説明

長さ72.9cm 反り2.7cm 目釘穴 1個 元幅3.15cm 先幅2.15cm 元重0.8cm 加賀国きっての名門陀羅尼派は、室町時代の初め此の地に居を構えた勝家を祖とします。 以降一族は着々と繁栄を築き、その系統は江戸時代まで連綿と続きます。 陀羅尼派の刀工は銘字に『勝』の字を用い、「勝家」「勝国」など字面からくる縁起の良さでも人気が高かったようです。 本作は室町時代後期、天正(1573年-1593年)ころに加賀で活躍した勝家です。 姿、鎬造り、庵棟、身幅広く、反り深く、先反りつき、中切先延びる。 鍛え、板目に流れごころ交じり、地沸つき、鎬地寄りに白け映り立つ。 刃文、互の目乱れ、焼き幅広く、丁子刃、尖り風の互の目交じり、小足・葉頻りにかかり、飛び焼き盛んにつく。 帽子、乱れ込み、一枚風となる。 茎、生ぶ、浅い勝手下がりの鑢目かかる。 天正年間は日本史の中でも激動の時代で、数多の激しい戦が行われたことで知られています。 鉄砲が戦の主力となり、それに伴い鎧が頑強に改良され、その鎧に対応すべく日本刀も大きな変化を強いられます。 長寸となり、身幅広く、切先が伸びるなど、それまでの片手打ちは姿を消し、大きく力強い姿と変貌を遂げます。 本作もまさに鉄砲伝来後の日本刀の特徴をよく備えており、勇壮でもの切れしそうなその姿からは戦国時代の臨場感がひしひしと伝わってきます。 江戸後期に作られた打刀拵が附属します。

勝家

勝家

¥1,200,000

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仕様

長さ

72.9 cm

反り

2.7 cm

元幅

3.15 cm

先幅

2.15 cm

流派について

Fujishima School藤島派

藤島派は加賀国藤島の地に興り、北陸道にあって数代を重ねた一門である。その祖にして代表工が友重で、名跡は南北朝末から室町を経て近世にまで及び、現存する年紀作のうち最も古いものは応永二年の短刀である。構成員の解説はいずれも、初代を山城の来国俊の門人、あるいは同国真景の門とする古伝を載せながらこれを疑い、作風の上で来国俊に結ばれず、年代の上で真景にも肯定し難いとして、茎仕立と地刃よりすればむしろ大和物の系統、大和尻懸の手に近いものと判ずる。南北朝期を遡る作はみないとされ、初代は建武の頃、二代は貞治、三代は応永と伝える説もあるが、構成員はおおむね各作を一個人の経歴にではなく、固定した同派の特質に照らして鑑する。北陸の地にあって、同派は越中・越前の工と気脈を通じ、美濃と大和の風を受けた古刀の一門として立つ。 作風の眼目はその地鉄にある。板目に杢を交え、流れごころに肌立って、地沸つき地景入り、かねは際立って黒みをおびる。構成員はこれを同派一番の見どころとして、地鉄が肌立ちごころで黒みを帯びることを北国物の徴とし、ある作には白気映りが淡く立つと記す。山城のようなつんだ小板目には締まらず、槍・薙刀や磨上の太刀では柾目に寄った肌となって、その地に大和を素直に示す。刃文はこの地に応えて自らの混在を示し、互の目乱れを基調に、箱がかった刃・尖り刃・角ばる刃をのたれ・小のたれとともに交える。これを構成員は備前気質と美濃風が混在した感のある乱れ刃と呼び、足やや長く入り、総体に沸づいて砂流しかかり金筋入り、処々に飛焼や二重刃を交え、帽子は直ぐまたは乱れ込んで小丸となり、しばしば掃きかける。短刀ではこの手が穏やかになり、鍛えは小板目につみ、焼刃は細直刃あるいは低い小のたれ・小互の目に小沸を交え、匂口はうるんでほつれ・湯走りを交えて、同派の大和の素地が最も素直に現れる。 鑑定の勘所は、大和を素地とする黒く肌立つかねの上に、備前・美濃を想わせる躁ぎ立つ焼刃を置くという取り合わせにある。互の目と長い足は備前の作に似るが、箱がかった刃と尖り刃、肌立つ黒い地、絶えずかかる砂流しが素直な備前丁子からこれを引き離し、柾に寄る地と黒いかねが真の山城・純然たる大和の作からもこれを隔てる。同派は売立や商家に時に現れる重要刀剣を遺し、銘はほぼ在銘で、藤嶋友重の四字銘が最も多く、友重の二字銘がこれに次ぎ、生ぶ茎の作が大半を占める。藤代は同工を中上作、あるいは古刀の中位に位置づける。中心となるのは応永頃の友重で、室町から後代にかけての作が最も多く現存する。白眉として、三鈷剣と妙見大菩薩の神号を彫った大身槍を同時代を代表する名槍とする評があり、太刀の遺例は数少なく取り立てられる。伝来は稲葉家に伝わった刀や皇室の御物に列する短刀があり、市場の品ではなく長く家に伝えられた重宝を含む。一口の黒いかねの作が北国一派の総体をその地に湛えるところに、同派の値はある。

刀剣商

成蹊堂

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