政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀剣[N.B.T.H.K] Jyuyo Token No.46
国綱は粟田口派六人兄弟の末弟で、のち相州鎌倉に下向し、 備前の助真・国宗と共に相州鍛冶の開拓者となったと伝 えている。有銘作の遺例は稀れであるが、名物「鬼丸国綱」があることによって一層名を高らしめている。作風は粟田口 風のものと、それとは趣を異にし姿が剛壮で地がねの肌立ったものとがある。 鬼丸は後者の出来で、本作は前者であり、鬼丸と同手の銘字のものに会津松平家旧蔵の太刀 (重要美術品)と特別重要 刀剣指定の太刀があり、この作の銘字はそれらと相違して「国」の字に欠画があり且つ小振りであるが、鏨太である点や 全体的な書体の雰囲気には近いものがあり、同人の年代による銘字の変遷の可能性が高いと思量される。 姿態・地刃共に 典雅此の上なく、 粟田口物の美点を遍く表出した優品である。延宝八年八月二十五日に伊達綱村が近衛基熙より牡丹の御 紋と共に拝領し、爾来仙台伊達家の重宝として伝来したものである。







国綱は粟田口派六人兄弟の末弟で、のち相州鎌倉に下向し、 備前の助真・国宗と共に相州鍛冶の開拓者となったと伝 えている。有銘作の遺例は稀れであるが、名物「鬼丸国綱」があることによって一層名を高らしめている。作風は粟田口 風のものと、それとは趣を異にし姿が剛壮で地がねの肌立ったものとがある。 鬼丸は後者の出来で、本作は前者であり、鬼丸と同手の銘字のものに会津松平家旧蔵の太刀 (重要美術品)と特別重要 刀剣指定の太刀があり、この作の銘字はそれらと相違して「国」の字に欠画があり且つ小振りであるが、鏨太である点や 全体的な書体の雰囲気には近いものがあり、同人の年代による銘字の変遷の可能性が高いと思量される。 姿態・地刃共に 典雅此の上なく、 粟田口物の美点を遍く表出した優品である。延宝八年八月二十五日に伊達綱村が近衛基熙より牡丹の御 紋と共に拝領し、爾来仙台伊達家の重宝として伝来したものである。
Awataguchi (Yamashiro) · 山城 · 1240-1264頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位1%
粟田口国綱は鎌倉時代前期の京の工で、国友を長兄とする粟田口六人兄弟の末弟、藤六左近と称した。諸書は、後に北条氏の招きにより鎌倉に下向し、備前の国宗・助真とともに相州鍛冶草創の一人となったと伝える。同時にその遺例の乏しさをも記し、「現存する有銘確実なものは極めて少く、かの名物鬼丸国綱が代表的のもの」[[c:1]]とする。銘は二字に「国綱」と切り、長大な大太刀には「鎌倉住藤六左近国綱」[[c:7]]と切り「建長五年八月日」と年紀するものがあって、鎌倉期の唯一の年紀を伝える。
諸書は同工を一門の他工と截然と分かつ。粟田口物は一般に優美が真面目であるが、彼の姿態・鍛え・刃文は異色で、太刀姿は腰反り高く先で伏さらず、鍛えは板目が大きく肌立って地沸を厚く敷き、刃文は焼幅広く乱れに変化があって「刃沸が目立って強い」[[c:2]]。「地刃がよく働く様は正に彼の真骨頂である」[[c:3]]と評され、兄弟たちが精錬を旨とするところを、国綱は沸を前へ押し出し、来たるべき相模の力強い作風へ傾く。これが鑑別の核である。
地は締まった粟田口の鋼に地沸・地景を厚く湛え、大板目に肌立ち、研溜より水影が立って地斑映り風の乱れ映りに繋がる。刃は直刃調の浅いのたれに小乱れ・丁子・小互の目を交え、太い足・葉が入り、匂深く刃中厚く沸づき、金筋頻りに、砂流しかかり、処々刃縁ほつれ、打のけ・湯走りを交える。帽子は旧稿の要訂正点で、単なる穏やかな小丸ではない。特別重要刀剣の太刀では「帽子直ぐに小丸に僅かに返り、先少しく掃きかける」[[c:4]]とあり、金象嵌銘の刀では掃きかけて焼詰めごころとなり、ものによっては乱れ込んで尖りごころに返る。掃きかける沸崩れの先こそ肌立ちと並ぶ同工の見どころである。
諸書は同工に二様ありとする。粟田口風のものと、それとは趣を異にして「姿が剛壮で地がねの肌立った」[[c:6]]ものとである。鬼丸は後者の剛健な出来に属し、現存の在銘太刀の多くは前者で、鍛えは細かな小板目に締まり、刃も静かな直刃調となって公家の伝統を色濃く残す。鑑別では両様に通じる核がある。目立つ刃沸、烈しい金筋・砂流し、乱れ映り、そして掃きかける帽子である。静かな太刀の沈みごころの匂口は明るい備前と分かち、強い沸と肌立ちは兄弟たちの粟田口直刃と分かつ。
名声の核は鬼丸国綱である。その後の伝来は権力の歴史そのもので、諸家を歴て皇室に納まり、御物・天下五剣の一つとしてほとんど人目に触れぬまま伝わる。これと並んで諸書は、西高辻子爵家旧蔵の特別重要刀剣、会津松平家旧蔵の重要美術品を挙げ、重要文化財として日枝神社蔵の太刀を数える。磨上無銘の刀に施された本阿弥光遜らの金象嵌・金粉の極めは、本阿弥家が国綱極めをいかに重んじたかを物語る。
収集の観点では、国綱は粟田口の名の中でも屈指の稀少である。藤代の極めは最上作、白眉は諸家の重宝として伝わり、土佐山内家は金象嵌銘の刀を、仙台伊達家は近衛基熙より受けた太刀を秘蔵した。特別重要刀剣・重要刀剣の級はわずかで、重要文化財も少なく、白眉たる鬼丸は御物として動かない。個人蔵の在銘国綱は、鎌倉初期の刀を学ぶ者が出会いを望みうる最も稀なものの一つであり、その稀少さこそ、新藤五国光から相州の系へと続いたと伝える彼の相模下りの重みを物語る。
國綱の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
山城伝 · 山城
現在4点販売中
かねに潤いがあってよく冴える、という一語が、この一門の解説に幾度も立ち返る。よく約んだ小板目を極くつめて地沸を微塵に厚く均しく敷き、細かな地景を入れて沸映りを立てる手は、古来「梨子地肌」と称され、本流派の名を負う精錬の極みである。山城国粟田口、すなわち京都から近江へ通じる街道筋に居を構えた鍛冶の集まりであり、その地に鍛冶が住したことは鎌倉初頭の説話集『宇治拾遺物語』にも見える。祖は国家といい、その子に国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟があって、いずれも揃って名を成した。長兄国友をはじめ、久国・国安らは後鳥羽院の番鍛冶、すなわち院に月番で仕えた工に召され、活躍期は承久(一二一九〜二二)の頃にあたる。末弟国綱は後に北条氏の招きで鎌倉へ下向し、相州鍛冶草創の一人に数えられる。長兄国友の子則国を経て、左兵衛尉国吉、その子または弟子の藤四郎吉光へと、御番鍛冶の世代から短刀の名手の世代へと一門は続き、別流の新藤五国光は相州伝の事実上の創始者として行光・正宗・則重を育てた。 作域の核は、備前の華やかな丁子の対極にある、静かで抑えた直刃にある。よく約んだ小板目に地沸を厚くつけた精美な地の上へ、小沸出来の細直刃ないし直刃調の小乱れを匂深く焼き、小互の目・小丁子・小足・葉を交え、金筋・砂流しを細かにかける。匂口は締りごころに明るく冴え、帽子は穏やかな小丸に返り、しばしば掃きかけを伴う。表裏には護摩箸・素剣・梵字を彫り、その護摩箸は間隔狭く棟に寄せて彫るのが一門共通の手癖である。同じ作風の中にも工ごとの標識が宿る。久国は兄弟の中で最も沸が強く、国友・国安は匂口がうるみ、国安は連れごころの小互の目に押し詰まった小乱れを守って一派の乱れの手を担い、則国は国吉・吉光に通じつつ比較的沸が強い。国吉・吉光に至って刃は明るい直刃へ傾き、二重刃や帽子下の沸の喰下がりがその手癖となる。来時代へ下るにつれ穏雅な細直刃の比重が増す一方、国綱のみは板目が肌立って刃沸の目立つ剛壮な異風を見せ、来たるべき相模の力強い作風へ傾く。 鑑定の拠りどころは明快である。梨子地状の精美な小板目地、潤って冴えるかね、締まって明るい直刃調の刃に細かくかかる金筋・砂流し、これらが揃えば初期粟田口と鑑せられる。各工は解説中の物差しによって分かたれる。久国は格調の高さで、国安は安の字の崩しと連れごころの小互の目で、国清は兄国安への親近で、則国は子国吉に近い国の字で読まれる。そして一門を貫く対比は来派との別である。粟田口の地刃の沸は来物より一段と厚く強く感じられ、寸法の割に身幅狭く重ね厚い造込みは来にまず見ない。位置づけの頂点には、相模国の新藤五国光と並ぶ短刀の名人吉光が立ち、江戸期には正宗・江と共に天下三作の筆頭に挙げられた。流暢な二字銘そのものが鑑識の対象である。代表作の重みは伝来に表れ、名物鬼丸国綱は天下五剣の一つとして皇室に納まり、一期一振藤四郎は太閤秀吉の蔵刀、陸奥新藤五は奥州伊達家重代として伝わる。山城の精錬な沸の直刃は来の名工が汲んだ源であり、ひいては新藤五国光から相州伝へと展開する源流でもあって、本流派は日本刀の地鉄の最高峰を示すとともに、後世の二大潮流の発端に立つ。 詳しく見る →
鎌倉時代の山城
政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様都合による返品は作品到着後二日以内にお申し出ください。※お品物に手を加えた物等は対応できません※返品送料はお客様のご負担となります※お品代以外の費用(振込手数料、代引手数料等)は返金できません。※お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません
鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 重要刀剣[N.B.T.H.K] Jyuyo Token No.46
国綱は粟田口派六人兄弟の末弟で、のち相州鎌倉に下向し、 備前の助真・国宗と共に相州鍛冶の開拓者となったと伝 えている。有銘作の遺例は稀れであるが、名物「鬼丸国綱」があることによって一層名を高らしめている。作風は粟田口 風のものと、それとは趣を異にし姿が剛壮で地がねの肌立ったものとがある。 鬼丸は後者の出来で、本作は前者であり、鬼丸と同手の銘字のものに会津松平家旧蔵の太刀 (重要美術品)と特別重要 刀剣指定の太刀があり、この作の銘字はそれらと相違して「国」の字に欠画があり且つ小振りであるが、鏨太である点や 全体的な書体の雰囲気には近いものがあり、同人の年代による銘字の変遷の可能性が高いと思量される。 姿態・地刃共に 典雅此の上なく、 粟田口物の美点を遍く表出した優品である。延宝八年八月二十五日に伊達綱村が近衛基熙より牡丹の御 紋と共に拝領し、爾来仙台伊達家の重宝として伝来したものである。







国綱は粟田口派六人兄弟の末弟で、のち相州鎌倉に下向し、 備前の助真・国宗と共に相州鍛冶の開拓者となったと伝 えている。有銘作の遺例は稀れであるが、名物「鬼丸国綱」があることによって一層名を高らしめている。作風は粟田口 風のものと、それとは趣を異にし姿が剛壮で地がねの肌立ったものとがある。 鬼丸は後者の出来で、本作は前者であり、鬼丸と同手の銘字のものに会津松平家旧蔵の太刀 (重要美術品)と特別重要 刀剣指定の太刀があり、この作の銘字はそれらと相違して「国」の字に欠画があり且つ小振りであるが、鏨太である点や 全体的な書体の雰囲気には近いものがあり、同人の年代による銘字の変遷の可能性が高いと思量される。 姿態・地刃共に 典雅此の上なく、 粟田口物の美点を遍く表出した優品である。延宝八年八月二十五日に伊達綱村が近衛基熙より牡丹の御 紋と共に拝領し、爾来仙台伊達家の重宝として伝来したものである。
Awataguchi (Yamashiro) · 山城 · 1240-1264頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位1%
粟田口国綱は鎌倉時代前期の京の工で、国友を長兄とする粟田口六人兄弟の末弟、藤六左近と称した。諸書は、後に北条氏の招きにより鎌倉に下向し、備前の国宗・助真とともに相州鍛冶草創の一人となったと伝える。同時にその遺例の乏しさをも記し、「現存する有銘確実なものは極めて少く、かの名物鬼丸国綱が代表的のもの」[[c:1]]とする。銘は二字に「国綱」と切り、長大な大太刀には「鎌倉住藤六左近国綱」[[c:7]]と切り「建長五年八月日」と年紀するものがあって、鎌倉期の唯一の年紀を伝える。
諸書は同工を一門の他工と截然と分かつ。粟田口物は一般に優美が真面目であるが、彼の姿態・鍛え・刃文は異色で、太刀姿は腰反り高く先で伏さらず、鍛えは板目が大きく肌立って地沸を厚く敷き、刃文は焼幅広く乱れに変化があって「刃沸が目立って強い」[[c:2]]。「地刃がよく働く様は正に彼の真骨頂である」[[c:3]]と評され、兄弟たちが精錬を旨とするところを、国綱は沸を前へ押し出し、来たるべき相模の力強い作風へ傾く。これが鑑別の核である。
地は締まった粟田口の鋼に地沸・地景を厚く湛え、大板目に肌立ち、研溜より水影が立って地斑映り風の乱れ映りに繋がる。刃は直刃調の浅いのたれに小乱れ・丁子・小互の目を交え、太い足・葉が入り、匂深く刃中厚く沸づき、金筋頻りに、砂流しかかり、処々刃縁ほつれ、打のけ・湯走りを交える。帽子は旧稿の要訂正点で、単なる穏やかな小丸ではない。特別重要刀剣の太刀では「帽子直ぐに小丸に僅かに返り、先少しく掃きかける」[[c:4]]とあり、金象嵌銘の刀では掃きかけて焼詰めごころとなり、ものによっては乱れ込んで尖りごころに返る。掃きかける沸崩れの先こそ肌立ちと並ぶ同工の見どころである。
諸書は同工に二様ありとする。粟田口風のものと、それとは趣を異にして「姿が剛壮で地がねの肌立った」[[c:6]]ものとである。鬼丸は後者の剛健な出来に属し、現存の在銘太刀の多くは前者で、鍛えは細かな小板目に締まり、刃も静かな直刃調となって公家の伝統を色濃く残す。鑑別では両様に通じる核がある。目立つ刃沸、烈しい金筋・砂流し、乱れ映り、そして掃きかける帽子である。静かな太刀の沈みごころの匂口は明るい備前と分かち、強い沸と肌立ちは兄弟たちの粟田口直刃と分かつ。
名声の核は鬼丸国綱である。その後の伝来は権力の歴史そのもので、諸家を歴て皇室に納まり、御物・天下五剣の一つとしてほとんど人目に触れぬまま伝わる。これと並んで諸書は、西高辻子爵家旧蔵の特別重要刀剣、会津松平家旧蔵の重要美術品を挙げ、重要文化財として日枝神社蔵の太刀を数える。磨上無銘の刀に施された本阿弥光遜らの金象嵌・金粉の極めは、本阿弥家が国綱極めをいかに重んじたかを物語る。
収集の観点では、国綱は粟田口の名の中でも屈指の稀少である。藤代の極めは最上作、白眉は諸家の重宝として伝わり、土佐山内家は金象嵌銘の刀を、仙台伊達家は近衛基熙より受けた太刀を秘蔵した。特別重要刀剣・重要刀剣の級はわずかで、重要文化財も少なく、白眉たる鬼丸は御物として動かない。個人蔵の在銘国綱は、鎌倉初期の刀を学ぶ者が出会いを望みうる最も稀なものの一つであり、その稀少さこそ、新藤五国光から相州の系へと続いたと伝える彼の相模下りの重みを物語る。
國綱の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
山城伝 · 山城
現在4点販売中
かねに潤いがあってよく冴える、という一語が、この一門の解説に幾度も立ち返る。よく約んだ小板目を極くつめて地沸を微塵に厚く均しく敷き、細かな地景を入れて沸映りを立てる手は、古来「梨子地肌」と称され、本流派の名を負う精錬の極みである。山城国粟田口、すなわち京都から近江へ通じる街道筋に居を構えた鍛冶の集まりであり、その地に鍛冶が住したことは鎌倉初頭の説話集『宇治拾遺物語』にも見える。祖は国家といい、その子に国友・久国・国安・国清・有国・国綱の六人兄弟があって、いずれも揃って名を成した。長兄国友をはじめ、久国・国安らは後鳥羽院の番鍛冶、すなわち院に月番で仕えた工に召され、活躍期は承久(一二一九〜二二)の頃にあたる。末弟国綱は後に北条氏の招きで鎌倉へ下向し、相州鍛冶草創の一人に数えられる。長兄国友の子則国を経て、左兵衛尉国吉、その子または弟子の藤四郎吉光へと、御番鍛冶の世代から短刀の名手の世代へと一門は続き、別流の新藤五国光は相州伝の事実上の創始者として行光・正宗・則重を育てた。 作域の核は、備前の華やかな丁子の対極にある、静かで抑えた直刃にある。よく約んだ小板目に地沸を厚くつけた精美な地の上へ、小沸出来の細直刃ないし直刃調の小乱れを匂深く焼き、小互の目・小丁子・小足・葉を交え、金筋・砂流しを細かにかける。匂口は締りごころに明るく冴え、帽子は穏やかな小丸に返り、しばしば掃きかけを伴う。表裏には護摩箸・素剣・梵字を彫り、その護摩箸は間隔狭く棟に寄せて彫るのが一門共通の手癖である。同じ作風の中にも工ごとの標識が宿る。久国は兄弟の中で最も沸が強く、国友・国安は匂口がうるみ、国安は連れごころの小互の目に押し詰まった小乱れを守って一派の乱れの手を担い、則国は国吉・吉光に通じつつ比較的沸が強い。国吉・吉光に至って刃は明るい直刃へ傾き、二重刃や帽子下の沸の喰下がりがその手癖となる。来時代へ下るにつれ穏雅な細直刃の比重が増す一方、国綱のみは板目が肌立って刃沸の目立つ剛壮な異風を見せ、来たるべき相模の力強い作風へ傾く。 鑑定の拠りどころは明快である。梨子地状の精美な小板目地、潤って冴えるかね、締まって明るい直刃調の刃に細かくかかる金筋・砂流し、これらが揃えば初期粟田口と鑑せられる。各工は解説中の物差しによって分かたれる。久国は格調の高さで、国安は安の字の崩しと連れごころの小互の目で、国清は兄国安への親近で、則国は子国吉に近い国の字で読まれる。そして一門を貫く対比は来派との別である。粟田口の地刃の沸は来物より一段と厚く強く感じられ、寸法の割に身幅狭く重ね厚い造込みは来にまず見ない。位置づけの頂点には、相模国の新藤五国光と並ぶ短刀の名人吉光が立ち、江戸期には正宗・江と共に天下三作の筆頭に挙げられた。流暢な二字銘そのものが鑑識の対象である。代表作の重みは伝来に表れ、名物鬼丸国綱は天下五剣の一つとして皇室に納まり、一期一振藤四郎は太閤秀吉の蔵刀、陸奥新藤五は奥州伊達家重代として伝わる。山城の精錬な沸の直刃は来の名工が汲んだ源であり、ひいては新藤五国光から相州伝へと展開する源流でもあって、本流派は日本刀の地鉄の最高峰を示すとともに、後世の二大潮流の発端に立つ。 詳しく見る →
鎌倉時代の山城
政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様都合による返品は作品到着後二日以内にお申し出ください。※お品物に手を加えた物等は対応できません※返品送料はお客様のご負担となります※お品代以外の費用(振込手数料、代引手数料等)は返金できません。※お届け先が海外の場合は返品や返金は出来ません