戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
骨董日本刀 短刀 無銘 兼常(NTHK鑑定書付) 【解説】 濃州関兼常は、美濃国(現在の岐阜県)を代表する名工です。兼常は特に短刀の製作に長け、その作品は抜群の切れ味を誇ることで知られています。兼常の名は数代にわたって受け継がれていますが、本刀はNTHKの鑑定により、天正年間(1573-1593年)の作と極められています。 美濃伝の作風は、直調のなかに尖り刃が交じる独特の刃文や、白く現れる映りが特徴です。美濃伝は鎌倉時代末期に大和伝を源流として興り、室町時代に全盛を迎え、江戸時代までその伝統を繋ぎました。 特に戦国時代においては、武器としての需要の高まりとともに、美濃国はその地理的条件から大いに繁栄しました。明智光秀が美濃を治め、織田信長が尾張を、徳川家康が駿河を拠点とするなど、有力な戦国大名やその家臣団が近隣に割拠しており、実戦的な刀剣の需要が極めて高かったためです。また、関東と京を結ぶ要所に位置したことも、美濃伝が重用された大きな要因となりました。実用性と堅牢さを兼ね備えた美濃刀は、多くの武将たちに愛用され、その卓越した鍛錬技術は江戸時代へと継承されていきました。 【刀身】 長さ(Nagasa):28.6 cm 反り(Sori):0.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(Jihada):鍛錬の折り返しによって現れる鋼の表面模様 茎(Nakago):NTHKの鑑定により「磨上げ無銘」とされています。これは後年に刀身を短く仕立て直した際、銘の部分が切り落とされたことを意味します。 茎に宿る黒錆は、柄内部での赤錆の発生を防ぐ重要な役割を果たしています。この経年による茎の色調の変化は、専門家が製作年代を特定する上での貴重な指標となります。 【拵】 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する一対の金具 本品の縁には松葉の図が彫られています。松は厳しい寒暑の中でも常緑を保つことから、古来より不老長寿や強い生命力の象徴として尊ばれてきました。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 目貫には花容の意匠が施されており、菊の花を描いたものと推察されます。菊は古く中国より長寿の薬草として伝来し、日本でも奈良時代より親しまれてきました。その放射状に広がる花弁が太陽になぞらえられ、延命長寿や無病息災の象徴として尊ばれている吉祥文様です。 鎺(Habaki):刀身が鞘の内部に直接触れるのを防ぎ、刀身の保護と固定を司る金具です。 鞘(Saya): 鞘の先端には、螺旋状の貝(法螺貝)を模した鐺(こじり)が装着されています。四方を海に囲まれた日本において、海産物は古来より生活に密接に関わってきました。特に法螺貝は、その音色が邪気を払い、身を守る魔除けの力があると信じられ、陣貝などの楽器としても重宝されました。 小柄(Kozuka):鞘の小柄櫃に収められる小刀 小柄には海老の図が施されています。海老はその姿から長寿の象徴とされ、縁起物として好まれる意匠です。
















美濃伝 · 美濃 · 1521-1528頃
藤代 Jo saku
現在1点販売中
兼常の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在160点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
骨董日本刀 短刀 無銘 兼常(NTHK鑑定書付) 【解説】 濃州関兼常は、美濃国(現在の岐阜県)を代表する名工です。兼常は特に短刀の製作に長け、その作品は抜群の切れ味を誇ることで知られています。兼常の名は数代にわたって受け継がれていますが、本刀はNTHKの鑑定により、天正年間(1573-1593年)の作と極められています。 美濃伝の作風は、直調のなかに尖り刃が交じる独特の刃文や、白く現れる映りが特徴です。美濃伝は鎌倉時代末期に大和伝を源流として興り、室町時代に全盛を迎え、江戸時代までその伝統を繋ぎました。 特に戦国時代においては、武器としての需要の高まりとともに、美濃国はその地理的条件から大いに繁栄しました。明智光秀が美濃を治め、織田信長が尾張を、徳川家康が駿河を拠点とするなど、有力な戦国大名やその家臣団が近隣に割拠しており、実戦的な刀剣の需要が極めて高かったためです。また、関東と京を結ぶ要所に位置したことも、美濃伝が重用された大きな要因となりました。実用性と堅牢さを兼ね備えた美濃刀は、多くの武将たちに愛用され、その卓越した鍛錬技術は江戸時代へと継承されていきました。 【刀身】 長さ(Nagasa):28.6 cm 反り(Sori):0.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地肌(Jihada):鍛錬の折り返しによって現れる鋼の表面模様 茎(Nakago):NTHKの鑑定により「磨上げ無銘」とされています。これは後年に刀身を短く仕立て直した際、銘の部分が切り落とされたことを意味します。 茎に宿る黒錆は、柄内部での赤錆の発生を防ぐ重要な役割を果たしています。この経年による茎の色調の変化は、専門家が製作年代を特定する上での貴重な指標となります。 【拵】 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する一対の金具 本品の縁には松葉の図が彫られています。松は厳しい寒暑の中でも常緑を保つことから、古来より不老長寿や強い生命力の象徴として尊ばれてきました。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 目貫には花容の意匠が施されており、菊の花を描いたものと推察されます。菊は古く中国より長寿の薬草として伝来し、日本でも奈良時代より親しまれてきました。その放射状に広がる花弁が太陽になぞらえられ、延命長寿や無病息災の象徴として尊ばれている吉祥文様です。 鎺(Habaki):刀身が鞘の内部に直接触れるのを防ぎ、刀身の保護と固定を司る金具です。 鞘(Saya): 鞘の先端には、螺旋状の貝(法螺貝)を模した鐺(こじり)が装着されています。四方を海に囲まれた日本において、海産物は古来より生活に密接に関わってきました。特に法螺貝は、その音色が邪気を払い、身を守る魔除けの力があると信じられ、陣貝などの楽器としても重宝されました。 小柄(Kozuka):鞘の小柄櫃に収められる小刀 小柄には海老の図が施されています。海老はその姿から長寿の象徴とされ、縁起物として好まれる意匠です。
















美濃伝 · 美濃 · 1521-1528頃
藤代 Jo saku
現在1点販売中
兼常の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在160点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.