二つの朝廷が争った六十年、刀身は長大化し、長船がその需要に応えた。兼光と長義の工房は実際に戦う国人層の武士に仕え、軍勢とともに相州風が届いて相伝備前が生まれた。
Motomitsu was a swordsmith of the Bizen Osafune school active in the Nanboku-cho period, and is said to have been either a son or a disciple of Kanemitsu. The Nanboku-cho period of the Osafune school was characterized by many powerful, tachi-like works of the late Kamakura period, extremely large in both length and width. This piece follows the style of his master, Kanemitsu, and is a tachi osuriage made in the Nanboku-cho period. The condition of the sword is extremely excellent for being over 600 years old. The width is wide and the kissaki is large. The curvature is shallow, and the appearance is typical of Tachi swords made in the Nanboku-cho period. The hada is mokume mixed with itame and hamon is gunome mixed with midare. Utsuri of midare is also visible. The boshi has a large pointed arc. This piece is in such excellent condition that NBTHK is appraising it as an important sword. Please take this opportunity to acquire a genuine gem as your heirloom. Blade length: 65.9 cm Curvature: 1.0 cm Number of Mekugi hole: 3 Sakihaba: 25.6 mm Sakikasane: 3.8 mm Motohaba: 32.0 mm Motokasane: 5.1 mm Signature: No Signature Era: Koto Structure: Shinogi-zukuri, Iori-mune Jigane: Mokume with Itame Hamon: Gunome Midare Boshi: Omaru ni Kaeru Weight(without Saya): 550 g Nakago: Suriage Original Registration No.: Tokyo 259828 Please contact us if the katana you are looking for is not listed here.
基光は南北朝期の備前長船派の刀工で、兼光の子、或は門下と伝え、左兵衛尉に任じられている。現存する年紀作を みるに、文和から応安に及んでおり、彼の活躍期は明瞭である。 作風は兼光風を踏襲しているが、互の目を主調として、 様々な形の刃が交じるもの、片落ち互の目が主調のものなどが見られ、作位の点からすれば、少しく兼光に譲るところが る。 この刀は、身幅が広く、元先に幅差が少なく、重ね薄で、大鋒の姿を呈しており、典型的な南北朝期の大太刀を大きく 磨上げた形状を見せている。鍛えは板目に杢が交じり、直ぐ状の映りが立ち、刃文は角ばる互の目が目立ち、且つ乱れが やや小模様で、尖り刃等種々の刃を交えているなど、基光と鑑すべきものがあり、所伝は正しく首肯される。総じて保存 が良く、基光極めの佳品である。



















基光は南北朝期の備前長船派の刀工で、兼光の子、或は門下と伝え、左兵衛尉に任じられている。現存する年紀作をみるに、文和から応安に及んでおり、彼の活躍期は明瞭である。 作風は兼光風を踏襲しているが、互の目を主調として、様々な形の刃が交じるもの、片落ち互の目が主調のものなどが見られ、作位の点からすれば、少しく兼光に譲るところがる。 この刀は、身幅が広く、元先に幅差が少なく、重ね薄で、大鋒の姿を呈しており、典型的な南北朝期の大太刀を大きく磨上げた形状を見せている。鍛えは板目に杢が交じり、直ぐ状の映りが立ち、刃文は角ばる互の目が目立ち、且つ乱れがやや小模様で、尖り刃等種々の刃を交えているなど、基光と鑑すべきものがあり、所伝は正しく首肯される。総じて保存が良く、基光極めの佳品である。
Bizen Osafune (Kanemitsu lineage) · 備前 · 1342-1372頃
刀剣大鑑 上位11%
基光は南北朝時代の備前長船派の刀工で、兼光の子とも、その門下とも伝え、左兵衛尉に任じられている。現存する年紀作は康永から永和に及び、その活躍期は明瞭であって、説明書は徳川家に伝来した特別重要刀剣の太刀を「光の門人基光在銘の太刀である」[[c:1]]と端的に説き起こす。本工は十四世紀後半に兼光の作風を継承するが、彼をその一門に位置づける同じ説明書が、一門の内における本工の立場を画する慎重な一線をも引いている。
その手はまず刃文に読まれる。板目の地に互の目を主調とした乱れを焼き、その本体を兼光工房の鋸歯状の刃たる片落ち互の目とし、これに角張る刃・尖り刃・頭の角がかった浅い小のたれを交える。説明書はこの入り交じりを本工のものとして、徳川家の太刀について「本作のように互の目がめだち、しかも様々な形の互の目が入り交じる」[[c:2]]ところに彼の特色が見られるとする。この様相は諸重要刀剣の説明に繰り返され、一派の整然と連れる互の目と対をなす。足・葉入り、匂口締まりごころに明るく小沸つき、金筋・砂流しが刃中に働く。
その刃文の下の地鉄は終始変わらぬところである。板目に杢を交えてしばしば肌立ちごころとなり、地沸つき、地景細かに入り、地斑調の肌合を交えた地に乱れ映りが立ち、刃寄りにはしばしば直ぐ状の映りとなって、兼光と共有する長船の地鉄を見せる。帽子は乱れ込み、先尖りごころに小丸となって細かに掃きかける。短刀には棒樋、あるいは腰樋に添樋を掻き、一口には護摩箸を彫って、後期長船の静かな彫の語彙を示す。
記録は造込で明らかに分かれる。一方には在銘年紀の自作がある。備州長船基光と切る太刀、平造の脇指・短刀がそれで、生ぶで文和・貞治・応安に鮮明な年紀を残すものが数口あり、説明書はこれを「出来のよさは兼光に迫る感があり」[[c:3]]と評し、同工研究上の好資料として貴ぶ。他方には大磨上無銘の刀があり、身幅広く元先の幅差目立たず、中鋒の延びた南北朝の堂々たる姿で、時代と兼光伝より基光と極められる。説明書は本工在銘の太刀が比較的少ないことを記す。
本工を一門の他から分かつのは、まさに無銘作を首肯するときに極めの言うところである。判者は肌立った鍛えと片落ち互の目に交じる様々な形の刃に本工と擬すべき点を見出し、ある刀について「兼光一門にあって基光に最も擬すべきところがあり、極めは正しく首肯される」[[c:4]]と記す。しかしその作位については率直で、総じて「少しく兼光に譲るところがある」[[c:5]]とする。本工は工房の有能なる第二の手であって、その片落ち互の目を保ちつつ自らの込み入った様々な互の目を加え、無銘の極めは個性的な決め手というより一派と時代に拠る。
収集の観点では、記録の確かな、しかし数少ない後期長船の名である。刀工大鑑はこれを中の上に評し、その鑑賞上の記録は数よりも年紀の鮮明な在銘作の確かさに拠る。国宝はなく、その立場は一口の重要文化財、すなわち東京・三井文庫が蔵する在銘の太刀と、一口の特別重要刀剣、および重要刀剣の一群、特別重要刀剣・重要刀剣の級を合わせて三十八口に拠る。伝来は良く、特別重要刀剣の太刀は徳川家に伝わり、説明書はこれを「大徳川家に伝来した基光の優品である」[[c:6]]と称える。本阿弥光忠の手と思われる金象嵌銘を負う一口は、本間家旧蔵を経て佐野美術館が蔵する。指定を受けた基光の作の多くは伝えられて市場には出ず、在銘の作が世に現れるのは時折のことであって、現れたときそれは、兼光工房が南北朝の世に長船をいかに継いだかを語る、年紀の確かな精密な記録である。
基光の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 相伝備前· 1330–1394
現在188点販売中
相伝備前 相伝備前とは、南北朝時代の備前国長船派にあって、相州伝の作風を加味した一群の刀工およびその作風期を指す呼称である。景光に続く長船派の嫡流たる兼光をはじめ、兼光と並んで傑れた技術を示すとされる長義、その門と伝える兼長、兼光門下の一人にして一説に兼光の弟とも伝える倫光、さらに兼光や長義とは別系統で青江気質を窺わせる元重、長船傍系と目される義景など、多くの備前鍛冶がこの時期に活躍した。兼光の現存する年紀作は鎌倉時代末期の元亨元年から南北朝期の貞治に及ぶ約四十五年に亘り、その南北朝時代初期の康永頃までの作は姿が尋常で父景光風を踏襲した感があるが、貞和・観応頃から姿が大柄となり、それまでになかったのたれ主調の刃文が出現する。長義は「備前刀の中で最も備前ばなれした刀工は長義也」と古来称され、相州伝を強く加味した作風で知られる。長船における正系の技量を継承しつつ、隣国相模の作風を取り込んだ点に、この作風期の独自性が存する。 作風は、まず体配において南北朝期の時代色を色濃く反映する。身幅が広く元先の幅差が目立たず、重ね頃合、大鋒に結ぶ堂々たる姿で、延文・貞治頃を最盛期とする雄渾なる体配を示す。鍛えは板目に杢を交え、総じてよく錬れて地沸つき、地景入り、乱れ映りが立つのを常とする。この乱れ映りは、相州伝の色彩を帯びながらも備前気質を表出する標識であり、相伝備前と鑑する重要な拠所となる。刃文は兼光・倫光においてはおおどかなのたれを主調に互の目・小互の目・角ばる刃・尖りごころの刃などを交え、匂勝ちに小沸つき、単調とならず変化を見せる。一方、長義・兼長においては、のたれ基調に丁子風の刃や腰開きの刃を交えて大模様に華やかに乱れ、よく沸づき、金筋・砂流し頻りにかかり、湯走り・飛焼を見せるなど、地刃の沸が一段と強い出来口を示す。元重は鍛えに流れ柾や地斑を交え、刃文に角ばる互の目が目立ち、逆がかり、逆足・葉を交えて帽子が尖るなど、青江気質を窺わせる点に同工一派の見どころがある。 評価としては、相州伝の影響が単に備前の伝統を駆逐したのではなく、長船の作域を著しく拡大せしめた点に、この作風期の歴史的意義が認められる。精錬の良さは際立ち、肌模様に緩みや荒れが看取されず、長船派棟梁としての鍛錬の妙味が遺憾なく発揮されている。匂口は明るく冴え、保存状態の健全な作が多く、備前の華やかさと強さを存分に堪能できる。兼光が先駆けたおおどかな乱れ、長義の放胆にして個性的な大乱れは、いずれも南北朝期長船を代表する達成として賞される。在銘の年紀作に乏しく無銘の極め物が多いものの、年紀を有する生ぶ茎の遺存例は資料的価値が頗る高く、後世には『集古十種』所載の名品や本阿弥折紙を伴う伝来品も知られる。相伝備前は、備前と相州という二大伝法が融合した到達点として、日本刀の歴史に重きをなすものである。 詳しく見る →
南北朝時代の備前
二つの朝廷が争った六十年、刀身は長大化し、長船がその需要に応えた。兼光と長義の工房は実際に戦う国人層の武士に仕え、軍勢とともに相州風が届いて相伝備前が生まれた。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,348口(約202口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトAs a general rule, returns/exchanges are not accepted on Japanese sword orders unless damaged upon delivery. Other items: returns/exchanges accepted within 7 days of delivery. Cancellation for personal reasons incurs a 30% restocking fee (70% refunded). Return shipping must be prepaid and insured by the buyer; shipping/handling fees are non-refundable. Contact katana@tozando.co.jp to initiate a return.