鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
片山一文字則房(無銘)の特別重要刀剣、無類の健全さを誇る鎌倉中期の備前太刀、逆丁子を交えた華やかな典型作、徳川将軍家に伝来した不朽の名刀です。 片山一文字派は、福岡一文字助房の子と伝わる則房が、後に片山の地に移住したことからこの呼称があります。古来より片山の地を備中片山、現在の岡山県総社(そうじゃ)市地頭片山としていましたが、近年の研究では、備前福岡近辺の片山、現在の岡山県瀬戸市邑久(おく)町下笠加(しもがさか)が有力視されているものの、未だ確たる定説には至っていません。 則房は、同派の祖として国宝二口、重要文化財一口、重要美術品七口を数え、在銘現存作は太刀のみ、また古来より薙刀の名手とも伝えられています。無銘極めの片山一文字に、薙刀、薙刀直しが多いのはこのためです。 作風は、福岡一文字助真、吉房に類する華やかな丁子乱れの他に、地沸が微塵に付いて強く冴え、映りの目立たないもの、逆心の刃が目立つもの、小模様な丁子乱れのものなどがあり、刃中の足が細かく入り、刃縁が良く冴える点も見所です。 本作は、平成十三年(二〇〇一)、第四十七回の重要刀剣指定品で、翌平成十四年(二〇〇二)、第十七回の特別重要刀剣に指定された最上の一振り、『片山一文字則房』の極めが付されており、『時代鎌倉中期』、伝来『大徳川家』とあります。 寸法二尺四寸一分弱、切っ先やや猪首風となり、身幅、重ねしっかりとした鎌倉中期の備前太刀姿を示しており、この地刃の健やかさには驚くばかりです。 板目に杢目を交えた最上の備前地鉄は、地沸を微塵に厚く敷き、地色明るく、繊細な地景を配し、ほのかに乱れ映りが立っています。 丁子乱れを主体とした焼き刃は、小丁子、小互の目、尖り風の刃を交えて乱れの間隔近く、特に裏は密に小模様に焼き、総体的に逆掛かり、刃縁匂い勝ちに小沸付き、明るく締まって良く冴え、刃中葉、足細かく入り、柔らかな砂流しが掛かっています。 この潤いのある肌質、焼き刃の柔らかさと明るさ、研ぎも素晴らしく、同派の特色と美点が存分に示されており、欠点が全く見当たりません。 物打ち付近の棟から樋に掛けては、細かな受け疵が今も残されています。 図譜にも記載があるように、本刀には古鞘が附帯しており、その鞘書きによれば、享保三年十一月二十八日(一七一八)、信濃国松本藩主水野出羽守忠周(ただちか)の遺物(ゆいもつ)として徳川将軍家に献上されたものとあります。 水野忠周は、松本藩四代藩主で、五代将軍綱吉、六代家宣、七代家継、八代吉宗に仕えました。享保三年十月二十八日、四十六歳没。献上されたのは、八代吉宗の時代に当たります。 探山先生鞘書きには、『幅広、重厚で猪首切っ先となる姿、乱れ映り現れ、冴えて強い地鉄に、変化のある丁子乱れを焼き、逆心を帯び、総じて小模様を呈し、刃中の足細かく乱れ込み、尖り心の帽子に結ぶ出来は、鎌倉中期の一文字派の名だたる名工の中で則房に収斂(しゅうれん=意見をまとめる)されるものであり、 健体出色の優品也。』とあり、図譜には、『丁子乱れを主調とした焼き刃には、逆心を帯びた点が見られ、また福岡一文字派に比して、乱れの調子がやや小模様である所に則房と鑑すべきものがある。同工極めの出色の一振りであり、地刃共に健全で、平肉の豊かな体配も好ましい。』とあります。 日刀保の審査基準によると、『特別重要刀剣は、重要刀剣の中で、更に一段と出来が傑出し、保存状態が優れ、国認定の重要美術品の上位に相当すると判断されるもの、若しくは国指定の重要文化財に相当する価値があると考えられるもの。』としていることから、本作は無類の健全さと出来の良さを誇る重要文化財に相当する極上品であることが分かります。更に無銘ですので、地刃のレベルはこれ以上ない水準に達しているかと思います。 近年稀に見る片山一文字、これが重要文化財に比肩すると認められた則房、八代将軍徳川吉宗に献上された由緒正しい伝来品です。








Katayama Ichimonji (Bizen/Bitchu) · 備前 · 1249-1256頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位1%
則房は鎌倉時代中期の工で、一文字派を最高潮へ導いた上手の一人である。諸書は「助真・吉房らと並んで華やかな丁子乱れを焼き」[[c:1]]、「鎌倉時代中期の一文字派を代表する刀工」[[c:2]]の一人として彼を読む。福岡一文字派助房の子と伝え、「のち片山の地に移住したため片山一文字と称されている」[[c:3]]。
片山なる地そのものについては定説がない。従来は備中国とするのが通説であったが、近年は「近年備前国福岡近在の片山ではないかとする説」[[c:4]]が浮上し、今後の検討を促している。名にはもう一つの問題がある。「則房の銘字には数種の書体が見られ」[[c:5]]、作風にも幅があることから、同名は一人ではなく数代存続したものと考えられている。「現存する有銘の作は太刀に限られているが、古来薙刀の名手と伝え」[[c:6]]、無銘の薙刀にそれと伝えるものが多く遺存する。
鍛えは板目で、精到な作ではよくつみ、豪壮な作では肌立ち、杢を交え、細かな地景が入る。その上に立つのが、この派を鑑する第一の見どころ、鮮やかな乱れ映りであり、かねは明るく冷たく冴え、地沸は微塵につく。乱れ映りと活きた板目の地は他のすべての土台であり、諸書がまず則房と鑑する標として繰り返し挙げるところである。
刃文は丁子乱れに互の目を交え、足・葉よく入り、匂深く小沸つき、僅かに砂流し・金筋がかかり、処々上半に飛焼・棟焼を交える。鑑別の眼目は明快で、「則房の見どころは、地がねが強く冴え、丁子乱れが逆がかり、刃中の足が細かいところにある」[[c:7]]。逆がかりこそ同派中で彼を分かつもので、その「丁子乱れが助真・吉房らに比して幾分小模様となり」[[c:8]]、逆ごころと短く細かな足とが相俟って最も確かな手がかりとなる。
帽子こそ注意して見るべき点である。乱れ込んで小丸となり、しばしば尖りごころに返って掃きかける。諸書はある一口について「帽子乱れ込み、掃きかけ、先表は尖りごころに返り」[[c:9]]と記す。豪壮な作では表が焼詰め風となり、裏が小丸に返って掃きかけることもある。掃きかけて尖る先は、その下の逆がかる丁子と同じく彼の標であり、掃きかけを伴わぬ平らな小丸は鑑定に一拍を置かせる。
蒐集の上では、則房は古刀の名工の中でも最も入手困難な部類に属する。藤代は上々作に列し、その作は国宝と多数の特別重要刀剣を数え、諸家の歴史を帯びる。大和郡山の柳沢家に伝来した太刀、徳川将軍家・徳川吉宗・綱吉の所持品、池田家・高須松平家を歴た刀、上杉家の宝物帳に載る薙刀などである。柳沢家の太刀の一口には本阿弥光忠の折紙の記憶がなお残る。市場に出るものはほとんどなく、名品は九州国立博物館・静嘉堂文庫美術館・東京富士美術館・ふくやま美術館などに収まり、その作が売立に現れることは、計画して臨む購入というより、一生に一度あるかないかの出来事に近い。
則房の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
備前伝 · 備中
時期区分: 福岡一文字· 1207–1288
現在2点販売中
福岡一文字派は、備前国福岡の地にあって鎌倉時代中期にその最盛期を迎えた一文字派の一章であり、古一文字の小乱れを基調とした古調な作風を脱して、絢爛たる丁子乱れへと到達した時期にあたる。中心となる刀工には則宗をはじめ、助宗、吉房、助真らが挙げられ、また本区分の説示には助房とその子と伝える吉房・則房・助真の系譜、助守、成近、弘利、助秀といった工の名が見える。則房は助真・吉房らと並んで華やかな丁子乱れを焼き、鎌倉時代中期の一文字派を代表する刀工と位置づけられる。一文字派は鎌倉時代初期から南北朝期にかけて備前国に栄えた一大流派で、福岡・吉岡・片山・岩戸などの地に繁栄し多くの良工を輩出したが、その中でも福岡の地に拠ったこの中期の一群が、もっとも豪壮かつ華麗な作域を展開した。 本区分の作風は、太刀姿が身幅広く、猪首鋒の豪壮な体配となり、地に映りを鮮明にあらわし、焼幅に変化をつけた匂出来の華麗な大房丁子を焼いて強烈な個性を見せる点にある。鍛えは板目あるいは小板目に杢を交え、地沸微塵に厚くつき、地景細かに入り、乱れ映りが鮮明に立ち、かねが冴える。刃文は丁子乱れを主調に、重花丁子・蛙子・互の目・尖りごころの刃などを交え、出入りがあって腰高に焼き、足・葉よく入り、匂深く小沸つき、金筋・砂流しがかかる。則房に至っては、同じ華やかな丁子の刃文でも吉房・助真に比して乱れが幾分小模様となり、刃中の足が短く細かく、乱れが逆ごころをおびるところに特色があり、地がねが強く冴える点も見どころとされる。直刃を基調とした穏やかで古調な古一文字とは華やかさにおいて画然と異なり、また丁子乱れの中に互の目が目立ち穏やかに揃った後代の吉岡一文字とも、その大模様で豪放な乱れにおいて対照をなしている。 福岡一文字の鑑定は、鮮明に立つ乱れ映りと、明るく冴えた匂口、足・葉の豊富な働き、そして腰反りの高い豪壮な太刀姿を要点とする。名工としては則房のほか、丁子乱れが極めて華麗で吉房の出来に通じる助守、区上を焼き落として下半に大丁子、上半に小模様な乱れを見せる成近、匂勝ちに小沸ついた丁子乱れに古色をとどめる弘利らがあり、それぞれに一文字派の華やかさと変化に富む作域を示している。説示には、播磨国竜野脇坂家に伝わった助守、仙台伊達家に伝わった成近、大和郡山柳沢家や尾張徳川家支藩高須松平家に伝来した則房など、近世大名家の所伝を留める優品が数多く見え、福岡一文字の作が古来いかに重んじられてきたかをよく物語っている。 詳しく見る →
鎌倉時代の備前
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
重要刀剣の中でも出来が際立ち、資料的価値が極めて高く、国指定の重要文化財に準ずると判断された、NBTHK鑑定の最高位です。
最高峰であり、特別重要刀剣に到達した刀剣はわずか1,211口、登録刀剣の約2,064口に1口にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト刀剣、刀装具、骨董等1点ものにつきましては、キャンセル待ちのお客様がおられる場合がございますので、ご返品のご連絡は商品到着後3日以内、ご返送は8日以内にお願いいたします。ご返金は商品ご返送到着後即日に致します。
片山一文字則房(無銘)の特別重要刀剣、無類の健全さを誇る鎌倉中期の備前太刀、逆丁子を交えた華やかな典型作、徳川将軍家に伝来した不朽の名刀です。 片山一文字派は、福岡一文字助房の子と伝わる則房が、後に片山の地に移住したことからこの呼称があります。古来より片山の地を備中片山、現在の岡山県総社(そうじゃ)市地頭片山としていましたが、近年の研究では、備前福岡近辺の片山、現在の岡山県瀬戸市邑久(おく)町下笠加(しもがさか)が有力視されているものの、未だ確たる定説には至っていません。 則房は、同派の祖として国宝二口、重要文化財一口、重要美術品七口を数え、在銘現存作は太刀のみ、また古来より薙刀の名手とも伝えられています。無銘極めの片山一文字に、薙刀、薙刀直しが多いのはこのためです。 作風は、福岡一文字助真、吉房に類する華やかな丁子乱れの他に、地沸が微塵に付いて強く冴え、映りの目立たないもの、逆心の刃が目立つもの、小模様な丁子乱れのものなどがあり、刃中の足が細かく入り、刃縁が良く冴える点も見所です。 本作は、平成十三年(二〇〇一)、第四十七回の重要刀剣指定品で、翌平成十四年(二〇〇二)、第十七回の特別重要刀剣に指定された最上の一振り、『片山一文字則房』の極めが付されており、『時代鎌倉中期』、伝来『大徳川家』とあります。 寸法二尺四寸一分弱、切っ先やや猪首風となり、身幅、重ねしっかりとした鎌倉中期の備前太刀姿を示しており、この地刃の健やかさには驚くばかりです。 板目に杢目を交えた最上の備前地鉄は、地沸を微塵に厚く敷き、地色明るく、繊細な地景を配し、ほのかに乱れ映りが立っています。 丁子乱れを主体とした焼き刃は、小丁子、小互の目、尖り風の刃を交えて乱れの間隔近く、特に裏は密に小模様に焼き、総体的に逆掛かり、刃縁匂い勝ちに小沸付き、明るく締まって良く冴え、刃中葉、足細かく入り、柔らかな砂流しが掛かっています。 この潤いのある肌質、焼き刃の柔らかさと明るさ、研ぎも素晴らしく、同派の特色と美点が存分に示されており、欠点が全く見当たりません。 物打ち付近の棟から樋に掛けては、細かな受け疵が今も残されています。 図譜にも記載があるように、本刀には古鞘が附帯しており、その鞘書きによれば、享保三年十一月二十八日(一七一八)、信濃国松本藩主水野出羽守忠周(ただちか)の遺物(ゆいもつ)として徳川将軍家に献上されたものとあります。 水野忠周は、松本藩四代藩主で、五代将軍綱吉、六代家宣、七代家継、八代吉宗に仕えました。享保三年十月二十八日、四十六歳没。献上されたのは、八代吉宗の時代に当たります。 探山先生鞘書きには、『幅広、重厚で猪首切っ先となる姿、乱れ映り現れ、冴えて強い地鉄に、変化のある丁子乱れを焼き、逆心を帯び、総じて小模様を呈し、刃中の足細かく乱れ込み、尖り心の帽子に結ぶ出来は、鎌倉中期の一文字派の名だたる名工の中で則房に収斂(しゅうれん=意見をまとめる)されるものであり、 健体出色の優品也。』とあり、図譜には、『丁子乱れを主調とした焼き刃には、逆心を帯びた点が見られ、また福岡一文字派に比して、乱れの調子がやや小模様である所に則房と鑑すべきものがある。同工極めの出色の一振りであり、地刃共に健全で、平肉の豊かな体配も好ましい。』とあります。 日刀保の審査基準によると、『特別重要刀剣は、重要刀剣の中で、更に一段と出来が傑出し、保存状態が優れ、国認定の重要美術品の上位に相当すると判断されるもの、若しくは国指定の重要文化財に相当する価値があると考えられるもの。』としていることから、本作は無類の健全さと出来の良さを誇る重要文化財に相当する極上品であることが分かります。更に無銘ですので、地刃のレベルはこれ以上ない水準に達しているかと思います。 近年稀に見る片山一文字、これが重要文化財に比肩すると認められた則房、八代将軍徳川吉宗に献上された由緒正しい伝来品です。








Katayama Ichimonji (Bizen/Bitchu) · 備前 · 1249-1256頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位1%
則房は鎌倉時代中期の工で、一文字派を最高潮へ導いた上手の一人である。諸書は「助真・吉房らと並んで華やかな丁子乱れを焼き」[[c:1]]、「鎌倉時代中期の一文字派を代表する刀工」[[c:2]]の一人として彼を読む。福岡一文字派助房の子と伝え、「のち片山の地に移住したため片山一文字と称されている」[[c:3]]。
片山なる地そのものについては定説がない。従来は備中国とするのが通説であったが、近年は「近年備前国福岡近在の片山ではないかとする説」[[c:4]]が浮上し、今後の検討を促している。名にはもう一つの問題がある。「則房の銘字には数種の書体が見られ」[[c:5]]、作風にも幅があることから、同名は一人ではなく数代存続したものと考えられている。「現存する有銘の作は太刀に限られているが、古来薙刀の名手と伝え」[[c:6]]、無銘の薙刀にそれと伝えるものが多く遺存する。
鍛えは板目で、精到な作ではよくつみ、豪壮な作では肌立ち、杢を交え、細かな地景が入る。その上に立つのが、この派を鑑する第一の見どころ、鮮やかな乱れ映りであり、かねは明るく冷たく冴え、地沸は微塵につく。乱れ映りと活きた板目の地は他のすべての土台であり、諸書がまず則房と鑑する標として繰り返し挙げるところである。
刃文は丁子乱れに互の目を交え、足・葉よく入り、匂深く小沸つき、僅かに砂流し・金筋がかかり、処々上半に飛焼・棟焼を交える。鑑別の眼目は明快で、「則房の見どころは、地がねが強く冴え、丁子乱れが逆がかり、刃中の足が細かいところにある」[[c:7]]。逆がかりこそ同派中で彼を分かつもので、その「丁子乱れが助真・吉房らに比して幾分小模様となり」[[c:8]]、逆ごころと短く細かな足とが相俟って最も確かな手がかりとなる。
帽子こそ注意して見るべき点である。乱れ込んで小丸となり、しばしば尖りごころに返って掃きかける。諸書はある一口について「帽子乱れ込み、掃きかけ、先表は尖りごころに返り」[[c:9]]と記す。豪壮な作では表が焼詰め風となり、裏が小丸に返って掃きかけることもある。掃きかけて尖る先は、その下の逆がかる丁子と同じく彼の標であり、掃きかけを伴わぬ平らな小丸は鑑定に一拍を置かせる。
蒐集の上では、則房は古刀の名工の中でも最も入手困難な部類に属する。藤代は上々作に列し、その作は国宝と多数の特別重要刀剣を数え、諸家の歴史を帯びる。大和郡山の柳沢家に伝来した太刀、徳川将軍家・徳川吉宗・綱吉の所持品、池田家・高須松平家を歴た刀、上杉家の宝物帳に載る薙刀などである。柳沢家の太刀の一口には本阿弥光忠の折紙の記憶がなお残る。市場に出るものはほとんどなく、名品は九州国立博物館・静嘉堂文庫美術館・東京富士美術館・ふくやま美術館などに収まり、その作が売立に現れることは、計画して臨む購入というより、一生に一度あるかないかの出来事に近い。
則房の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
備前伝 · 備中
時期区分: 福岡一文字· 1207–1288
現在2点販売中
福岡一文字派は、備前国福岡の地にあって鎌倉時代中期にその最盛期を迎えた一文字派の一章であり、古一文字の小乱れを基調とした古調な作風を脱して、絢爛たる丁子乱れへと到達した時期にあたる。中心となる刀工には則宗をはじめ、助宗、吉房、助真らが挙げられ、また本区分の説示には助房とその子と伝える吉房・則房・助真の系譜、助守、成近、弘利、助秀といった工の名が見える。則房は助真・吉房らと並んで華やかな丁子乱れを焼き、鎌倉時代中期の一文字派を代表する刀工と位置づけられる。一文字派は鎌倉時代初期から南北朝期にかけて備前国に栄えた一大流派で、福岡・吉岡・片山・岩戸などの地に繁栄し多くの良工を輩出したが、その中でも福岡の地に拠ったこの中期の一群が、もっとも豪壮かつ華麗な作域を展開した。 本区分の作風は、太刀姿が身幅広く、猪首鋒の豪壮な体配となり、地に映りを鮮明にあらわし、焼幅に変化をつけた匂出来の華麗な大房丁子を焼いて強烈な個性を見せる点にある。鍛えは板目あるいは小板目に杢を交え、地沸微塵に厚くつき、地景細かに入り、乱れ映りが鮮明に立ち、かねが冴える。刃文は丁子乱れを主調に、重花丁子・蛙子・互の目・尖りごころの刃などを交え、出入りがあって腰高に焼き、足・葉よく入り、匂深く小沸つき、金筋・砂流しがかかる。則房に至っては、同じ華やかな丁子の刃文でも吉房・助真に比して乱れが幾分小模様となり、刃中の足が短く細かく、乱れが逆ごころをおびるところに特色があり、地がねが強く冴える点も見どころとされる。直刃を基調とした穏やかで古調な古一文字とは華やかさにおいて画然と異なり、また丁子乱れの中に互の目が目立ち穏やかに揃った後代の吉岡一文字とも、その大模様で豪放な乱れにおいて対照をなしている。 福岡一文字の鑑定は、鮮明に立つ乱れ映りと、明るく冴えた匂口、足・葉の豊富な働き、そして腰反りの高い豪壮な太刀姿を要点とする。名工としては則房のほか、丁子乱れが極めて華麗で吉房の出来に通じる助守、区上を焼き落として下半に大丁子、上半に小模様な乱れを見せる成近、匂勝ちに小沸ついた丁子乱れに古色をとどめる弘利らがあり、それぞれに一文字派の華やかさと変化に富む作域を示している。説示には、播磨国竜野脇坂家に伝わった助守、仙台伊達家に伝わった成近、大和郡山柳沢家や尾張徳川家支藩高須松平家に伝来した則房など、近世大名家の所伝を留める優品が数多く見え、福岡一文字の作が古来いかに重んじられてきたかをよく物語っている。 詳しく見る →
鎌倉時代の備前
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
重要刀剣の中でも出来が際立ち、資料的価値が極めて高く、国指定の重要文化財に準ずると判断された、NBTHK鑑定の最高位です。
最高峰であり、特別重要刀剣に到達した刀剣はわずか1,211口、登録刀剣の約2,064口に1口にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト刀剣、刀装具、骨董等1点ものにつきましては、キャンセル待ちのお客様がおられる場合がございますので、ご返品のご連絡は商品到着後3日以内、ご返送は8日以内にお願いいたします。ご返金は商品ご返送到着後即日に致します。