番号:AS26269 刀:白鞘入り(NBTHK 特別保存刀剣) 銘:無銘(長船政光) 中古刀:上作:備前:貞治頃 (弊社の格付けでは、刀剣の出来を「最上作」「上々作」「上作」「普通作」の四段階に分けております。本作は、無銘(長船政光)と極められた作品の中でも「上々作」にランクされる逸品です。) ハバキ:金着一重ハバキ 長さ:63.94 cm (2尺1寸1分) 反り:1.52 cm (5分) 目釘穴:2個 元幅:3.22 cm 先幅:2.46 cm 重ね:0.55 cm 刀身重量:615 g 時代:南北朝時代、貞治頃(1362-1368年) 姿:南北朝時代の貞治頃と推測される姿で、兼光を彷彿とさせる大きな帽子が特徴的です。 地鉄:小板目肌よく練れ、鮮やかな映りが現れます。 彫物:表には剣巻龍、独鈷、その上に添樋を伴う棒樋が彫られています。 裏には棒樋に添樋、および梵字が彫り込まれています。 刃文:小模様な互目乱れ。帽子は兼光特有の形をよく表しています。 特徴:政光は兼光の門人で、南北朝時代の延文から応永にかけて活躍しました。本作は地鉄が緻密に詰み、見事な映りが立っています。特筆すべきは刀身の彫物で、作風から見て製作当時の同作彫りと思われます。藤代氏の著書にも、兼光風の作域に剣巻龍を施した例が紹介されています。彫物の見事な古名刀として、自信を持ってお勧めいたします。 歴史背景:貞治(1362-1368年)は南北朝時代後半にあたります。この時代、室町幕府内での権力抗争である「貞治の変(1366年)」が起こり、絶大な権勢を誇った斯波高経・義将父子が失脚するなど、激動の時代でありました。
Auction status: live on sword-auction.com.
無銘 · Osafune · Enbun (1356-1361) ND · 長さ 63.94cm · 反り 1.52cm




Bizen Osafune (Kanemitsu line) · 備前 · 1356-1399頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位14%
現在4点販売中
政光の年紀ある短刀のうちに、表に孕竜の倶利迦羅、裏に梵字と護摩箸を彫り、重ねの厚い、永和四年(一三七八)の年紀をもつ一口があり、説明書はこれを「政光中の代表的優品」[[c:1]]と称え、古くより「小龍政光」の名を伝える。彼は南北朝中期から室町初期にかけての備前長船の刀工で、長船兼光門下の一人であり、説明書は同門の倫光・基光と一息に挙げる。現存する作刀の年紀は延文から応永に及び、晩期長船にあってまれな明確さでその活躍期を捉えることができ、彼は師の作風を古備前以来の刀剣伝統の終焉へと持ち越す。
その手の見どころは抑制にある。兼光を継いで湾れ・互の目乱れ・直刃と多彩に焼くが、作の全体を通じて刃文は小模様に落ち着き、NBTHKはまさにこれを名指す。「総じて刃文が小模様となるところに此の工の見どころがある」[[c:3]]。よく錬れた板目に小のたれを焼いて互の目・角互の目・小丁子・尖り刃を交え、匂口は匂勝ちに締まり、小沸つき、細かに砂流し・金筋がかかり、最上の短刀、「小龍政光」を含めて片落ち互の目を焼く。これは兼光門固有の鋸歯状の見どころである。足・葉よく入り、その働きは高い房ではなく静かな一線のうちに保たれる。
その静かな刃の下に長船の地鉄が常にある。板目はよく錬れてやや肌立ち、杢を交え、地沸厚く、地景細かく入り、その上に古備前の明るい乱れ映りが立つ。説明書はこれを在銘・極めの作いずれにも見いだす。鍛えが小板目につまれば映りはいよいよ冴え、晩期の細身の作では直ぐな棒映り・直ぐ映りとなることもある。帽子は刃文に応じて乱れ込み、小丸に、あるいはやや尖りごころに掃きかけて返り、短刀には茎元に一派の宗教的彫物――梵字に行の倶利迦羅、梵字に護摩箸――を彫る。孕竜の意匠を説明書は「二代長光以来の長船派独特の彫り物」[[c:2]]と記す。
その記録は明らかな面に分かれる。高南北朝の在銘年紀作が中核で、生ぶ茎に「備州長船政光」の銘と年紀を切る。晩期の作は南北朝末の嘉慶頃の細身の小太刀・薙刀で、身幅やや細く一線は締まり、剣書はこれを一類として括り、説明書はかく記す。「総称して江戸時代以来小反物と称している」[[c:4]]。これらの傍らに、兼光一門のうちに極められた大磨上無銘の刀・薙刀直しが立つ。そのすべてを貫くのが、政光の名が同名二代に亘るという学問上の常なる注記であり、延文~永徳の初代と嘉慶頃の二代に、剣書は年紀と作風から各作を当てる。ある在銘の二代の短刀に、判者は地刃の出来かくも優れて「殆んど兼光を見るような感がある」[[c:5]]とまで書く。
本工をその一派のうちで分かつのは、まさにその小模様の一線と明るい映りである。大磨上無銘の極めについて説明書は兼光門の地刃を首肯しつつ、出来は兼光に似てなお今一歩のところがあると率直に認め、刃のやや小ずむことや物打のやや整わぬ感じにそれを見て、極めは個性のみならず時代と一派に拠るとする。師の大模様で変化に富む乱れに対して、政光は刃文の小ささと匂口の締まりによって読まれ、より素朴な晩期備前の工に対しては、乱れ映りの明るさと刃に集まる片落ち互の目によって分けられる。彼は応永の量産へと一派が転ずる前、兼光の風を保った最後の長船の名手の一人に立つ。
収集の観点では、豊かな在銘の記録に担われた、知り得る晩期長船の名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく、その立つところは重要文化財の太刀二口、特別重要刀剣二口、そして広い重要刀剣の分布にあり、説明書は常々の作に比して複雑に華やかな特別重要刀剣の太刀一口を「同作中出色の出来映え」[[c:6]]と挙げる。その作は確かな来歴に担われ、徳川将軍家伝来の一口もあり、「小龍政光」の短刀は大前田家に伝来して本阿弥光常の折紙を伴っていた。今日その作は、九州国立博物館・林原美術館・東京国立博物館を含む、来歴の確かな公私の蔵に伝わる。特別重要刀剣・重要刀剣の級はわずかで、その多くは伝えられて売買されることは稀であり、所在の知られる在銘年紀の政光が世に出ることは時折にとどまる。私蔵の一口、ことに年紀を留めた生ぶ茎の作は、収集家にとって心満たされるもの、大いなる長船の一派がその技を古刀の世の終りへ運んださまを正確に物語る一証である。
政光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
現在225点販売中
備前国邑久郡長船の地に興り、鎌倉時代中期から室町時代末期に至るまで連綿と鍛刀を続けた、刀剣史上最大の流派である。事実上の祖は光忠で、近忠の子と伝えるが近忠の作刀が知られないため、長船本流の起点はこの工に置かれる。古伝はその源を古備前正恒の一類が長船に移り住んだことに求め、光忠はその流れを承けて一門を興したと説く。すなわち本流派は、古備前の地盤の上に、丁子を主調とする華麗な作風をもって自立した備前鍛冶の本系である。光忠の下に長光、真長、景光らが輩出し、以後、相伝備前の兼光・長義・元重、室町初期の応永備前を経て末備前に至るまで、備前伝の中核を担い続けた。 作風は備前伝を基盤とし、よく錬れて杢を交えた板目に地沸が微塵につき、地景が細かに入り、地に乱れ映りが鮮明に立つ鍛えを共通の地とする。この乱れ映りこそ、在銘無銘を問わず一門の作を備前へ繋ぎ止める最も確かな標である。刃文には世代ごとの軸がある。草創の古長船にあって光忠は蛙子丁子を看どころとし、子の長光は頭の丸いふくらみのある丁子を加え、孫の景光は片落ち互の目を完成して逆がかりの足を看どころとした。この光忠、長光、景光の三代が長船嫡流の背骨をなし、近景がその影として景光をほぼ完璧に映し、真長は同じ地に締まる匂口の直刃を得意とした。南北朝期に入ると兼光が嫡流を承けつつのたれ主調の大模様を加え、相州伝を摂取した相伝備前の作風が現れる。長義は耳形の刃を看どころに兼光以上に相州伝を強調し、長重と兼長がこれに連なり、義景は匂口の沈むところに、元重は焼頭の揃った角ばる刃と青江気質に、それぞれ別系の個性を示した。体配もまた時代を映し、鎌倉の腰反り高い太刀から、南北朝の身幅広く大鋒の延文貞治型へ、さらに応永備前では古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃が甦る。康光と盛光を双璧とする応永備前は、腰の広く開いた互の目とローソクの芯と称する尖り返る帽子を看どころとし、その腰開き互の目と棒映りは末備前へと受け継がれた。長光景光以来の梵字、三鈷剣、倶利迦羅、八幡大菩薩などの刀身彫もまた、末備前まで絶えず継承された一門の標である。 鑑定にあっては、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に世代と系統の看どころで工を分かつ。蛙子丁子は光忠、丸い頭の丁子は長光、逆がかる片落ち互の目は景光、のたれと角互の目は兼光、耳形の刃は長義、角ばり逆がかる刃と蝉の羽根の肌は元重、ローソクの芯の帽子は応永備前という具合に、看どころが系統と時代を指し示す。嫡流の光忠、長光、景光、兼光は藤代の最上作に列し、なかでも長光は重要文化財の指定数が全刀工中最多で、嫡流の作には名物大般若長光や小龍景光をはじめ、織田信長、徳川家康、上杉謙信ら天下を握った者の手を経た作が多い。相伝備前の長義や兼長、応永備前の康光や盛光もそれぞれ重きをなし、別系の元重もまた南北朝備前の大きな名を保つ。嫡流の在銘作が市に現れることは稀で、大半は大磨上無銘の極めとして伝わるが、長光のごとく銘を惜しまなかった工の作はなお蒐集家の手の届く範囲にある。後世への影響は計り知れず、本流派の作風と刀身彫の伝統は末備前を通じて室町備前の主流をなし、備前伝そのものの規範となった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。
番号:AS26269 刀:白鞘入り(NBTHK 特別保存刀剣) 銘:無銘(長船政光) 中古刀:上作:備前:貞治頃 (弊社の格付けでは、刀剣の出来を「最上作」「上々作」「上作」「普通作」の四段階に分けております。本作は、無銘(長船政光)と極められた作品の中でも「上々作」にランクされる逸品です。) ハバキ:金着一重ハバキ 長さ:63.94 cm (2尺1寸1分) 反り:1.52 cm (5分) 目釘穴:2個 元幅:3.22 cm 先幅:2.46 cm 重ね:0.55 cm 刀身重量:615 g 時代:南北朝時代、貞治頃(1362-1368年) 姿:南北朝時代の貞治頃と推測される姿で、兼光を彷彿とさせる大きな帽子が特徴的です。 地鉄:小板目肌よく練れ、鮮やかな映りが現れます。 彫物:表には剣巻龍、独鈷、その上に添樋を伴う棒樋が彫られています。 裏には棒樋に添樋、および梵字が彫り込まれています。 刃文:小模様な互目乱れ。帽子は兼光特有の形をよく表しています。 特徴:政光は兼光の門人で、南北朝時代の延文から応永にかけて活躍しました。本作は地鉄が緻密に詰み、見事な映りが立っています。特筆すべきは刀身の彫物で、作風から見て製作当時の同作彫りと思われます。藤代氏の著書にも、兼光風の作域に剣巻龍を施した例が紹介されています。彫物の見事な古名刀として、自信を持ってお勧めいたします。 歴史背景:貞治(1362-1368年)は南北朝時代後半にあたります。この時代、室町幕府内での権力抗争である「貞治の変(1366年)」が起こり、絶大な権勢を誇った斯波高経・義将父子が失脚するなど、激動の時代でありました。
Auction status: live on sword-auction.com.
無銘 · Osafune · Enbun (1356-1361) ND · 長さ 63.94cm · 反り 1.52cm




Bizen Osafune (Kanemitsu line) · 備前 · 1356-1399頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位14%
現在4点販売中
政光の年紀ある短刀のうちに、表に孕竜の倶利迦羅、裏に梵字と護摩箸を彫り、重ねの厚い、永和四年(一三七八)の年紀をもつ一口があり、説明書はこれを「政光中の代表的優品」[[c:1]]と称え、古くより「小龍政光」の名を伝える。彼は南北朝中期から室町初期にかけての備前長船の刀工で、長船兼光門下の一人であり、説明書は同門の倫光・基光と一息に挙げる。現存する作刀の年紀は延文から応永に及び、晩期長船にあってまれな明確さでその活躍期を捉えることができ、彼は師の作風を古備前以来の刀剣伝統の終焉へと持ち越す。
その手の見どころは抑制にある。兼光を継いで湾れ・互の目乱れ・直刃と多彩に焼くが、作の全体を通じて刃文は小模様に落ち着き、NBTHKはまさにこれを名指す。「総じて刃文が小模様となるところに此の工の見どころがある」[[c:3]]。よく錬れた板目に小のたれを焼いて互の目・角互の目・小丁子・尖り刃を交え、匂口は匂勝ちに締まり、小沸つき、細かに砂流し・金筋がかかり、最上の短刀、「小龍政光」を含めて片落ち互の目を焼く。これは兼光門固有の鋸歯状の見どころである。足・葉よく入り、その働きは高い房ではなく静かな一線のうちに保たれる。
その静かな刃の下に長船の地鉄が常にある。板目はよく錬れてやや肌立ち、杢を交え、地沸厚く、地景細かく入り、その上に古備前の明るい乱れ映りが立つ。説明書はこれを在銘・極めの作いずれにも見いだす。鍛えが小板目につまれば映りはいよいよ冴え、晩期の細身の作では直ぐな棒映り・直ぐ映りとなることもある。帽子は刃文に応じて乱れ込み、小丸に、あるいはやや尖りごころに掃きかけて返り、短刀には茎元に一派の宗教的彫物――梵字に行の倶利迦羅、梵字に護摩箸――を彫る。孕竜の意匠を説明書は「二代長光以来の長船派独特の彫り物」[[c:2]]と記す。
その記録は明らかな面に分かれる。高南北朝の在銘年紀作が中核で、生ぶ茎に「備州長船政光」の銘と年紀を切る。晩期の作は南北朝末の嘉慶頃の細身の小太刀・薙刀で、身幅やや細く一線は締まり、剣書はこれを一類として括り、説明書はかく記す。「総称して江戸時代以来小反物と称している」[[c:4]]。これらの傍らに、兼光一門のうちに極められた大磨上無銘の刀・薙刀直しが立つ。そのすべてを貫くのが、政光の名が同名二代に亘るという学問上の常なる注記であり、延文~永徳の初代と嘉慶頃の二代に、剣書は年紀と作風から各作を当てる。ある在銘の二代の短刀に、判者は地刃の出来かくも優れて「殆んど兼光を見るような感がある」[[c:5]]とまで書く。
本工をその一派のうちで分かつのは、まさにその小模様の一線と明るい映りである。大磨上無銘の極めについて説明書は兼光門の地刃を首肯しつつ、出来は兼光に似てなお今一歩のところがあると率直に認め、刃のやや小ずむことや物打のやや整わぬ感じにそれを見て、極めは個性のみならず時代と一派に拠るとする。師の大模様で変化に富む乱れに対して、政光は刃文の小ささと匂口の締まりによって読まれ、より素朴な晩期備前の工に対しては、乱れ映りの明るさと刃に集まる片落ち互の目によって分けられる。彼は応永の量産へと一派が転ずる前、兼光の風を保った最後の長船の名手の一人に立つ。
収集の観点では、豊かな在銘の記録に担われた、知り得る晩期長船の名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく、その立つところは重要文化財の太刀二口、特別重要刀剣二口、そして広い重要刀剣の分布にあり、説明書は常々の作に比して複雑に華やかな特別重要刀剣の太刀一口を「同作中出色の出来映え」[[c:6]]と挙げる。その作は確かな来歴に担われ、徳川将軍家伝来の一口もあり、「小龍政光」の短刀は大前田家に伝来して本阿弥光常の折紙を伴っていた。今日その作は、九州国立博物館・林原美術館・東京国立博物館を含む、来歴の確かな公私の蔵に伝わる。特別重要刀剣・重要刀剣の級はわずかで、その多くは伝えられて売買されることは稀であり、所在の知られる在銘年紀の政光が世に出ることは時折にとどまる。私蔵の一口、ことに年紀を留めた生ぶ茎の作は、収集家にとって心満たされるもの、大いなる長船の一派がその技を古刀の世の終りへ運んださまを正確に物語る一証である。
政光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
現在225点販売中
備前国邑久郡長船の地に興り、鎌倉時代中期から室町時代末期に至るまで連綿と鍛刀を続けた、刀剣史上最大の流派である。事実上の祖は光忠で、近忠の子と伝えるが近忠の作刀が知られないため、長船本流の起点はこの工に置かれる。古伝はその源を古備前正恒の一類が長船に移り住んだことに求め、光忠はその流れを承けて一門を興したと説く。すなわち本流派は、古備前の地盤の上に、丁子を主調とする華麗な作風をもって自立した備前鍛冶の本系である。光忠の下に長光、真長、景光らが輩出し、以後、相伝備前の兼光・長義・元重、室町初期の応永備前を経て末備前に至るまで、備前伝の中核を担い続けた。 作風は備前伝を基盤とし、よく錬れて杢を交えた板目に地沸が微塵につき、地景が細かに入り、地に乱れ映りが鮮明に立つ鍛えを共通の地とする。この乱れ映りこそ、在銘無銘を問わず一門の作を備前へ繋ぎ止める最も確かな標である。刃文には世代ごとの軸がある。草創の古長船にあって光忠は蛙子丁子を看どころとし、子の長光は頭の丸いふくらみのある丁子を加え、孫の景光は片落ち互の目を完成して逆がかりの足を看どころとした。この光忠、長光、景光の三代が長船嫡流の背骨をなし、近景がその影として景光をほぼ完璧に映し、真長は同じ地に締まる匂口の直刃を得意とした。南北朝期に入ると兼光が嫡流を承けつつのたれ主調の大模様を加え、相州伝を摂取した相伝備前の作風が現れる。長義は耳形の刃を看どころに兼光以上に相州伝を強調し、長重と兼長がこれに連なり、義景は匂口の沈むところに、元重は焼頭の揃った角ばる刃と青江気質に、それぞれ別系の個性を示した。体配もまた時代を映し、鎌倉の腰反り高い太刀から、南北朝の身幅広く大鋒の延文貞治型へ、さらに応永備前では古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃が甦る。康光と盛光を双璧とする応永備前は、腰の広く開いた互の目とローソクの芯と称する尖り返る帽子を看どころとし、その腰開き互の目と棒映りは末備前へと受け継がれた。長光景光以来の梵字、三鈷剣、倶利迦羅、八幡大菩薩などの刀身彫もまた、末備前まで絶えず継承された一門の標である。 鑑定にあっては、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に世代と系統の看どころで工を分かつ。蛙子丁子は光忠、丸い頭の丁子は長光、逆がかる片落ち互の目は景光、のたれと角互の目は兼光、耳形の刃は長義、角ばり逆がかる刃と蝉の羽根の肌は元重、ローソクの芯の帽子は応永備前という具合に、看どころが系統と時代を指し示す。嫡流の光忠、長光、景光、兼光は藤代の最上作に列し、なかでも長光は重要文化財の指定数が全刀工中最多で、嫡流の作には名物大般若長光や小龍景光をはじめ、織田信長、徳川家康、上杉謙信ら天下を握った者の手を経た作が多い。相伝備前の長義や兼長、応永備前の康光や盛光もそれぞれ重きをなし、別系の元重もまた南北朝備前の大きな名を保つ。嫡流の在銘作が市に現れることは稀で、大半は大磨上無銘の極めとして伝わるが、長光のごとく銘を惜しまなかった工の作はなお蒐集家の手の届く範囲にある。後世への影響は計り知れず、本流派の作風と刀身彫の伝統は末備前を通じて室町備前の主流をなし、備前伝そのものの規範となった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。