大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
旧柳川藩主 立花家伝来 応永頃(1394-1428年、室町時代初期) 元幅:約 2.33 cm 彫物:表裏 棒樋 角留
信長は元来は大和当麻の刀工で、室町初期に越前浅古に移住したと伝え、室町末期まで続いている。同名の刀工が 加州にもあるが、両者の関係は明らかではない。 作風は藤島一派に似て互の目乱れが多く、直刃のたれもあり、刃縁ほつれて砂流しかかるものが多く、帽子は小丸 に掃かけるものが多い。 この短刀は互の目に小のたれの作で沸がよくつき、砂流・金筋の働も豊富であり、同工の優れた作である。室町初期 を下らぬものであろう。


















信長は元来は大和当麻の刀工で、室町初期に越前浅古に移住したと伝え、室町末期まで続いている。同名の刀工が 加州にもあるが、両者の関係は明らかではない。 作風は藤島一派に似て互の目乱れが多く、直刃のたれもあり、刃縁ほつれて砂流しかかるものが多く、帽子は小丸 に掃かけるものが多い。 この短刀は互の目に小のたれの作で沸がよくつき、砂流・金筋の働も豊富であり、同工の優れた作である。室町初期 を下らぬものであろう。
Yamato Taima, removed to Asako in Echizen (the Asako Taima line) · 越前 · 1394-1428頃
刀剣大鑑 上位31%
現在1点販売中
信長は説明書に大和当麻派の刀工と記され、室町初めに越前の浅古へ移住し、同銘が同地で数代続いて、これらを総称して浅古当麻と呼ばれる。当麻派は大和五派の一、当麻寺の刀工で、信長はその柾がかる鋼と沸の刃を北陸へ携えた。地にあって作はもう一つの性格を帯びる。令和五年指定の短刀の説明はそれを名指し、鍛えに「北陸物の特徴と大和気質が看取される」[[c:1]]とする。盛業は応永頃に置かれ、指定作は六口、いずれも「信長」の二字銘を負い短刀が圧倒的で、一人の記録された手というより、数代に保たれた北方当麻の作域として知られる。
最も同工を分かつ作は角ばる互の目乱れである。説明書はこれを一文で繰り返し、作風は越前・加州の藤島一派に似て、すなわち「藤島一派に似て」角ばる互の目が多く、「角ばる互の目乱れが多く」[[c:2]]と説き、加州藤島の作についても同じ言葉で「角張る互の目乱れが多く」[[c:3]]と記す。角ばる刃は小のたれ・小互の目を連れて交わり、刃縁はほつれ・二重刃となって、砂流しが刃中を掃き金筋が入る。第二十四回の短刀は互の目に小のたれを交え、沸厚く砂流・金筋頻りで、説明書は「同工の優れた作である」[[c:4]]とする。帽子は流派のもう一つの見どころで、多く掃きかけ、「帽子は掃きかけていることが多い」[[c:5]]、小丸あるいは尖りに返る。
この焼刃の下の鍛えは二重に読める。板目に杢・流れ肌を交えて締めるより肌立ち、地沸よくつき地景入り、かねは黒みをおびる。肌立つ黒い地鉄は北陸の血であり、刃寄り棟寄りの柾と直刃の静かな沸が大和の血を残す。第二十五回の小太刀は地に淡い白気風の映りを立て、裏下半に逆ごころを見せて、北方の鋼に古い映りの趣を加える。第六十九回の短刀は地鉄を最も開いて、杢・流れに肌立ち、かねが黒みがかり、その一口に説明書は北陸物の特徴と大和気質をともに看取する。
角ばる常型に対し説明書は穏やかな作域を記し、直刃・浅いのたれもあるとする。第二十二回の短刀は中直刃で、匂口を締めて小沸をつけ、区際に焼込みを見せ、よく鍛えて健全、静かな作域の同派である。第二十四回の脇指は浅いのたれを焼き、ほつれ・二重刃に砂流し・金筋を伴って、説明書はまさにこの作を「のたれの刃を焼いて信長の特色をみせ」[[c:6]]と特筆する。二つの作域は終に別ではなく、晩い短刀がそれを示す。表は片切刃造、裏は平造、指表は箱がかる互の目に丁子ごころ、裏は浅いのたれを焼いて、「一口で二様の作域が示された」[[c:7]]。六口に年紀なきため、この作風の読みが編年の代わりとなり、室町初期を下らぬとされる小太刀がその拠り所となる。
同工を分かつのは、本歌よりむしろ自身の地刃の見どころである。藤島への類似は確かで説明書も繰り返すが、診断的なのは連れた角ばる互の目とほつれた刃縁、黒みに沈む肌立つ鋼、掃きかける帽子の一群であり、それが北方当麻の作を本国の締まった大和の直刃から分かつ。加州にも同名工があり、説明書は両者の関係は明らかでないと留保する。銘そのものが鑑定で、指定六口すべてが「信長」の二字銘を負い、生ぶ茎四・磨上二、形は多く短刀で、有銘の太刀は稀、「信長有銘の作品はめずらしく」[[c:8]]と記される。
指定作は重要刀剣の六口、いずれも重要刀剣の位にとどまりその上の指定はなく、刀剣評価も中位にあって、信長は見出しの名というより目利きの名である。その位置は一腰の名高い拵に拠る。第二十五回の小太刀は、細川三斎所持の信長拵を忠実に写した肥後拵に納められ、中身は磨上ながら二字有銘の太刀で、説明書は「室町初期の時代色をよく示した」[[c:9]]と賞し、有銘の太刀の稀少ゆえに一層これを貴ぶ。伝来は他に乏しく、三斎との縁が唯一確かな筋である。私蔵を志す者には数が語る。遺る指定作は文化財として秘されるのではなく重要以下の位にあり、浅古当麻の短刀は手の届かぬものではないが、記録は僅か、市に出ることは稀で、有銘の太刀はなお稀ゆえ、一腰に出会うは忍耐の事である。
信長の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
大和伝 · 大和
現在10点販売中
当麻派は大和五派の一に数えられ、大和国当麻寺に隷属した一群の刀工に発する。祖は国行で、鎌倉時代末期に当麻の地に拠り、以下数代を経て南北朝期に栄えた。寺院に従属する工であったため自ら銘を切ることが少なく、その作は今日大半が無銘の極めものとして伝わり、在銘の確かな作は国行と有俊、さらに友清・友行・俊長らに僅かに遺るに過ぎない。一派の古さは、この系統を引くと伝える有俊の永仁六年紀の太刀によって裏づけられ、製作はこれより遡ると解される。寺工という出自は単なる来歴ではなく、その作風と彫物の双方に及ぶ。短刀や脇指に梵字、三鈷剣、護摩箸、素剣の類が刻まれるのは、当麻寺を中心とする大和の寺院世界に根ざした意匠であり、密教的な趣を帯びる。室町初期には信長が越前浅古へ移り、同銘が数代続いて浅古当麻と総称され、柾がかる鋼と沸の刃を北陸へ伝えた。 作風は大和諸派に通ずる語法に立つ。地鉄は流れる板目に杢を交え、刃寄りや処々で柾に集まって柾がかり、地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに入って冴える。鍛えが締まれば肌は静まり、大磨上の刀ではやや肌立ちて流れを開く。優れた作には地に沸映りが立つが、これは備前の乱れ映りではなく沸による反映であって、当麻の特色がここに最も強く現れると評者は読む。刃文は直刃を基調に浅くのたれ、小互の目・小丁子・二重刃・喰違刃を交え、刃縁はほつれ、刃中に足・葉が入って金筋・砂流しが頻りに閃き、匂口は明るく冴える。帽子は直ぐに掃きかけ、小丸に返り、あるいは返らずに焼詰め、時に乱れ込んで尖る。この掃きかけの止め方は遺例を貫く最も恒なる徴である。同じ大和の中にあって当麻を分かつのは、抑えた直刃の上に営まれる沸の働きが諸派より厚く豊かなことであり、有俊の永仁紀の作にみる連続した二重刃のごとく、その傾きが時に異風と称されるほどに目立つ。 鑑定の勘所は、この沸の働きと帽子、そして柾がかる地鉄の三つにある。流れて柾がかる板目に掃きかける帽子を併せて読むことが、より素朴な手掻や千手院の手から当麻を分かち、保昌の強い柾立つ地や尻懸の手とも別をなす。沸厚く二重刃や打のけのさかんな無銘の刀は当麻と鑑するのが妥当とされ、逆に地刃はよくとも刃が静かでこの働きを欠くものでは極めはなお控えめに示される。俊長のごとく高木貞宗に近い手は古来その弟子と伝えられたが、評者はこれを認めず、貞宗風の地に重なる大和の徴によって当麻と読む。祖たる国行は来派の同銘工と区別されつつ一派の格を定め、楷書風と行書風の二様の銘振りが当麻の作の徴とされる。遺例の多くが身幅広い南北朝の刀を大磨上にした無銘極めであるのは、一派が寺に隷属して銘を遺さなかったことの帰結であり、稀少な在銘作は手を定める資料として殊に貴ばれる。伝来は乏しく、致道博物館や徳川美術館に蔵されるものを除けば、多くは所在の知れぬ私蔵にあって、市場に現れることは稀である。 詳しく見る →
大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。
旧柳川藩主 立花家伝来 応永頃(1394-1428年、室町時代初期) 元幅:約 2.33 cm 彫物:表裏 棒樋 角留
信長は元来は大和当麻の刀工で、室町初期に越前浅古に移住したと伝え、室町末期まで続いている。同名の刀工が 加州にもあるが、両者の関係は明らかではない。 作風は藤島一派に似て互の目乱れが多く、直刃のたれもあり、刃縁ほつれて砂流しかかるものが多く、帽子は小丸 に掃かけるものが多い。 この短刀は互の目に小のたれの作で沸がよくつき、砂流・金筋の働も豊富であり、同工の優れた作である。室町初期 を下らぬものであろう。


















信長は元来は大和当麻の刀工で、室町初期に越前浅古に移住したと伝え、室町末期まで続いている。同名の刀工が 加州にもあるが、両者の関係は明らかではない。 作風は藤島一派に似て互の目乱れが多く、直刃のたれもあり、刃縁ほつれて砂流しかかるものが多く、帽子は小丸 に掃かけるものが多い。 この短刀は互の目に小のたれの作で沸がよくつき、砂流・金筋の働も豊富であり、同工の優れた作である。室町初期 を下らぬものであろう。
Yamato Taima, removed to Asako in Echizen (the Asako Taima line) · 越前 · 1394-1428頃
刀剣大鑑 上位31%
現在1点販売中
信長は説明書に大和当麻派の刀工と記され、室町初めに越前の浅古へ移住し、同銘が同地で数代続いて、これらを総称して浅古当麻と呼ばれる。当麻派は大和五派の一、当麻寺の刀工で、信長はその柾がかる鋼と沸の刃を北陸へ携えた。地にあって作はもう一つの性格を帯びる。令和五年指定の短刀の説明はそれを名指し、鍛えに「北陸物の特徴と大和気質が看取される」[[c:1]]とする。盛業は応永頃に置かれ、指定作は六口、いずれも「信長」の二字銘を負い短刀が圧倒的で、一人の記録された手というより、数代に保たれた北方当麻の作域として知られる。
最も同工を分かつ作は角ばる互の目乱れである。説明書はこれを一文で繰り返し、作風は越前・加州の藤島一派に似て、すなわち「藤島一派に似て」角ばる互の目が多く、「角ばる互の目乱れが多く」[[c:2]]と説き、加州藤島の作についても同じ言葉で「角張る互の目乱れが多く」[[c:3]]と記す。角ばる刃は小のたれ・小互の目を連れて交わり、刃縁はほつれ・二重刃となって、砂流しが刃中を掃き金筋が入る。第二十四回の短刀は互の目に小のたれを交え、沸厚く砂流・金筋頻りで、説明書は「同工の優れた作である」[[c:4]]とする。帽子は流派のもう一つの見どころで、多く掃きかけ、「帽子は掃きかけていることが多い」[[c:5]]、小丸あるいは尖りに返る。
この焼刃の下の鍛えは二重に読める。板目に杢・流れ肌を交えて締めるより肌立ち、地沸よくつき地景入り、かねは黒みをおびる。肌立つ黒い地鉄は北陸の血であり、刃寄り棟寄りの柾と直刃の静かな沸が大和の血を残す。第二十五回の小太刀は地に淡い白気風の映りを立て、裏下半に逆ごころを見せて、北方の鋼に古い映りの趣を加える。第六十九回の短刀は地鉄を最も開いて、杢・流れに肌立ち、かねが黒みがかり、その一口に説明書は北陸物の特徴と大和気質をともに看取する。
角ばる常型に対し説明書は穏やかな作域を記し、直刃・浅いのたれもあるとする。第二十二回の短刀は中直刃で、匂口を締めて小沸をつけ、区際に焼込みを見せ、よく鍛えて健全、静かな作域の同派である。第二十四回の脇指は浅いのたれを焼き、ほつれ・二重刃に砂流し・金筋を伴って、説明書はまさにこの作を「のたれの刃を焼いて信長の特色をみせ」[[c:6]]と特筆する。二つの作域は終に別ではなく、晩い短刀がそれを示す。表は片切刃造、裏は平造、指表は箱がかる互の目に丁子ごころ、裏は浅いのたれを焼いて、「一口で二様の作域が示された」[[c:7]]。六口に年紀なきため、この作風の読みが編年の代わりとなり、室町初期を下らぬとされる小太刀がその拠り所となる。
同工を分かつのは、本歌よりむしろ自身の地刃の見どころである。藤島への類似は確かで説明書も繰り返すが、診断的なのは連れた角ばる互の目とほつれた刃縁、黒みに沈む肌立つ鋼、掃きかける帽子の一群であり、それが北方当麻の作を本国の締まった大和の直刃から分かつ。加州にも同名工があり、説明書は両者の関係は明らかでないと留保する。銘そのものが鑑定で、指定六口すべてが「信長」の二字銘を負い、生ぶ茎四・磨上二、形は多く短刀で、有銘の太刀は稀、「信長有銘の作品はめずらしく」[[c:8]]と記される。
指定作は重要刀剣の六口、いずれも重要刀剣の位にとどまりその上の指定はなく、刀剣評価も中位にあって、信長は見出しの名というより目利きの名である。その位置は一腰の名高い拵に拠る。第二十五回の小太刀は、細川三斎所持の信長拵を忠実に写した肥後拵に納められ、中身は磨上ながら二字有銘の太刀で、説明書は「室町初期の時代色をよく示した」[[c:9]]と賞し、有銘の太刀の稀少ゆえに一層これを貴ぶ。伝来は他に乏しく、三斎との縁が唯一確かな筋である。私蔵を志す者には数が語る。遺る指定作は文化財として秘されるのではなく重要以下の位にあり、浅古当麻の短刀は手の届かぬものではないが、記録は僅か、市に出ることは稀で、有銘の太刀はなお稀ゆえ、一腰に出会うは忍耐の事である。
信長の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
大和伝 · 大和
現在10点販売中
当麻派は大和五派の一に数えられ、大和国当麻寺に隷属した一群の刀工に発する。祖は国行で、鎌倉時代末期に当麻の地に拠り、以下数代を経て南北朝期に栄えた。寺院に従属する工であったため自ら銘を切ることが少なく、その作は今日大半が無銘の極めものとして伝わり、在銘の確かな作は国行と有俊、さらに友清・友行・俊長らに僅かに遺るに過ぎない。一派の古さは、この系統を引くと伝える有俊の永仁六年紀の太刀によって裏づけられ、製作はこれより遡ると解される。寺工という出自は単なる来歴ではなく、その作風と彫物の双方に及ぶ。短刀や脇指に梵字、三鈷剣、護摩箸、素剣の類が刻まれるのは、当麻寺を中心とする大和の寺院世界に根ざした意匠であり、密教的な趣を帯びる。室町初期には信長が越前浅古へ移り、同銘が数代続いて浅古当麻と総称され、柾がかる鋼と沸の刃を北陸へ伝えた。 作風は大和諸派に通ずる語法に立つ。地鉄は流れる板目に杢を交え、刃寄りや処々で柾に集まって柾がかり、地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに入って冴える。鍛えが締まれば肌は静まり、大磨上の刀ではやや肌立ちて流れを開く。優れた作には地に沸映りが立つが、これは備前の乱れ映りではなく沸による反映であって、当麻の特色がここに最も強く現れると評者は読む。刃文は直刃を基調に浅くのたれ、小互の目・小丁子・二重刃・喰違刃を交え、刃縁はほつれ、刃中に足・葉が入って金筋・砂流しが頻りに閃き、匂口は明るく冴える。帽子は直ぐに掃きかけ、小丸に返り、あるいは返らずに焼詰め、時に乱れ込んで尖る。この掃きかけの止め方は遺例を貫く最も恒なる徴である。同じ大和の中にあって当麻を分かつのは、抑えた直刃の上に営まれる沸の働きが諸派より厚く豊かなことであり、有俊の永仁紀の作にみる連続した二重刃のごとく、その傾きが時に異風と称されるほどに目立つ。 鑑定の勘所は、この沸の働きと帽子、そして柾がかる地鉄の三つにある。流れて柾がかる板目に掃きかける帽子を併せて読むことが、より素朴な手掻や千手院の手から当麻を分かち、保昌の強い柾立つ地や尻懸の手とも別をなす。沸厚く二重刃や打のけのさかんな無銘の刀は当麻と鑑するのが妥当とされ、逆に地刃はよくとも刃が静かでこの働きを欠くものでは極めはなお控えめに示される。俊長のごとく高木貞宗に近い手は古来その弟子と伝えられたが、評者はこれを認めず、貞宗風の地に重なる大和の徴によって当麻と読む。祖たる国行は来派の同銘工と区別されつつ一派の格を定め、楷書風と行書風の二様の銘振りが当麻の作の徴とされる。遺例の多くが身幅広い南北朝の刀を大磨上にした無銘極めであるのは、一派が寺に隷属して銘を遺さなかったことの帰結であり、稀少な在銘作は手を定める資料として殊に貴ばれる。伝来は乏しく、致道博物館や徳川美術館に蔵されるものを除けば、多くは所在の知れぬ私蔵にあって、市場に現れることは稀である。 詳しく見る →
大和を支えた大寺の力は室町を通じて衰え、諸派もこれとともに細った。末手掻が古風な柾目を量産のうちに伝えている。1567年の東大寺大仏殿の炎上が、寺院の時代の幕を引いた。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト弊社の過失により、本来の状態と著しく異なる場合には商品の返品が可能です。クーリングオフは商品到着後一週間以内です。