出ました出ました大和鍛冶はそれぞれ奈良の大寺院に属して刀を製作していた為に、大寺院が全ての刀を買い上げるので一般に販売する必要が無く、ブランドである刀匠銘が入っている在銘の作品が事の外少なく、本南都住信清作の刀は貴重です。信清の元は当麻派の鍛冶で本刀の制作時の天文23年(1554年)(472年前)はまだ奈良市藤原に住んでいる頃で、そろそろ奈良市上三条町の金房ケ辻へ移住し始める頃でじょう。金房兵衛尉政次と同時期の古い時代の信清で、後の代は金房派に同化します。有名な肥後(熊本)の同田貫派と共に金房派は室町期に奈良で隆盛を見た一派です。本刀は天文二十三年の貴重な年紀がある刀です。時は上杉謙信と武田信玄が川中島で激闘を繰り広げた川中島の合戦の一年前、本刀の姿は元は2尺5寸5分程の長い刀であった事から騎馬武者の為に特別に作られた刀だと分かります。しかし後世の武士がどうしても本刀を自分の差料にしたいが為に自分の剣法に合わせて短くした刀姿は鎬がやや高く元身幅と先身幅の差の有る反りの有る豪快な姿を現し、地金は板目肌に鍛え地には地沸が細かく付き、刃紋は匂い出来に小沸の付いた元に互の目刃を焼き先は直調ののたれ刃を焼いて帽子は掃き掛けて如何にも良く切れる刃を焼いています。この度御祖先が北海道で屯田兵として藩より派遣され北海道開拓に苦労をしたと言う古いお家代々大切にされてきた南都住信清作の天文二十三年紀の年紀のある刀ですが、自分達も年をとりましたので、大切にして頂ける方にお安くお譲り下さいとお預かりした為に御覧の様に長年の経年変化の為に電気に透かしますと良く見えますが、そのままだと地刃が良くは見えませんが、研ぎをかければ素晴らしい古刀の名刀になります。今回特別にお持ち主様のご厚意で超格安にてご提供いたします是非お楽しみ下さいませ。





















大和伝 · 大和 · 1532-1555頃
現在1点販売中
大和伝 · 大和
現在11点販売中
当麻派は大和五派の一に数えられ、大和国当麻寺に隷属した一群の刀工に発する。祖は国行で、鎌倉時代末期に当麻の地に拠り、以下数代を経て南北朝期に栄えた。寺院に従属する工であったため自ら銘を切ることが少なく、その作は今日大半が無銘の極めものとして伝わり、在銘の確かな作は国行と有俊、さらに友清・友行・俊長らに僅かに遺るに過ぎない。一派の古さは、この系統を引くと伝える有俊の永仁六年紀の太刀によって裏づけられ、製作はこれより遡ると解される。寺工という出自は単なる来歴ではなく、その作風と彫物の双方に及ぶ。短刀や脇指に梵字、三鈷剣、護摩箸、素剣の類が刻まれるのは、当麻寺を中心とする大和の寺院世界に根ざした意匠であり、密教的な趣を帯びる。室町初期には信長が越前浅古へ移り、同銘が数代続いて浅古当麻と総称され、柾がかる鋼と沸の刃を北陸へ伝えた。 作風は大和諸派に通ずる語法に立つ。地鉄は流れる板目に杢を交え、刃寄りや処々で柾に集まって柾がかり、地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに入って冴える。鍛えが締まれば肌は静まり、大磨上の刀ではやや肌立ちて流れを開く。優れた作には地に沸映りが立つが、これは備前の乱れ映りではなく沸による反映であって、当麻の特色がここに最も強く現れると評者は読む。刃文は直刃を基調に浅くのたれ、小互の目・小丁子・二重刃・喰違刃を交え、刃縁はほつれ、刃中に足・葉が入って金筋・砂流しが頻りに閃き、匂口は明るく冴える。帽子は直ぐに掃きかけ、小丸に返り、あるいは返らずに焼詰め、時に乱れ込んで尖る。この掃きかけの止め方は遺例を貫く最も恒なる徴である。同じ大和の中にあって当麻を分かつのは、抑えた直刃の上に営まれる沸の働きが諸派より厚く豊かなことであり、有俊の永仁紀の作にみる連続した二重刃のごとく、その傾きが時に異風と称されるほどに目立つ。 鑑定の勘所は、この沸の働きと帽子、そして柾がかる地鉄の三つにある。流れて柾がかる板目に掃きかける帽子を併せて読むことが、より素朴な手掻や千手院の手から当麻を分かち、保昌の強い柾立つ地や尻懸の手とも別をなす。沸厚く二重刃や打のけのさかんな無銘の刀は当麻と鑑するのが妥当とされ、逆に地刃はよくとも刃が静かでこの働きを欠くものでは極めはなお控えめに示される。俊長のごとく高木貞宗に近い手は古来その弟子と伝えられたが、評者はこれを認めず、貞宗風の地に重なる大和の徴によって当麻と読む。祖たる国行は来派の同銘工と区別されつつ一派の格を定め、楷書風と行書風の二様の銘振りが当麻の作の徴とされる。遺例の多くが身幅広い南北朝の刀を大磨上にした無銘極めであるのは、一派が寺に隷属して銘を遺さなかったことの帰結であり、稀少な在銘作は手を定める資料として殊に貴ばれる。伝来は乏しく、致道博物館や徳川美術館に蔵されるものを除けば、多くは所在の知れぬ私蔵にあって、市場に現れることは稀である。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
お客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。
出ました出ました大和鍛冶はそれぞれ奈良の大寺院に属して刀を製作していた為に、大寺院が全ての刀を買い上げるので一般に販売する必要が無く、ブランドである刀匠銘が入っている在銘の作品が事の外少なく、本南都住信清作の刀は貴重です。信清の元は当麻派の鍛冶で本刀の制作時の天文23年(1554年)(472年前)はまだ奈良市藤原に住んでいる頃で、そろそろ奈良市上三条町の金房ケ辻へ移住し始める頃でじょう。金房兵衛尉政次と同時期の古い時代の信清で、後の代は金房派に同化します。有名な肥後(熊本)の同田貫派と共に金房派は室町期に奈良で隆盛を見た一派です。本刀は天文二十三年の貴重な年紀がある刀です。時は上杉謙信と武田信玄が川中島で激闘を繰り広げた川中島の合戦の一年前、本刀の姿は元は2尺5寸5分程の長い刀であった事から騎馬武者の為に特別に作られた刀だと分かります。しかし後世の武士がどうしても本刀を自分の差料にしたいが為に自分の剣法に合わせて短くした刀姿は鎬がやや高く元身幅と先身幅の差の有る反りの有る豪快な姿を現し、地金は板目肌に鍛え地には地沸が細かく付き、刃紋は匂い出来に小沸の付いた元に互の目刃を焼き先は直調ののたれ刃を焼いて帽子は掃き掛けて如何にも良く切れる刃を焼いています。この度御祖先が北海道で屯田兵として藩より派遣され北海道開拓に苦労をしたと言う古いお家代々大切にされてきた南都住信清作の天文二十三年紀の年紀のある刀ですが、自分達も年をとりましたので、大切にして頂ける方にお安くお譲り下さいとお預かりした為に御覧の様に長年の経年変化の為に電気に透かしますと良く見えますが、そのままだと地刃が良くは見えませんが、研ぎをかければ素晴らしい古刀の名刀になります。今回特別にお持ち主様のご厚意で超格安にてご提供いたします是非お楽しみ下さいませ。





















大和伝 · 大和 · 1532-1555頃
現在1点販売中
大和伝 · 大和
現在11点販売中
当麻派は大和五派の一に数えられ、大和国当麻寺に隷属した一群の刀工に発する。祖は国行で、鎌倉時代末期に当麻の地に拠り、以下数代を経て南北朝期に栄えた。寺院に従属する工であったため自ら銘を切ることが少なく、その作は今日大半が無銘の極めものとして伝わり、在銘の確かな作は国行と有俊、さらに友清・友行・俊長らに僅かに遺るに過ぎない。一派の古さは、この系統を引くと伝える有俊の永仁六年紀の太刀によって裏づけられ、製作はこれより遡ると解される。寺工という出自は単なる来歴ではなく、その作風と彫物の双方に及ぶ。短刀や脇指に梵字、三鈷剣、護摩箸、素剣の類が刻まれるのは、当麻寺を中心とする大和の寺院世界に根ざした意匠であり、密教的な趣を帯びる。室町初期には信長が越前浅古へ移り、同銘が数代続いて浅古当麻と総称され、柾がかる鋼と沸の刃を北陸へ伝えた。 作風は大和諸派に通ずる語法に立つ。地鉄は流れる板目に杢を交え、刃寄りや処々で柾に集まって柾がかり、地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに入って冴える。鍛えが締まれば肌は静まり、大磨上の刀ではやや肌立ちて流れを開く。優れた作には地に沸映りが立つが、これは備前の乱れ映りではなく沸による反映であって、当麻の特色がここに最も強く現れると評者は読む。刃文は直刃を基調に浅くのたれ、小互の目・小丁子・二重刃・喰違刃を交え、刃縁はほつれ、刃中に足・葉が入って金筋・砂流しが頻りに閃き、匂口は明るく冴える。帽子は直ぐに掃きかけ、小丸に返り、あるいは返らずに焼詰め、時に乱れ込んで尖る。この掃きかけの止め方は遺例を貫く最も恒なる徴である。同じ大和の中にあって当麻を分かつのは、抑えた直刃の上に営まれる沸の働きが諸派より厚く豊かなことであり、有俊の永仁紀の作にみる連続した二重刃のごとく、その傾きが時に異風と称されるほどに目立つ。 鑑定の勘所は、この沸の働きと帽子、そして柾がかる地鉄の三つにある。流れて柾がかる板目に掃きかける帽子を併せて読むことが、より素朴な手掻や千手院の手から当麻を分かち、保昌の強い柾立つ地や尻懸の手とも別をなす。沸厚く二重刃や打のけのさかんな無銘の刀は当麻と鑑するのが妥当とされ、逆に地刃はよくとも刃が静かでこの働きを欠くものでは極めはなお控えめに示される。俊長のごとく高木貞宗に近い手は古来その弟子と伝えられたが、評者はこれを認めず、貞宗風の地に重なる大和の徴によって当麻と読む。祖たる国行は来派の同銘工と区別されつつ一派の格を定め、楷書風と行書風の二様の銘振りが当麻の作の徴とされる。遺例の多くが身幅広い南北朝の刀を大磨上にした無銘極めであるのは、一派が寺に隷属して銘を遺さなかったことの帰結であり、稀少な在銘作は手を定める資料として殊に貴ばれる。伝来は乏しく、致道博物館や徳川美術館に蔵されるものを除けば、多くは所在の知れぬ私蔵にあって、市場に現れることは稀である。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
お客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。