小反り派の特徴をよく表した生ぶの太刀で、小ずんだ互の目に映りがよく立っている。 なおこの太刀には無銘楽寿作の金具半太刀拵がついている。





Bizen Osafune, Kozori group · 備前 · 1377-1406頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位21%
家守は備前長船の刀工で、その年紀作は永和・康応より明徳を経て応永一桁代へとほぼ途切れず連なり、説明書はこの工をまず端的に記す。応永備前の一類の刀工であり、「作品は少ない」と。家守は、文献が小反と呼ぶ南北朝末期長船の一群に属する。これは血脈によらず除外によって括られた範疇で、長船兼光・元重・長重の特定の系統に入らない刀工達を一名のもとに集めたものであり、家守は秀光・光弘・成家らと共にこれに数えられる。銘鑑はこれを代次に読み、初代を鎌倉後期・元徳頃の畠田派に置くが現存品を殆ど見ず、康暦から応永にかけての年紀作を同名四代のうちの三代とする。古い記載は義景門ともするが、説明書はこの異同を、各遺例を作風と年紀により読んで確定的には代別しないことで収める。
この工の手は小模様の乱れであり、これを定めるのは寸法をめぐる繰り返しの評である。説明書はその作風を兼光風、すなわち小のたれに互の目を交えたものとし、ただちに「作位は兼光に及ばない」[[c:1]]が同派の特色は顕著であると添える。兼光一門が太い互の目を焼くのに対し、家守は同じ趣を小さく連れた小互の目に収め、角張る刃・尖り刃を交え、腰には腰の開いた互の目を交えて、総じて小さくこずむ、参考書のいう小互の目連れごころのこずみとなる。小足・葉入り、刃は匂主調に小沸つき、僅かに砂流し・金筋が働く。帽子はこれに応じ、乱れ込んで尖り掃きかけ、あるいは静かな作では直ぐ小丸より焼詰めへと移る。
地鉄は同じ控えめな作域に収めた長船の地である。板目に杢を交え流れごころとなり、肌が立って古い記述はこれを肌立ちと呼ぶ。これに地沸つき、地景が鉄に細かく黒く沈み、処々地斑調の肌を交え、刃文が静かなところにも備前の伝統に据える乱れ映りが立つ。上手は鉄が締まり映りが明るく立つ。姿は年紀の割りに古調で、腰反り深く踏張りつき小鋒、説明書がこの期の時代色とする体配であり、銘は同派に共通する細鏨の小振りな六字銘あるいは棟寄りの長銘である。
年紀作を通じて読めば、一人の手がゆるやかに次代へ向かう様が見える。応永の太刀は重ねが厚くなり先反りを加え、説明書はこの重ね厚く腰反り小鋒の姿を応永備前の萌芽とする。応永二年の一口は、板目に杢を交え地沸細かく黒い地景風の鉄が入り、乱れ映りよく立ち、腰の開いた互の目が小模様をなして小反の特色を明示すると評される。しかし刃はなお旧の作域を保ち、連れごころの互の目には、ある脇指に読まれる通り前時代の名残りが残る。なかには抑制を破る作もあり、応永の幅広き脇指の一口は年紀の割りに乱れが華やかと評され、鏨太く異風の銘を持ち、文献は家守研究の好資料とする。銘鑑の同名四代の継承と確たる初代作の不在ゆえ、厳密な代別は説明書のいう通り今後の研究に俟つところとなる。
一派のうちで家守を分かつものは、比較よりもこの工自身の地に即した特色によく語られる。明るい乱れ映りと、尖り角張る刃を交えたこずんだ小模様の互の目は、これを兼光本流の下に置きながらも確かに長船と印し、腰の開いた互の目と重く晩い姿は応永備前へと向けて、南北朝長船の列と次代長船との敷居に本工を立たせる。説明書はその縁を端的に名指し、「師光・家助などにみる淋しい刃文」[[c:2]]を挙げ、上手をこの一円の典型とする。すなわち最上の年紀太刀において地鉄・刃文・帽子をこの工およびその一派の典型と読み、「家守の代表作の一口」[[c:3]]と呼ぶに足る一口とする。折返銘の一刀ではさらに進んで、同類の常に比して「鉄の鍛えがよく、匂口も明るく冴え」[[c:4]]、優れた出来であると記す。
家守は中上作に位し、その地位は市場の名というより資料的な手のそれである。指定を受けた作は重要刀剣の太刀・脇指十三口を数え、うちに国宝・重要文化財はなく、それゆえ記録に繰り返される生ぶ・有銘・年紀を持ち地刃の健全な作は、小反一類を知る資料として、また応永備前への過渡の備前鍛冶を知る上で貴ばれる。伝来は薄いが確かで、一口は皇室の手を経、他は北条子爵家、また収集家志田定重より伝わり、現在の所在には林原美術館、東京国立博物館・京都国立博物館の名が見える。私蔵家にとっては主にその年紀のある重要刀剣の太刀を通じて出会う工であり、それも時折、待ってこそ現れるものである。華やぎよりも、応永備前の縁に立つ年紀の明らかな鍛えのよい一刀の読みやすさにこそ、その価値がある。
家守の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
現在24点販売中
小反は、南北朝時代末期から室町時代初期にかけて備前長船の地に働いた一群の刀工を、血脈ではなく除外によって括った呼称である。すなわち兼光一門、長義、元重、大宮一門といった当時の長船の主立った系統のいずれにも直接の師弟関係を結ばぬ周縁の手を、まとめて一名のもとに集めたものであり、その名の意味するところは今日なお漠然としていると本会は率直に記す。秀光、家助、成家、家守、師光、守助らがこれに数えられ、銘鑑はおのおのを数代に立てて初代を鎌倉後期から建武・暦応の頃に置くが、確たる初代作を経眼せず、現存の有銘作はおおむね文和・貞治から永徳・明徳を経て応永一桁代に及ぶ。それゆえ各遺例は一手に確定的に帰すよりも、作風と年紀によって読まれるのを常とする。師光が倫光の子にして応永備前の盛光の父と伝えられ、家助が畠田派を承けて応永備前の一角をなすように、この一群は長船嫡流の華やかな本流とその次代の応永備前との間に、静かな周縁の地帯をなして横たわる。 この一派を貫く手は小模様の乱れである。兼光一門が太く円い互の目を焼くのに対し、小反の工はおおむね同じ趣を小さくこずんだ刃に収め、小のたれを本位として小互の目を連れごころに焼き、これに尖り刃、角ばる刃、腰の開いた互の目を交え、処々逆ごころを見せて、総じて小さくこずむ。足・葉よく入り、匂を主調にわずかに小沸つき、金筋・砂流しが細かに働き、丁子を交えてもなお控えめにとどまる。地鉄は板目に杢を交えて流れごころとなり、肌やや立って地沸細かにつき、地景が黒く沈み、時に地斑を交え、その上に淡い、あるいは鮮明な乱れ映りが立つ。短刀・平造の作では棒映り、直ぐ状の映りとなるものも見え、いずれにせよこの映りが、同時代の相州風の手から一派を分かち、備前の地に繋ぎ止める最も確かな標となる。帽子は刃文に従って乱れ込み尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に結ぶ。棒樋を掻き、梵字、護摩箸、倶利迦羅などを彫る作もある。一派の常を越えて、師光の至徳の太刀のように腰の開いた互の目に高低を見せて華やかに乱れ、応永備前を予兆させる作もあり、家守の応永の太刀のごとく重ね厚く先反りを加えて次代の姿に近づくものもある。 収集の観点から小反の物が求められるのは、何よりそれが資料として明瞭であるからである。鑑定の勘所は二つの敷居を分かつことにある。一つは兼光本流との別で、模様の小さくこずむ点と、やや控えめな作位とによってこれを読み、いま一つは応永備前との別で、腰の開いた互の目と棒映りのうちに次代の萌芽を見ながら、なお南北朝の古調の姿と抑えた焼きにとどまる点をもって分かつ。主要な工の格はおのずから別れ、師光は上々作に位し、秀光、家助、成家、守助、家守らは中上作の位を占める。在銘の作はおおむね生ぶで年紀を備えた太刀として遺り、成家のように大磨上無銘の刀によって主に知られる工もあるが、いずれの場合も、年紀の確かな南北朝の備前として頗る貴重とされる。伝来は概して薄いが確かで、黒田家、加賀前田家、庄内酒井家、皇室の手を経た作や、林原美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、春日大社に伝わる作が知られ、その多くは伝持されて市場に現れることは稀である。在銘有年紀の小反物が世に出るのは折に触れてに過ぎず、根気を要するが、現れればそれは、長船派が南北朝の世をいかに閉じ、応永の再興へといかに身を運んだかを、一年一年読みうる確かな文書となる。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト小反り派の特徴をよく表した生ぶの太刀で、小ずんだ互の目に映りがよく立っている。 なおこの太刀には無銘楽寿作の金具半太刀拵がついている。





Bizen Osafune, Kozori group · 備前 · 1377-1406頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位21%
家守は備前長船の刀工で、その年紀作は永和・康応より明徳を経て応永一桁代へとほぼ途切れず連なり、説明書はこの工をまず端的に記す。応永備前の一類の刀工であり、「作品は少ない」と。家守は、文献が小反と呼ぶ南北朝末期長船の一群に属する。これは血脈によらず除外によって括られた範疇で、長船兼光・元重・長重の特定の系統に入らない刀工達を一名のもとに集めたものであり、家守は秀光・光弘・成家らと共にこれに数えられる。銘鑑はこれを代次に読み、初代を鎌倉後期・元徳頃の畠田派に置くが現存品を殆ど見ず、康暦から応永にかけての年紀作を同名四代のうちの三代とする。古い記載は義景門ともするが、説明書はこの異同を、各遺例を作風と年紀により読んで確定的には代別しないことで収める。
この工の手は小模様の乱れであり、これを定めるのは寸法をめぐる繰り返しの評である。説明書はその作風を兼光風、すなわち小のたれに互の目を交えたものとし、ただちに「作位は兼光に及ばない」[[c:1]]が同派の特色は顕著であると添える。兼光一門が太い互の目を焼くのに対し、家守は同じ趣を小さく連れた小互の目に収め、角張る刃・尖り刃を交え、腰には腰の開いた互の目を交えて、総じて小さくこずむ、参考書のいう小互の目連れごころのこずみとなる。小足・葉入り、刃は匂主調に小沸つき、僅かに砂流し・金筋が働く。帽子はこれに応じ、乱れ込んで尖り掃きかけ、あるいは静かな作では直ぐ小丸より焼詰めへと移る。
地鉄は同じ控えめな作域に収めた長船の地である。板目に杢を交え流れごころとなり、肌が立って古い記述はこれを肌立ちと呼ぶ。これに地沸つき、地景が鉄に細かく黒く沈み、処々地斑調の肌を交え、刃文が静かなところにも備前の伝統に据える乱れ映りが立つ。上手は鉄が締まり映りが明るく立つ。姿は年紀の割りに古調で、腰反り深く踏張りつき小鋒、説明書がこの期の時代色とする体配であり、銘は同派に共通する細鏨の小振りな六字銘あるいは棟寄りの長銘である。
年紀作を通じて読めば、一人の手がゆるやかに次代へ向かう様が見える。応永の太刀は重ねが厚くなり先反りを加え、説明書はこの重ね厚く腰反り小鋒の姿を応永備前の萌芽とする。応永二年の一口は、板目に杢を交え地沸細かく黒い地景風の鉄が入り、乱れ映りよく立ち、腰の開いた互の目が小模様をなして小反の特色を明示すると評される。しかし刃はなお旧の作域を保ち、連れごころの互の目には、ある脇指に読まれる通り前時代の名残りが残る。なかには抑制を破る作もあり、応永の幅広き脇指の一口は年紀の割りに乱れが華やかと評され、鏨太く異風の銘を持ち、文献は家守研究の好資料とする。銘鑑の同名四代の継承と確たる初代作の不在ゆえ、厳密な代別は説明書のいう通り今後の研究に俟つところとなる。
一派のうちで家守を分かつものは、比較よりもこの工自身の地に即した特色によく語られる。明るい乱れ映りと、尖り角張る刃を交えたこずんだ小模様の互の目は、これを兼光本流の下に置きながらも確かに長船と印し、腰の開いた互の目と重く晩い姿は応永備前へと向けて、南北朝長船の列と次代長船との敷居に本工を立たせる。説明書はその縁を端的に名指し、「師光・家助などにみる淋しい刃文」[[c:2]]を挙げ、上手をこの一円の典型とする。すなわち最上の年紀太刀において地鉄・刃文・帽子をこの工およびその一派の典型と読み、「家守の代表作の一口」[[c:3]]と呼ぶに足る一口とする。折返銘の一刀ではさらに進んで、同類の常に比して「鉄の鍛えがよく、匂口も明るく冴え」[[c:4]]、優れた出来であると記す。
家守は中上作に位し、その地位は市場の名というより資料的な手のそれである。指定を受けた作は重要刀剣の太刀・脇指十三口を数え、うちに国宝・重要文化財はなく、それゆえ記録に繰り返される生ぶ・有銘・年紀を持ち地刃の健全な作は、小反一類を知る資料として、また応永備前への過渡の備前鍛冶を知る上で貴ばれる。伝来は薄いが確かで、一口は皇室の手を経、他は北条子爵家、また収集家志田定重より伝わり、現在の所在には林原美術館、東京国立博物館・京都国立博物館の名が見える。私蔵家にとっては主にその年紀のある重要刀剣の太刀を通じて出会う工であり、それも時折、待ってこそ現れるものである。華やぎよりも、応永備前の縁に立つ年紀の明らかな鍛えのよい一刀の読みやすさにこそ、その価値がある。
家守の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
現在24点販売中
小反は、南北朝時代末期から室町時代初期にかけて備前長船の地に働いた一群の刀工を、血脈ではなく除外によって括った呼称である。すなわち兼光一門、長義、元重、大宮一門といった当時の長船の主立った系統のいずれにも直接の師弟関係を結ばぬ周縁の手を、まとめて一名のもとに集めたものであり、その名の意味するところは今日なお漠然としていると本会は率直に記す。秀光、家助、成家、家守、師光、守助らがこれに数えられ、銘鑑はおのおのを数代に立てて初代を鎌倉後期から建武・暦応の頃に置くが、確たる初代作を経眼せず、現存の有銘作はおおむね文和・貞治から永徳・明徳を経て応永一桁代に及ぶ。それゆえ各遺例は一手に確定的に帰すよりも、作風と年紀によって読まれるのを常とする。師光が倫光の子にして応永備前の盛光の父と伝えられ、家助が畠田派を承けて応永備前の一角をなすように、この一群は長船嫡流の華やかな本流とその次代の応永備前との間に、静かな周縁の地帯をなして横たわる。 この一派を貫く手は小模様の乱れである。兼光一門が太く円い互の目を焼くのに対し、小反の工はおおむね同じ趣を小さくこずんだ刃に収め、小のたれを本位として小互の目を連れごころに焼き、これに尖り刃、角ばる刃、腰の開いた互の目を交え、処々逆ごころを見せて、総じて小さくこずむ。足・葉よく入り、匂を主調にわずかに小沸つき、金筋・砂流しが細かに働き、丁子を交えてもなお控えめにとどまる。地鉄は板目に杢を交えて流れごころとなり、肌やや立って地沸細かにつき、地景が黒く沈み、時に地斑を交え、その上に淡い、あるいは鮮明な乱れ映りが立つ。短刀・平造の作では棒映り、直ぐ状の映りとなるものも見え、いずれにせよこの映りが、同時代の相州風の手から一派を分かち、備前の地に繋ぎ止める最も確かな標となる。帽子は刃文に従って乱れ込み尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に結ぶ。棒樋を掻き、梵字、護摩箸、倶利迦羅などを彫る作もある。一派の常を越えて、師光の至徳の太刀のように腰の開いた互の目に高低を見せて華やかに乱れ、応永備前を予兆させる作もあり、家守の応永の太刀のごとく重ね厚く先反りを加えて次代の姿に近づくものもある。 収集の観点から小反の物が求められるのは、何よりそれが資料として明瞭であるからである。鑑定の勘所は二つの敷居を分かつことにある。一つは兼光本流との別で、模様の小さくこずむ点と、やや控えめな作位とによってこれを読み、いま一つは応永備前との別で、腰の開いた互の目と棒映りのうちに次代の萌芽を見ながら、なお南北朝の古調の姿と抑えた焼きにとどまる点をもって分かつ。主要な工の格はおのずから別れ、師光は上々作に位し、秀光、家助、成家、守助、家守らは中上作の位を占める。在銘の作はおおむね生ぶで年紀を備えた太刀として遺り、成家のように大磨上無銘の刀によって主に知られる工もあるが、いずれの場合も、年紀の確かな南北朝の備前として頗る貴重とされる。伝来は概して薄いが確かで、黒田家、加賀前田家、庄内酒井家、皇室の手を経た作や、林原美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、春日大社に伝わる作が知られ、その多くは伝持されて市場に現れることは稀である。在銘有年紀の小反物が世に出るのは折に触れてに過ぎず、根気を要するが、現れればそれは、長船派が南北朝の世をいかに閉じ、応永の再興へといかに身を運んだかを、一年一年読みうる確かな文書となる。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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