応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
この刀は千代鶴(Chiyozuru)派の刀工の作と伝えられています。南北朝時代末期から室町時代初期(14世紀後半から15世紀前半)に鍛錬されたものと推定されます。 千代鶴派 千代鶴派の開祖は國安(Kuniyasu)です。國安は、来国俊(Rai Kunitoshi)の弟である国松(Kunimatsu)の孫であったと言われています。来国俊は山城国(京都)で最も有名な刀工の一人でした。 國安は越前来派の著名な人物として知られています。國安は山城国で刀を打っていましたが、越前国へ移り、千代鶴派を興しました。千代鶴(Chiyozuru)という名は、國安の幼名が千代鶴丸であったことに由来します。 この流派は南北朝時代末期から室町時代初期(14世紀後半から15世紀前半)にかけて繁栄しました。 来派と山城国 山城国は山城伝(YAMASHIRO-DEN)と呼ばれる作刀様式で有名でした。山城伝の起源は、都が奈良から京都へ移された平安時代(794年)まで遡ります。山城国の刀工たちは、当初は公家や皇族のために刀を鍛えることで繁栄しました。その後、武家政権が日本を統治するようになると、大名のためにも刀を鍛えました。この地域からは非常に多くの名工が輩出されています。 山城伝の開祖は三条宗近(Sanjo Munechika)であると言われています。そして、この地域には7つの名門流派があります。その一つである来派は、山城伝の中でも最も権威ある流派の一つです。そして、千代鶴派の刀工によって打たれた刀には、来派の特色が見られます。 流派名の意味 千代(Chiyo)は千年間を意味し、鶴(Zuru/Tsuru)は日本語でcraneを意味します。千代鶴という名は、日本語で非常に縁起が良い響きを持っています。そのため、この流派によって鍛えられた刀は、古来より結婚式などの儀式や行事で人気がありました。 「鶴は千年、亀は万年」という諺があります。鶴は千年の寿命を持つと言われており、そのため鶴と亀は古くから長寿の象徴とされてきました。また、鶴はつがいの仲が良いことから、夫婦円満を表します。 この刀は、NBTHK(日本美術刀剣保存協会)より保存刀剣(Hozon Token)として鑑定されています。 縁頭 縁の部分には波文様が彫られています。目貫の項目で述べるように(下の説明をご確認ください)、この柄(handle)の目貫のモチーフも波文様に関連しています。同じモチーフを組み合わせることで、柄全体の外観に統一感を持たせています。 波の動きは絶え間なく続くため、人々は波文様が永遠、不老不死、長寿、誕生などを表すと考えてきました。また、潮の満ち引きが岩の形や地形を繰り返し変えることから、このモチーフを用いることで強い意志を願う人もいました。人々は、諦めることなく何度でも挑戦する不撓不屈の精神を願い、この文様を用いました。このモチーフはそのダイナミックなデザインゆえに重宝されてきました。特に男性の着物(日本の伝統衣装)で好まれています。 柄と目貫 この目貫のデザインは波千鳥(Nami Chidori)文様と呼ばれています。波と小さな鳥の組み合わせです。日本語でNamiは波、Chidoriは千鳥(plovers)を意味します。本作では、鳥は金色で彩られ、良好な状態を保っています。細部は丁寧に彫り込まれており、羽の一枚一枚の向きまで見て取れるほどです。波も細密に描写されており、作者の高い技術を楽しんでいただけるものと思います。 波千鳥文様は、夫婦円満や家内安全を表します。日本では奈良時代(648-781)以来、縁起の良いデザインとして扱われてきました。波は世間に例えられ、荒波(困難や悩み)があってもパートナーと共に乗り越えていくという決意を表しています。また、千鳥文様は勝利や目標達成の祈願としても用いられます。 鍔と鎺 小柄穴のあるアンティークの鍔です。この鍔には金銀象嵌などの装飾的な飾りはありません。しかし、そのシンプルなデザインのおかげで、この鍔を柄に装着した際、他の刀装具ともよく調和します。また、華やかな見た目ではなく、この鍔の素材自体の質感を味わうことができるでしょう。 鑑定書 平成23年(2011年)8月17日に刀を鑑定しています。日本社会にとって保存する価値のある刀として、保存刀剣に鑑定されました。



















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山城伝 · 越前
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千代鶴派は越前を本拠とした一門である。説示によれば、その祖は来国安に求められる。来国安は生国を山城とし、一説に来国末の孫といい、のちに越前へ移住して千代鶴派の祖となったと伝え、銘鑑はその年代を貞治の頃とする。あわせて越前には来国安の弟子と伝える千代鶴国安なる工があり[[c:1]]、これを祖とする伝えもあって、時代を同じく貞治の頃という。いずれにせよ一門は山城の来派を源流に置き、これを越前の地に移したものとして説示は位置づけている。以後この派は室町期まで続き、国安系の守弘が現れる。守弘は同名に複数代があり、銘鑑は初代を応永、二代を嘉吉あるいは文安の頃とし、藤左衛門尉と称した者もあるという。さらに越前敦賀の光行のごとく[[c:2]]、一説に越前国行の門と伝える年紀作の工も説示に名を連ねる。 作風は、来派を承けた地刃に越前という地方色が加わる点に特徴がある。鍛えは板目に杢目や流れ肌を交え、総じて肌立ちごころとなり、地沸が厚くつき、地景がしきりに入り、白けごころを帯び、鉄色がやや黒みがかるものがある。刃文は来国安に擬せられる一類では中直刃を基調に小互の目を交え、足が入り、刃縁にほつれ・喰違刃・二重刃が現れ、沸がよくついて匂口が明るい。一方、守弘ら国安系の作では互の目調の乱れ刃となり、丁子ごころや尖りごころの刃を交え、飛焼が入り、棟焼がしきりにかかり、砂流し・金筋がかかって地刃ともによく沸づくものが目立つ。帽子は直ぐごころに小丸となるもの、乱れ込んで掃きかけるもの、焼き詰めるものなど作により変化する。見分けにあたっては、肌立ちと白けごころ、黒みがかる鉄色、帽子に見える野趣ある働きなどが手掛かりとなる。 鑑定では、一見すると山城本国の来国光あたりにも見えるが、注視すれば地刃の出来に一歩を譲り、肌立ちが強く帽子の働きが本国以上に野趣を示すところに、来国安の極めが首肯される、と説示はくり返し述べる。守弘の作は互の目調の乱れ刃で地刃ともによく沸え、来風とは趣を異にするとされ、有銘作が珍重される。代表的な遺例としては、無銘ながら身幅広く大鋒に結ぶ南北朝期の姿を示す来国安極めの刀、互の目調の乱れ刃を焼いた守弘の太刀や年紀ある脇指、越前敦賀の光行の年紀短刀などが説示に挙げられる。現存する作刀は少なく、来派の正系を越前に伝えた一門として位置づけられている。 詳しく見る →
室町時代
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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