鉄地竪丸形 鋤出彫 金象嵌 打ち返し耳 町彫の大家、浜野派の創始者で名工として名高い浜野政隋の鍔です。 政隋は元禄九年(1696)生まれ、長じて奈良派の名工奈良利寿の門人となり、その後独立、兼隋、知隋等多くの門人を養成し、一門は幕末まで繁栄を続けています。 政隋は、高肉彫、薄肉彫、肉合彫から片切彫まであらゆる工法を熟し、広汎にわたる図柄を試み、それぞれに見事な作品を残しています。 老年になっても精巧な眼鏡を用い、決して門人に任せず細工を続けたと伝え、政隋の作品には駄作がなかったと言われています。また、金工の中では稀に見る漢学者であったといい、乙柳軒、味墨、半圭子等多くの号を持ち、それぞれの画題に合わせた号を用いているように思えます。 この鍔は、政隋の得意した特徴ある松を鋤出した作、中央には霞になぞらえて金の布目象嵌を散らし、裏は反対に松の幹の部分を彫り、中々粋に仕上げています。 この鍔は、特有の松の彫技を見せる、政隋晩年の数少ない名品の一つ、昭和鍔研究界の大家、笹野大行先生の遺愛の一つと伝えています。 落とし桐箱入り







町彫 · Edo
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浜野派は江戸時代中期に奈良利寿の門人であった浜野政隨を祖とする装剣金工の一派である。政隨は通称を太郎兵衛といい、奈良四天王の一人として高名を馳せ、江戸金工名譜に「世に雷鳴す」と評される逸材であった。乙柳軒・味墨・閑径・驪風堂・遊壺亭・穐峰斎・半圭子・一瞬庵など多くの別号を有し、多数の門人を育成して町彫の主要な門流を形成し一家をなした。四代正信は乙柳軒味墨の号を継承し、政隨の伝統を継承している。また越後村上出身の桂野赤文は、青年時代に出府して浜野家に学び、のちに遊洛斎の号を用いたことから京都での修業も推測され、庄内藩酒井家の抱え工として活躍した。 浜野派の技術は大胆な高肉彫・鋤出彫・肉合彫・片切彫等あらゆる技法に長じており、その技量は極めて高く評価される。政隨の作には金銀の芋継地に容彫で韋駄天疾駆鬼を表したものや、金無垢地に銀と赤銅の置金を施した容彫で仁王像を表したものがあり、肉取りが巧みで量感に富み、題材の力強さを見事に表現している。その彫口には後藤上代の作を範としたとみられる落ち着きある品格が備わっている。四代正信の作には虫尽総金具の大小拵があり、銀四分一の石目地に高彫と据文色絵を施した各種の虫の図が揃っており、華麗かつ入念な仕上がりを示している。 桂野赤文の作風は土屋安親を手本として研鑽を積んだことが知られ、鐔を多く制作し、鉄と赤銅の地金に高肉彫形式で色絵を施すことを得意とした。片切彫・肉合彫・象嵌等の技法も用い、銘文には郷里越後の書家亀田鵬斎流の草書体を用いている。波千鳥図鐔では安親を手本とした題材を鉄地に鋤出による高肉彫で堂々と表し、千鳥の眼と足にのみ金銀の象嵌を施して画面全体に締まりと動きを与えている。柔軟な鏨使いながらも力強さを感じさせるその彫口は赤文独特のものであり、桂野家史に「生気躍動」「巧緻」と評されるその作風を顕示している。 詳しく見る →
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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