戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
太刀 銘 濃州住兼吉(保存刀剣鑑定書附) 【解説】 本作は「濃州住兼吉」と銘が切られた一振りです。兼吉の名は、室町時代初期から末期にかけて数代にわたり受け継がれました。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の鑑定によれば、本作の作域から、室町時代後期(16世紀中頃から後半)に活躍した末の兼吉による作と認められます。 「濃州」とは美濃国(現在の岐阜県南部)の別称です。美濃は鎌倉時代から室町時代にかけて日本刀製作の重要拠点として栄え、この地で活動した刀工たちは五ヶ伝の一つである「美濃伝」を確立しました。 兼吉は美濃国の中でも刀剣製作が最も盛んであった関(現在の関市)で活動したと伝えられています。初代兼吉は、美濃七流の中でも特に繁栄した「善定派」の祖とされています。 美濃伝の大きな特徴は、直調の刃文の中に「尖り刃」が混じる点や、乱れ刃の中に白い「映り」が立つ点にあります。美濃伝は鎌倉時代末期(1280年〜1330年頃)の大和伝を源流とし、室町時代(1333年〜1573年)に全盛期を迎え、江戸時代までその伝統が続きました。 特に戦国時代、美濃伝は武器としての需要の高まりから大いに繁栄しました。美濃国は地理的にも要所に位置しており、明智光秀が美濃を治め、織田信長が尾張を、徳川家康が駿河を拠点とするなど、有力な戦国大名やその家臣たちからの需要が絶えませんでした。また、関東と京都の中間に位置していたため、各地の大名にとって注文がしやすかったという背景もあります。美濃の刀は実用性に富み、その切れ味の良さから多くの武将に愛用されました。 【太刀について】 本作は、その体配から日本美術刀剣保存協会により「太刀」として鑑定されています。 太刀は平安時代から室町時代初期にかけて発展した形式で、主に騎馬戦を主とする甲冑武者によって用いられました。反りが深く、比較的長寸であるため、馬上から振り下ろす際に威力を発揮するよう設計されており、当時の戦闘様式を色濃く反映しています。 太刀は腰の左側に、刃を下に向けて吊るす「佩用(はいよう)」という形で身につけます。この装着法により、抜刀から斬りつけまでをスムーズに行うことができ、馬上から地上の敵を攻撃する際にも極めて有効でした。 鎌倉時代から南北朝時代にかけて、太刀は侍階級の主要な武器となりました。戦場での実用性のみならず、権威や地位の象徴としても重んじられ、武士の誇りとアイデンティティを象徴する存在でした。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」として鑑定されています。この鑑定書は、美術的価値が高く、保存状態の良い本物の日本刀に対してのみ発行されるものです。 ※本作には僅かな鍛え傷がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):68.1 cm 反り(Sori):0.9 cm 刃文(Hamon):(以下、原文に準ずる)




























美濃伝 · 美濃
現在160点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
$4,685
太刀 銘 濃州住兼吉(保存刀剣鑑定書附) 【解説】 本作は「濃州住兼吉」と銘が切られた一振りです。兼吉の名は、室町時代初期から末期にかけて数代にわたり受け継がれました。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の鑑定によれば、本作の作域から、室町時代後期(16世紀中頃から後半)に活躍した末の兼吉による作と認められます。 「濃州」とは美濃国(現在の岐阜県南部)の別称です。美濃は鎌倉時代から室町時代にかけて日本刀製作の重要拠点として栄え、この地で活動した刀工たちは五ヶ伝の一つである「美濃伝」を確立しました。 兼吉は美濃国の中でも刀剣製作が最も盛んであった関(現在の関市)で活動したと伝えられています。初代兼吉は、美濃七流の中でも特に繁栄した「善定派」の祖とされています。 美濃伝の大きな特徴は、直調の刃文の中に「尖り刃」が混じる点や、乱れ刃の中に白い「映り」が立つ点にあります。美濃伝は鎌倉時代末期(1280年〜1330年頃)の大和伝を源流とし、室町時代(1333年〜1573年)に全盛期を迎え、江戸時代までその伝統が続きました。 特に戦国時代、美濃伝は武器としての需要の高まりから大いに繁栄しました。美濃国は地理的にも要所に位置しており、明智光秀が美濃を治め、織田信長が尾張を、徳川家康が駿河を拠点とするなど、有力な戦国大名やその家臣たちからの需要が絶えませんでした。また、関東と京都の中間に位置していたため、各地の大名にとって注文がしやすかったという背景もあります。美濃の刀は実用性に富み、その切れ味の良さから多くの武将に愛用されました。 【太刀について】 本作は、その体配から日本美術刀剣保存協会により「太刀」として鑑定されています。 太刀は平安時代から室町時代初期にかけて発展した形式で、主に騎馬戦を主とする甲冑武者によって用いられました。反りが深く、比較的長寸であるため、馬上から振り下ろす際に威力を発揮するよう設計されており、当時の戦闘様式を色濃く反映しています。 太刀は腰の左側に、刃を下に向けて吊るす「佩用(はいよう)」という形で身につけます。この装着法により、抜刀から斬りつけまでをスムーズに行うことができ、馬上から地上の敵を攻撃する際にも極めて有効でした。 鎌倉時代から南北朝時代にかけて、太刀は侍階級の主要な武器となりました。戦場での実用性のみならず、権威や地位の象徴としても重んじられ、武士の誇りとアイデンティティを象徴する存在でした。 本刀は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)より「保存刀剣」として鑑定されています。この鑑定書は、美術的価値が高く、保存状態の良い本物の日本刀に対してのみ発行されるものです。 ※本作には僅かな鍛え傷がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):68.1 cm 反り(Sori):0.9 cm 刃文(Hamon):(以下、原文に準ずる)




























美濃伝 · 美濃
現在160点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
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