南北朝の戦乱は、山城の精緻を支えた公家社会を疲弊させた。来派最後の巨匠たちをもって古典の系譜は閉じ、長谷部と信国が新しい相州風を都に持ち込んでいる。
藤島友重は、来国俊の子とも伝え、越前国藤嶋に移り住み、藤島派の祖となった。その名跡は、江戸時代まで脈々と続いている。 この刀は、南北朝から室町初期の三代あたりの作と思われ、身幅広く、浅く反りが付く姿で、小板目肌つみ、流れ肌交じり、地景細かく入り、映りの立つ美しい地鉄に、のたれに、小互の目交じり、湯走り・飛焼き頻りにかかり、足入り、小沸つき、金筋掛る。江戸時代の旧鞘が残る和歌山882番、紀州徳川家伝来の名品である。

山城伝 · 越前 · 1324-1326頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位14%
現在1点販売中
藤島友重は、加賀国藤島派の刀工である。文献的には来国俊の門人と伝えられるが、作風年代より検討の余地があるとされる。同銘は鎌倉末期から新刀期まで存在し、初代は建武頃、二代は貞治、三代は応永と伝えられる。現存するものでは応永年紀のものが最も古いが、作風からは南北朝期、あるいはそれ以前に遡ると鑑せられるものも存在する。初代友重は来国俊の門人とする説があるが、短刀に見る時代、作風はそれを裏付けるものがある。
友重の作風は、板目鍛えに杢目が交じり、総体に流れて肌立ちごころとなる地鉄に特徴がある。地沸つき、地景が入り、地鉄の色合いは金気があり、黒味を帯びる。刃文は直刃、湾れ、互の目など多様であり、互の目が連れて頻りに砂流しがかかる作が見られる。刃縁はほつれ、匂深く沸づき、金筋が入るものもある。帽子はほつれて掃きかけ、先尖って深く返るものや、小丸で僅かに返り、裏掃きかけて金筋がかかるものなどがある。茎仕立ては生ぶで、先は刃上がり栗尻、鑢目は勝手下がりとなる。太刀においては、乱映りが立ち、刃文は互の目乱で物打より先焼幅が広くなり一枚帽子となる作がある。
友重の作は、地刃の出来が良いものが多く、資料的にも貴重である。特に、板目が流れた地鉄にのたれを主体としてほつれ、砂流しが頻りにかかった作は、地刃に沸が強く、焼落も見られ、友重の作としては最も古いものと思われる。古書には「自然、細直ぐに焼き、地肌細かにして新藤五かたぎに出来ること多し」[[c:1]]とあるが、直刃の途中に足先が尖って入っている点は、この刀工の見逃せない特徴である。作風から一脈大和物と結び付けられる感もある。
友重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 加賀
現在21点販売中
藤島派は加賀国藤島の地に興り、北陸道にあって数代を重ねた一門である。その祖にして代表工が友重で、名跡は南北朝末から室町を経て近世にまで及び、現存する年紀作のうち最も古いものは応永二年の短刀である。構成員の解説はいずれも、初代を山城の来国俊の門人、あるいは同国真景の門とする古伝を載せながらこれを疑い、作風の上で来国俊に結ばれず、年代の上で真景にも肯定し難いとして、茎仕立と地刃よりすればむしろ大和物の系統、大和尻懸の手に近いものと判ずる。南北朝期を遡る作はみないとされ、初代は建武の頃、二代は貞治、三代は応永と伝える説もあるが、構成員はおおむね各作を一個人の経歴にではなく、固定した同派の特質に照らして鑑する。北陸の地にあって、同派は越中・越前の工と気脈を通じ、美濃と大和の風を受けた古刀の一門として立つ。 作風の眼目はその地鉄にある。板目に杢を交え、流れごころに肌立って、地沸つき地景入り、かねは際立って黒みをおびる。構成員はこれを同派一番の見どころとして、地鉄が肌立ちごころで黒みを帯びることを北国物の徴とし、ある作には白気映りが淡く立つと記す。山城のようなつんだ小板目には締まらず、槍・薙刀や磨上の太刀では柾目に寄った肌となって、その地に大和を素直に示す。刃文はこの地に応えて自らの混在を示し、互の目乱れを基調に、箱がかった刃・尖り刃・角ばる刃をのたれ・小のたれとともに交える。これを構成員は備前気質と美濃風が混在した感のある乱れ刃と呼び、足やや長く入り、総体に沸づいて砂流しかかり金筋入り、処々に飛焼や二重刃を交え、帽子は直ぐまたは乱れ込んで小丸となり、しばしば掃きかける。短刀ではこの手が穏やかになり、鍛えは小板目につみ、焼刃は細直刃あるいは低い小のたれ・小互の目に小沸を交え、匂口はうるんでほつれ・湯走りを交えて、同派の大和の素地が最も素直に現れる。 鑑定の勘所は、大和を素地とする黒く肌立つかねの上に、備前・美濃を想わせる躁ぎ立つ焼刃を置くという取り合わせにある。互の目と長い足は備前の作に似るが、箱がかった刃と尖り刃、肌立つ黒い地、絶えずかかる砂流しが素直な備前丁子からこれを引き離し、柾に寄る地と黒いかねが真の山城・純然たる大和の作からもこれを隔てる。同派は売立や商家に時に現れる重要刀剣を遺し、銘はほぼ在銘で、藤嶋友重の四字銘が最も多く、友重の二字銘がこれに次ぎ、生ぶ茎の作が大半を占める。藤代は同工を中上作、あるいは古刀の中位に位置づける。中心となるのは応永頃の友重で、室町から後代にかけての作が最も多く現存する。白眉として、三鈷剣と妙見大菩薩の神号を彫った大身槍を同時代を代表する名槍とする評があり、太刀の遺例は数少なく取り立てられる。伝来は稲葉家に伝わった刀や皇室の御物に列する短刀があり、市場の品ではなく長く家に伝えられた重宝を含む。一口の黒いかねの作が北国一派の総体をその地に湛えるところに、同派の値はある。 詳しく見る →
南北朝時代の山城
南北朝の戦乱は、山城の精緻を支えた公家社会を疲弊させた。来派最後の巨匠たちをもって古典の系譜は閉じ、長谷部と信国が新しい相州風を都に持ち込んでいる。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。
藤島友重は、来国俊の子とも伝え、越前国藤嶋に移り住み、藤島派の祖となった。その名跡は、江戸時代まで脈々と続いている。 この刀は、南北朝から室町初期の三代あたりの作と思われ、身幅広く、浅く反りが付く姿で、小板目肌つみ、流れ肌交じり、地景細かく入り、映りの立つ美しい地鉄に、のたれに、小互の目交じり、湯走り・飛焼き頻りにかかり、足入り、小沸つき、金筋掛る。江戸時代の旧鞘が残る和歌山882番、紀州徳川家伝来の名品である。

山城伝 · 越前 · 1324-1326頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位14%
現在1点販売中
藤島友重は、加賀国藤島派の刀工である。文献的には来国俊の門人と伝えられるが、作風年代より検討の余地があるとされる。同銘は鎌倉末期から新刀期まで存在し、初代は建武頃、二代は貞治、三代は応永と伝えられる。現存するものでは応永年紀のものが最も古いが、作風からは南北朝期、あるいはそれ以前に遡ると鑑せられるものも存在する。初代友重は来国俊の門人とする説があるが、短刀に見る時代、作風はそれを裏付けるものがある。
友重の作風は、板目鍛えに杢目が交じり、総体に流れて肌立ちごころとなる地鉄に特徴がある。地沸つき、地景が入り、地鉄の色合いは金気があり、黒味を帯びる。刃文は直刃、湾れ、互の目など多様であり、互の目が連れて頻りに砂流しがかかる作が見られる。刃縁はほつれ、匂深く沸づき、金筋が入るものもある。帽子はほつれて掃きかけ、先尖って深く返るものや、小丸で僅かに返り、裏掃きかけて金筋がかかるものなどがある。茎仕立ては生ぶで、先は刃上がり栗尻、鑢目は勝手下がりとなる。太刀においては、乱映りが立ち、刃文は互の目乱で物打より先焼幅が広くなり一枚帽子となる作がある。
友重の作は、地刃の出来が良いものが多く、資料的にも貴重である。特に、板目が流れた地鉄にのたれを主体としてほつれ、砂流しが頻りにかかった作は、地刃に沸が強く、焼落も見られ、友重の作としては最も古いものと思われる。古書には「自然、細直ぐに焼き、地肌細かにして新藤五かたぎに出来ること多し」[[c:1]]とあるが、直刃の途中に足先が尖って入っている点は、この刀工の見逃せない特徴である。作風から一脈大和物と結び付けられる感もある。
友重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
山城伝 · 加賀
現在21点販売中
藤島派は加賀国藤島の地に興り、北陸道にあって数代を重ねた一門である。その祖にして代表工が友重で、名跡は南北朝末から室町を経て近世にまで及び、現存する年紀作のうち最も古いものは応永二年の短刀である。構成員の解説はいずれも、初代を山城の来国俊の門人、あるいは同国真景の門とする古伝を載せながらこれを疑い、作風の上で来国俊に結ばれず、年代の上で真景にも肯定し難いとして、茎仕立と地刃よりすればむしろ大和物の系統、大和尻懸の手に近いものと判ずる。南北朝期を遡る作はみないとされ、初代は建武の頃、二代は貞治、三代は応永と伝える説もあるが、構成員はおおむね各作を一個人の経歴にではなく、固定した同派の特質に照らして鑑する。北陸の地にあって、同派は越中・越前の工と気脈を通じ、美濃と大和の風を受けた古刀の一門として立つ。 作風の眼目はその地鉄にある。板目に杢を交え、流れごころに肌立って、地沸つき地景入り、かねは際立って黒みをおびる。構成員はこれを同派一番の見どころとして、地鉄が肌立ちごころで黒みを帯びることを北国物の徴とし、ある作には白気映りが淡く立つと記す。山城のようなつんだ小板目には締まらず、槍・薙刀や磨上の太刀では柾目に寄った肌となって、その地に大和を素直に示す。刃文はこの地に応えて自らの混在を示し、互の目乱れを基調に、箱がかった刃・尖り刃・角ばる刃をのたれ・小のたれとともに交える。これを構成員は備前気質と美濃風が混在した感のある乱れ刃と呼び、足やや長く入り、総体に沸づいて砂流しかかり金筋入り、処々に飛焼や二重刃を交え、帽子は直ぐまたは乱れ込んで小丸となり、しばしば掃きかける。短刀ではこの手が穏やかになり、鍛えは小板目につみ、焼刃は細直刃あるいは低い小のたれ・小互の目に小沸を交え、匂口はうるんでほつれ・湯走りを交えて、同派の大和の素地が最も素直に現れる。 鑑定の勘所は、大和を素地とする黒く肌立つかねの上に、備前・美濃を想わせる躁ぎ立つ焼刃を置くという取り合わせにある。互の目と長い足は備前の作に似るが、箱がかった刃と尖り刃、肌立つ黒い地、絶えずかかる砂流しが素直な備前丁子からこれを引き離し、柾に寄る地と黒いかねが真の山城・純然たる大和の作からもこれを隔てる。同派は売立や商家に時に現れる重要刀剣を遺し、銘はほぼ在銘で、藤嶋友重の四字銘が最も多く、友重の二字銘がこれに次ぎ、生ぶ茎の作が大半を占める。藤代は同工を中上作、あるいは古刀の中位に位置づける。中心となるのは応永頃の友重で、室町から後代にかけての作が最も多く現存する。白眉として、三鈷剣と妙見大菩薩の神号を彫った大身槍を同時代を代表する名槍とする評があり、太刀の遺例は数少なく取り立てられる。伝来は稲葉家に伝わった刀や皇室の御物に列する短刀があり、市場の品ではなく長く家に伝えられた重宝を含む。一口の黒いかねの作が北国一派の総体をその地に湛えるところに、同派の値はある。 詳しく見る →
南北朝時代の山城
南北朝の戦乱は、山城の精緻を支えた公家社会を疲弊させた。来派最後の巨匠たちをもって古典の系譜は閉じ、長谷部と信国が新しい相州風を都に持ち込んでいる。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。