横谷宗与は、初代横谷宗珉の養子であり、宗珉没後、家督を継ぎ、名門横谷の家名を守った。宗珉の作風をよく継承し、片切彫を得意としたが、高彫色絵にも高い技術を示している。晩年は照渓と号した。初代宗与と区別するために二代宗与、あるいは横谷宗興と呼ばれることもある。作風から実兄である英精との関連も指摘されている。活動年代は江戸時代中期、元禄十三年(1700年)に江戸で生まれ、享保十八年(1733年)に家督を継いだ。
宗与の作域は四分一磨地に片切彫工法のものが多く見られるが、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵工法の作柄も僅少ながら現存している。片切彫は、師父宗珉譲りの優れた技術を発揮しており、大胆で力強い片切彫に繊細な毛彫を配した鏨使いは構図の妙味と相俟って上手である。魚子地に高彫象嵌色絵の作には、横谷宗珉の後継者としての力量と品格を備えた見事な出来映えのものが多く見られる。作風には家彫の伝統の彫技が見られる一方、町彫の斬新さを加味して独自性を強調している点も看過できない。銘は「宗與(花押)」と楷書で力強くきっている。
宗与は、町彫と称される多くの金工が輩出した中で、群を抜いた存在であったと評される。横谷獅子と呼ばれる独特な獅子や岩牡丹を堂々とあらわした作は、宗珉よりはじまる同派得意のものである。高彫の鐔は宗与の作としては極めて稀であり、大形であることは貴珍である。総じて、宗与の作は、写生力と彫技に優れ、躍動感のある画面に仕上がっている。