間順治はこの手の薙刀直しを初代但州国光とし、無銘物には本阿弥光温・光忠ら代々の極めが付く。新刀では、各工の説明書がそろって長曽祢虎徹に近いことを記し、就中正弘を諸工のうち最も虎徹に近いとして、山野家の截断金象嵌を多く帯びる縁から法城寺一派と虎徹一門の相当近い関係を推す。判者が引く類比はみな上に向かい、貞国・吉次の優品は兼重ら江戸の名手に迫るとされ、その匂深く匂口明るい刃と微塵の地沸が、この一派を共通して支える。主要工の格は、古刀の国光が藤代上々作で重要文化財をも数えるのに対し、新刀の各工は上作ないし作に位し、その指定はおおむね重要刀剣の級にとどまる。伝来は、古刀国光の短刀が秋元家・前田家・徳松ゆかりの名物として伝わるのに対し、新刀の各工は大名家への古い伝来をほとんど記されず、山野家の截断銘がしばしば伝来の名を補う。市に現れるのは新刀の在銘作が折々のことに過ぎず、截断銘を帯びた出来のよい一口は、探すより俟つに値する。 詳しく見る →
江戸時代
徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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