南北朝の戦乱は、山城の精緻を支えた公家社会を疲弊させた。来派最後の巨匠たちをもって古典の系譜は閉じ、長谷部と信国が新しい相州風を都に持ち込んでいる。
時代 : 南北朝期 国 : 摂津国 証書 財団法人日本美術刀剣保存協会 重要刀剣 指定書 外装 : 白鞘入 刃長 : 2尺3寸5分 反り : 5分9厘 目釘穴 : 4個 元幅・元重 : 30.3mm(棟を含)・6.9mm 先幅・先重 : 22.5mm(棟を含)・5.0mm Period : Nanbokucho Country : Setsu Paper : NBTHK Juyo Paper Fittings : Shirasaya Length : 71.2cm Curve : 1.8cm Hole : 4 Bottom Width,Thickness : 30.3mm(including Mune)・6.9mm Top Width,Thickness : 22.5mm(including Mune)・5.0mm 第40回重要刀剣図譜解説より 来国長は来国俊の門人であるが、後に京より摂津の中島に移住して鍛刀したことから中島来と通称されている。銘鑑には同銘二代をおげており、一見来国光風で作位的には若干劣る感のものである。 この刀は大磨上無銘ながら、身幅広く大峰の南北朝体配を示し、地刃の出来は国光にも類するが、上記に述べた如く作位が一歩譲る感があることから、中島来と鑑するのが妥当である。地刃健やかな中島来の良刀である。
来国長は来国俊の門人であるが、のちに京より摂津の中島に移住して鍛刀したことから中島来と通称されている。銘 鑑には同名二代をあげており、初代を元徳、二代を正平・応安頃としている。 現存する有銘作は少なく、来派の伝統を承 けた作風を見せており、一見来国光風で作位的には若干劣る感のものである。 この刀は大磨上無銘乍ら、身幅広く大鋒の南北朝期の体配を示し、地刃の出来は国光にも類するが、上記に述べた如く 作位が一歩譲る感があることから、中島来と鑑するのが妥当である。 地刃健やかな中島来の良刀である。





来国長は来国俊の門人であるが、のちに京より摂津の中島に移住して鍛刀したことから中島来と通称されている。銘 鑑には同名二代をあげており、初代を元徳、二代を正平・応安頃としている。 現存する有銘作は少なく、来派の伝統を承 けた作風を見せており、一見来国光風で作位的には若干劣る感のものである。 この刀は大磨上無銘乍ら、身幅広く大鋒の南北朝期の体配を示し、地刃の出来は国光にも類するが、上記に述べた如く 作位が一歩譲る感があることから、中島来と鑑するのが妥当である。 地刃健やかな中島来の良刀である。
山城伝 · 山城
現在44点販売中
来派の作をまず見分けさせるのは地鉄である。精美によく約んだ小板目を主体に板目・杢・流れ肌を交えてよく錬れ、地沸が微塵に厚くつき、細かな地景が頻りに入り、沸映りが立って鉄が明るく冴える。処々に交じる柔らかく大模様の肌合は来肌と呼ばれ、疵ではなく一派の見どころとして受け取られている。この明るく精到な山城の鍛えこそ、来一門の作を貫く第一の標識である。 その出発点に位置するのが、鎌倉時代中期に山城国京都に活躍した来国行で、諸書のくり返し記すとおり事実上の祖と仰がれる。自身の作に年紀はないが、その子と伝える二字国俊に弘安元年(一二七八)の太刀があり、これに拠って正元・文応頃の活躍年代が首肯される。以後、二字国俊から三字銘の来国俊へ、さらに来国光・来国次へと血脈が継がれ、鎌倉末から南北朝前期にかけて一門は山城刀工の最上位を占めた。なお来国俊は来派で最初に「来」の字を冠した工であり、以後の一門が皆これに倣っている。二字国俊と三字銘来国俊の同人・別人は、両銘の年紀が弘安元年から元亨元年の約四十年に納まることなどから近年同人説が定着しつつあり、一門の古典的な論点をなす。 地鉄の上に来派の焼く刃は、備前の華やかな丁子ではなく、広直刃調を基調とする。これに小丁子・小互の目・小乱れを交え、足・葉が繁く入り、佩表の足が備前とは逆に茎の方へ斜めに傾く所謂京逆足となるところに京物の本領がある。匂深く明るく、小沸が厚くついて働きは刃の高さではなく沸に宿り、刃中に金筋・砂流しがかかる。帽子は小丸を主としながら掃きかけを伴うことが多く、この掃きかけは小丸と並ぶ第一の鑑別点に据えるべきものである。時代と系統による振幅も明瞭で、二字国俊は身幅広く猪首鋒に結ぶ豪壮な体配に丁子主調の賑やかな乱れを焼き、三字銘来国俊は細身か尋常の姿に締まった直刃の上品な作域を示す。末期の来国光は直刃に互の目を目立って交え作域が最も広く、来国次に至っては地刃の沸が一門で最も強く、のたれに互の目を交えた相州伝寄りの作風から鎌倉来と呼ばれ正宗十哲に数えられる。 収集家がこの一門を求めるべき所以は、まずその鑑定の勘所が明快なことにある。よく約んだ小板目に微塵の地沸と鮮明な沸映り、広直刃に京逆足、そして掃きかける帽子という積極的な特色が揃い、無銘極めの拠りどころが明文化されている。一門内の差も精密に引かれ、来国光は来国次に比して焼きが幾分低く突き上げ気味の帽子に個性を窺い、戸津来あるいは中堂来と呼ばれる光包は来肌の少ない強く冴えた地鉄と広く長く返る帽子で一門中の異色として立つ。代表作と伝来も厚く、来国行在銘の太刀は筑前黒田家に伝わって本阿弥光忠の千貫折紙と後藤家製の糸巻太刀拵を備え、名物愛染国俊・名物鳥飼国俊・名物乱光包をはじめ尾張紀州徳川家、前田家、上杉家、島津家、伊達家など大名家の蔵刀として珍重された。鎌倉末期山城物の最も純粋な姿を示す来派の作は、日本刀剣史において古刀山城の頂点に位置づけられ、真剣な収集家が現実に到達し得る目標であり続けている。 詳しく見る →
南北朝の戦乱は、山城の精緻を支えた公家社会を疲弊させた。来派最後の巨匠たちをもって古典の系譜は閉じ、長谷部と信国が新しい相州風を都に持ち込んでいる。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後3日以内にお電話にてご連絡の上、翌日にご返送ください。その際の郵送料、セキュリティーサービス料はお客様のご負担となります。
時代 : 南北朝期 国 : 摂津国 証書 財団法人日本美術刀剣保存協会 重要刀剣 指定書 外装 : 白鞘入 刃長 : 2尺3寸5分 反り : 5分9厘 目釘穴 : 4個 元幅・元重 : 30.3mm(棟を含)・6.9mm 先幅・先重 : 22.5mm(棟を含)・5.0mm Period : Nanbokucho Country : Setsu Paper : NBTHK Juyo Paper Fittings : Shirasaya Length : 71.2cm Curve : 1.8cm Hole : 4 Bottom Width,Thickness : 30.3mm(including Mune)・6.9mm Top Width,Thickness : 22.5mm(including Mune)・5.0mm 第40回重要刀剣図譜解説より 来国長は来国俊の門人であるが、後に京より摂津の中島に移住して鍛刀したことから中島来と通称されている。銘鑑には同銘二代をおげており、一見来国光風で作位的には若干劣る感のものである。 この刀は大磨上無銘ながら、身幅広く大峰の南北朝体配を示し、地刃の出来は国光にも類するが、上記に述べた如く作位が一歩譲る感があることから、中島来と鑑するのが妥当である。地刃健やかな中島来の良刀である。
来国長は来国俊の門人であるが、のちに京より摂津の中島に移住して鍛刀したことから中島来と通称されている。銘 鑑には同名二代をあげており、初代を元徳、二代を正平・応安頃としている。 現存する有銘作は少なく、来派の伝統を承 けた作風を見せており、一見来国光風で作位的には若干劣る感のものである。 この刀は大磨上無銘乍ら、身幅広く大鋒の南北朝期の体配を示し、地刃の出来は国光にも類するが、上記に述べた如く 作位が一歩譲る感があることから、中島来と鑑するのが妥当である。 地刃健やかな中島来の良刀である。





来国長は来国俊の門人であるが、のちに京より摂津の中島に移住して鍛刀したことから中島来と通称されている。銘 鑑には同名二代をあげており、初代を元徳、二代を正平・応安頃としている。 現存する有銘作は少なく、来派の伝統を承 けた作風を見せており、一見来国光風で作位的には若干劣る感のものである。 この刀は大磨上無銘乍ら、身幅広く大鋒の南北朝期の体配を示し、地刃の出来は国光にも類するが、上記に述べた如く 作位が一歩譲る感があることから、中島来と鑑するのが妥当である。 地刃健やかな中島来の良刀である。
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南北朝の戦乱は、山城の精緻を支えた公家社会を疲弊させた。来派最後の巨匠たちをもって古典の系譜は閉じ、長谷部と信国が新しい相州風を都に持ち込んでいる。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後3日以内にお電話にてご連絡の上、翌日にご返送ください。その際の郵送料、セキュリティーサービス料はお客様のご負担となります。