Stock number:ME-020414Paper(Certificate):[N.B.T.H.K]Hozon TousouguCountry・Era:Edo eraOuka-Kizi-zu Menuki金無垢 銀無垢 容彫 象嵌置金色絵Left Width:3.34cmRight Width:3.6cmIn paulownia wood box河野春明は柳川直春の門人。春明は江戸時代後期の名工で人物図をはじめ、風景図、風物図などを得意とし、彫刻は至って精密であり奥深い重厚感ある世界を造り出しました。後藤を手本とした風格ある作品を残します。本作も精密さでは後藤の上作をしのぐ出来映えであり、春明の代表作品となる法眼・春明、在銘目貫です。良いものです。



春明
江戸
在銘
保存 (NBTHK)
町彫 · 武蔵
現在4点販売中
河野春明は、天明七年(1787年)に江戸で生まれ、横谷系の柳川直春に入門した。はじめ春任と名乗ったが、文化年中に春明と改名している。文政四・五年頃に法橋に任じられ、間もなく法眼に叙せられた。同時代に活躍した後藤一乗と並び称される江戸金工の代表者の一人であり、その活躍範囲は江戸に留まらず、文政頃には東北や北関東に遊歴して作品を遺し、晩年の嘉永・安政年間には越後地方に遊び、同地で歿している(安政四年没)。作には「於東羽亀ヶ崎」や「遊北越」などと添銘したものも見受けられる。多くの門弟を養育したことも特筆される。
春明の作風は、師である柳川直春の彫法を基盤としつつも、後藤家の作風を理想とした重厚な刀法が認められる。いわゆる「鳥の濡れ羽色」と称された良質の赤銅を用い、燦然たる金色をはじめとする種々の色金を駆使した色彩感覚に優れ、写実風の端麗な画面を示す高彫色絵の技法に長けている。赤銅魚子地の作品が多く、金、銀、赤銅、素銅、四分一などの色金を高彫や容彫で効果的に配し、金平象嵌などの技法も用いている。また、四分一石目地や四分一磨地といった地金も用いる。画題は人物、動物、故事など多岐にわたり、洒脱でユーモアを含んだ作風も特徴である。添えられた箱書から竜獅堂に所蔵されていた作品も確認できる。
春明の作は、江戸趣味に溢れた瓢逸さも見られ、時流に迎合した作風も有する。その作風は、横谷宗珉、後藤家という源流を基礎としつつ、独自の作域を見せている点に、幕末金工の一偉人たる所以がある。西の後藤一乗に対し「東の春明」と称され、その高い技術と芸術性は高く評価されている。
春明の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在56点販売中
柳川派は、江戸中期に興った町彫の一派であり、横谷家の門流に連なることから、審査説明においても「横谷門下柳川派」と一貫して位置づけられている。家祖柳川直政(元禄五年・一六九二〜宝暦七年・一七五七)は、吉岡因幡介および横谷宗珉に学び、江戸お玉ヶ池に住して一家を成した。直政は実子に恵まれなかったため門人の育成に心血を注ぎ、歴代当主は「直」の一字を継承している。二代直光ののち、直故の実子にして家祖直政の嫡孫にあたる直春は、生後まもなく父が急逝したため直光の後援指導を受けて修行し、寛政年間に直光が隠居すると柳川家三代目の家督を相続した。直春は実子の直連や河野春明らを輩出し、江戸の彫金界を盛り上げていった。 その作風は、横谷伝来の技法体系を基幹とする。すなわち赤銅魚子地に高彫(多くは据文)を施し、金・銀・四分一等の象嵌色絵を加える彫法を本領とし、片切彫にも優れた。作品は小柄・笄・縁頭・目貫・鐔を中心に、獅子牡丹・虎・唐人物などの古典的画題や福禄寿等の人物図を得意としている。なかでも直春の「以宗珉図」と銘した福禄寿図縁頭は、「高低差の大きい高彫象嵌色絵は実に見事で、宗珉に肉薄した出来映え」[[c:2]]と評され、的確に配置されて施された象嵌や色絵とあいまって、宗珉様式を規範として堅持した同派の姿勢を如実に物語っている。また師の名から一字を授かって名乗りとする師弟相伝の慣行も同派の特色であり、加藤直常や石黒政常らの銘にその跡をたどることができる。 柳川派の意義は、自派の作域にとどまらず、江戸後期の金工諸派を生み出した母体としての役割にある。柳川派の加藤直常に学んだ石黒政常は、直政の「政」と直常の「常」の各一字を組み合わせて政常と名乗り、「柳川家の作風を脱し、花鳥図に工夫を凝らし独自の作風を確立」して石黒家を興した。同家は明治まで代々栄え、その門下には双璧と称された政美・政明をはじめ、是常・政英・政広など多くの上手が名を連ねている。また柳川直光に師事した菊岡光行(寛延三年・一七五〇生)は菊岡派の創始者となり、「精巧堅実な彫法に定評がある」と称された。さらに直春門の河野春明の系流は、「師春明の作風をよく受け継いでいる」[[c:3]]と評される大石明親らを通じて幕末にまで及んだ。かくして柳川派は、赤銅魚子地高彫色絵に代表される横谷風の彫技を江戸金工界に広く伝播させた要枢の存在として、刀装具史上に確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
Stock number:ME-020414Paper(Certificate):[N.B.T.H.K]Hozon TousouguCountry・Era:Edo eraOuka-Kizi-zu Menuki金無垢 銀無垢 容彫 象嵌置金色絵Left Width:3.34cmRight Width:3.6cmIn paulownia wood box河野春明は柳川直春の門人。春明は江戸時代後期の名工で人物図をはじめ、風景図、風物図などを得意とし、彫刻は至って精密であり奥深い重厚感ある世界を造り出しました。後藤を手本とした風格ある作品を残します。本作も精密さでは後藤の上作をしのぐ出来映えであり、春明の代表作品となる法眼・春明、在銘目貫です。良いものです。



春明
江戸
在銘
保存 (NBTHK)
町彫 · 武蔵
現在4点販売中
河野春明は、天明七年(1787年)に江戸で生まれ、横谷系の柳川直春に入門した。はじめ春任と名乗ったが、文化年中に春明と改名している。文政四・五年頃に法橋に任じられ、間もなく法眼に叙せられた。同時代に活躍した後藤一乗と並び称される江戸金工の代表者の一人であり、その活躍範囲は江戸に留まらず、文政頃には東北や北関東に遊歴して作品を遺し、晩年の嘉永・安政年間には越後地方に遊び、同地で歿している(安政四年没)。作には「於東羽亀ヶ崎」や「遊北越」などと添銘したものも見受けられる。多くの門弟を養育したことも特筆される。
春明の作風は、師である柳川直春の彫法を基盤としつつも、後藤家の作風を理想とした重厚な刀法が認められる。いわゆる「鳥の濡れ羽色」と称された良質の赤銅を用い、燦然たる金色をはじめとする種々の色金を駆使した色彩感覚に優れ、写実風の端麗な画面を示す高彫色絵の技法に長けている。赤銅魚子地の作品が多く、金、銀、赤銅、素銅、四分一などの色金を高彫や容彫で効果的に配し、金平象嵌などの技法も用いている。また、四分一石目地や四分一磨地といった地金も用いる。画題は人物、動物、故事など多岐にわたり、洒脱でユーモアを含んだ作風も特徴である。添えられた箱書から竜獅堂に所蔵されていた作品も確認できる。
春明の作は、江戸趣味に溢れた瓢逸さも見られ、時流に迎合した作風も有する。その作風は、横谷宗珉、後藤家という源流を基礎としつつ、独自の作域を見せている点に、幕末金工の一偉人たる所以がある。西の後藤一乗に対し「東の春明」と称され、その高い技術と芸術性は高く評価されている。
春明の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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柳川派は、江戸中期に興った町彫の一派であり、横谷家の門流に連なることから、審査説明においても「横谷門下柳川派」と一貫して位置づけられている。家祖柳川直政(元禄五年・一六九二〜宝暦七年・一七五七)は、吉岡因幡介および横谷宗珉に学び、江戸お玉ヶ池に住して一家を成した。直政は実子に恵まれなかったため門人の育成に心血を注ぎ、歴代当主は「直」の一字を継承している。二代直光ののち、直故の実子にして家祖直政の嫡孫にあたる直春は、生後まもなく父が急逝したため直光の後援指導を受けて修行し、寛政年間に直光が隠居すると柳川家三代目の家督を相続した。直春は実子の直連や河野春明らを輩出し、江戸の彫金界を盛り上げていった。 その作風は、横谷伝来の技法体系を基幹とする。すなわち赤銅魚子地に高彫(多くは据文)を施し、金・銀・四分一等の象嵌色絵を加える彫法を本領とし、片切彫にも優れた。作品は小柄・笄・縁頭・目貫・鐔を中心に、獅子牡丹・虎・唐人物などの古典的画題や福禄寿等の人物図を得意としている。なかでも直春の「以宗珉図」と銘した福禄寿図縁頭は、「高低差の大きい高彫象嵌色絵は実に見事で、宗珉に肉薄した出来映え」[[c:2]]と評され、的確に配置されて施された象嵌や色絵とあいまって、宗珉様式を規範として堅持した同派の姿勢を如実に物語っている。また師の名から一字を授かって名乗りとする師弟相伝の慣行も同派の特色であり、加藤直常や石黒政常らの銘にその跡をたどることができる。 柳川派の意義は、自派の作域にとどまらず、江戸後期の金工諸派を生み出した母体としての役割にある。柳川派の加藤直常に学んだ石黒政常は、直政の「政」と直常の「常」の各一字を組み合わせて政常と名乗り、「柳川家の作風を脱し、花鳥図に工夫を凝らし独自の作風を確立」して石黒家を興した。同家は明治まで代々栄え、その門下には双璧と称された政美・政明をはじめ、是常・政英・政広など多くの上手が名を連ねている。また柳川直光に師事した菊岡光行(寛延三年・一七五〇生)は菊岡派の創始者となり、「精巧堅実な彫法に定評がある」と称された。さらに直春門の河野春明の系流は、「師春明の作風をよく受け継いでいる」[[c:3]]と評される大石明親らを通じて幕末にまで及んだ。かくして柳川派は、赤銅魚子地高彫色絵に代表される横谷風の彫技を江戸金工界に広く伝播させた要枢の存在として、刀装具史上に確固たる位置を占めている。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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