Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30

町彫 · Edo
現在3点販売中
横谷宗与は、初代横谷宗珉の養子であり、宗珉没後、家督を継ぎ、名門横谷の家名を守った。宗珉の作風をよく継承し、片切彫を得意としたが、高彫色絵にも高い技術を示している。晩年は照渓と号した。初代宗与と区別するために二代宗与、あるいは横谷宗興と呼ばれることもある。作風から実兄である英精との関連も指摘されている。活動年代は江戸時代中期、元禄十三年(1700年)に江戸で生まれ、享保十八年(1733年)に家督を継いだ。
宗与の作域は四分一磨地に片切彫工法のものが多く見られるが、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵工法の作柄も僅少ながら現存している。片切彫は、師父宗珉譲りの優れた技術を発揮しており、大胆で力強い片切彫に繊細な毛彫を配した鏨使いは構図の妙味と相俟って上手である。魚子地に高彫象嵌色絵の作には、横谷宗珉の後継者としての力量と品格を備えた見事な出来映えのものが多く見られる。作風には家彫の伝統の彫技が見られる一方、町彫の斬新さを加味して独自性を強調している点も看過できない。銘は「宗與(花押)」と楷書で力強くきっている。
宗与は、町彫と称される多くの金工が輩出した中で、群を抜いた存在であったと評される。横谷獅子と呼ばれる独特な獅子や岩牡丹を堂々とあらわした作は、宗珉よりはじまる同派得意のものである。高彫の鐔は宗与の作としては極めて稀であり、大形であることは貴珍である。総じて、宗与の作は、写生力と彫技に優れ、躍動感のある画面に仕上がっている。
宗與の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在105点販売中
横谷派は、江戸時代中期に横谷宗珉によって創始された装剣金工の一派である。宗珉は従来の後藤家の伝統的技法に加え、片切彫という新たな彫刻技法を確立し、四分一磨地に繊細な線刻表現を施す独自の様式を生み出した。その後、養子である二代宗興が享保十八年(一七三三)、三十四歳で家督を継承し、横谷派の技術的頂点を築いた。宗興は元禄十三年(一七〇〇)江戸生まれで、師父宗珉より優れた片切彫の技術を継承しつつ、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵を施す作風も展開した。 宗興の作域は四分一磨地に片切彫を施す作柄が多数を占めるが、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵を用いた作品も僅少ながら現存しており、いずれも横谷宗珉の後継者としての高い力量と品格を備えた見事な出来映えを示している。片切彫の作では、師父宗珉譲りの卓抜した技術を遺憾なく発揮し、細部にまで行き届いた精緻な彫刻表現において他の追随を許さない。高彫象嵌色絵の作では、人物の表情や手の仕草、衣の襞に至るまで丁寧かつ写実的に表現され、空間を巧みに利用した構図の計算性も高く評価される。福禄寿図や大森彦七図などの作品に見られる肉感的な描写と躍動感は、宗興の卓越した写実力と彫技の冴えを示す真骨頂といえる。 横谷派の技術は、宗興の門人である三宅英光(自立軒)や桂永寿らによって継承され、江戸時代後期まで高い水準を保った。英光は肥前長崎の出身とされ、横谷四代目宗与の門人となり江戸京橋に住して、赤銅魚子地に高彫金色絵の豪華な作風を展開した。桂永寿は久留米有馬藩の抱工として、目結や家紋を配した格調高い金具を制作し、大名家の儀式用拵に用いられた。横谷派の作品は、片切彫という独自の技法と、写実的かつ精緻な表現力によって、装剣金工史において重要な位置を占めている。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
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横谷宗与は、初代横谷宗珉の養子であり、宗珉没後、家督を継ぎ、名門横谷の家名を守った。宗珉の作風をよく継承し、片切彫を得意としたが、高彫色絵にも高い技術を示している。晩年は照渓と号した。初代宗与と区別するために二代宗与、あるいは横谷宗興と呼ばれることもある。作風から実兄である英精との関連も指摘されている。活動年代は江戸時代中期、元禄十三年(1700年)に江戸で生まれ、享保十八年(1733年)に家督を継いだ。
宗与の作域は四分一磨地に片切彫工法のものが多く見られるが、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵工法の作柄も僅少ながら現存している。片切彫は、師父宗珉譲りの優れた技術を発揮しており、大胆で力強い片切彫に繊細な毛彫を配した鏨使いは構図の妙味と相俟って上手である。魚子地に高彫象嵌色絵の作には、横谷宗珉の後継者としての力量と品格を備えた見事な出来映えのものが多く見られる。作風には家彫の伝統の彫技が見られる一方、町彫の斬新さを加味して独自性を強調している点も看過できない。銘は「宗與(花押)」と楷書で力強くきっている。
宗与は、町彫と称される多くの金工が輩出した中で、群を抜いた存在であったと評される。横谷獅子と呼ばれる独特な獅子や岩牡丹を堂々とあらわした作は、宗珉よりはじまる同派得意のものである。高彫の鐔は宗与の作としては極めて稀であり、大形であることは貴珍である。総じて、宗与の作は、写生力と彫技に優れ、躍動感のある画面に仕上がっている。
宗與の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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横谷派は、江戸時代中期に横谷宗珉によって創始された装剣金工の一派である。宗珉は従来の後藤家の伝統的技法に加え、片切彫という新たな彫刻技法を確立し、四分一磨地に繊細な線刻表現を施す独自の様式を生み出した。その後、養子である二代宗興が享保十八年(一七三三)、三十四歳で家督を継承し、横谷派の技術的頂点を築いた。宗興は元禄十三年(一七〇〇)江戸生まれで、師父宗珉より優れた片切彫の技術を継承しつつ、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵を施す作風も展開した。 宗興の作域は四分一磨地に片切彫を施す作柄が多数を占めるが、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵を用いた作品も僅少ながら現存しており、いずれも横谷宗珉の後継者としての高い力量と品格を備えた見事な出来映えを示している。片切彫の作では、師父宗珉譲りの卓抜した技術を遺憾なく発揮し、細部にまで行き届いた精緻な彫刻表現において他の追随を許さない。高彫象嵌色絵の作では、人物の表情や手の仕草、衣の襞に至るまで丁寧かつ写実的に表現され、空間を巧みに利用した構図の計算性も高く評価される。福禄寿図や大森彦七図などの作品に見られる肉感的な描写と躍動感は、宗興の卓越した写実力と彫技の冴えを示す真骨頂といえる。 横谷派の技術は、宗興の門人である三宅英光(自立軒)や桂永寿らによって継承され、江戸時代後期まで高い水準を保った。英光は肥前長崎の出身とされ、横谷四代目宗与の門人となり江戸京橋に住して、赤銅魚子地に高彫金色絵の豪華な作風を展開した。桂永寿は久留米有馬藩の抱工として、目結や家紋を配した格調高い金具を制作し、大名家の儀式用拵に用いられた。横谷派の作品は、片切彫という独自の技法と、写実的かつ精緻な表現力によって、装剣金工史において重要な位置を占めている。 詳しく見る →
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