戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
特別保存刀剣鑑定書付 銘 兼常 刀 【解説】 本作は「兼常」の銘が切られた一振りです。古記録によれば、室町初期から江戸初期(1394年〜1644年)にかけて、数代の「兼常」を名乗る刀工が活躍していますが、本作はその作風から室町時代後期の兼常によるものと推測されます。 初代兼常は、もともと大和国(奈良県)の出身で、応永年間(1394年〜1428年)に美濃国へ移住したと伝えられています。以来、兼常の系譜は代々繁栄し、その名は「孫六兼元」や「和泉守兼定」といった名工たちと並び称されるほどの評価を得るに至りました。 美濃伝の作風は、鎌倉時代末期の大和伝を源流とし、室町時代に全盛を迎え、江戸時代まで続きました。その特徴は、直調のなかに美濃特有の「尖り刃」が交じる乱れ刃や、地鉄に現れる白く霞んだような「映り」にあります。 特に戦国時代、美濃伝は武器としての需要の高まりから空前の繁栄を遂げました。美濃国は、明智光秀が治めた美濃、織田信長の尾張、徳川家康の駿河といった有力大名たちの領地に隣接しており、これら有力武将やその家臣団からの注文が絶えませんでした。また、関東と京を結ぶ要所に位置していたことも、美濃刀が広く普及した要因の一つです。実戦における切れ味と堅牢さにおいても、美濃の刀は極めて高い信頼を得ていました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは、保存状態が極めて良好で、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 ※刀身に僅かな薄錆がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):71.6 cm 反り(Sori):1.6 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本刀の茎には、赤錆を防ぐために意図的に「黒錆」が残されます。この経年による錆色は、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などから構成される刀装具一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し、装飾する一対の金具。 本作の縁頭には、金布目象嵌(きんぬのめぞうがん)の技法を用いて雲文様が施されています。金布目象嵌とは、金属の表面に細かな格子状の溝を刻み、そこに金を打ち込む伝統技法で、精緻で気品ある輝きが特徴です。 古来より雲は雨や雪をもたらし、天候を左右する超自然的な力の象徴とされてきました。雲の中には神仏や精霊、あるいは龍が棲むと信じられており、特に龍は水神として崇められてきました。刀装具において龍と雲の意匠が頻繁に組み合わされるのは、こうした信仰に基づいたものと考えられます。雲文様は、古くから瑞兆(吉兆)を表す文様として尊ばれてきました。


























美濃伝 · 美濃 · 1521-1528頃
藤代 Jo saku
現在1点販売中
兼常の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在160点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
特別保存刀剣鑑定書付 銘 兼常 刀 【解説】 本作は「兼常」の銘が切られた一振りです。古記録によれば、室町初期から江戸初期(1394年〜1644年)にかけて、数代の「兼常」を名乗る刀工が活躍していますが、本作はその作風から室町時代後期の兼常によるものと推測されます。 初代兼常は、もともと大和国(奈良県)の出身で、応永年間(1394年〜1428年)に美濃国へ移住したと伝えられています。以来、兼常の系譜は代々繁栄し、その名は「孫六兼元」や「和泉守兼定」といった名工たちと並び称されるほどの評価を得るに至りました。 美濃伝の作風は、鎌倉時代末期の大和伝を源流とし、室町時代に全盛を迎え、江戸時代まで続きました。その特徴は、直調のなかに美濃特有の「尖り刃」が交じる乱れ刃や、地鉄に現れる白く霞んだような「映り」にあります。 特に戦国時代、美濃伝は武器としての需要の高まりから空前の繁栄を遂げました。美濃国は、明智光秀が治めた美濃、織田信長の尾張、徳川家康の駿河といった有力大名たちの領地に隣接しており、これら有力武将やその家臣団からの注文が絶えませんでした。また、関東と京を結ぶ要所に位置していたことも、美濃刀が広く普及した要因の一つです。実戦における切れ味と堅牢さにおいても、美濃の刀は極めて高い信頼を得ていました。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは、保存状態が極めて良好で、かつ美術的価値が高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 ※刀身に僅かな薄錆がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):71.6 cm 反り(Sori):1.6 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本刀の茎には、赤錆を防ぐために意図的に「黒錆」が残されます。この経年による錆色は、専門家が製作年代を推定する際の重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などから構成される刀装具一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し、装飾する一対の金具。 本作の縁頭には、金布目象嵌(きんぬのめぞうがん)の技法を用いて雲文様が施されています。金布目象嵌とは、金属の表面に細かな格子状の溝を刻み、そこに金を打ち込む伝統技法で、精緻で気品ある輝きが特徴です。 古来より雲は雨や雪をもたらし、天候を左右する超自然的な力の象徴とされてきました。雲の中には神仏や精霊、あるいは龍が棲むと信じられており、特に龍は水神として崇められてきました。刀装具において龍と雲の意匠が頻繁に組み合わされるのは、こうした信仰に基づいたものと考えられます。雲文様は、古くから瑞兆(吉兆)を表す文様として尊ばれてきました。


























美濃伝 · 美濃 · 1521-1528頃
藤代 Jo saku
現在1点販売中
兼常の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在160点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.