国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
番号:AS26442 短刀:白鞘入り(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 銘文: 備州国吉井盛則 応永二十六年十月日 弊社では刀工の出来を最上作、上々作、上作、普通作に分類しております。 本作は盛則としては上作にランクされる作品です。 ハバキ: 長さ:28.2cm(9寸3分) 反り: 目釘穴:2個 元幅:2.32cm 先幅:1.0cm 重ね:0.52cm 刀身重量:160グラム 時代:室町時代初期、応永二十六年(1419年) 体配:身幅やや広く、表に棒樋を掻き通し、その中に素剣を彫る。裏には棒樋と梵字を刻む。 地鉄:板目肌よく練れ、映りが現れる。 刃文:直刃調に足入り、匂口深く、帽子は丸く返る。 特徴: 備州国吉井派は、長船派と同じく吉井川流域で活動した刀工群と伝えられていますが、現存する作品は極めて少数です。 本作は応永の年紀を有しており、資料的価値も高い一振りです。 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 葵美術評価鑑定書 全身押し形 ※海外送料は価格に含まれておりません。 オークション開始価格:400,000円 入札する 関連商品: 短刀:信国(筑紫)(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣) 短刀:備州長船住横山祐包(明治三年)(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 短刀:筑前守信秀 明治九年八月日(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 短刀:誠進斎守近 桜花 林道徳需(棟に刻銘)万延元年十一月日(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣)(日本刀剣保存会 鑑定書) 短刀:天田昭次(人間国宝)昭和四十四年二月日(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 短刀:飛騨守藤原氏房(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣)




Bizen Yoshii (Ko-Yoshii) · 備前 · 1378-1428頃
藤代 Chu-jo saku
現在3点販売中
備前吉井派の盛則は、現存する最初期の作を備前国住吉井盛則と切り、永和四年八月の年紀を添える。永和四年は一三七八年にあたり、この南北朝後期の太刀から、その作は十五世紀初頭の応永年間へと、僅かな在銘・年紀の作をもって続いてゆく。年代の知れる作が南北朝を降らぬため、説明書は本工を古吉井、すなわちNBTHKが室町期の平凡な吉井と名をもって区別する一派の古い作域に位置づける。吉井派は鎌倉後期の為則を祖として始まると伝えるが、その頃まで遡る作は極めて少なく、現存する中ではこの十四世紀の古吉井の作、盛則のものもその一つが、一派を最もよく示す。個銘の部分の切れた折返銘の刀の一口は、残る銘字の書風より、明徳頃に活躍した古吉井の盛則の作と鑑せられる。
本工の典型は一派の作風をその頂点で読む姿であり、説明書はその核心を二つに見る。第一は刃文、すなわち規則的に連れる互の目で、説明書はこれを「互の目が規則的に連れるところに最大の見どころがある」[[c:1]]と記す。身幅広めの刀ではこれが小互の目となって規則的に連れ、形に若干の変化を見せ、尖りごころの刃を交え、足・葉入り、沸が強く立って刃縁は処々ほつれ、砂流し頻りにかかり金筋が刃中に入る。永和の太刀では同じ手が尖りごころの刃を交えた互の目乱れとして現れ、その形の変化が既に静かな直刃と本工の刃を分かつ。第二は地で、ここに一派は備前物中独特と説明書が呼ぶ映りを立てる。すなわち「映りは備前物中独特で」[[c:2]]、その「刃文の形がそのまま影になったように見えるもの」[[c:3]]であり、長船本流の柔らかな雲のような乱れ映りとは異なって、焼刃の輪郭をそのまま繰り返すように見える。
その映りの下の地鉄は、流れてやや肌立つ板目で、処々綾杉風を呈し、説明書はこれを吉井の地のもう一つの見どころに数える。地沸つき地景交じり、ある刀では板目に杢目を交えて総じてよくつむ。本工の典型では帽子は乱れ込んで小丸、または大丸ごころに返り、一口では先掃きかけ、別の一口では金筋がかかる。長寸の作には表裏に棒樋を施し、永和の太刀では丸止め、後の刀では掻き流す。銘は棟寄りに切る長銘で、磨り上げられた作では長銘が折り返されて折返銘として残り、本工の幾口かはこの折返銘によって、生ぶ茎を失いつつ極めを保ってきた。
この典型の手とは別に、説明書は応永の短刀に静かな在銘の作域を記し、鑑定はこれを連れた互の目とは分けて把えねばならない。年紀のある短刀は平造・三ッ棟、寸延びて殆ど反りがなく、刃寄りに流れて総体につんだ板目に地沸つき、刃文は細直刃に小沸つき、帽子は直ぐに丸く返る。表には変り樋を、裏は刀樋中に素剣の浮彫を施し、この浮彫が小振りで尋常な姿の作にその主たる見どころを与える。説明書はこの短刀を小振りで尋常な姿のよくまとまった作とし、先の永和の太刀とともにその製作年代の知れる貴重な作として、南北朝後期から応永に至る本工の作期を二つの年紀が画する。
したがって盛則を十四世紀の備前の他工から分かつのは、力や華やかさではなく、その自身の作が担う吉井固有の組合せである。室町期に他の備前諸派が長船本流に統合される中で、吉井派のみが独特の連れた互の目と一派の映りを保って続き、盛則はその南北朝後期の作風を定める年紀のある古吉井の工に列なる。最上の刀について説明書は、綾杉風を呈した地鉄・映り・よく沸づいて頻りに砂流しのかかる規則的な互の目に、本工のみならず一派の作風がよく示されるとし、地刃ともに健全とする。その名は清則ら他の年紀の手とともに室町期の吉井へと続き、本工は同名の後の作から古吉井を区別する資料的な拠り所の一つとして読まれる。
盛則の作は僅かな在銘・年紀の作に残り、その四口が第二十二回・第二十八回・第四十回の重要刀剣に指定され、銘は一三七八年の永和四年から応永年間に及ぶ。藤代の評は本工を中上作とし、一派の手の平均を上回る位置に置く。説明書が最も温かく評するのは第四十回の刀で、「平肉の豊かな健全な姿がよく、刃縁には光の強い沸がきらめき、出来が優れている」[[c:4]]と記す。本工の作にはより上位の指定もなく、また大名伝来の記録も伴わぬため、その作は鎌倉の大名物が占める美術館の御物ではなく、重要刀剣上位の作域に属する。私人の蒐集にとってこれは、僅かに残る在銘・年紀の古吉井盛則が市場に現れる時、手の届かぬものではなく入手しうるものであることを意味するが、その出現は時折に過ぎず、忍耐に報いるものであり、名の稀少よりも、南北朝後期の吉井の手をその最も典型的な姿で伝える在銘・年代の知れる作であることにこそ、その価値がある。
盛則の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
現在10点販売中
備前国吉井川をへだてて長船村と相対する吉井の地に、室町期に至って他の備前諸派が長船本流に統合される中、ただ一派その流れに与せず独自の作風を保って続いた一門がある。これが吉井派である。鎌倉後期の為則を祖として始まると伝えるが、その頃まで遡る作は稀有で、現存して年代の知れる作は鎌倉末期から南北朝期に始まる。NBTHKは南北朝を降らぬ作を古吉井、室町期のものを吉井として区別する。一門は「次」ならぬ「則」の字を通字とし、清次の伝えとともに景則・盛則・清則・永則と「則」字の名跡が連なる。中でも景則は名跡が最も長く続き、一説に吉井の嫡流とも伝えて、鎌倉末から室町中期まで一派の縦糸をなす。清則の子永則はのち出雲へ移住したとの伝えがあり、同国には後代の永則が数工あって伝えに符合する。 この一門を決するのは、規則的に連れて焼かれる小互の目である。やや肌立つ板目の上にこの刃を焼き、尖り刃・角がかる刃を交えて尖りごころを生み、しばしば逆がかって小丁子を交える。整然と反復するこの「吉井刃」を背骨として、清則・盛則らはこれを匂本位に控えめな小沸で締め、景則は刃中の強い沸を立てて、伊達家旧蔵の太刀が古備前と極められるほど最も古い備前へと結びつく。地鉄は杢を交えてつんだ板目で、処々綾杉風を呈し、地沸つき地景入る。その上に一門は備前物中独特の映りを立てる。これは焼刃の形がそのまま地に影となって映じたようなもので、長船本流の柔らかな雲のような乱れ映りのように漂うのではなく、上の刃文の輪郭を地に呼応させて繰り返す。連れた互の目の華やかな半面に対し、僅かに小互の目を交えた細直刃という静かな半面があり、同じ工が両様を打ち分ける。永則の細直刃に交じる小互の目のように、最も静かな刃にも畳み込まれた互の目が窺え、これが則光風の尋常な直刃と紛れるところを吉井へと引き戻す。銘は逆鏨を多用して切られ、銘字までもが一門の標を帯びる。 鑑定の勘所は、何よりこの整然たる連れにある。吉井の刀を分かつのは華やかさでも大きさでもなく、刀身の全長を一定の調子で走る小互の目の反復であり、これによって長船嫡流と分かたれる。背後に立つ影のごとき映りと、逆鏨の銘とが、これを補強する。逆にその作風の強さゆえ、後代のものが往々美濃物と誤鑑され易い点も心得るべきである。主要工の格は名高い鎌倉の名工というよりは記録の明確な上手で、藤代は清則を中作、盛則・永則を中上作とし、一門の手の平均を上回る位置に置く。その作はことごとく在銘で多くは年紀をもつため、求める者は年代まで定め得る工に出会い、これは室町備前の手にとってそれ自体が一つの魅力である。連れた互の目と映りに惹かれる収集家にとって、年紀作はこの一派の作風を最も明快に手にする道であり、伝来の知れるものでは景則の太刀が佐野美術館に、清則の太刀が靖國神社に、永則の大太刀が徳川美術館に納まる。古吉井の精緻な基準に最も近づくのは清則文安の脇指のような頂点の作で、室町期の吉井物にしてはよく沸づき、説示はこれを古吉井の作域にせまる出来と評する。 詳しく見る →
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。
番号:AS26442 短刀:白鞘入り(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 銘文: 備州国吉井盛則 応永二十六年十月日 弊社では刀工の出来を最上作、上々作、上作、普通作に分類しております。 本作は盛則としては上作にランクされる作品です。 ハバキ: 長さ:28.2cm(9寸3分) 反り: 目釘穴:2個 元幅:2.32cm 先幅:1.0cm 重ね:0.52cm 刀身重量:160グラム 時代:室町時代初期、応永二十六年(1419年) 体配:身幅やや広く、表に棒樋を掻き通し、その中に素剣を彫る。裏には棒樋と梵字を刻む。 地鉄:板目肌よく練れ、映りが現れる。 刃文:直刃調に足入り、匂口深く、帽子は丸く返る。 特徴: 備州国吉井派は、長船派と同じく吉井川流域で活動した刀工群と伝えられていますが、現存する作品は極めて少数です。 本作は応永の年紀を有しており、資料的価値も高い一振りです。 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 葵美術評価鑑定書 全身押し形 ※海外送料は価格に含まれておりません。 オークション開始価格:400,000円 入札する 関連商品: 短刀:信国(筑紫)(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣) 短刀:備州長船住横山祐包(明治三年)(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 短刀:筑前守信秀 明治九年八月日(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 短刀:誠進斎守近 桜花 林道徳需(棟に刻銘)万延元年十一月日(日本美術刀剣保存協会 保存刀剣)(日本刀剣保存会 鑑定書) 短刀:天田昭次(人間国宝)昭和四十四年二月日(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 短刀:飛騨守藤原氏房(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣)




Bizen Yoshii (Ko-Yoshii) · 備前 · 1378-1428頃
藤代 Chu-jo saku
現在3点販売中
備前吉井派の盛則は、現存する最初期の作を備前国住吉井盛則と切り、永和四年八月の年紀を添える。永和四年は一三七八年にあたり、この南北朝後期の太刀から、その作は十五世紀初頭の応永年間へと、僅かな在銘・年紀の作をもって続いてゆく。年代の知れる作が南北朝を降らぬため、説明書は本工を古吉井、すなわちNBTHKが室町期の平凡な吉井と名をもって区別する一派の古い作域に位置づける。吉井派は鎌倉後期の為則を祖として始まると伝えるが、その頃まで遡る作は極めて少なく、現存する中ではこの十四世紀の古吉井の作、盛則のものもその一つが、一派を最もよく示す。個銘の部分の切れた折返銘の刀の一口は、残る銘字の書風より、明徳頃に活躍した古吉井の盛則の作と鑑せられる。
本工の典型は一派の作風をその頂点で読む姿であり、説明書はその核心を二つに見る。第一は刃文、すなわち規則的に連れる互の目で、説明書はこれを「互の目が規則的に連れるところに最大の見どころがある」[[c:1]]と記す。身幅広めの刀ではこれが小互の目となって規則的に連れ、形に若干の変化を見せ、尖りごころの刃を交え、足・葉入り、沸が強く立って刃縁は処々ほつれ、砂流し頻りにかかり金筋が刃中に入る。永和の太刀では同じ手が尖りごころの刃を交えた互の目乱れとして現れ、その形の変化が既に静かな直刃と本工の刃を分かつ。第二は地で、ここに一派は備前物中独特と説明書が呼ぶ映りを立てる。すなわち「映りは備前物中独特で」[[c:2]]、その「刃文の形がそのまま影になったように見えるもの」[[c:3]]であり、長船本流の柔らかな雲のような乱れ映りとは異なって、焼刃の輪郭をそのまま繰り返すように見える。
その映りの下の地鉄は、流れてやや肌立つ板目で、処々綾杉風を呈し、説明書はこれを吉井の地のもう一つの見どころに数える。地沸つき地景交じり、ある刀では板目に杢目を交えて総じてよくつむ。本工の典型では帽子は乱れ込んで小丸、または大丸ごころに返り、一口では先掃きかけ、別の一口では金筋がかかる。長寸の作には表裏に棒樋を施し、永和の太刀では丸止め、後の刀では掻き流す。銘は棟寄りに切る長銘で、磨り上げられた作では長銘が折り返されて折返銘として残り、本工の幾口かはこの折返銘によって、生ぶ茎を失いつつ極めを保ってきた。
この典型の手とは別に、説明書は応永の短刀に静かな在銘の作域を記し、鑑定はこれを連れた互の目とは分けて把えねばならない。年紀のある短刀は平造・三ッ棟、寸延びて殆ど反りがなく、刃寄りに流れて総体につんだ板目に地沸つき、刃文は細直刃に小沸つき、帽子は直ぐに丸く返る。表には変り樋を、裏は刀樋中に素剣の浮彫を施し、この浮彫が小振りで尋常な姿の作にその主たる見どころを与える。説明書はこの短刀を小振りで尋常な姿のよくまとまった作とし、先の永和の太刀とともにその製作年代の知れる貴重な作として、南北朝後期から応永に至る本工の作期を二つの年紀が画する。
したがって盛則を十四世紀の備前の他工から分かつのは、力や華やかさではなく、その自身の作が担う吉井固有の組合せである。室町期に他の備前諸派が長船本流に統合される中で、吉井派のみが独特の連れた互の目と一派の映りを保って続き、盛則はその南北朝後期の作風を定める年紀のある古吉井の工に列なる。最上の刀について説明書は、綾杉風を呈した地鉄・映り・よく沸づいて頻りに砂流しのかかる規則的な互の目に、本工のみならず一派の作風がよく示されるとし、地刃ともに健全とする。その名は清則ら他の年紀の手とともに室町期の吉井へと続き、本工は同名の後の作から古吉井を区別する資料的な拠り所の一つとして読まれる。
盛則の作は僅かな在銘・年紀の作に残り、その四口が第二十二回・第二十八回・第四十回の重要刀剣に指定され、銘は一三七八年の永和四年から応永年間に及ぶ。藤代の評は本工を中上作とし、一派の手の平均を上回る位置に置く。説明書が最も温かく評するのは第四十回の刀で、「平肉の豊かな健全な姿がよく、刃縁には光の強い沸がきらめき、出来が優れている」[[c:4]]と記す。本工の作にはより上位の指定もなく、また大名伝来の記録も伴わぬため、その作は鎌倉の大名物が占める美術館の御物ではなく、重要刀剣上位の作域に属する。私人の蒐集にとってこれは、僅かに残る在銘・年紀の古吉井盛則が市場に現れる時、手の届かぬものではなく入手しうるものであることを意味するが、その出現は時折に過ぎず、忍耐に報いるものであり、名の稀少よりも、南北朝後期の吉井の手をその最も典型的な姿で伝える在銘・年代の知れる作であることにこそ、その価値がある。
盛則の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
現在10点販売中
備前国吉井川をへだてて長船村と相対する吉井の地に、室町期に至って他の備前諸派が長船本流に統合される中、ただ一派その流れに与せず独自の作風を保って続いた一門がある。これが吉井派である。鎌倉後期の為則を祖として始まると伝えるが、その頃まで遡る作は稀有で、現存して年代の知れる作は鎌倉末期から南北朝期に始まる。NBTHKは南北朝を降らぬ作を古吉井、室町期のものを吉井として区別する。一門は「次」ならぬ「則」の字を通字とし、清次の伝えとともに景則・盛則・清則・永則と「則」字の名跡が連なる。中でも景則は名跡が最も長く続き、一説に吉井の嫡流とも伝えて、鎌倉末から室町中期まで一派の縦糸をなす。清則の子永則はのち出雲へ移住したとの伝えがあり、同国には後代の永則が数工あって伝えに符合する。 この一門を決するのは、規則的に連れて焼かれる小互の目である。やや肌立つ板目の上にこの刃を焼き、尖り刃・角がかる刃を交えて尖りごころを生み、しばしば逆がかって小丁子を交える。整然と反復するこの「吉井刃」を背骨として、清則・盛則らはこれを匂本位に控えめな小沸で締め、景則は刃中の強い沸を立てて、伊達家旧蔵の太刀が古備前と極められるほど最も古い備前へと結びつく。地鉄は杢を交えてつんだ板目で、処々綾杉風を呈し、地沸つき地景入る。その上に一門は備前物中独特の映りを立てる。これは焼刃の形がそのまま地に影となって映じたようなもので、長船本流の柔らかな雲のような乱れ映りのように漂うのではなく、上の刃文の輪郭を地に呼応させて繰り返す。連れた互の目の華やかな半面に対し、僅かに小互の目を交えた細直刃という静かな半面があり、同じ工が両様を打ち分ける。永則の細直刃に交じる小互の目のように、最も静かな刃にも畳み込まれた互の目が窺え、これが則光風の尋常な直刃と紛れるところを吉井へと引き戻す。銘は逆鏨を多用して切られ、銘字までもが一門の標を帯びる。 鑑定の勘所は、何よりこの整然たる連れにある。吉井の刀を分かつのは華やかさでも大きさでもなく、刀身の全長を一定の調子で走る小互の目の反復であり、これによって長船嫡流と分かたれる。背後に立つ影のごとき映りと、逆鏨の銘とが、これを補強する。逆にその作風の強さゆえ、後代のものが往々美濃物と誤鑑され易い点も心得るべきである。主要工の格は名高い鎌倉の名工というよりは記録の明確な上手で、藤代は清則を中作、盛則・永則を中上作とし、一門の手の平均を上回る位置に置く。その作はことごとく在銘で多くは年紀をもつため、求める者は年代まで定め得る工に出会い、これは室町備前の手にとってそれ自体が一つの魅力である。連れた互の目と映りに惹かれる収集家にとって、年紀作はこの一派の作風を最も明快に手にする道であり、伝来の知れるものでは景則の太刀が佐野美術館に、清則の太刀が靖國神社に、永則の大太刀が徳川美術館に納まる。古吉井の精緻な基準に最も近づくのは清則文安の脇指のような頂点の作で、室町期の吉井物にしてはよく沸づき、説示はこれを古吉井の作域にせまる出来と評する。 詳しく見る →
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。