戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
初代兼元は、美濃関(現岐阜県関市)ではなく、美濃赤坂(現岐阜県大垣市赤坂町)の地で鍛刀した赤坂鍛冶の一人、明応(一四九二~一五〇一)頃を中心に活躍、二代孫六との世代交代時期は、永正(一五〇四~二一)頃、早くても文亀(一五〇一~〇四)頃と伝えています。 初代の作風は、先反り付いて、姿は身幅やや広めなもの、細身で優しいものがあり、地鉄は関物としては良く詰み、二代に比べてやや黒み勝ちとなります。 刃文は、二代以降に確立される三本杉はほとんど見られず、不規則な互の目乱れに尖り風の刃、小丁子風の刃を交え、刃縁に打ちのけ、沸崩れ、刃中に金筋、砂流し、ムラ沸付くものなど、一見古調な出来を示すものが多く見られます。 言うなれば、初代の作風には、赤坂千手院及び北陸藤島鍛冶の影響が見られるなど、後代のように完全に関鍛冶と同化した兼元とは一線を画しています。 銘振りは、『兼元(作)』、『濃州赤坂住兼元(作)』が大半で、二字銘が初期作と云われます。 本作は、大変貴重な初代兼元の在銘正真年紀入り作、『明応二年』の年紀が入っていますが、これまで初代の年紀の上限は、『明応六年』であったため、本作は更に時代が上がることになります。 寸法二尺一寸八分、先反りやや深めに付いた上品な姿の一振りです。 本刀は、『刀剣美術(平成二十九年六月号)(二〇一七)』の特集、『研究ノート 明応二年紀を有する初代兼元の作例について』の中で、正にその研究刀として掲載された一振り、その解説では、『作風及び銘振り、そして最上限の年紀が記された本作は、今後の初代兼元の研究の発展に寄与する新資料である。』とあります。 地景交じりの板目がうねりながら流れる地鉄は、所々無地風に詰んだ小板目を交えて、鎬寄りには直調の白け映りが立っています。 直刃調の焼き刃は、腰元に僅かに小互の目を配し、刃縁やや沈み勝ちに締まり、一部匂い深く明るく潤み、細かなほつれ掛かり、刃中葉、小足、小互の目足入り、一部金筋、砂流しが烈しく掛かっています。帽子は、直調で、刃中太い金筋掛かり、先は焼き詰めとなっています。 いわゆる兼元をイメージするような出来ではなく、地刃に古色の感があり、何とも味わい深い出来を示しています。 茎表にある『益清』の切り付け銘に付いては、同誌にも『現状では明確ではなく、注文主銘である可能性もあり、今後の研究課題である。』としており、探山先生鞘書きには、『益清は、注文者か将又(はたまた)合作者かは未詳。銘は、初代の標本的な字形、地刃は総じて野致の趣を呈するなど、彼の作域を把握する上でも好資料且つ優品也。』とあります。 永らく美濃刀愛好家が所蔵していた生ぶい逸品のため、現状は保存ですが、特別保存までは全く問題ありません。 美濃刀コレクションには必ず加えて頂きたい逸品、また美濃赤坂兼元一派のルーツを垣間見ることが出来る、初代兼元の希少な年紀入りの代表作です。 付属の外装は、鞘等に大きな傷みなく、鉄地、赤銅地の龍図の良質な時代金具を使用した渋くてお洒落な作です。 これを逃すと大変です。





美濃伝 · 美濃 · 1489-1499頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在1点販売中
兼元の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
美濃伝 · 美濃
現在29点販売中
兼元は、美濃国関を本拠とした末美濃の刀工で、室町時代後期に和泉守兼定と並んで美濃鍛冶を代表する家系である。同名が相継いで栄えたが、なかでも最も技量にすぐれるのは二代で、世上この兼元を指して「孫六兼元」と呼称し賞翫してきた。「孫六」は兼元家代々の通称であり、二代がとりわけ著名であることから、この称がそのまま二代の代名詞として用いられている。居住地を明示した作には「濃州赤坂住」と切るものがあり、赤坂を一つの拠点としていたことが知られる。説示には明応・享禄・大永などの年紀を有する作が挙げられ、紀年銘の比較的少ない同家にあって、これらは作期や系統を研究するうえで好資料とされている。 作風の中核をなすのは、三本杉と称される尖り互の目の連れた刃文である。各代を通じてこの刃文を得意とするが、二代と後代とでは趣を異にする。代が下ると尖り刃の形が鋭角的で規則正しく揃うのに対し、二代は互の目の頭が処々丸みをおびて変化を見せ、三本杉のほかに二本杉・四本杉・五本杉といった群落を交えるなど画一的でないところに特色がある。説示はこれを行草の体の三本杉と評し、刃取りに起伏を見せて変化に富む点を二代の見どころとする。地鉄は板目に杢・流れ柾を交えて肌立ちごころとなり、地沸が細かにつき、地景が入り、白け映りが立つのが常で、帽子は乱れ込んで先丸く地蔵状に返るものが多い。一方、初代はあまり三本杉が目立たず、互の目に互の目丁子を交え、時に湯走り・飛焼を伴うものが多く、年紀は明応六年を最も古いものとし、居住地はすべて濃州赤坂住と切られる。二代と初代、さらに後代との別は、こうした刃文の構成と地鉄の風合いから見分けられる。 伝来をみると、二代兼元は実戦刀としての評価が高く、元亀元年の姉川の戦で青木一重が真柄真隆を討ったと伝える青木兼元、また截断銘を裏に施した作などが知られ、切れ味を尊ぶ風が早くから付随していた。金象嵌で笹露と号した作のように、所持者の名とともに伝えられた優品もある。作刀は薙刀・刀・脇指・短刀に及び、長寸で先の張った雄勁な造込みのものから、来写し・京物写しと目される稀な直刃の上品な短刀まで幅があり、二代の技量の振幅を伝えている。説示はこれらを孫六兼元の典型かつ出色の出来口として位置づけ、行体の三本杉が匂口明るくよく沸え、地刃ともに冴える点を賞するとともに、末関を代表する刀工としての名声を確かなものとしている。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト刀剣、刀装具、骨董等1点ものにつきましては、キャンセル待ちのお客様がおられる場合がございますので、ご返品のご連絡は商品到着後3日以内、ご返送は8日以内にお願いいたします。ご返金は商品ご返送到着後即日に致します。
初代兼元は、美濃関(現岐阜県関市)ではなく、美濃赤坂(現岐阜県大垣市赤坂町)の地で鍛刀した赤坂鍛冶の一人、明応(一四九二~一五〇一)頃を中心に活躍、二代孫六との世代交代時期は、永正(一五〇四~二一)頃、早くても文亀(一五〇一~〇四)頃と伝えています。 初代の作風は、先反り付いて、姿は身幅やや広めなもの、細身で優しいものがあり、地鉄は関物としては良く詰み、二代に比べてやや黒み勝ちとなります。 刃文は、二代以降に確立される三本杉はほとんど見られず、不規則な互の目乱れに尖り風の刃、小丁子風の刃を交え、刃縁に打ちのけ、沸崩れ、刃中に金筋、砂流し、ムラ沸付くものなど、一見古調な出来を示すものが多く見られます。 言うなれば、初代の作風には、赤坂千手院及び北陸藤島鍛冶の影響が見られるなど、後代のように完全に関鍛冶と同化した兼元とは一線を画しています。 銘振りは、『兼元(作)』、『濃州赤坂住兼元(作)』が大半で、二字銘が初期作と云われます。 本作は、大変貴重な初代兼元の在銘正真年紀入り作、『明応二年』の年紀が入っていますが、これまで初代の年紀の上限は、『明応六年』であったため、本作は更に時代が上がることになります。 寸法二尺一寸八分、先反りやや深めに付いた上品な姿の一振りです。 本刀は、『刀剣美術(平成二十九年六月号)(二〇一七)』の特集、『研究ノート 明応二年紀を有する初代兼元の作例について』の中で、正にその研究刀として掲載された一振り、その解説では、『作風及び銘振り、そして最上限の年紀が記された本作は、今後の初代兼元の研究の発展に寄与する新資料である。』とあります。 地景交じりの板目がうねりながら流れる地鉄は、所々無地風に詰んだ小板目を交えて、鎬寄りには直調の白け映りが立っています。 直刃調の焼き刃は、腰元に僅かに小互の目を配し、刃縁やや沈み勝ちに締まり、一部匂い深く明るく潤み、細かなほつれ掛かり、刃中葉、小足、小互の目足入り、一部金筋、砂流しが烈しく掛かっています。帽子は、直調で、刃中太い金筋掛かり、先は焼き詰めとなっています。 いわゆる兼元をイメージするような出来ではなく、地刃に古色の感があり、何とも味わい深い出来を示しています。 茎表にある『益清』の切り付け銘に付いては、同誌にも『現状では明確ではなく、注文主銘である可能性もあり、今後の研究課題である。』としており、探山先生鞘書きには、『益清は、注文者か将又(はたまた)合作者かは未詳。銘は、初代の標本的な字形、地刃は総じて野致の趣を呈するなど、彼の作域を把握する上でも好資料且つ優品也。』とあります。 永らく美濃刀愛好家が所蔵していた生ぶい逸品のため、現状は保存ですが、特別保存までは全く問題ありません。 美濃刀コレクションには必ず加えて頂きたい逸品、また美濃赤坂兼元一派のルーツを垣間見ることが出来る、初代兼元の希少な年紀入りの代表作です。 付属の外装は、鞘等に大きな傷みなく、鉄地、赤銅地の龍図の良質な時代金具を使用した渋くてお洒落な作です。 これを逃すと大変です。





美濃伝 · 美濃 · 1489-1499頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在1点販売中
兼元の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
美濃伝 · 美濃
現在29点販売中
兼元は、美濃国関を本拠とした末美濃の刀工で、室町時代後期に和泉守兼定と並んで美濃鍛冶を代表する家系である。同名が相継いで栄えたが、なかでも最も技量にすぐれるのは二代で、世上この兼元を指して「孫六兼元」と呼称し賞翫してきた。「孫六」は兼元家代々の通称であり、二代がとりわけ著名であることから、この称がそのまま二代の代名詞として用いられている。居住地を明示した作には「濃州赤坂住」と切るものがあり、赤坂を一つの拠点としていたことが知られる。説示には明応・享禄・大永などの年紀を有する作が挙げられ、紀年銘の比較的少ない同家にあって、これらは作期や系統を研究するうえで好資料とされている。 作風の中核をなすのは、三本杉と称される尖り互の目の連れた刃文である。各代を通じてこの刃文を得意とするが、二代と後代とでは趣を異にする。代が下ると尖り刃の形が鋭角的で規則正しく揃うのに対し、二代は互の目の頭が処々丸みをおびて変化を見せ、三本杉のほかに二本杉・四本杉・五本杉といった群落を交えるなど画一的でないところに特色がある。説示はこれを行草の体の三本杉と評し、刃取りに起伏を見せて変化に富む点を二代の見どころとする。地鉄は板目に杢・流れ柾を交えて肌立ちごころとなり、地沸が細かにつき、地景が入り、白け映りが立つのが常で、帽子は乱れ込んで先丸く地蔵状に返るものが多い。一方、初代はあまり三本杉が目立たず、互の目に互の目丁子を交え、時に湯走り・飛焼を伴うものが多く、年紀は明応六年を最も古いものとし、居住地はすべて濃州赤坂住と切られる。二代と初代、さらに後代との別は、こうした刃文の構成と地鉄の風合いから見分けられる。 伝来をみると、二代兼元は実戦刀としての評価が高く、元亀元年の姉川の戦で青木一重が真柄真隆を討ったと伝える青木兼元、また截断銘を裏に施した作などが知られ、切れ味を尊ぶ風が早くから付随していた。金象嵌で笹露と号した作のように、所持者の名とともに伝えられた優品もある。作刀は薙刀・刀・脇指・短刀に及び、長寸で先の張った雄勁な造込みのものから、来写し・京物写しと目される稀な直刃の上品な短刀まで幅があり、二代の技量の振幅を伝えている。説示はこれらを孫六兼元の典型かつ出色の出来口として位置づけ、行体の三本杉が匂口明るくよく沸え、地刃ともに冴える点を賞するとともに、末関を代表する刀工としての名声を確かなものとしている。 詳しく見る →
室町時代の美濃
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト刀剣、刀装具、骨董等1点ものにつきましては、キャンセル待ちのお客様がおられる場合がございますので、ご返品のご連絡は商品到着後3日以内、ご返送は8日以内にお願いいたします。ご返金は商品ご返送到着後即日に致します。