室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
日本刀 備州長船守行 折返銘(保存刀剣鑑定書付属) 【解説】 本作は、南北朝時代後期から室町時代初期(明徳・応永年間/1390年〜1428年頃)にかけて備前国で活躍した、長船小反(こぞり)派の刀工「備州長船守行」による一振りです。小反派とは、備前長船派の中でも兼光系以外の諸工の総称を指します。『日本刀銘鑑』によれば、守行の名を冠する刀工は二代にわたるとされています。 また、本作は歴史的資料価値の高い「折返銘(おりかえしめい)」を有しています。鎌倉・南北朝時代の太刀の多くは、後の時代の戦闘様式の変化や江戸初期の規定に合わせて「磨上げ(すりあげ)」が行われましたが、その際、元の銘を残すために茎(なかご)の一部を折り返して仕立てたものが折返銘です。当時の銘がそのまま現存している例は極めて稀であり、貴重な遺構といえます。 小反派が活躍した南北朝時代は、朝廷が南北に分かれ戦乱が続いた激動の時代でした。多くの武士が戦場へ赴く中、小反派の刀工たちは実戦に耐えうる高品質な打物を数多く鍛え上げ、武士たちの需要に応えていたことが伺えます。 【備前長船派の歴史】 長船派は鎌倉時代中期の光忠を始祖とする流派です。備前国において最大の勢力を誇り、時の有力大名や名だたる武士から多くの注文を受けました。その作品は「長船物」として武士の間で深く愛好されました。 同派からは、長船三作と称される長光・真長・景光や、長船四天王と謳われる長光・兼光・伝長義・元重など、日本刀史上屈指の名工が輩出されています。 備前国は中国山地に近く、刀剣の原料となる良質な砂鉄が豊富に採取できました。さらに吉井川の流域に位置していたことから、水や炭の確保にも恵まれた地質的利点がありました。こうした背景から、平安時代後期の「古備前」に始まり、鎌倉時代中期以降の長船派の隆盛へと繋がる、日本刀の聖地としての地位を確立したのです。 【太刀拵】 本作は太刀拵に収められています。太刀は平安時代から室町時代初期にかけて、主に騎馬武者が鎧姿で用いた形式です。刃を下に向けて腰から吊るす「佩用(はいよう)」の様式をとっており、これは馬上から地上の敵を素早く斬り下ろすのに適した形でした。その華麗な外装は、武士の社会的地位を象徴するステータスシンボルでもありました。 【鑑定】 公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)による「保存刀剣」に鑑定されています。美術品としての価値が高く、保存状態の優れた真正の日本刀であることを証明するものです。 ※刀身には僅かに鍛え傷が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(刃長):65.5 cm 反り:1.2 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地紋(地肌):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先:刀身の先端部分 茎:刀身の柄に収まる中心部分


























備前伝 · 備前 · 1390-1394頃
刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
備前伝 · 備前
現在28点販売中
小反は、南北朝時代末期から室町時代初期にかけて備前長船の地に働いた一群の刀工を、血脈ではなく除外によって括った呼称である。すなわち兼光一門、長義、元重、大宮一門といった当時の長船の主立った系統のいずれにも直接の師弟関係を結ばぬ周縁の手を、まとめて一名のもとに集めたものであり、その名の意味するところは今日なお漠然としていると本会は率直に記す。秀光、家助、成家、家守、師光、守助らがこれに数えられ、銘鑑はおのおのを数代に立てて初代を鎌倉後期から建武・暦応の頃に置くが、確たる初代作を経眼せず、現存の有銘作はおおむね文和・貞治から永徳・明徳を経て応永一桁代に及ぶ。それゆえ各遺例は一手に確定的に帰すよりも、作風と年紀によって読まれるのを常とする。師光が倫光の子にして応永備前の盛光の父と伝えられ、家助が畠田派を承けて応永備前の一角をなすように、この一群は長船嫡流の華やかな本流とその次代の応永備前との間に、静かな周縁の地帯をなして横たわる。 この一派を貫く手は小模様の乱れである。兼光一門が太く円い互の目を焼くのに対し、小反の工はおおむね同じ趣を小さくこずんだ刃に収め、小のたれを本位として小互の目を連れごころに焼き、これに尖り刃、角ばる刃、腰の開いた互の目を交え、処々逆ごころを見せて、総じて小さくこずむ。足・葉よく入り、匂を主調にわずかに小沸つき、金筋・砂流しが細かに働き、丁子を交えてもなお控えめにとどまる。地鉄は板目に杢を交えて流れごころとなり、肌やや立って地沸細かにつき、地景が黒く沈み、時に地斑を交え、その上に淡い、あるいは鮮明な乱れ映りが立つ。短刀・平造の作では棒映り、直ぐ状の映りとなるものも見え、いずれにせよこの映りが、同時代の相州風の手から一派を分かち、備前の地に繋ぎ止める最も確かな標となる。帽子は刃文に従って乱れ込み尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に結ぶ。棒樋を掻き、梵字、護摩箸、倶利迦羅などを彫る作もある。一派の常を越えて、師光の至徳の太刀のように腰の開いた互の目に高低を見せて華やかに乱れ、応永備前を予兆させる作もあり、家守の応永の太刀のごとく重ね厚く先反りを加えて次代の姿に近づくものもある。 収集の観点から小反の物が求められるのは、何よりそれが資料として明瞭であるからである。鑑定の勘所は二つの敷居を分かつことにある。一つは兼光本流との別で、模様の小さくこずむ点と、やや控えめな作位とによってこれを読み、いま一つは応永備前との別で、腰の開いた互の目と棒映りのうちに次代の萌芽を見ながら、なお南北朝の古調の姿と抑えた焼きにとどまる点をもって分かつ。主要な工の格はおのずから別れ、師光は上々作に位し、秀光、家助、成家、守助、家守らは中上作の位を占める。在銘の作はおおむね生ぶで年紀を備えた太刀として遺り、成家のように大磨上無銘の刀によって主に知られる工もあるが、いずれの場合も、年紀の確かな南北朝の備前として頗る貴重とされる。伝来は概して薄いが確かで、黒田家、加賀前田家、庄内酒井家、皇室の手を経た作や、林原美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、春日大社に伝わる作が知られ、その多くは伝持されて市場に現れることは稀である。在銘有年紀の小反物が世に出るのは折に触れてに過ぎず、根気を要するが、現れればそれは、長船派が南北朝の世をいかに閉じ、応永の再興へといかに身を運んだかを、一年一年読みうる確かな文書となる。 詳しく見る →
室町時代の備前
室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 備州長船守行 折返銘(保存刀剣鑑定書付属) 【解説】 本作は、南北朝時代後期から室町時代初期(明徳・応永年間/1390年〜1428年頃)にかけて備前国で活躍した、長船小反(こぞり)派の刀工「備州長船守行」による一振りです。小反派とは、備前長船派の中でも兼光系以外の諸工の総称を指します。『日本刀銘鑑』によれば、守行の名を冠する刀工は二代にわたるとされています。 また、本作は歴史的資料価値の高い「折返銘(おりかえしめい)」を有しています。鎌倉・南北朝時代の太刀の多くは、後の時代の戦闘様式の変化や江戸初期の規定に合わせて「磨上げ(すりあげ)」が行われましたが、その際、元の銘を残すために茎(なかご)の一部を折り返して仕立てたものが折返銘です。当時の銘がそのまま現存している例は極めて稀であり、貴重な遺構といえます。 小反派が活躍した南北朝時代は、朝廷が南北に分かれ戦乱が続いた激動の時代でした。多くの武士が戦場へ赴く中、小反派の刀工たちは実戦に耐えうる高品質な打物を数多く鍛え上げ、武士たちの需要に応えていたことが伺えます。 【備前長船派の歴史】 長船派は鎌倉時代中期の光忠を始祖とする流派です。備前国において最大の勢力を誇り、時の有力大名や名だたる武士から多くの注文を受けました。その作品は「長船物」として武士の間で深く愛好されました。 同派からは、長船三作と称される長光・真長・景光や、長船四天王と謳われる長光・兼光・伝長義・元重など、日本刀史上屈指の名工が輩出されています。 備前国は中国山地に近く、刀剣の原料となる良質な砂鉄が豊富に採取できました。さらに吉井川の流域に位置していたことから、水や炭の確保にも恵まれた地質的利点がありました。こうした背景から、平安時代後期の「古備前」に始まり、鎌倉時代中期以降の長船派の隆盛へと繋がる、日本刀の聖地としての地位を確立したのです。 【太刀拵】 本作は太刀拵に収められています。太刀は平安時代から室町時代初期にかけて、主に騎馬武者が鎧姿で用いた形式です。刃を下に向けて腰から吊るす「佩用(はいよう)」の様式をとっており、これは馬上から地上の敵を素早く斬り下ろすのに適した形でした。その華麗な外装は、武士の社会的地位を象徴するステータスシンボルでもありました。 【鑑定】 公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)による「保存刀剣」に鑑定されています。美術品としての価値が高く、保存状態の優れた真正の日本刀であることを証明するものです。 ※刀身には僅かに鍛え傷が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(刃長):65.5 cm 反り:1.2 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地紋(地肌):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先:刀身の先端部分 茎:刀身の柄に収まる中心部分


























備前伝 · 備前 · 1390-1394頃
刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
備前伝 · 備前
現在28点販売中
小反は、南北朝時代末期から室町時代初期にかけて備前長船の地に働いた一群の刀工を、血脈ではなく除外によって括った呼称である。すなわち兼光一門、長義、元重、大宮一門といった当時の長船の主立った系統のいずれにも直接の師弟関係を結ばぬ周縁の手を、まとめて一名のもとに集めたものであり、その名の意味するところは今日なお漠然としていると本会は率直に記す。秀光、家助、成家、家守、師光、守助らがこれに数えられ、銘鑑はおのおのを数代に立てて初代を鎌倉後期から建武・暦応の頃に置くが、確たる初代作を経眼せず、現存の有銘作はおおむね文和・貞治から永徳・明徳を経て応永一桁代に及ぶ。それゆえ各遺例は一手に確定的に帰すよりも、作風と年紀によって読まれるのを常とする。師光が倫光の子にして応永備前の盛光の父と伝えられ、家助が畠田派を承けて応永備前の一角をなすように、この一群は長船嫡流の華やかな本流とその次代の応永備前との間に、静かな周縁の地帯をなして横たわる。 この一派を貫く手は小模様の乱れである。兼光一門が太く円い互の目を焼くのに対し、小反の工はおおむね同じ趣を小さくこずんだ刃に収め、小のたれを本位として小互の目を連れごころに焼き、これに尖り刃、角ばる刃、腰の開いた互の目を交え、処々逆ごころを見せて、総じて小さくこずむ。足・葉よく入り、匂を主調にわずかに小沸つき、金筋・砂流しが細かに働き、丁子を交えてもなお控えめにとどまる。地鉄は板目に杢を交えて流れごころとなり、肌やや立って地沸細かにつき、地景が黒く沈み、時に地斑を交え、その上に淡い、あるいは鮮明な乱れ映りが立つ。短刀・平造の作では棒映り、直ぐ状の映りとなるものも見え、いずれにせよこの映りが、同時代の相州風の手から一派を分かち、備前の地に繋ぎ止める最も確かな標となる。帽子は刃文に従って乱れ込み尖りごころに掃きかけ、あるいは小丸に結ぶ。棒樋を掻き、梵字、護摩箸、倶利迦羅などを彫る作もある。一派の常を越えて、師光の至徳の太刀のように腰の開いた互の目に高低を見せて華やかに乱れ、応永備前を予兆させる作もあり、家守の応永の太刀のごとく重ね厚く先反りを加えて次代の姿に近づくものもある。 収集の観点から小反の物が求められるのは、何よりそれが資料として明瞭であるからである。鑑定の勘所は二つの敷居を分かつことにある。一つは兼光本流との別で、模様の小さくこずむ点と、やや控えめな作位とによってこれを読み、いま一つは応永備前との別で、腰の開いた互の目と棒映りのうちに次代の萌芽を見ながら、なお南北朝の古調の姿と抑えた焼きにとどまる点をもって分かつ。主要な工の格はおのずから別れ、師光は上々作に位し、秀光、家助、成家、守助、家守らは中上作の位を占める。在銘の作はおおむね生ぶで年紀を備えた太刀として遺り、成家のように大磨上無銘の刀によって主に知られる工もあるが、いずれの場合も、年紀の確かな南北朝の備前として頗る貴重とされる。伝来は概して薄いが確かで、黒田家、加賀前田家、庄内酒井家、皇室の手を経た作や、林原美術館、東京国立博物館、京都国立博物館、春日大社に伝わる作が知られ、その多くは伝持されて市場に現れることは稀である。在銘有年紀の小反物が世に出るのは折に触れてに過ぎず、根気を要するが、現れればそれは、長船派が南北朝の世をいかに閉じ、応永の再興へといかに身を運んだかを、一年一年読みうる確かな文書となる。 詳しく見る →
室町時代の備前
室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.