戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
特別保存刀剣鑑定書付 銘 兼房 【解説】 本作は、室町時代を通じて数代にわたり名を馳せた名工「兼房」の銘が切られた一振りです。日本美術刀剣保存協会(日美工)の鑑定によれば、本作は室町時代後期、永正九年(1512年)八月に後代の兼房によって鍛錬されたものとされています。 初代兼房は室町時代中期の永享年間(1429-1441年)に活動し、美濃国関(現在の岐阜県関市)の善定派・兼重の子として知られています。当時、関は美濃伝における作刀の最大拠点であり、兼房は「兼房乱れ」と称される独特の華やかな丁子乱れの刃文を創始したことでその名を轟かせました。 美濃の刀工たちが築き上げた「美濃伝」は、直調の刃文に尖り刃が混じる作風や、淡く白気立つ映りが現れることを特徴とします。鎌倉時代末期(1280-1330年頃)に大和伝の流れを汲んで発祥し、室町時代(1333-1573年)に全盛期を迎え、江戸時代(1603-1868年)までその伝統は受け継がれました。 特に戦国時代において、美濃伝は武器としての需要の高まりと地理的条件により大きく繁栄しました。美濃国は明智光秀ゆかりの地であり、隣国には尾張の織田信長や駿河の徳川家康といった有力大名が割拠していたため、刀剣の需要は極めて高いものでした。また、関東と京都を結ぶ要所に位置していたことから、諸大名が作刀を依頼するにも理想的な環境にありました。美濃で打たれた刀は、その実用性と切れ味の鋭さから「折れず、曲がらず、よく切れる」と評され、多くの武将や侍たちに重用されました。 本作は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会により「特別保存刀剣」に指定されています。この鑑定書は、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高いと認められた真作の日本刀にのみ授与されるものです。 【刀身】 長さ(Nagasa):68.4 cm 反り(Sori):1.5 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐために茎に黒錆を残しました。この茎の錆色は長い年月を経て形成されるものであり、専門家が作刀年代を推定する上での重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭には、気品ある「五三の桐」と「唐草」の意匠が施されています。 桐紋は三本の直立した花序と三枚の葉で構成され、花の数は格式や位を表します。中でも五輪と三輪の花を配した「五三の桐」は、古来より皇室の象徴とされ、後に日本政府の紋章としても採用された極めて格式高い文様です。また、蔓が伸びゆく「唐草」文様は、生命力の強さから長寿や繁栄を象徴しています。これら二つの意匠の組み合わせは、威厳と永続的な繁栄を表現しています。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 柄は刀を握る部位であり、目貫はその装飾金具です。 本作の目貫にも、縁頭と揃いの「五三の桐」が配されています。


























美濃伝 · 美濃 · 1558-1570頃
刀剣大鑑 上位26%
現在6点販売中
兼房は室町時代中期から新刀期にかけて美濃国で活躍した刀工である。銘鑑によれば、初代は濃州赤坂住とされ、嘉吉頃の重房を初代とする。同名が数代、数工存在し、作風も多岐にわたる。居住地は赤坂から関へと移ったことが知られ、長銘には「濃州関住」と切るものが多い。同時代の刀工との関係では、作風から氏房との類似性が指摘されることもある。
兼房の作風は、板目肌に柾ごころの肌が交じり、地沸がつく地鉄に特徴がある。刃文は「兼房乱れ」と称される頭の丸い互の目乱れを最も得意とするが、互の目丁子、矢筈風の刃、尖り刃、箱がかった刃など変化に富んだ作風を示す。のたれ調の刃文や、兼元風の三本杉を焼くなど作域は広い。匂口は締まりごころに小沸つき、砂流しかかり、飛焼、棟焼を交えるものもある。姿は身幅広く、大鋒で豪壮なものが多く、肉置き豊かな体配を示す。茎は生ぶで、先栗尻、鑢目鷹の羽、または檜垣が多い。
重要刀剣の説示においては、「兼房乱れ」と称される特徴的な刃文が高く評価されている。また、地刃の出来が良く健全であること、幅広・大鋒の姿態が豪壮であること、年紀のある作は貴重であることなどが指摘される。截断銘のある作は資料的価値が高い。総じて、末古刀期の美濃物を代表する刀工として、その作風の多様性と出来の良さが認められている。
兼房の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在154点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
特別保存刀剣鑑定書付 銘 兼房 【解説】 本作は、室町時代を通じて数代にわたり名を馳せた名工「兼房」の銘が切られた一振りです。日本美術刀剣保存協会(日美工)の鑑定によれば、本作は室町時代後期、永正九年(1512年)八月に後代の兼房によって鍛錬されたものとされています。 初代兼房は室町時代中期の永享年間(1429-1441年)に活動し、美濃国関(現在の岐阜県関市)の善定派・兼重の子として知られています。当時、関は美濃伝における作刀の最大拠点であり、兼房は「兼房乱れ」と称される独特の華やかな丁子乱れの刃文を創始したことでその名を轟かせました。 美濃の刀工たちが築き上げた「美濃伝」は、直調の刃文に尖り刃が混じる作風や、淡く白気立つ映りが現れることを特徴とします。鎌倉時代末期(1280-1330年頃)に大和伝の流れを汲んで発祥し、室町時代(1333-1573年)に全盛期を迎え、江戸時代(1603-1868年)までその伝統は受け継がれました。 特に戦国時代において、美濃伝は武器としての需要の高まりと地理的条件により大きく繁栄しました。美濃国は明智光秀ゆかりの地であり、隣国には尾張の織田信長や駿河の徳川家康といった有力大名が割拠していたため、刀剣の需要は極めて高いものでした。また、関東と京都を結ぶ要所に位置していたことから、諸大名が作刀を依頼するにも理想的な環境にありました。美濃で打たれた刀は、その実用性と切れ味の鋭さから「折れず、曲がらず、よく切れる」と評され、多くの武将や侍たちに重用されました。 本作は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会により「特別保存刀剣」に指定されています。この鑑定書は、保存状態が極めて良く、かつ美術的価値が高いと認められた真作の日本刀にのみ授与されるものです。 【刀身】 長さ(Nagasa):68.4 cm 反り(Sori):1.5 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐために茎に黒錆を残しました。この茎の錆色は長い年月を経て形成されるものであり、専門家が作刀年代を推定する上での重要な指標となります。 【拵】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた外装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する一対の金具。 本作の縁頭には、気品ある「五三の桐」と「唐草」の意匠が施されています。 桐紋は三本の直立した花序と三枚の葉で構成され、花の数は格式や位を表します。中でも五輪と三輪の花を配した「五三の桐」は、古来より皇室の象徴とされ、後に日本政府の紋章としても採用された極めて格式高い文様です。また、蔓が伸びゆく「唐草」文様は、生命力の強さから長寿や繁栄を象徴しています。これら二つの意匠の組み合わせは、威厳と永続的な繁栄を表現しています。 柄・目貫(Tsuka / Menuki): 柄は刀を握る部位であり、目貫はその装飾金具です。 本作の目貫にも、縁頭と揃いの「五三の桐」が配されています。


























美濃伝 · 美濃 · 1558-1570頃
刀剣大鑑 上位26%
現在6点販売中
兼房は室町時代中期から新刀期にかけて美濃国で活躍した刀工である。銘鑑によれば、初代は濃州赤坂住とされ、嘉吉頃の重房を初代とする。同名が数代、数工存在し、作風も多岐にわたる。居住地は赤坂から関へと移ったことが知られ、長銘には「濃州関住」と切るものが多い。同時代の刀工との関係では、作風から氏房との類似性が指摘されることもある。
兼房の作風は、板目肌に柾ごころの肌が交じり、地沸がつく地鉄に特徴がある。刃文は「兼房乱れ」と称される頭の丸い互の目乱れを最も得意とするが、互の目丁子、矢筈風の刃、尖り刃、箱がかった刃など変化に富んだ作風を示す。のたれ調の刃文や、兼元風の三本杉を焼くなど作域は広い。匂口は締まりごころに小沸つき、砂流しかかり、飛焼、棟焼を交えるものもある。姿は身幅広く、大鋒で豪壮なものが多く、肉置き豊かな体配を示す。茎は生ぶで、先栗尻、鑢目鷹の羽、または檜垣が多い。
重要刀剣の説示においては、「兼房乱れ」と称される特徴的な刃文が高く評価されている。また、地刃の出来が良く健全であること、幅広・大鋒の姿態が豪壮であること、年紀のある作は貴重であることなどが指摘される。截断銘のある作は資料的価値が高い。総じて、末古刀期の美濃物を代表する刀工として、その作風の多様性と出来の良さが認められている。
兼房の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 美濃
現在154点販売中
美濃国の関は、南北朝より室町、新刀期に至るまで日本刀の一大生産地として栄えた鍛冶の地である。その源流は二つに発し、説明書は金重と志津兼氏とを並べて美濃鍛冶の祖とする。金重は『古今銘尽』に法名道阿、越前敦賀の住人と伝えられ、敦賀より関へ越えて住したといい、相州正宗十哲の一に数えられて、沸の厚い穏やかな手を美濃の地鉄に持ち込んだ。兼氏に発する志津の系は、尖り互の目に走る乱調をもって、いま一つの根をなす。この二流が南北朝の美濃伝を形づくり、金行のごとく金重に続く工、室町に入って善定派の兼吉のように大和手掻の血を関に運んだ工が加わって、流れは広がった。室町後期には兼元・兼定の二名を頂点とする末関の隆盛を迎え、孫六兼元の名と和泉守兼定の受領とが、地方の量産地にとどまらぬ関の格を世に示した。大和と相州の二つの源流に、備前を意識した白け映りの地が結ばれて、美濃伝という一個の伝法が立ったのである。 関物を貫くのは、工と系統の差を越えて繰り返される美濃の共通語法である。地鉄は板目に柾を交えてしばしば肌立ち、刃寄りに柾がかり、鎬地は柾に流れる。その地に立つ映りは備前の明るい乱れ映りではなく、淡く白ける美濃鉄の靄のような白け映りで、説明書はこれを終始、備前と作を分かつ見どころとして掲げる。刃文は互の目を主調に尖り刃を交え、兼元にあっては整然と並ぶ尖り刃の三本杉となり、兼定や兼之にあっては頭の丸い互の目とのたれを交えて変化に富む。沸は乾いて締まり、匂口は冴え、足入り、砂流し・細かな金筋が刃中を走る。帽子は乱れ込んで先尖りごころとなり、あるいは丸く地蔵風に返る。これらは関の背骨をなす型であって、工により濃淡を異にする。金重・金行の手は穏やかで地が肌立ち、善定兼吉は大和の血を負って締った直刃と柾がかる板目を見せ、末関の氏房は大らかなのたれに尖り刃を折り込み、兼房は頭の丸い互の目の兼房乱れを得意とする。同じ語法のうちに、それぞれの工の手が読み分けられる。 収集家が関物を求めるのは、その鑑定が手応えを伴う一個の眼の修練だからである。映りが白く沸が乾いて締まる美濃の地刃は、備前の華やかな映りとも、山城の長く澄んだ直刃とも異なり、これを見分けることが関を識る勘所となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れる。孫六兼元は三本杉の創始者として名を成し、和泉守兼定すなわちノサダは、白ける板目に焼いた賑やかな美濃の刃と来国俊風の細直刃の双方を能くして、古刀期に珍しい受領を許され、刀剣書が「すぐれたる上手」と評する当代第一の手とされる。兼之は末関中最もよく練れた鍛えを見せて作域広く、永正・大永のノサダとして賞玩が厚い。これらの名は将軍家・大名家の伝来を負い、ノサダの太刀には武田信虎のために打たれた一口があり、菊花紋を切った刀は皇室との関わりを示し、徳川将軍家への献上を経た金重の短刀も伝わる。末関の氏房一門は清須・名古屋へ移って尾張新刀三祖の一を生み、古い美濃の手が新たな伝統へ移る蝶番に立った。切れ味をもって武用に応えた量産の地でありながら、孫六兼元らの最上手の作は美術的価値においても高く評され、その白け映りと乾いた沸の手を識ることが、美濃伝いかに始まり継がれたかを語る証となる。 詳しく見る →
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.