備州長船祐定 銘(保存刀剣鑑定書付属) 【説明】 本作は「備州長船」の銘が残る一振りです。往時の磨り上げ(すりあげ)により茎(なかご)の先が切り詰められたため、個別の銘字は失われておりますが、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の鑑定により、長船派の名工「祐定」の作として正式に認められ、保存刀剣鑑定書が付属しております。 備州とは現在の岡山県にあたる備前国の別称です。長船は室町時代に同国で最も栄えた流派であり、祐定はその代表的な銘号です。 室町時代後期(1492年〜1569年頃)の備前鍛冶は「末備前(すえびぜん)」と称されます。中でも祐定一門は長船派の本流として最も隆盛を極めました。代々「祐定」を名乗る鍛冶は60名以上にのぼり、その優れた切れ味と品質から、当時の武士の間で絶大な信頼を誇るブランドとなっていました。 戦国時代の需要に応え、備前鍛冶は数多くの刀剣を世に送り出しました。本作もまた、戦国武将の注文により製作され、群雄割拠の戦場を渡り歩いた実戦刀であった可能性が極めて高い一振りです。 【備前長船派の歴史】 長船派は鎌倉時代中期の光忠を始祖と伝えます。備前国において最大の規模を誇り、時の権力者や高名な武士から数多くの注文を受けました。彼らの作は「長船物」として武士たちに深く愛されました。 同派からは長光、真長、景光の「長船三作」をはじめ、長光、兼光、伝長義、元重の「長船四天王」など、日本刀史に名を刻む名工が輩出されています。 備前国は中国山地に近く、原料となる良質な砂鉄が豊富でした。さらに吉井川の清冽な水と燃料となる木炭の入手にも恵まれており、刀剣製作に理想的な地質的条件を備えていました。平安時代後期の「古備前」に始まり、その卓越した技術を継承した長船派は、鎌倉中期以降、日本刀の主流として栄華を極めました。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に指定されています。これは美術品として価値が高く、保存状態の優れた正真の日本刀であることを証明するものです。 ※刀身にはわずかに鍛え傷が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):74.5 cm 反り(Sori):2.7 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地紋(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):刀身の柄に収まる持ち手部分。日本の刀工は、腐食を防ぎ歴史の証左とするため、茎に残る黒錆をそのままの状態に保ちます。
Certificate reading — 銘 備州長船祐(以下切)


























備前伝 · 備前
現在71点販売中
祐定派は、室町時代後期に備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市)の地に栄えた末備前の主流工房である。鎌倉以来の長船鍛冶が太刀の時代を閉じ、太刀に代わって身幅の広い長大な打刀を諸手で用いる時代に入ると、祐定の名はその新しい需要を一手に担う一群の総称となった。説明書がこれを末長船で最も繁栄した一家と記すとおり、祐定を切った工は数十を数え、近世の刀剣書は俗名を冠した者だけでも二十一人を挙げる。その大群のなかで腕においても名においても抜きん出るのが、俗名を負った数工である。最も著名にして上手とされる与三左衛門尉祐定、その父と伝える彦兵衛尉祐定、豪壮の鍛えで知られる源兵衛尉祐定、二様の作風を能くする彦左衛門尉祐定らがそれで、初代与三左衛門尉は天文六年紀の短刀から逆算して応仁元年の生まれと推定され、永正から天文にかけて一派の頂点に立った。これら名工の入念な注文打のかたわら、戦国の旺盛な需要に応える数打物が大量に鍛えられ、一派は名工と量産の二つの層を同時に抱えた。 作風には末備前の工房がわがものとした明らかな共通語法がある。刃文を統べる一つの極は、腰の開いた互の目が複式の乱れに組み上がる腰開きの複式互の目で、これに小互の目丁子・尖り刃を交え、足・葉さかんに入り、匂本位に小沸つき、小さな飛焼を交えて匂口が明るい。いま一つの極は、意図して静かな直刃あるいは広直刃で、これに小互の目を交え、砂流し・金筋がかかる。地鉄はいずれの刃の下でも小板目をよくつめて鍛え、地沸を微塵に敷き、地景を細かに織りなして、鎬寄りに淡く乱れ映りが立つことがあり、鎌倉全盛の明るい映りの名残をわずかに残す。帽子は乱れ込みに小丸となり、あるいは尖りごころに掃きかけて返る。姿は寸延びて身幅広く、重ね厚く先反りつき、両手打に適した茎となるのが時代の徴である。これらの特徴は一派を通じて繰り返されるが、名工と数打を分かつのは作域の広さと地刃の冴えである。与三左衛門尉は複式互の目に加えて沸深い皆焼と穏やかな直刃の双方を能くし、源兵衛尉は鍛錬の定評と広直刃に、彦兵衛尉は直刃を地としつつ備前本来の賑やかな乱れに、彦左衛門尉は華やかな乱れと静かな直刃の二様に、それぞれの手を見せる。これに対し数打物は作風相似て個性に乏しく、地刃の働きも浅い。 鑑定の勘所は、まずこの名工と数打との別を見極めることにある。名工の注文打は地鉄が精良で地刃の沸がよくつき匂口冴え、年紀の傍らに所持者の銘を負うものが多い。源兵衛尉の天文二十三年紀の刀は惟宗忠頼の所持銘を、彦左衛門尉の天正四年の刀は播州の和田出雲守のための「為播州住和田出雲守重代延之也」[[c:1]]の銘を負い、説明書はかかる為打・注文打があればこそ末備前の名声が高いと明言する。三工のうちでも与三左衛門尉の格はとりわけ高く、説明書は与三左衛門尉を冠するものが最も有名にして上手と記し、その典型作を末備前を代表する一口と位置づける。切れ味の評にあっても末備前は実用刀として重んじられ、戦国の武器としての需要がこの隆盛を支えた。伝来もまた一派の評価を裏づけ、与三左衛門尉の五十七歳の作は蜂須賀家に伝わり、ほかに毛利家・井伊家、皇室の御物、武将山中鹿介の所持と伝える脇指などが数えられる。幅広く明るく、腰の開いた互の目の冴えて読める在銘年紀の祐定は、長船がその最後の偉大な世代にいかに鍛えたかを語る確かな一証である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
備州長船祐定 銘(保存刀剣鑑定書付属) 【説明】 本作は「備州長船」の銘が残る一振りです。往時の磨り上げ(すりあげ)により茎(なかご)の先が切り詰められたため、個別の銘字は失われておりますが、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の鑑定により、長船派の名工「祐定」の作として正式に認められ、保存刀剣鑑定書が付属しております。 備州とは現在の岡山県にあたる備前国の別称です。長船は室町時代に同国で最も栄えた流派であり、祐定はその代表的な銘号です。 室町時代後期(1492年〜1569年頃)の備前鍛冶は「末備前(すえびぜん)」と称されます。中でも祐定一門は長船派の本流として最も隆盛を極めました。代々「祐定」を名乗る鍛冶は60名以上にのぼり、その優れた切れ味と品質から、当時の武士の間で絶大な信頼を誇るブランドとなっていました。 戦国時代の需要に応え、備前鍛冶は数多くの刀剣を世に送り出しました。本作もまた、戦国武将の注文により製作され、群雄割拠の戦場を渡り歩いた実戦刀であった可能性が極めて高い一振りです。 【備前長船派の歴史】 長船派は鎌倉時代中期の光忠を始祖と伝えます。備前国において最大の規模を誇り、時の権力者や高名な武士から数多くの注文を受けました。彼らの作は「長船物」として武士たちに深く愛されました。 同派からは長光、真長、景光の「長船三作」をはじめ、長光、兼光、伝長義、元重の「長船四天王」など、日本刀史に名を刻む名工が輩出されています。 備前国は中国山地に近く、原料となる良質な砂鉄が豊富でした。さらに吉井川の清冽な水と燃料となる木炭の入手にも恵まれており、刀剣製作に理想的な地質的条件を備えていました。平安時代後期の「古備前」に始まり、その卓越した技術を継承した長船派は、鎌倉中期以降、日本刀の主流として栄華を極めました。 本作は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に指定されています。これは美術品として価値が高く、保存状態の優れた正真の日本刀であることを証明するものです。 ※刀身にはわずかに鍛え傷が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(Nagasa):74.5 cm 反り(Sori):2.7 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地紋(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):刀身の柄に収まる持ち手部分。日本の刀工は、腐食を防ぎ歴史の証左とするため、茎に残る黒錆をそのままの状態に保ちます。
Certificate reading — 銘 備州長船祐(以下切)


























備前伝 · 備前
現在71点販売中
祐定派は、室町時代後期に備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市)の地に栄えた末備前の主流工房である。鎌倉以来の長船鍛冶が太刀の時代を閉じ、太刀に代わって身幅の広い長大な打刀を諸手で用いる時代に入ると、祐定の名はその新しい需要を一手に担う一群の総称となった。説明書がこれを末長船で最も繁栄した一家と記すとおり、祐定を切った工は数十を数え、近世の刀剣書は俗名を冠した者だけでも二十一人を挙げる。その大群のなかで腕においても名においても抜きん出るのが、俗名を負った数工である。最も著名にして上手とされる与三左衛門尉祐定、その父と伝える彦兵衛尉祐定、豪壮の鍛えで知られる源兵衛尉祐定、二様の作風を能くする彦左衛門尉祐定らがそれで、初代与三左衛門尉は天文六年紀の短刀から逆算して応仁元年の生まれと推定され、永正から天文にかけて一派の頂点に立った。これら名工の入念な注文打のかたわら、戦国の旺盛な需要に応える数打物が大量に鍛えられ、一派は名工と量産の二つの層を同時に抱えた。 作風には末備前の工房がわがものとした明らかな共通語法がある。刃文を統べる一つの極は、腰の開いた互の目が複式の乱れに組み上がる腰開きの複式互の目で、これに小互の目丁子・尖り刃を交え、足・葉さかんに入り、匂本位に小沸つき、小さな飛焼を交えて匂口が明るい。いま一つの極は、意図して静かな直刃あるいは広直刃で、これに小互の目を交え、砂流し・金筋がかかる。地鉄はいずれの刃の下でも小板目をよくつめて鍛え、地沸を微塵に敷き、地景を細かに織りなして、鎬寄りに淡く乱れ映りが立つことがあり、鎌倉全盛の明るい映りの名残をわずかに残す。帽子は乱れ込みに小丸となり、あるいは尖りごころに掃きかけて返る。姿は寸延びて身幅広く、重ね厚く先反りつき、両手打に適した茎となるのが時代の徴である。これらの特徴は一派を通じて繰り返されるが、名工と数打を分かつのは作域の広さと地刃の冴えである。与三左衛門尉は複式互の目に加えて沸深い皆焼と穏やかな直刃の双方を能くし、源兵衛尉は鍛錬の定評と広直刃に、彦兵衛尉は直刃を地としつつ備前本来の賑やかな乱れに、彦左衛門尉は華やかな乱れと静かな直刃の二様に、それぞれの手を見せる。これに対し数打物は作風相似て個性に乏しく、地刃の働きも浅い。 鑑定の勘所は、まずこの名工と数打との別を見極めることにある。名工の注文打は地鉄が精良で地刃の沸がよくつき匂口冴え、年紀の傍らに所持者の銘を負うものが多い。源兵衛尉の天文二十三年紀の刀は惟宗忠頼の所持銘を、彦左衛門尉の天正四年の刀は播州の和田出雲守のための「為播州住和田出雲守重代延之也」[[c:1]]の銘を負い、説明書はかかる為打・注文打があればこそ末備前の名声が高いと明言する。三工のうちでも与三左衛門尉の格はとりわけ高く、説明書は与三左衛門尉を冠するものが最も有名にして上手と記し、その典型作を末備前を代表する一口と位置づける。切れ味の評にあっても末備前は実用刀として重んじられ、戦国の武器としての需要がこの隆盛を支えた。伝来もまた一派の評価を裏づけ、与三左衛門尉の五十七歳の作は蜂須賀家に伝わり、ほかに毛利家・井伊家、皇室の御物、武将山中鹿介の所持と伝える脇指などが数えられる。幅広く明るく、腰の開いた互の目の冴えて読める在銘年紀の祐定は、長船がその最後の偉大な世代にいかに鍛えたかを語る確かな一証である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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