政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
Q828. 大磨上無銘 太刀 肥後拵付(中島来帰属) 長さ:69.1 cm(二尺二寸八分) 反り:1.3 cm 元幅:2.8 cm 元重:0.5 cm 先幅:2.2 cm 先重:0.3 cm 茎長さ:17.2 cm 白鞘全長:96.5 cm 形状:鎬造、庵棟、中切先。 彫物:表裏に二筋樋。 肌:極めて精緻な小板目肌に木目と流れごころの肌が交じり、地沸厚く地景しきりに入る。誠に潤いのある美しい地鉄である。 刃文:中程から広めの直刃を焼き、細かな働きが豊富で、明るく冴えた小沸のラインが際立つ。 帽子:直調で先小丸に短く返る。 ハバキ:銅一重。 鞘:良質な白鞘に収まり、「中島来 無銘」との鞘書(無銘)がある。研磨状態は極めて良好で、無類の状態を保っている。 拵:肥後拵(木製つなぎ付)。 鞘は黒漆刻鞘で、栗形と口金は角製。漆の状態は極めて良く、傷は見当たらない。 金具(小尻・縁・頭):鉄地金布目象嵌の一作。 下緒:珍しい革製。 小柄の代わりに、鞘には磨き上げられた鉄製の「馬針」が収められている。馬針は長途の騎乗後、馬の足に溜まった血を抜いて鬱血を除くために用いられたものである。 鍔:鉄地、金(または真鍮)、銀、赤銅の象嵌。馬針の形状に合わせた小振りの両櫃穴があり、この拵のために誂えられたものである。 目貫:赤銅地金象嵌。 柄巻:スエード(燻革)包み。 保存状態・作域ともに優れた逸品の肥後拵である。 鑑定: 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)「特別保存刀剣」鑑定書(2009年付、中島来に極め)。 また、JTK(日本刀剣保存会)の鑑定書(2008年付)が付属し、元徳元年(1329年)頃の「来国長」と極められている。 初代国長は鎌倉末期の嘉暦(1326年)頃に活動したとされ、来国光の門人と伝えられる。









山城伝 · 摂津 · 1331-1336頃
刀剣大鑑 上位14%
山城伝 · 摂津
現在8点販売中
中島来派は、山城来派の刀工来国俊の門人である来国長が摂津国中島に移住して鍛刀したことに起源を持つ一派である。『刀工銘鑑』によれば同名二代があり、初代を元徳頃、二代を正平・応安頃と記している。有銘作の遺例は極めて僅少であるが、現存作は来派の伝統を忠実に継承した作風を示しており、様式的には来国光に近似するものの、作位において若干譲る感がある。 作風の特徴は、地鉄において板目肌がよくつみ、しばしば杢目や流れ肌を交え、肌立ちごころとなり、地沸が厚くつき、地景が細かに頻りに入る点に認められる。淡く沸映りが立つものも見られ、地刃ともに冴えた出来口を呈する。刃文は広直刃を基調とし、小互の目・小丁子などが交じり、足・葉がよく入り、小沸出来で匂口が明るく冴える。刃縁には処々ほつれ・喰違刃・二重刃・打のけなどの変化が現われ、金筋・砂流しが盛んにかかるなど、刃中の働きに富む。帽子は直ぐに小丸、あるいは乱れ込んで掃きかけ、先小丸に返るものが多い。姿形は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかかる頃の特色を示し、身幅広く、元先の幅差が少なく、反りやや浅く、中鋒延びる、あるいは大鋒となる豪壮な体配を呈する。大磨上無銘となるものが大半であるが、輪反りの名残を留めるものも少なくない。 伝世品の多くは重要刀剣以上の指定を受けており、来派の特色を明示しながらも、覇気に富む作域と地刃の健全さを兼備した優品が揃っている。板目肌に地沸が厚くつき地景が頻りに働く鍛え、光の強い沸が厚くついて刃縁が頻りに働く刃文、そして幅広で大鋒の力強い姿態が相俟って、中島来派の刀剣は南北朝期における来派の伝統と時代の覇気を今に伝える貴重な遺産として評価されている。 詳しく見る →
政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト3-day return window from receipt.
Q828. 大磨上無銘 太刀 肥後拵付(中島来帰属) 長さ:69.1 cm(二尺二寸八分) 反り:1.3 cm 元幅:2.8 cm 元重:0.5 cm 先幅:2.2 cm 先重:0.3 cm 茎長さ:17.2 cm 白鞘全長:96.5 cm 形状:鎬造、庵棟、中切先。 彫物:表裏に二筋樋。 肌:極めて精緻な小板目肌に木目と流れごころの肌が交じり、地沸厚く地景しきりに入る。誠に潤いのある美しい地鉄である。 刃文:中程から広めの直刃を焼き、細かな働きが豊富で、明るく冴えた小沸のラインが際立つ。 帽子:直調で先小丸に短く返る。 ハバキ:銅一重。 鞘:良質な白鞘に収まり、「中島来 無銘」との鞘書(無銘)がある。研磨状態は極めて良好で、無類の状態を保っている。 拵:肥後拵(木製つなぎ付)。 鞘は黒漆刻鞘で、栗形と口金は角製。漆の状態は極めて良く、傷は見当たらない。 金具(小尻・縁・頭):鉄地金布目象嵌の一作。 下緒:珍しい革製。 小柄の代わりに、鞘には磨き上げられた鉄製の「馬針」が収められている。馬針は長途の騎乗後、馬の足に溜まった血を抜いて鬱血を除くために用いられたものである。 鍔:鉄地、金(または真鍮)、銀、赤銅の象嵌。馬針の形状に合わせた小振りの両櫃穴があり、この拵のために誂えられたものである。 目貫:赤銅地金象嵌。 柄巻:スエード(燻革)包み。 保存状態・作域ともに優れた逸品の肥後拵である。 鑑定: 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)「特別保存刀剣」鑑定書(2009年付、中島来に極め)。 また、JTK(日本刀剣保存会)の鑑定書(2008年付)が付属し、元徳元年(1329年)頃の「来国長」と極められている。 初代国長は鎌倉末期の嘉暦(1326年)頃に活動したとされ、来国光の門人と伝えられる。









山城伝 · 摂津 · 1331-1336頃
刀剣大鑑 上位14%
山城伝 · 摂津
現在8点販売中
中島来派は、山城来派の刀工来国俊の門人である来国長が摂津国中島に移住して鍛刀したことに起源を持つ一派である。『刀工銘鑑』によれば同名二代があり、初代を元徳頃、二代を正平・応安頃と記している。有銘作の遺例は極めて僅少であるが、現存作は来派の伝統を忠実に継承した作風を示しており、様式的には来国光に近似するものの、作位において若干譲る感がある。 作風の特徴は、地鉄において板目肌がよくつみ、しばしば杢目や流れ肌を交え、肌立ちごころとなり、地沸が厚くつき、地景が細かに頻りに入る点に認められる。淡く沸映りが立つものも見られ、地刃ともに冴えた出来口を呈する。刃文は広直刃を基調とし、小互の目・小丁子などが交じり、足・葉がよく入り、小沸出来で匂口が明るく冴える。刃縁には処々ほつれ・喰違刃・二重刃・打のけなどの変化が現われ、金筋・砂流しが盛んにかかるなど、刃中の働きに富む。帽子は直ぐに小丸、あるいは乱れ込んで掃きかけ、先小丸に返るものが多い。姿形は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかかる頃の特色を示し、身幅広く、元先の幅差が少なく、反りやや浅く、中鋒延びる、あるいは大鋒となる豪壮な体配を呈する。大磨上無銘となるものが大半であるが、輪反りの名残を留めるものも少なくない。 伝世品の多くは重要刀剣以上の指定を受けており、来派の特色を明示しながらも、覇気に富む作域と地刃の健全さを兼備した優品が揃っている。板目肌に地沸が厚くつき地景が頻りに働く鍛え、光の強い沸が厚くついて刃縁が頻りに働く刃文、そして幅広で大鋒の力強い姿態が相俟って、中島来派の刀剣は南北朝期における来派の伝統と時代の覇気を今に伝える貴重な遺産として評価されている。 詳しく見る →
政権は鎌倉にあったが、美意識はなお京都が定めた。粟田口派の梨子地肌は完璧の代名詞となり、来派は公家にも上級の武家にも大寺にも、堂々たる太刀を納めている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト3-day return window from receipt.