長船春光は刀に「春光」と銘し、十郎左衛門尉を称した。説明書は本工を、ひしめく同名工の筆頭に名指しで据える。末備前には春光と銘する数工があり、左衛門尉・五郎左衛門尉・孫十郎・次郎左衛門尉・五左衛門尉・左衛門七郎等の俗名を冠して銘し、その名は文明から文禄まで及ぶが、その中で説明書は「その中で十郎左衛門の名が最も知られ」と記す。本工自身の年紀作は具体的で、十六世紀中葉に固まっている。天文二年(一五三三)の刀、天文十六年(一五四七)の刀、天文二十四年(一五五五)の刀、永禄四年(一五六一)の刀があり、いずれも生ぶで、長銘を有し、作者銘と年紀の双方を切る。本工は室町末期、すなわち俗に末備前と呼ぶ時期の長船工房に属し、村の諸工が共通の作域に作り、製作の年月を茎に切った。
本工の典型は、説明書自身が引く二つの作域に分かれ、その一は同派の典型たる腰開きの互の目乱れである。天文二十四年の刀では刃文が互の目乱れに腰開きの互の目を交え、総じて小模様の乱れに乱れ、足入り小沸つき、天文二年の刀ではその開いた互の目が広がって覇気を加える。すなわち小互の目を交え、飛焼かかり、沸出来にして処々地中へ沸崩れ、金筋・砂流し僅かにかかる。説明書はこれを「末備前特有の腰開きの互の目」と呼び、本工の作を見る第一の手がかりとなる。帽子は焼刃に従い、最も充実した一口では乱れ込み小丸に掃きかけ、あるいは焼深く一枚風に長く返る。
この華やかな面に対するのが静かな直刃の作域で、鍛えはここに最もよく現れる。永禄四年の刀は小板目がよくつんで地によく約み、地沸こまかにつき、地に乱れ映りが立つ。末備前の刀には珍しい古備前の映りである。刃文は中直刃で腰に互の目を焼き、小足入り、匂口締りごころとなる。天文十六年の刀は広直刃調に僅かに小互の目を交え、刃中に小足・葉が現れ、よく練れて潤いのある板目に地沸が厚くつく。いずれの作域にも鍛えは一貫し、よく約んだ板目、時により約んだ小板目に、総体に地沸つき、天文二年の刀には地景が入る。この静かな手の帽子は焼深く直ぐに小丸に長く返る。
二つの作域は一代の前後する時期というより、同じ工が同じ二十年の間に併せ持った二つの手であり、年紀作はその間を行き来する。説明書は天文二十四年の刀を「十郎左衛門尉春光の代表作」と読み、その鍛えをよく約んだ板目に地沸つくとする。天文二年の刀を、腰開きの互の目乱れが充実し総じて出来がよいことから「春光の傑作の部類の一口」に数える。直刃の作のうち最も静かな天文十六年の刀については、とくにその鍛えを挙げて「とくに鍛えの優れた点が特筆される」と記す。寸の詰まった永禄四年の刀は、その引き締まった姿とともに、地刃ともに同作中で出来のよい一口と読む。
春光は末備前の系譜に逆らうよりその中で理解される。一系の説明書は十郎左衛門尉春光を、次郎左衛門尉勝光の子たる次郎兵衛尉春光の子とし、十六世紀を通じて村を担った祐定・清光の諸家と並ぶ長船の主要な系譜の中に据える。本工は説明書が同派の典型と呼ぶ腰開きの互の目に作り、乱れにも直刃にも交じる小互の目が、細かく割れた小模様の刃を成して、古い長船本流の大きな丁子と室町末の手を分かつ。本工の指定作を末備前の量産から引き上げるのは鍛えであり、よく練れた板目に地沸が厚くつく質に説明書は賛辞を惜しまず、永禄四年の刀には末備前の一派が稀にしか留めぬ古備前の乱れ映りが遺存する。
本工の遺る指定作は少なく、悉く在銘で、第十五回から第三十七回にかけての重要刀剣に四口を遺す。国宝も重要文化財もなく、特別重要に上ったものもまだない。四口はいずれも長銘と年紀を天文・永禄の各代にわたって有し、僅かな作ながら甚だ読みやすい。すなわち一口ごとに年紀があり、いずれも生ぶで、四半世紀にわたる本工の手が読める。注目すべき伝来が一つ記録され、天文十六年の刀は「海軍元帥東郷平八郎の遺愛の一口」、対馬の勝者東郷平八郎の愛蔵した一口であった。本工は収集家が稀にではなく時に出会う類の在銘末備前の名手であり、年紀・在銘の刀がその作の資料的中核を成す。その最も充実した一口は、腰開きの互の目乱れが充実し、鍛えが説明書のいう傑作の部類の域に練られて、末備前の諸工の中でも出来のよい一口であり、市場にはたまさか、根気とともに現れるに過ぎない。