国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
特別保存刀剣鑑定書付 備前国住長船春光(元亀二年)短刀 【解説】 概要 本作は元亀二年(1571年:室町時代後期)、備前国住長船春光(びぜんのくにじゅうおさふねはるみつ)によって制作された一振りです。備前国は現在の岡山県にあたり、長船派は同国において室町時代に最も繁栄した流派の一つです。「春光」の名を冠する刀工は数代存在しますが、室町末期(1492年〜1569年頃)に備前国で活躍した刀工たちは、後世「末備前(すえびぜん)」と呼称されます。 室町時代は戦国時代の只中にあり、有力大名の間で武器としての刀剣需要が激増した時期でした。本作が打たれた元亀年間もまた、群雄割拠の動乱期にあたります。武士の注文により制作され、実際に戦場を駆け巡った可能性を秘めた、歴史の重みを感じさせる逸品です。 備前長船派の歴史 長船派は鎌倉時代中期の光忠(みつただ)を始祖と伝えます。備前国の中でも最大の勢力を誇り、時の権力者や名だたる武将から多くの注文を受けました。その作品は「長船物」として武士たちに深く愛用されました。 同派からは、長船三作と称される長光・真長・景光や、長船四天王と謳われる長光・兼光・長義・元重など、日本刀史に名を刻む名工が輩出されています。 備前国は中国山地に近く、原料となる砂鉄が豊富であり、さらに吉井川の良質な水と炭にも恵まれていました。この地政学的な利点が、高品質な鋼の精錬と作刀を可能にし、平安時代後期の「古備前」から続く一大拠点となりました。長船派は、これら古備前の伝統と技術を継承し、鎌倉中期以降に全盛期を迎えました。 本刀は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高い真作に対してのみ与えられる格付けです。 【刀身】 長さ(Nagasa):23.2 cm 反り(Sori):0.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 茎(Nakago): 日本刀の持ち手にあたる部分です。茎に付着した黒錆は、柄内部での赤錆の発生を防ぐ役割を果たします。この錆色や経年変化は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などから構成される外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の上下を保護する一対の金具。 本作の縁頭は、龍と波の図で構成されています。頭(かしら)には力強い龍の姿が、縁(ふち)および頭の周囲には荒波の意匠が彫り込まれています。龍は古来より神聖な想像上の生き物として尊ばれてきました。























Bizen Osafune (Sue-Bizen) · 備前 · 1533-1570頃
現在1点販売中
長船春光は刀に「春光」と銘し、十郎左衛門尉を称した。説明書は本工を、ひしめく同名工の筆頭に名指しで据える。末備前には春光と銘する数工があり、左衛門尉・五郎左衛門尉・孫十郎・次郎左衛門尉・五左衛門尉・左衛門七郎等の俗名を冠して銘し、その名は文明から文禄まで及ぶが、その中で説明書は「その中で十郎左衛門の名が最も知られ」[[c:1]]と記す。本工自身の年紀作は具体的で、十六世紀中葉に固まっている。天文二年(一五三三)の刀、天文十六年(一五四七)の刀、天文二十四年(一五五五)の刀、永禄四年(一五六一)の刀があり、いずれも生ぶで、長銘を有し、作者銘と年紀の双方を切る。本工は室町末期、すなわち俗に末備前と呼ぶ時期の長船工房に属し、村の諸工が共通の作域に作り、製作の年月を茎に切った。
本工の典型は、説明書自身が引く二つの作域に分かれ、その一は同派の典型たる腰開きの互の目乱れである。天文二十四年の刀では刃文が互の目乱れに腰開きの互の目を交え、総じて小模様の乱れに乱れ、足入り小沸つき、天文二年の刀ではその開いた互の目が広がって覇気を加える。すなわち小互の目を交え、飛焼かかり、沸出来にして処々地中へ沸崩れ、金筋・砂流し僅かにかかる。説明書はこれを「末備前特有の腰開きの互の目」[[c:2]]と呼び、本工の作を見る第一の手がかりとなる。帽子は焼刃に従い、最も充実した一口では乱れ込み小丸に掃きかけ、あるいは焼深く一枚風に長く返る。
この華やかな面に対するのが静かな直刃の作域で、鍛えはここに最もよく現れる。永禄四年の刀は小板目がよくつんで地によく約み、地沸こまかにつき、地に乱れ映りが立つ。末備前の刀には珍しい古備前の映りである。刃文は中直刃で腰に互の目を焼き、小足入り、匂口締りごころとなる。天文十六年の刀は広直刃調に僅かに小互の目を交え、刃中に小足・葉が現れ、よく練れて潤いのある板目に地沸が厚くつく。いずれの作域にも鍛えは一貫し、よく約んだ板目、時により約んだ小板目に、総体に地沸つき、天文二年の刀には地景が入る。この静かな手の帽子は焼深く直ぐに小丸に長く返る。
二つの作域は一代の前後する時期というより、同じ工が同じ二十年の間に併せ持った二つの手であり、年紀作はその間を行き来する。説明書は天文二十四年の刀を「十郎左衛門尉春光の代表作」[[c:3]]と読み、その鍛えをよく約んだ板目に地沸つくとする。天文二年の刀を、腰開きの互の目乱れが充実し総じて出来がよいことから「春光の傑作の部類の一口」[[c:4]]に数える。直刃の作のうち最も静かな天文十六年の刀については、とくにその鍛えを挙げて「とくに鍛えの優れた点が特筆される」[[c:5]]と記す。寸の詰まった永禄四年の刀は、その引き締まった姿とともに、地刃ともに同作中で出来のよい一口と読む。
春光は末備前の系譜に逆らうよりその中で理解される。一系の説明書は十郎左衛門尉春光を、次郎左衛門尉勝光の子たる次郎兵衛尉春光の子とし、十六世紀を通じて村を担った祐定・清光の諸家と並ぶ長船の主要な系譜の中に据える。本工は説明書が同派の典型と呼ぶ腰開きの互の目に作り、乱れにも直刃にも交じる小互の目が、細かく割れた小模様の刃を成して、古い長船本流の大きな丁子と室町末の手を分かつ。本工の指定作を末備前の量産から引き上げるのは鍛えであり、よく練れた板目に地沸が厚くつく質に説明書は賛辞を惜しまず、永禄四年の刀には末備前の一派が稀にしか留めぬ古備前の乱れ映りが遺存する。
本工の遺る指定作は少なく、悉く在銘で、第十五回から第三十七回にかけての重要刀剣に四口を遺す。国宝も重要文化財もなく、特別重要に上ったものもまだない。四口はいずれも長銘と年紀を天文・永禄の各代にわたって有し、僅かな作ながら甚だ読みやすい。すなわち一口ごとに年紀があり、いずれも生ぶで、四半世紀にわたる本工の手が読める。注目すべき伝来が一つ記録され、天文十六年の刀は「海軍元帥東郷平八郎の遺愛の一口」[[c:6]]、対馬の勝者東郷平八郎の愛蔵した一口であった。本工は収集家が稀にではなく時に出会う類の在銘末備前の名手であり、年紀・在銘の刀がその作の資料的中核を成す。その最も充実した一口は、腰開きの互の目乱れが充実し、鍛えが説明書のいう傑作の部類の域に練られて、末備前の諸工の中でも出来のよい一口であり、市場にはたまさか、根気とともに現れるに過ぎない。
春光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在237点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
室町時代の備前
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
特別保存刀剣鑑定書付 備前国住長船春光(元亀二年)短刀 【解説】 概要 本作は元亀二年(1571年:室町時代後期)、備前国住長船春光(びぜんのくにじゅうおさふねはるみつ)によって制作された一振りです。備前国は現在の岡山県にあたり、長船派は同国において室町時代に最も繁栄した流派の一つです。「春光」の名を冠する刀工は数代存在しますが、室町末期(1492年〜1569年頃)に備前国で活躍した刀工たちは、後世「末備前(すえびぜん)」と呼称されます。 室町時代は戦国時代の只中にあり、有力大名の間で武器としての刀剣需要が激増した時期でした。本作が打たれた元亀年間もまた、群雄割拠の動乱期にあたります。武士の注文により制作され、実際に戦場を駆け巡った可能性を秘めた、歴史の重みを感じさせる逸品です。 備前長船派の歴史 長船派は鎌倉時代中期の光忠(みつただ)を始祖と伝えます。備前国の中でも最大の勢力を誇り、時の権力者や名だたる武将から多くの注文を受けました。その作品は「長船物」として武士たちに深く愛用されました。 同派からは、長船三作と称される長光・真長・景光や、長船四天王と謳われる長光・兼光・長義・元重など、日本刀史に名を刻む名工が輩出されています。 備前国は中国山地に近く、原料となる砂鉄が豊富であり、さらに吉井川の良質な水と炭にも恵まれていました。この地政学的な利点が、高品質な鋼の精錬と作刀を可能にし、平安時代後期の「古備前」から続く一大拠点となりました。長船派は、これら古備前の伝統と技術を継承し、鎌倉中期以降に全盛期を迎えました。 本刀は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高い真作に対してのみ与えられる格付けです。 【刀身】 長さ(Nagasa):23.2 cm 反り(Sori):0.0 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 茎(Nakago): 日本刀の持ち手にあたる部分です。茎に付着した黒錆は、柄内部での赤錆の発生を防ぐ役割を果たします。この錆色や経年変化は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などから構成される外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の上下を保護する一対の金具。 本作の縁頭は、龍と波の図で構成されています。頭(かしら)には力強い龍の姿が、縁(ふち)および頭の周囲には荒波の意匠が彫り込まれています。龍は古来より神聖な想像上の生き物として尊ばれてきました。























Bizen Osafune (Sue-Bizen) · 備前 · 1533-1570頃
現在1点販売中
長船春光は刀に「春光」と銘し、十郎左衛門尉を称した。説明書は本工を、ひしめく同名工の筆頭に名指しで据える。末備前には春光と銘する数工があり、左衛門尉・五郎左衛門尉・孫十郎・次郎左衛門尉・五左衛門尉・左衛門七郎等の俗名を冠して銘し、その名は文明から文禄まで及ぶが、その中で説明書は「その中で十郎左衛門の名が最も知られ」[[c:1]]と記す。本工自身の年紀作は具体的で、十六世紀中葉に固まっている。天文二年(一五三三)の刀、天文十六年(一五四七)の刀、天文二十四年(一五五五)の刀、永禄四年(一五六一)の刀があり、いずれも生ぶで、長銘を有し、作者銘と年紀の双方を切る。本工は室町末期、すなわち俗に末備前と呼ぶ時期の長船工房に属し、村の諸工が共通の作域に作り、製作の年月を茎に切った。
本工の典型は、説明書自身が引く二つの作域に分かれ、その一は同派の典型たる腰開きの互の目乱れである。天文二十四年の刀では刃文が互の目乱れに腰開きの互の目を交え、総じて小模様の乱れに乱れ、足入り小沸つき、天文二年の刀ではその開いた互の目が広がって覇気を加える。すなわち小互の目を交え、飛焼かかり、沸出来にして処々地中へ沸崩れ、金筋・砂流し僅かにかかる。説明書はこれを「末備前特有の腰開きの互の目」[[c:2]]と呼び、本工の作を見る第一の手がかりとなる。帽子は焼刃に従い、最も充実した一口では乱れ込み小丸に掃きかけ、あるいは焼深く一枚風に長く返る。
この華やかな面に対するのが静かな直刃の作域で、鍛えはここに最もよく現れる。永禄四年の刀は小板目がよくつんで地によく約み、地沸こまかにつき、地に乱れ映りが立つ。末備前の刀には珍しい古備前の映りである。刃文は中直刃で腰に互の目を焼き、小足入り、匂口締りごころとなる。天文十六年の刀は広直刃調に僅かに小互の目を交え、刃中に小足・葉が現れ、よく練れて潤いのある板目に地沸が厚くつく。いずれの作域にも鍛えは一貫し、よく約んだ板目、時により約んだ小板目に、総体に地沸つき、天文二年の刀には地景が入る。この静かな手の帽子は焼深く直ぐに小丸に長く返る。
二つの作域は一代の前後する時期というより、同じ工が同じ二十年の間に併せ持った二つの手であり、年紀作はその間を行き来する。説明書は天文二十四年の刀を「十郎左衛門尉春光の代表作」[[c:3]]と読み、その鍛えをよく約んだ板目に地沸つくとする。天文二年の刀を、腰開きの互の目乱れが充実し総じて出来がよいことから「春光の傑作の部類の一口」[[c:4]]に数える。直刃の作のうち最も静かな天文十六年の刀については、とくにその鍛えを挙げて「とくに鍛えの優れた点が特筆される」[[c:5]]と記す。寸の詰まった永禄四年の刀は、その引き締まった姿とともに、地刃ともに同作中で出来のよい一口と読む。
春光は末備前の系譜に逆らうよりその中で理解される。一系の説明書は十郎左衛門尉春光を、次郎左衛門尉勝光の子たる次郎兵衛尉春光の子とし、十六世紀を通じて村を担った祐定・清光の諸家と並ぶ長船の主要な系譜の中に据える。本工は説明書が同派の典型と呼ぶ腰開きの互の目に作り、乱れにも直刃にも交じる小互の目が、細かく割れた小模様の刃を成して、古い長船本流の大きな丁子と室町末の手を分かつ。本工の指定作を末備前の量産から引き上げるのは鍛えであり、よく練れた板目に地沸が厚くつく質に説明書は賛辞を惜しまず、永禄四年の刀には末備前の一派が稀にしか留めぬ古備前の乱れ映りが遺存する。
本工の遺る指定作は少なく、悉く在銘で、第十五回から第三十七回にかけての重要刀剣に四口を遺す。国宝も重要文化財もなく、特別重要に上ったものもまだない。四口はいずれも長銘と年紀を天文・永禄の各代にわたって有し、僅かな作ながら甚だ読みやすい。すなわち一口ごとに年紀があり、いずれも生ぶで、四半世紀にわたる本工の手が読める。注目すべき伝来が一つ記録され、天文十六年の刀は「海軍元帥東郷平八郎の遺愛の一口」[[c:6]]、対馬の勝者東郷平八郎の愛蔵した一口であった。本工は収集家が稀にではなく時に出会う類の在銘末備前の名手であり、年紀・在銘の刀がその作の資料的中核を成す。その最も充実した一口は、腰開きの互の目乱れが充実し、鍛えが説明書のいう傑作の部類の域に練られて、末備前の諸工の中でも出来のよい一口であり、市場にはたまさか、根気とともに現れるに過ぎない。
春光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在237点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
室町時代の備前
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.