刃長30.7センチ 反り0.4センチ 元幅29.8ミリ 元重ね5.3ミリ 物打幅24.5ミリ 物打重ね4.2ミリ 横手位置幅24.5ミリ 松葉先重ね4.2ミリ 裸身重量216グラム。 室町前期~中期 The early ~ middle period of Muromachi era 平成23年3月7日 三重県登録 附属 保存刀剣鑑定書、銀台金着はばき、白鞘 寸延びが多い相州物の中で、生ぶ在銘の短刀はなかなか市場に出回らず、更には表裏彫物があるものは大変貴重。 相州廣正は廣光から続く名工で、特に剣巻龍の彫物には定評があります。この小脇指は、元来身幅がかなり広く、重ね薄目の体配で三ツ棟。全体に焼きを入れた皆焼(ひたつら)は華やかこの上なく、豊かに沸づき、匂口は明るく冴え、良く練れた鍛えと共に、相州伝然たる堂々とした覇気に満ちた作品で、自身による生ぶ彫りは、表が真の倶利伽羅龍。裏が梵字で、相州物の中でも一二を争う彫りの名手たる手腕を遺憾なく発揮しており、裏に切られた所持銘と思しき切り付け銘は、本刀の資料的価値も高めており、銀無垢はばきに金を着せた高級なはばきを見ても、大切に伝来されてきた様子が窺える逸品です。 当店にて美術観賞用上研磨を施しました。仕上がったばかりの研ぎ澄まされた地刃と彫物をご堪能下さい。 各種クレジットカード、ショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。
Certificate reading — 銘 □相州住広正 保住貞吉(と切銘がある)








Sue-Soshu (the late Soshu line of Sagami; the Odawara-Soshu Hiromasa name) · 相模 · 1444-1456頃
藤代 Jo saku
現在1点販売中
広正は、その僅かな在銘・年紀の作が、末期相州のうちでも最も数代に分かれた名跡の一つを定める、室町中期の相模の刀工である。現存する四口の指定作のうち三口に年紀があり、宝徳二年(一四五〇)・康正二年(一四五六)の太刀、文安五年(一四四八)の脇指が、いずれも生ぶ茂に相州住広正と切り、この年紀作に一系が掛かる。説明書はその難しさを明記し、広正の名が南北朝期から室町期にわたって連綿と活躍した数代に切られ、いずれも上手であるが、有銘のうち年紀のあるものは極めて少いとする。その語るところ、「広正は同名が何代かあって、南北朝期から室町時代に及んで活躍しており、それぞれに上手であるが、現存する有銘且つ年紀のあるものは極めて少い」[[c:1]]。本工は相州三代広正と伝え、正宗とその後継の広光・秋広の相州伝を室町時代に伝えた末相州に属する。
その作風の見どころは、互の目乱れの皮焼である。焼に飛焼を交え、四口中三口ではこの飛焼が湯走り・棟焼を伴って広がり、末相州がその標識とした皮焼となる。匂口は締まりごころ、小沸よくつき、足・葉入り、砂流ししきりにかかり、最も遅れる刀では金筋・丁子風の刃に小互の目を交える。これは鎖倉の祖たちの抹えた直刃・小乱れから転じた、相州伝の室町的な register である。最も静かな文安の脇指では飛焼が全面に及ばず物打辺に集まるにとどまり、同じ手が皮焼の手前の互の目交りの小乱れに控える様を見ることができる。
地鉄は、その焼を起こす肥えた相州の地鉄である。小板目をつめるときもあれば、板目が背立ちて肌立ちごころに開くときもあり、一口には大肌を交えて地沸がつく。造込みは室町中期の相模の体配で、鋎造の太刀・刀は身幅尋常に先反りつき中鋒となり、時に寸詰まりで反り深く、脇指は平造に寸延びて先反り高くつく。帽子は乱れた焼に応じて乱れ込みとなり、あるいは一枚風に長く返り、康正の太刀では掛けて尖りごころに返る。表裏に梅字・草の倶利迦羅を彫り、腰樋・棒樋の中に三鈷剣・護摩筸を浮彫で据え、彫は緻密で浮彫の起こりよい。説明書はこの彫物をいずれの作にも見どころとして数え、宝徳の太刀について「地刃に時代の様相と相州物の伝統的な作風を見せ、彫物もまた特色あるもので見事である」[[c:2]]と記す。
各代の区別が明確にし難いため、年紀ある生ぶ茂の在銘作は、出来と同時に資料としての役を兼ねる。第二十五回の無年紀の刀は他の作によって宝徳頃と見られ、説明書は「年紀作は稀であり、各代の区別は明確にし難い」[[c:3]]と明言する。そこで記録は、現存するわずかな年紀に他の作を掛けて読まれ、文安の脇指はその実例を加える。その年紀は、后に棒樋を彫り足した折に茂裏の底銘となったものかとされ、判読は出来るが惜しまれるという。手はこの四口を通じて一つの相州の作風として読まれ、皮焼と静かな物打焼の間の振れ幅は、別の工のしるしではなく、一つの作風の幅である。
相州の系のうちで、広正は創始の端ではなく作業の中核に立ち、肌立つ板目に皮焼を焼き巧緻な彫物を伴うという末相州の技倣のうちにある。沸づく地刃と尖りごころの乱れた帽子が本工をその伝のうちに置き、説明書はその一口一口を時代そのものの現れと読み、康正の太刀を「この時代の相州物の典型的且つ代表作の一口」[[c:4]]とする。本工が伝える系は、小田原相州の本流に連なる。一派の説明書は、天文年間に活躍した初代綡広が広正の子孫で、北條氏綱に召されて小田原に居住し、綡の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで及ぶとする。広正の室町中期の手は、皮焼と信仰の彫物において、後年の小田原の綡広・綡家らが幕末まで伝えた基本の作風の一つに立つ。
広正は、僅かながらいずれも在銘の指定の記録によって知られる。すなわち重要刀剣第十七回の脇指、第十八回の太刀二口、第二十五回の刀で、いずれも生ぶ茂に相州住広正と切り、三口に年紀がある。藤代の位列は上作とされ、説明書はその作を出来見事の優作とし、年紀の太刀の出来を見事とし、彫物を特色あるものとする。その作に国宝も重要文化財もなく、伝来の記録もないため、本工の位置を正直に量る尺度はその希少そのもの、すなわち数代が二世紀にわたって切った名のうち、生ぶ茂に年紀を伴うわずかな遗作にある。個人の収集家にとって、その刀はまれにしか出会わず、四口とも重要刀剣の位で、国の文化財として封じられてはいないが、市に出ることも頻ではない。在銘年紀の広正は、説明書が数代に分かれた名の基準作として掲げる類の一口であり、末期相州を学ぶ者にとって、出会えば静かな勘どころとなる。そこには、相州伝の室町の register が一口のうちに読み取れるからである。
廣正の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
相州伝 · 相模
時期区分: 末相州· 1356–1868
現在18点販売中
末相州は、南北朝の広光・秋広の代を承け、室町期に入って相模で営まれた相州伝の継続である。現存遺品に即せば、室町中期を遡るものはなく、室町後期から戦国期にかけてが本区分の中心をなす。その軸となる工が綱広で、銘鑑には初代を建武とする伝もあるが、確かな在銘は天文年紀のものが最も古く、通説はこれを初代として、二代を天正、三代を慶長、四代を寛永、五代を万治頃と伝える。綱広は広正の子孫で、初め名跡を継いだが、後北条家の氏綱に召されて小田原に居を移し、綱の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで連なった。鎌倉にはこの綱広らが住し、これと別に小田原には康春・康国・総宗・景総らが在住して、これらを小田原相州と称する。広次もまた相州鎌倉に住して明応・天文の頃に活躍し、室町後期を代表する相州鍛冶の一人に数えられる。後北条氏の庇護のもと、正宗・貞宗を生んだ南北朝の盛時を遠く望みつつ、皆焼の系譜を保持して相州伝を伝えたのが、この区分の刀工たちであった。 作風の核は、広光・秋広が完成させた皆焼を継ぐ点にある。鍛えは板目に杢や流れ肌を交えてやや肌立ち、地沸がつき、地景が入る。刃文はのたれ・互の目に丁子・矢筈風の刃・尖り刃などを交え、飛焼・棟焼を盛んに交えて皆焼となり、沸がよくつき、金筋・砂流しがかかる。綱広は玉状ないし三日月状の飛焼を見せる皆焼を得意とし、広次に至っては焼高く、沸の強い迫力ある皆焼を焼いて、一見すると南北朝の長谷部派を思わせるほどに到る。古典相州の頂点と分かつのは、この皆焼の扱いに見える。正宗・貞宗の代では、のたれ基調の地刃に沸が深く澄んで明るく冴え、地にこぼれた沸が湯走りをなして自在に働いたのに対し、末相州の皆焼は飛焼・棟焼を全面に散らす構成そのものを看どころとして前に押し出す傾きを帯び、地鉄もやや肌立って、鎌倉期の鉄の冴えからは一段隔たる。小田原相州はこの大筋において綱広らと大差ないが、小振りの刀姿があること、濃厚緻密な彫刻を多く備えることに特色があり、殊に総宗の倶利迦羅や八幡大菩薩・梵字の彫は巧緻と評される。 鑑定にあっては、まずやや肌立つ板目に地沸・地景が働き、飛焼・棟焼を交えた皆焼に金筋・砂流しがかかる地刃を相州の継続と読み、次に古典との隔たりを沸の深さと鉄の冴えの差、そして皆焼を誇示的に焼き出す傾きに求めて末相州と分かつ。区分内では、綱広を皆焼と玉状の飛焼に、広次を長谷部風を思わせる強い沸の皆焼に、総宗ら小田原相州を小振りの姿と緻密な彫刻に見分ける。主要工は綱広・広次・総宗で、康春・康国・景総がこれに連なる。伝来の面では、綱広に後北条家の重臣桜井大学の所持銘を有する一口があり、本区分が後北条氏の小田原を地盤として営まれた事実を裏づけている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
刃長30.7センチ 反り0.4センチ 元幅29.8ミリ 元重ね5.3ミリ 物打幅24.5ミリ 物打重ね4.2ミリ 横手位置幅24.5ミリ 松葉先重ね4.2ミリ 裸身重量216グラム。 室町前期~中期 The early ~ middle period of Muromachi era 平成23年3月7日 三重県登録 附属 保存刀剣鑑定書、銀台金着はばき、白鞘 寸延びが多い相州物の中で、生ぶ在銘の短刀はなかなか市場に出回らず、更には表裏彫物があるものは大変貴重。 相州廣正は廣光から続く名工で、特に剣巻龍の彫物には定評があります。この小脇指は、元来身幅がかなり広く、重ね薄目の体配で三ツ棟。全体に焼きを入れた皆焼(ひたつら)は華やかこの上なく、豊かに沸づき、匂口は明るく冴え、良く練れた鍛えと共に、相州伝然たる堂々とした覇気に満ちた作品で、自身による生ぶ彫りは、表が真の倶利伽羅龍。裏が梵字で、相州物の中でも一二を争う彫りの名手たる手腕を遺憾なく発揮しており、裏に切られた所持銘と思しき切り付け銘は、本刀の資料的価値も高めており、銀無垢はばきに金を着せた高級なはばきを見ても、大切に伝来されてきた様子が窺える逸品です。 当店にて美術観賞用上研磨を施しました。仕上がったばかりの研ぎ澄まされた地刃と彫物をご堪能下さい。 各種クレジットカード、ショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。
Certificate reading — 銘 □相州住広正 保住貞吉(と切銘がある)








Sue-Soshu (the late Soshu line of Sagami; the Odawara-Soshu Hiromasa name) · 相模 · 1444-1456頃
藤代 Jo saku
現在1点販売中
広正は、その僅かな在銘・年紀の作が、末期相州のうちでも最も数代に分かれた名跡の一つを定める、室町中期の相模の刀工である。現存する四口の指定作のうち三口に年紀があり、宝徳二年(一四五〇)・康正二年(一四五六)の太刀、文安五年(一四四八)の脇指が、いずれも生ぶ茂に相州住広正と切り、この年紀作に一系が掛かる。説明書はその難しさを明記し、広正の名が南北朝期から室町期にわたって連綿と活躍した数代に切られ、いずれも上手であるが、有銘のうち年紀のあるものは極めて少いとする。その語るところ、「広正は同名が何代かあって、南北朝期から室町時代に及んで活躍しており、それぞれに上手であるが、現存する有銘且つ年紀のあるものは極めて少い」[[c:1]]。本工は相州三代広正と伝え、正宗とその後継の広光・秋広の相州伝を室町時代に伝えた末相州に属する。
その作風の見どころは、互の目乱れの皮焼である。焼に飛焼を交え、四口中三口ではこの飛焼が湯走り・棟焼を伴って広がり、末相州がその標識とした皮焼となる。匂口は締まりごころ、小沸よくつき、足・葉入り、砂流ししきりにかかり、最も遅れる刀では金筋・丁子風の刃に小互の目を交える。これは鎖倉の祖たちの抹えた直刃・小乱れから転じた、相州伝の室町的な register である。最も静かな文安の脇指では飛焼が全面に及ばず物打辺に集まるにとどまり、同じ手が皮焼の手前の互の目交りの小乱れに控える様を見ることができる。
地鉄は、その焼を起こす肥えた相州の地鉄である。小板目をつめるときもあれば、板目が背立ちて肌立ちごころに開くときもあり、一口には大肌を交えて地沸がつく。造込みは室町中期の相模の体配で、鋎造の太刀・刀は身幅尋常に先反りつき中鋒となり、時に寸詰まりで反り深く、脇指は平造に寸延びて先反り高くつく。帽子は乱れた焼に応じて乱れ込みとなり、あるいは一枚風に長く返り、康正の太刀では掛けて尖りごころに返る。表裏に梅字・草の倶利迦羅を彫り、腰樋・棒樋の中に三鈷剣・護摩筸を浮彫で据え、彫は緻密で浮彫の起こりよい。説明書はこの彫物をいずれの作にも見どころとして数え、宝徳の太刀について「地刃に時代の様相と相州物の伝統的な作風を見せ、彫物もまた特色あるもので見事である」[[c:2]]と記す。
各代の区別が明確にし難いため、年紀ある生ぶ茂の在銘作は、出来と同時に資料としての役を兼ねる。第二十五回の無年紀の刀は他の作によって宝徳頃と見られ、説明書は「年紀作は稀であり、各代の区別は明確にし難い」[[c:3]]と明言する。そこで記録は、現存するわずかな年紀に他の作を掛けて読まれ、文安の脇指はその実例を加える。その年紀は、后に棒樋を彫り足した折に茂裏の底銘となったものかとされ、判読は出来るが惜しまれるという。手はこの四口を通じて一つの相州の作風として読まれ、皮焼と静かな物打焼の間の振れ幅は、別の工のしるしではなく、一つの作風の幅である。
相州の系のうちで、広正は創始の端ではなく作業の中核に立ち、肌立つ板目に皮焼を焼き巧緻な彫物を伴うという末相州の技倣のうちにある。沸づく地刃と尖りごころの乱れた帽子が本工をその伝のうちに置き、説明書はその一口一口を時代そのものの現れと読み、康正の太刀を「この時代の相州物の典型的且つ代表作の一口」[[c:4]]とする。本工が伝える系は、小田原相州の本流に連なる。一派の説明書は、天文年間に活躍した初代綡広が広正の子孫で、北條氏綱に召されて小田原に居住し、綡の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで及ぶとする。広正の室町中期の手は、皮焼と信仰の彫物において、後年の小田原の綡広・綡家らが幕末まで伝えた基本の作風の一つに立つ。
広正は、僅かながらいずれも在銘の指定の記録によって知られる。すなわち重要刀剣第十七回の脇指、第十八回の太刀二口、第二十五回の刀で、いずれも生ぶ茂に相州住広正と切り、三口に年紀がある。藤代の位列は上作とされ、説明書はその作を出来見事の優作とし、年紀の太刀の出来を見事とし、彫物を特色あるものとする。その作に国宝も重要文化財もなく、伝来の記録もないため、本工の位置を正直に量る尺度はその希少そのもの、すなわち数代が二世紀にわたって切った名のうち、生ぶ茂に年紀を伴うわずかな遗作にある。個人の収集家にとって、その刀はまれにしか出会わず、四口とも重要刀剣の位で、国の文化財として封じられてはいないが、市に出ることも頻ではない。在銘年紀の広正は、説明書が数代に分かれた名の基準作として掲げる類の一口であり、末期相州を学ぶ者にとって、出会えば静かな勘どころとなる。そこには、相州伝の室町の register が一口のうちに読み取れるからである。
廣正の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
相州伝 · 相模
時期区分: 末相州· 1356–1868
現在18点販売中
末相州は、南北朝の広光・秋広の代を承け、室町期に入って相模で営まれた相州伝の継続である。現存遺品に即せば、室町中期を遡るものはなく、室町後期から戦国期にかけてが本区分の中心をなす。その軸となる工が綱広で、銘鑑には初代を建武とする伝もあるが、確かな在銘は天文年紀のものが最も古く、通説はこれを初代として、二代を天正、三代を慶長、四代を寛永、五代を万治頃と伝える。綱広は広正の子孫で、初め名跡を継いだが、後北条家の氏綱に召されて小田原に居を移し、綱の一字を賜って改銘したと伝え、その名跡は新々刀期にまで連なった。鎌倉にはこの綱広らが住し、これと別に小田原には康春・康国・総宗・景総らが在住して、これらを小田原相州と称する。広次もまた相州鎌倉に住して明応・天文の頃に活躍し、室町後期を代表する相州鍛冶の一人に数えられる。後北条氏の庇護のもと、正宗・貞宗を生んだ南北朝の盛時を遠く望みつつ、皆焼の系譜を保持して相州伝を伝えたのが、この区分の刀工たちであった。 作風の核は、広光・秋広が完成させた皆焼を継ぐ点にある。鍛えは板目に杢や流れ肌を交えてやや肌立ち、地沸がつき、地景が入る。刃文はのたれ・互の目に丁子・矢筈風の刃・尖り刃などを交え、飛焼・棟焼を盛んに交えて皆焼となり、沸がよくつき、金筋・砂流しがかかる。綱広は玉状ないし三日月状の飛焼を見せる皆焼を得意とし、広次に至っては焼高く、沸の強い迫力ある皆焼を焼いて、一見すると南北朝の長谷部派を思わせるほどに到る。古典相州の頂点と分かつのは、この皆焼の扱いに見える。正宗・貞宗の代では、のたれ基調の地刃に沸が深く澄んで明るく冴え、地にこぼれた沸が湯走りをなして自在に働いたのに対し、末相州の皆焼は飛焼・棟焼を全面に散らす構成そのものを看どころとして前に押し出す傾きを帯び、地鉄もやや肌立って、鎌倉期の鉄の冴えからは一段隔たる。小田原相州はこの大筋において綱広らと大差ないが、小振りの刀姿があること、濃厚緻密な彫刻を多く備えることに特色があり、殊に総宗の倶利迦羅や八幡大菩薩・梵字の彫は巧緻と評される。 鑑定にあっては、まずやや肌立つ板目に地沸・地景が働き、飛焼・棟焼を交えた皆焼に金筋・砂流しがかかる地刃を相州の継続と読み、次に古典との隔たりを沸の深さと鉄の冴えの差、そして皆焼を誇示的に焼き出す傾きに求めて末相州と分かつ。区分内では、綱広を皆焼と玉状の飛焼に、広次を長谷部風を思わせる強い沸の皆焼に、総宗ら小田原相州を小振りの姿と緻密な彫刻に見分ける。主要工は綱広・広次・総宗で、康春・康国・景総がこれに連なる。伝来の面では、綱広に後北条家の重臣桜井大学の所持銘を有する一口があり、本区分が後北条氏の小田原を地盤として営まれた事実を裏づけている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。