名品 遊洛斎赤文 鐔 銘:遊洛斎(花押)赤文 縦:7.7cm 横:7.5cm 切羽台厚さ:5mm 状態: 極めて保存状態が良く、鉄地には手付かずの美しい錆色が残っています。 森の中から姿を現す熊が、立体感溢れる高彫で精緻に表現されています。 熊の眼には金、口元からのぞく二本の牙に至るまで細密に描写されており、鉄地に金・銀を配した絶妙な色彩のバランスは見事という他ありません。 鑑定: 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)重要刀装具 ※刀装具において「重要」の指定を受けることは極めて難しく、卓越した出来映えと高い資料的価値を備えた優品のみが合格となります。 伝来・歴史: 時代:江戸時代後期 庄内藩(現在の山形県)御抱工 赤文は越後国村上に生まれ、文政七年(1824年)に庄内へ移り、庄内藩主酒井家に仕えたと伝えられています。 鉄地、色金(軟金属)の双方を巧みに操る極めて多才な名工であり、その作品は稀少で、国内外のコレクターから垂涎の的となっています。 (寛政二年・1790年生、明治五年・1872年没) 本作は、珍しい八角形の形状に、類例の少ない「熊」という題材を扱った、赤文の個性が光る傑作です。 価格:お問い合わせください 【重要刀装具指定説明】 第46回重要刀装具審査(平成12年10月5日指定) 熊図鐔 銘:遊洛斎(花押)赤文 千葉県 田熊政治 氏(旧蔵) 寸法: 縦 7.8cm、横 7.4cm、耳際厚さ 0.5cm 形状・技法: 八角形、鉄地、槌目仕立、鋤出高彫、象嵌、色絵、打返鋤残耳、両小柄穂先穴(赤銅埋) 時代: 江戸時代後期 解説: 桂野赤文は寛政二年(1790年)越後国村上に生まれる。若くして故郷を離れ……
桂野赤文は寛政二年越後国村上で生まれ、青年時代に出府して浜野家に学んだと伝え、またその遊洛斎の号から京都 で修業したとも推測される。文政七年に庄内藩酒井家の抱え工となり、弘化二年以後鶴岡に定住し、明治八年同地で八十 七歳で歿している。彼の作は鐔が多く、地がねには鉄と赤銅を多用し、高肉彫形式で色絵を施すのを得意としており、 そ の他に片切彫・肉合彫・象嵌等もあり、銘文には郷里である越後の書家、亀田鵬斎流の草書体を用いている。 土屋安親を 手本として研鑽をつみ、 画題としては動物や鳥を好んで彫っている。 この鐔は鉄地で安親流の八角形の形状に、鋤出高彫で金銀の象嵌色絵を施し、表は森林に熊を、裏には瀧を配し、遠近 法を用いるなどして人里離れた山中奥深くに潜む熊の様態を巧みに表している。構図・彫法共に洗練味が高く、赤文の本 領が十分に示された作である。









赤文
江戸
出羽
在銘
重要 #46 (NBTHK)
桂野赤文は寛政二年越後国村上で生まれ、青年時代に出府して浜野家に学んだと伝え、またその遊洛斎の号から京都 で修業したとも推測される。文政七年に庄内藩酒井家の抱え工となり、弘化二年以後鶴岡に定住し、明治八年同地で八十 七歳で歿している。彼の作は鐔が多く、地がねには鉄と赤銅を多用し、高肉彫形式で色絵を施すのを得意としており、 そ の他に片切彫・肉合彫・象嵌等もあり、銘文には郷里である越後の書家、亀田鵬斎流の草書体を用いている。 土屋安親を 手本として研鑽をつみ、 画題としては動物や鳥を好んで彫っている。 この鐔は鉄地で安親流の八角形の形状に、鋤出高彫で金銀の象嵌色絵を施し、表は森林に熊を、裏には瀧を配し、遠近 法を用いるなどして人里離れた山中奥深くに潜む熊の様態を巧みに表している。構図・彫法共に洗練味が高く、赤文の本 領が十分に示された作である。
町彫 · 出羽 · 1670頃
現在4点販売中
桂野赤文は寛政二年(1790年)越後国村上に生まれ、青年時代に出府して浜野家に学んだと伝えられる。また、その遊洛斎の号から京都で修業したとも推測される。文政七年(1824年)に庄内藩酒井家の抱え工となり、弘化二年(1845年)以後鶴岡に定住し、明治八年(1875年)同地で八十七歳で歿している。
赤文の作は鐔が多く、地がねには鉄と赤銅を多用し、高肉彫形式で色絵を施すのを得意とする。その他に片切彫・肉合彫・象嵌等も見られる。銘文には郷里である越後の書家、亀田鵬斎流の草書体を用いている。土屋安親を手本として研鑽を積み、画題としては動物や鳥を好んで彫っている。作域は鐔にとどまらず、「赤文作の素銅亀の置物で、甲をはずせば盃となる」[[c:1]]といった置物も手掛けている。
赤文の作風は、安親流の八角形の形状に、鋤出高彫で金銀の象嵌色絵を施すなど、構成力、彫技ともに洗練されている点が特徴である。特に、動物を題材とした作品においては、遠近法を用いるなどして、その生態や情景を巧みに表現している。重要刀装具指定の十二支図揃金具においては、「あらゆる彫法や象嵌色絵の手法を駆使して製作」[[c:2]]しており、「作者の腕の冴えを十分に発揮した大作」[[c:3]]と評されている。鐔工としての評価が高い一方で、晩年には置物などの余技にも傑出した作品を残しており、その作域の広さを示している。
赤文の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在30点販売中
浜野派は江戸時代中期に奈良利寿の門人であった浜野政隨を祖とする装剣金工の一派である。政隨は通称を太郎兵衛といい、奈良四天王の一人として高名を馳せ、江戸金工名譜に「世に雷鳴す」と評される逸材であった。乙柳軒・味墨・閑径・驪風堂・遊壺亭・穐峰斎・半圭子・一瞬庵など多くの別号を有し、多数の門人を育成して町彫の主要な門流を形成し一家をなした。四代正信は乙柳軒味墨の号を継承し、政隨の伝統を継承している。また越後村上出身の桂野赤文は、青年時代に出府して浜野家に学び、のちに遊洛斎の号を用いたことから京都での修業も推測され、庄内藩酒井家の抱え工として活躍した。 浜野派の技術は大胆な高肉彫・鋤出彫・肉合彫・片切彫等あらゆる技法に長じており、その技量は極めて高く評価される。政隨の作には金銀の芋継地に容彫で韋駄天疾駆鬼を表したものや、金無垢地に銀と赤銅の置金を施した容彫で仁王像を表したものがあり、肉取りが巧みで量感に富み、題材の力強さを見事に表現している。その彫口には後藤上代の作を範としたとみられる落ち着きある品格が備わっている。四代正信の作には虫尽総金具の大小拵があり、銀四分一の石目地に高彫と据文色絵を施した各種の虫の図が揃っており、華麗かつ入念な仕上がりを示している。 桂野赤文の作風は土屋安親を手本として研鑽を積んだことが知られ、鐔を多く制作し、鉄と赤銅の地金に高肉彫形式で色絵を施すことを得意とした。片切彫・肉合彫・象嵌等の技法も用い、銘文には郷里越後の書家亀田鵬斎流の草書体を用いている。波千鳥図鐔では安親を手本とした題材を鉄地に鋤出による高肉彫で堂々と表し、千鳥の眼と足にのみ金銀の象嵌を施して画面全体に締まりと動きを与えている。柔軟な鏨使いながらも力強さを感じさせるその彫口は赤文独特のものであり、桂野家史に「生気躍動」「巧緻」と評されるその作風を顕示している。 詳しく見る →
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトPurchases are final and items cannot be returned unless otherwise stated.
名品 遊洛斎赤文 鐔 銘:遊洛斎(花押)赤文 縦:7.7cm 横:7.5cm 切羽台厚さ:5mm 状態: 極めて保存状態が良く、鉄地には手付かずの美しい錆色が残っています。 森の中から姿を現す熊が、立体感溢れる高彫で精緻に表現されています。 熊の眼には金、口元からのぞく二本の牙に至るまで細密に描写されており、鉄地に金・銀を配した絶妙な色彩のバランスは見事という他ありません。 鑑定: 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)重要刀装具 ※刀装具において「重要」の指定を受けることは極めて難しく、卓越した出来映えと高い資料的価値を備えた優品のみが合格となります。 伝来・歴史: 時代:江戸時代後期 庄内藩(現在の山形県)御抱工 赤文は越後国村上に生まれ、文政七年(1824年)に庄内へ移り、庄内藩主酒井家に仕えたと伝えられています。 鉄地、色金(軟金属)の双方を巧みに操る極めて多才な名工であり、その作品は稀少で、国内外のコレクターから垂涎の的となっています。 (寛政二年・1790年生、明治五年・1872年没) 本作は、珍しい八角形の形状に、類例の少ない「熊」という題材を扱った、赤文の個性が光る傑作です。 価格:お問い合わせください 【重要刀装具指定説明】 第46回重要刀装具審査(平成12年10月5日指定) 熊図鐔 銘:遊洛斎(花押)赤文 千葉県 田熊政治 氏(旧蔵) 寸法: 縦 7.8cm、横 7.4cm、耳際厚さ 0.5cm 形状・技法: 八角形、鉄地、槌目仕立、鋤出高彫、象嵌、色絵、打返鋤残耳、両小柄穂先穴(赤銅埋) 時代: 江戸時代後期 解説: 桂野赤文は寛政二年(1790年)越後国村上に生まれる。若くして故郷を離れ……
桂野赤文は寛政二年越後国村上で生まれ、青年時代に出府して浜野家に学んだと伝え、またその遊洛斎の号から京都 で修業したとも推測される。文政七年に庄内藩酒井家の抱え工となり、弘化二年以後鶴岡に定住し、明治八年同地で八十 七歳で歿している。彼の作は鐔が多く、地がねには鉄と赤銅を多用し、高肉彫形式で色絵を施すのを得意としており、 そ の他に片切彫・肉合彫・象嵌等もあり、銘文には郷里である越後の書家、亀田鵬斎流の草書体を用いている。 土屋安親を 手本として研鑽をつみ、 画題としては動物や鳥を好んで彫っている。 この鐔は鉄地で安親流の八角形の形状に、鋤出高彫で金銀の象嵌色絵を施し、表は森林に熊を、裏には瀧を配し、遠近 法を用いるなどして人里離れた山中奥深くに潜む熊の様態を巧みに表している。構図・彫法共に洗練味が高く、赤文の本 領が十分に示された作である。









赤文
江戸
出羽
在銘
重要 #46 (NBTHK)
桂野赤文は寛政二年越後国村上で生まれ、青年時代に出府して浜野家に学んだと伝え、またその遊洛斎の号から京都 で修業したとも推測される。文政七年に庄内藩酒井家の抱え工となり、弘化二年以後鶴岡に定住し、明治八年同地で八十 七歳で歿している。彼の作は鐔が多く、地がねには鉄と赤銅を多用し、高肉彫形式で色絵を施すのを得意としており、 そ の他に片切彫・肉合彫・象嵌等もあり、銘文には郷里である越後の書家、亀田鵬斎流の草書体を用いている。 土屋安親を 手本として研鑽をつみ、 画題としては動物や鳥を好んで彫っている。 この鐔は鉄地で安親流の八角形の形状に、鋤出高彫で金銀の象嵌色絵を施し、表は森林に熊を、裏には瀧を配し、遠近 法を用いるなどして人里離れた山中奥深くに潜む熊の様態を巧みに表している。構図・彫法共に洗練味が高く、赤文の本 領が十分に示された作である。
町彫 · 出羽 · 1670頃
現在4点販売中
桂野赤文は寛政二年(1790年)越後国村上に生まれ、青年時代に出府して浜野家に学んだと伝えられる。また、その遊洛斎の号から京都で修業したとも推測される。文政七年(1824年)に庄内藩酒井家の抱え工となり、弘化二年(1845年)以後鶴岡に定住し、明治八年(1875年)同地で八十七歳で歿している。
赤文の作は鐔が多く、地がねには鉄と赤銅を多用し、高肉彫形式で色絵を施すのを得意とする。その他に片切彫・肉合彫・象嵌等も見られる。銘文には郷里である越後の書家、亀田鵬斎流の草書体を用いている。土屋安親を手本として研鑽を積み、画題としては動物や鳥を好んで彫っている。作域は鐔にとどまらず、「赤文作の素銅亀の置物で、甲をはずせば盃となる」[[c:1]]といった置物も手掛けている。
赤文の作風は、安親流の八角形の形状に、鋤出高彫で金銀の象嵌色絵を施すなど、構成力、彫技ともに洗練されている点が特徴である。特に、動物を題材とした作品においては、遠近法を用いるなどして、その生態や情景を巧みに表現している。重要刀装具指定の十二支図揃金具においては、「あらゆる彫法や象嵌色絵の手法を駆使して製作」[[c:2]]しており、「作者の腕の冴えを十分に発揮した大作」[[c:3]]と評されている。鐔工としての評価が高い一方で、晩年には置物などの余技にも傑出した作品を残しており、その作域の広さを示している。
赤文の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在30点販売中
浜野派は江戸時代中期に奈良利寿の門人であった浜野政隨を祖とする装剣金工の一派である。政隨は通称を太郎兵衛といい、奈良四天王の一人として高名を馳せ、江戸金工名譜に「世に雷鳴す」と評される逸材であった。乙柳軒・味墨・閑径・驪風堂・遊壺亭・穐峰斎・半圭子・一瞬庵など多くの別号を有し、多数の門人を育成して町彫の主要な門流を形成し一家をなした。四代正信は乙柳軒味墨の号を継承し、政隨の伝統を継承している。また越後村上出身の桂野赤文は、青年時代に出府して浜野家に学び、のちに遊洛斎の号を用いたことから京都での修業も推測され、庄内藩酒井家の抱え工として活躍した。 浜野派の技術は大胆な高肉彫・鋤出彫・肉合彫・片切彫等あらゆる技法に長じており、その技量は極めて高く評価される。政隨の作には金銀の芋継地に容彫で韋駄天疾駆鬼を表したものや、金無垢地に銀と赤銅の置金を施した容彫で仁王像を表したものがあり、肉取りが巧みで量感に富み、題材の力強さを見事に表現している。その彫口には後藤上代の作を範としたとみられる落ち着きある品格が備わっている。四代正信の作には虫尽総金具の大小拵があり、銀四分一の石目地に高彫と据文色絵を施した各種の虫の図が揃っており、華麗かつ入念な仕上がりを示している。 桂野赤文の作風は土屋安親を手本として研鑽を積んだことが知られ、鐔を多く制作し、鉄と赤銅の地金に高肉彫形式で色絵を施すことを得意とした。片切彫・肉合彫・象嵌等の技法も用い、銘文には郷里越後の書家亀田鵬斎流の草書体を用いている。波千鳥図鐔では安親を手本とした題材を鉄地に鋤出による高肉彫で堂々と表し、千鳥の眼と足にのみ金銀の象嵌を施して画面全体に締まりと動きを与えている。柔軟な鏨使いながらも力強さを感じさせるその彫口は赤文独特のものであり、桂野家史に「生気躍動」「巧緻」と評されるその作風を顕示している。 詳しく見る →
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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