江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
備前國住長船七兵衛尉祐定 寛文三年二月吉日 -Bizen no kuni ju Osafune Shichibei no jo Sukesada- 刃長45.38センチ 反り1.22センチ 元幅28.8ミリ 元重ね7.0ミリ 物打幅24.5ミリ 横手位置幅21.0ミリ 物打重ね5.9ミリ 松葉先重ね5.1ミリ 目釘穴1個 裸身重量450グラム 江戸前期寛文3年(1663) The early period of Edo era 昭和26年3月31日 岡山県登録 附属 特別保存刀剣鑑定書、白鞘、素銅はばき 七兵衛尉祐定は藤四郎祐定の嫡子で、永正祐定と誉れ高い与三左衛門尉祐定から数えて五代目にあたり、実子の上野大掾祐定が後を継ぎ、弟の源左衛門尉祐定と宗左衛門尉祐定もそれぞれ別家して棟梁となるなど長船祐定一門の繁栄を支え、延宝二年(1674)六月に九十八歳で没したと伝わる、新刀期の備前長船祐定家中興の祖にして業物としても知られる刀匠です。 現存する年紀作の最古は元和二年(1616)に遡り、晩年には実子の上野大掾祐定が代作を行ったとも伝えられるため個々の作の整理・分類にはなお研究の余地がありますが、寛文三年二月吉日と刻む本作はその長い作刀活動を考えるうえでも興味深く、時代の深みとともに地刃の出来を味わえる一振です。 本作は「備前國住長船七兵衛尉祐定」の堂々たる長銘に寛文三年二月吉日の年紀を添える脇指で、元先の幅差が頃よく開いて中切先へ結ぶ端正な姿に十分な重ねが力を与え、茎に残る年紀とともに、新刀備前の歴史を手元で辿れるところも大きな魅力です。 地鉄はよく錬れて詰んだ杢目に大肌が交じり、淡い乱れ映りごころが備前の気配を漂わせ、匂口が極めて明るく冴えた互ノ目乱れには尖りごころの刃を交えながら砂流と金筋が走り、先へ進むにつれて刃縁に大粒の沸が盛んに付いて景色をいっそう強めるなど、落ち着いた姿の内に鮮やかな働きを秘めた出来映えを楽しめます。 昭和26年3月31日という早い岡山県登録からは旧岡山藩主池田家にゆかりのある伝来にも思いが及びますが、これを直接裏付ける資料は確認されておらず、由緒については想像の域を出ないものの、年紀を備えた銘と特別保存刀剣鑑定書がこの一振の確かな見どころを伝えています。 刀身にはところどころ薄錆が見られますが、地刃の鑑賞は十分にできる状態で、華やかな互ノ目の変化から鋩子へと視線を運ぶ楽しみがあり、素銅はばきと白鞘を附して伝わるこの脇指は、七兵衛尉祐定の年紀作と新刀備前の冴えを一振で味わいたい愛刀家に薦めたい品です。
長船派Osafune School
取扱店 刀心











備前伝 · 備前
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備前国邑久郡長船の地に興り、鎌倉時代中期から室町時代末期に至るまで連綿と鍛刀を続けた、刀剣史上最大の流派である。事実上の祖は光忠で、近忠の子と伝えるが近忠の作刀が知られないため、長船本流の起点はこの工に置かれる。古伝はその源を古備前正恒の一類が長船に移り住んだことに求め、光忠はその流れを承けて一門を興したと説く。すなわち本流派は、古備前の地盤の上に、丁子を主調とする華麗な作風をもって自立した備前鍛冶の本系である。光忠の下に長光、真長、景光らが輩出し、以後、相伝備前の兼光・長義・元重、室町初期の応永備前を経て末備前に至るまで、備前伝の中核を担い続けた。 作風は備前伝を基盤とし、よく錬れて杢を交えた板目に地沸が微塵につき、地景が細かに入り、地に乱れ映りが鮮明に立つ鍛えを共通の地とする。この乱れ映りこそ、在銘無銘を問わず一門の作を備前へ繋ぎ止める最も確かな標である。刃文には世代ごとの軸がある。草創の古長船にあって光忠は蛙子丁子を看どころとし、子の長光は頭の丸いふくらみのある丁子を加え、孫の景光は片落ち互の目を完成して逆がかりの足を看どころとした。この光忠、長光、景光の三代が長船嫡流の背骨をなし、近景がその影として景光をほぼ完璧に映し、真長は同じ地に締まる匂口の直刃を得意とした。南北朝期に入ると兼光が嫡流を承けつつのたれ主調の大模様を加え、相州伝を摂取した相伝備前の作風が現れる。長義は耳形の刃を看どころに兼光以上に相州伝を強調し、長重と兼長がこれに連なり、義景は匂口の沈むところに、元重は焼頭の揃った角ばる刃と青江気質に、それぞれ別系の個性を示した。体配もまた時代を映し、鎌倉の腰反り高い太刀から、南北朝の身幅広く大鋒の延文貞治型へ、さらに応永備前では古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃が甦る。康光と盛光を双璧とする応永備前は、腰の広く開いた互の目とローソクの芯と称する尖り返る帽子を看どころとし、その腰開き互の目と棒映りは末備前へと受け継がれた。長光景光以来の梵字、三鈷剣、倶利迦羅、八幡大菩薩などの刀身彫もまた、末備前まで絶えず継承された一門の標である。 鑑定にあっては、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に世代と系統の看どころで工を分かつ。蛙子丁子は光忠、丸い頭の丁子は長光、逆がかる片落ち互の目は景光、のたれと角互の目は兼光、耳形の刃は長義、角ばり逆がかる刃と蝉の羽根の肌は元重、ローソクの芯の帽子は応永備前という具合に、看どころが系統と時代を指し示す。嫡流の光忠、長光、景光、兼光は藤代の最上作に列し、なかでも長光は重要文化財の指定数が全刀工中最多で、嫡流の作には名物大般若長光や小龍景光をはじめ、織田信長、徳川家康、上杉謙信ら天下を握った者の手を経た作が多い。相伝備前の長義や兼長、応永備前の康光や盛光もそれぞれ重きをなし、別系の元重もまた南北朝備前の大きな名を保つ。嫡流の在銘作が市に現れることは稀で、大半は大磨上無銘の極めとして伝わるが、長光のごとく銘を惜しまなかった工の作はなお蒐集家の手の届く範囲にある。後世への影響は計り知れず、本流派の作風と刀身彫の伝統は末備前を通じて室町備前の主流をなし、備前伝そのものの規範となった。 詳しく見る →
江戸時代
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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