国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
日本刀 刀 伝備州長船祐定(天正頃) NTHK鑑定書付 【解説】 本作は、天正年間(1573-1592年:安土桃山時代)の「伝備州長船祐定」と極められた一振りです。「備州」とは現在の岡山県および広島県東部にあたる備前・備中・備後の三国の総称であり、中でも備前国長船は古来より刀剣鋳造の中心的拠点として栄えました。 室町時代後期から末期にかけて備前国で打たれた刀剣は「末備前」と称されます。祐定一派はその中でも長船派の主流として代々大いに繁栄しました。当時、祐定を名乗る刀工は六十名以上にのぼったと伝えられており、その名は一種のブランドとして当時の武士たちから絶大な信頼と人気を集めていました。 戦国時代の真っ只中であった室町時代後期、有力な戦国大名たちの台頭により刀剣の需要は最高潮に達しました。本作のような戦国期の動乱の中で打たれた刀は、当時の武将が特注し、実際に戦場へと携行した歴史的背景を想起させます。 備前国が刀剣の産地として発展した背景には、中国山地から産出される良質な原料(鉄砂)に加え、吉井川の豊かな水と炭が容易に確保できるという地理的優位性がありました。平安時代後期から続く「備前伝」の伝統と、これら恵まれた環境が、数々の名刀を生み出す礎となったのです。 ※刀身には経年による若干の黒錆や擦れが見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):69.8 cm 反り(Sori):2.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。茎に宿る古錆は赤錆を防ぐ役割を果たすとともに、製作年代を特定する上で極めて重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた刀装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する金具。 本作の縁頭は「波濤図」を題材としています。荒波は自然のダイナミックな力強さを象徴し、困難を乗り越える不屈の精神や強靭さを表すものとして、古くから武士に好まれた意匠です。 鍔・目貫(Tsuba / Menuki): 目貫には「龍」が施されています。古代中国の伝説に由来する龍は、権威と幸運を司る瑞獣として尊ばれてきました。龍の姿は九似(角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼、項は蛇、腹は蜃、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛)と称される独特の造形美を持ち、武具の装飾として格別の人気を誇ります。



























Sue-Bizen Osafune (Sukesada) · 備前 · 1547-1592頃
藤代 Jo saku
現在5点販売中
彦左衛門尉祐定の銘の下に伝わる指定作はいずれも生ぶ茶の年紀のある刀で、最も古いのは長銘の傍らに九字印と「大吉」の文字および梵字を刻す天文十六年(一五四七)の作、最も新しいのは播州の和田出雲守のために鍛えた天正四年(一五七六)の注文作である。祐定は末期の長船を代表する名で、最も尊ばれるのは与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉と俳名の冠を持つ一群であり、ここに収める彦左衛門尉もその一人に数えられる。説明は彦左衛門尉の名が前二者よりやや低いとしつつ、これらの作を特に出来がよいとし、その一口を「末備前物の代表作の一口」[[c:1]]と呼ぶ。銘そのものは同銘三代に渡り、銘鑑により初代を永正、二代を天文・永禄、三代を元亀・天正と読む。
作の見どころは一つの明言された作風の二分にある。説明はこれをcorpus全体にほぼ同文で述べる。すなわち、この期の作風は大別して腰開きの互の目乱れが複式風になったものと、「直刃調に足・葉の入ったもの」[[c:2]]の二様に分かれる。前者は華やかな極である。地鉄の上に腰元の谷の開いた乱れを焼き、焼深く、互の目が複式の構造に発展し、足・葉よく入り、小沸つき、砂流し・金筋がかかる。最も激しいものでは匂口明るく、ものによっては総体に沈む。後者は静かな極で、直刃調、しばしば広直刃が足・葉をよく伴い、小沸に砂流しかかり、匂口は締りごころとなり、天正の一口では物打辺に湯走り・飛焼がかかる。作はいずれか一方に明らかに属し、鑑者はそのどちらかを名指す。
地鉄は二様の下に一貫する。よくつんだ小板目、幅の広い刀では板目で、地沸つく。一口はつみつめて無地風となり、他の一口は板目に杉交じり肌立ちて棟焼きが入る。鍛えこそ鑑者が最もしばしばその手を揚げるところで、天文十六年の刀には「鍛えは抜群」と記し、板目に地沸・地景よく入り、「総体につよい鉄味を呈している」[[c:4]]とする。帽子は刃文に応じて乱れ込み小丸に返り、華やかな作では焼深く焼詰風となり、直刃の作では小丸に長く返り、あるいは尖り、わずかに掃掛ける。姿は終始末期の刀で、身幅広い鍢造に幵棟、先反つき、中鋒延びて大鋒ごころとなり、鍢を削いで高くするものもある。
世代は茶から直読される。作はいずれも生ぶ茶で表に長銘・裏に年紀をもち、説明は各作を年代に定めた上で銘鑑の彦左衛門尉三代に当てる。天文十六年・天文十七年の刀を二代とし、天正元年・天正四年の刀を三代とする。二代の作域は広く、腰開きの互の目・直刃・皆焼に及び、いずれにも高い技術が窺われるとする。年を追うごとに刀身も茶も伸びるのは時代の徴と読まれる。太刀が全く廃れ、その代わりに長い打刀を諸手で使用するようになり、末備前の寸法もそれにつれて延びる。二様の作風と三代の世代とは直交し、一は作風、一は年代の事であって、一口を読めばその両方が得られる。
一門の中では室町後期の厚い末備前長船の一群、長船の最後の大きな段階に属す。説明は彦左衛門尉を与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉とともに祐定一群を代表する一人とし、その作は名品の数多く、とりわけ技術が高いと記す。彼自身の見分けは比較に借るのではなく、二様の作風をつまんだ地沸の地鉄に保ち、鑑者の賛える鉄味にあり、継承は他系へではなく一名の内に読まれる。同銘の作が少ないという天文十六年の刀を、そのゆえに二代の代表作と呼ぶ。
藤代はこの工を上作に位し、指定の記録は穏やかである。記録されるは七口、いずれも重要刀剣で、国宝・重要文化財はない。博物館や神社に封じられた遺産というより、私蔵や長く記録された手に伝わる末古刀の一群で、所在の知られる一口は鐶鋒の太刀ほど稀ではなく時に現れる。伝来は一口に明らかで、天正四年の刀は播州住の和田出雲守のために鍛えられ、その所持者銘に「為播州住和田出雲守重代延之也」[[c:5]]とあって、同家代々の重代の作として伝えられたことがわかる。収集家にとって彦左衛門尉祐定は名高い名の近づきやすい端であり、年紀と銘のある末備前の刀にて、二様の読みと世代の枠を手の中で考え得、その最良の作には天文十六年の刀について説明が言うように鍛えの抜群さが見られる。
祐定の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在78点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 刀 伝備州長船祐定(天正頃) NTHK鑑定書付 【解説】 本作は、天正年間(1573-1592年:安土桃山時代)の「伝備州長船祐定」と極められた一振りです。「備州」とは現在の岡山県および広島県東部にあたる備前・備中・備後の三国の総称であり、中でも備前国長船は古来より刀剣鋳造の中心的拠点として栄えました。 室町時代後期から末期にかけて備前国で打たれた刀剣は「末備前」と称されます。祐定一派はその中でも長船派の主流として代々大いに繁栄しました。当時、祐定を名乗る刀工は六十名以上にのぼったと伝えられており、その名は一種のブランドとして当時の武士たちから絶大な信頼と人気を集めていました。 戦国時代の真っ只中であった室町時代後期、有力な戦国大名たちの台頭により刀剣の需要は最高潮に達しました。本作のような戦国期の動乱の中で打たれた刀は、当時の武将が特注し、実際に戦場へと携行した歴史的背景を想起させます。 備前国が刀剣の産地として発展した背景には、中国山地から産出される良質な原料(鉄砂)に加え、吉井川の豊かな水と炭が容易に確保できるという地理的優位性がありました。平安時代後期から続く「備前伝」の伝統と、これら恵まれた環境が、数々の名刀を生み出す礎となったのです。 ※刀身には経年による若干の黒錆や擦れが見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):69.8 cm 反り(Sori):2.2 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地鉄(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様 切先(Kissaki):刀身の先端部分 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。茎に宿る古錆は赤錆を防ぐ役割を果たすとともに、製作年代を特定する上で極めて重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた刀装一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護する金具。 本作の縁頭は「波濤図」を題材としています。荒波は自然のダイナミックな力強さを象徴し、困難を乗り越える不屈の精神や強靭さを表すものとして、古くから武士に好まれた意匠です。 鍔・目貫(Tsuba / Menuki): 目貫には「龍」が施されています。古代中国の伝説に由来する龍は、権威と幸運を司る瑞獣として尊ばれてきました。龍の姿は九似(角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼、項は蛇、腹は蜃、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛)と称される独特の造形美を持ち、武具の装飾として格別の人気を誇ります。



























Sue-Bizen Osafune (Sukesada) · 備前 · 1547-1592頃
藤代 Jo saku
現在5点販売中
彦左衛門尉祐定の銘の下に伝わる指定作はいずれも生ぶ茶の年紀のある刀で、最も古いのは長銘の傍らに九字印と「大吉」の文字および梵字を刻す天文十六年(一五四七)の作、最も新しいのは播州の和田出雲守のために鍛えた天正四年(一五七六)の注文作である。祐定は末期の長船を代表する名で、最も尊ばれるのは与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉と俳名の冠を持つ一群であり、ここに収める彦左衛門尉もその一人に数えられる。説明は彦左衛門尉の名が前二者よりやや低いとしつつ、これらの作を特に出来がよいとし、その一口を「末備前物の代表作の一口」[[c:1]]と呼ぶ。銘そのものは同銘三代に渡り、銘鑑により初代を永正、二代を天文・永禄、三代を元亀・天正と読む。
作の見どころは一つの明言された作風の二分にある。説明はこれをcorpus全体にほぼ同文で述べる。すなわち、この期の作風は大別して腰開きの互の目乱れが複式風になったものと、「直刃調に足・葉の入ったもの」[[c:2]]の二様に分かれる。前者は華やかな極である。地鉄の上に腰元の谷の開いた乱れを焼き、焼深く、互の目が複式の構造に発展し、足・葉よく入り、小沸つき、砂流し・金筋がかかる。最も激しいものでは匂口明るく、ものによっては総体に沈む。後者は静かな極で、直刃調、しばしば広直刃が足・葉をよく伴い、小沸に砂流しかかり、匂口は締りごころとなり、天正の一口では物打辺に湯走り・飛焼がかかる。作はいずれか一方に明らかに属し、鑑者はそのどちらかを名指す。
地鉄は二様の下に一貫する。よくつんだ小板目、幅の広い刀では板目で、地沸つく。一口はつみつめて無地風となり、他の一口は板目に杉交じり肌立ちて棟焼きが入る。鍛えこそ鑑者が最もしばしばその手を揚げるところで、天文十六年の刀には「鍛えは抜群」と記し、板目に地沸・地景よく入り、「総体につよい鉄味を呈している」[[c:4]]とする。帽子は刃文に応じて乱れ込み小丸に返り、華やかな作では焼深く焼詰風となり、直刃の作では小丸に長く返り、あるいは尖り、わずかに掃掛ける。姿は終始末期の刀で、身幅広い鍢造に幵棟、先反つき、中鋒延びて大鋒ごころとなり、鍢を削いで高くするものもある。
世代は茶から直読される。作はいずれも生ぶ茶で表に長銘・裏に年紀をもち、説明は各作を年代に定めた上で銘鑑の彦左衛門尉三代に当てる。天文十六年・天文十七年の刀を二代とし、天正元年・天正四年の刀を三代とする。二代の作域は広く、腰開きの互の目・直刃・皆焼に及び、いずれにも高い技術が窺われるとする。年を追うごとに刀身も茶も伸びるのは時代の徴と読まれる。太刀が全く廃れ、その代わりに長い打刀を諸手で使用するようになり、末備前の寸法もそれにつれて延びる。二様の作風と三代の世代とは直交し、一は作風、一は年代の事であって、一口を読めばその両方が得られる。
一門の中では室町後期の厚い末備前長船の一群、長船の最後の大きな段階に属す。説明は彦左衛門尉を与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉とともに祐定一群を代表する一人とし、その作は名品の数多く、とりわけ技術が高いと記す。彼自身の見分けは比較に借るのではなく、二様の作風をつまんだ地沸の地鉄に保ち、鑑者の賛える鉄味にあり、継承は他系へではなく一名の内に読まれる。同銘の作が少ないという天文十六年の刀を、そのゆえに二代の代表作と呼ぶ。
藤代はこの工を上作に位し、指定の記録は穏やかである。記録されるは七口、いずれも重要刀剣で、国宝・重要文化財はない。博物館や神社に封じられた遺産というより、私蔵や長く記録された手に伝わる末古刀の一群で、所在の知られる一口は鐶鋒の太刀ほど稀ではなく時に現れる。伝来は一口に明らかで、天正四年の刀は播州住の和田出雲守のために鍛えられ、その所持者銘に「為播州住和田出雲守重代延之也」[[c:5]]とあって、同家代々の重代の作として伝えられたことがわかる。収集家にとって彦左衛門尉祐定は名高い名の近づきやすい端であり、年紀と銘のある末備前の刀にて、二様の読みと世代の枠を手の中で考え得、その最良の作には天文十六年の刀について説明が言うように鍛えの抜群さが見られる。
祐定の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在78点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
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