大和五派は奈良の大寺の影で育った。手掻の名は東大寺転害門に由来する。柾目と静かな直刃の厳格は寺の美学であり、後世はまさにその節度を賞美してきた。
出ました出ました古来より本阿弥家では無銘極めの作に地景を交えた板目肌がうねるような地鉄、刃中にきらめく金筋など沸の働きがすこぶる激しく現す作を当麻と極め相州上工の新藤五国光や相州行光は本当麻の刀を先生として見習って作刀したと言われています、相州気質が多くみられるのが当麻派と言われ大和鍛冶の中でも別格扱いとされています。当麻派は二上山の麓(現奈良県葛城市当麻)にある当麻寺に従属していた鍛冶集団で鎌倉後期正応頃(1288年)(738年前)の国行を始祖とし以降南北朝期にかけて活躍します。友行、友清、友綱がいますが在銘現存作はほとんど有りません。本刀は鎌倉時代の約700年前の作で身幅が広く鎬が高く鎬幅広く反りの高い勇壮な造り込みを現し、地鉄は良くねられた小板目肌に地沸や地景が良く付き精良な地金を現し、刃紋は直調で浅くのたれ小互の目交じり二重刃かかり刃中葉をしきりに交え上に行くほど沸が強く金筋を現し明るく冴えて見事です。帽子は沸づいてはきかけています。本刀がいわゆる初期相州伝に大いに影響を与え作風が受け継がれ相州行光と当麻は古来紙一重と言われる位相州伝に影響を与えました。地刃の冴えや沸の豊富な働きが見所満載の作で当麻極めの白眉と言える優品です、重要刀剣の指定も回の早い第13回の重要刀剣に指定されています。この度世の中に初めて出た為に特別に格安にてご提供いたします。重要刀剣で当麻と極められたあまり拝見する事が出来ない名刀を是非お楽しみ下さい。
当麻派は、鎌倉末期の国行を祖として南北朝期にわたり、当麻寺に隷属して繁栄した一派であり、従って国行 銘のもの数口、当麻銘のもの一二の他は、南北朝期に稀れに有銘作があるだけである。 この刀は大磨上げ無銘であるが、鎌倉時代の同派の作と鑑せられるもので、地刃も健全である。

























当麻派は、鎌倉末期の国行を祖として南北朝期にわたり、当麻寺に隷属して繁栄した一派であり、従って国行 銘のもの数口、当麻銘のもの一二の他は、南北朝期に稀れに有銘作があるだけである。 この刀は大磨上げ無銘であるが、鎌倉時代の同派の作と鑑せられるもので、地刃も健全である。
大和伝 · 大和
現在10点販売中
当麻派は大和五派の一に数えられ、大和国当麻寺に隷属した一群の刀工に発する。祖は国行で、鎌倉時代末期に当麻の地に拠り、以下数代を経て南北朝期に栄えた。寺院に従属する工であったため自ら銘を切ることが少なく、その作は今日大半が無銘の極めものとして伝わり、在銘の確かな作は国行と有俊、さらに友清・友行・俊長らに僅かに遺るに過ぎない。一派の古さは、この系統を引くと伝える有俊の永仁六年紀の太刀によって裏づけられ、製作はこれより遡ると解される。寺工という出自は単なる来歴ではなく、その作風と彫物の双方に及ぶ。短刀や脇指に梵字、三鈷剣、護摩箸、素剣の類が刻まれるのは、当麻寺を中心とする大和の寺院世界に根ざした意匠であり、密教的な趣を帯びる。室町初期には信長が越前浅古へ移り、同銘が数代続いて浅古当麻と総称され、柾がかる鋼と沸の刃を北陸へ伝えた。 作風は大和諸派に通ずる語法に立つ。地鉄は流れる板目に杢を交え、刃寄りや処々で柾に集まって柾がかり、地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに入って冴える。鍛えが締まれば肌は静まり、大磨上の刀ではやや肌立ちて流れを開く。優れた作には地に沸映りが立つが、これは備前の乱れ映りではなく沸による反映であって、当麻の特色がここに最も強く現れると評者は読む。刃文は直刃を基調に浅くのたれ、小互の目・小丁子・二重刃・喰違刃を交え、刃縁はほつれ、刃中に足・葉が入って金筋・砂流しが頻りに閃き、匂口は明るく冴える。帽子は直ぐに掃きかけ、小丸に返り、あるいは返らずに焼詰め、時に乱れ込んで尖る。この掃きかけの止め方は遺例を貫く最も恒なる徴である。同じ大和の中にあって当麻を分かつのは、抑えた直刃の上に営まれる沸の働きが諸派より厚く豊かなことであり、有俊の永仁紀の作にみる連続した二重刃のごとく、その傾きが時に異風と称されるほどに目立つ。 鑑定の勘所は、この沸の働きと帽子、そして柾がかる地鉄の三つにある。流れて柾がかる板目に掃きかける帽子を併せて読むことが、より素朴な手掻や千手院の手から当麻を分かち、保昌の強い柾立つ地や尻懸の手とも別をなす。沸厚く二重刃や打のけのさかんな無銘の刀は当麻と鑑するのが妥当とされ、逆に地刃はよくとも刃が静かでこの働きを欠くものでは極めはなお控えめに示される。俊長のごとく高木貞宗に近い手は古来その弟子と伝えられたが、評者はこれを認めず、貞宗風の地に重なる大和の徴によって当麻と読む。祖たる国行は来派の同銘工と区別されつつ一派の格を定め、楷書風と行書風の二様の銘振りが当麻の作の徴とされる。遺例の多くが身幅広い南北朝の刀を大磨上にした無銘極めであるのは、一派が寺に隷属して銘を遺さなかったことの帰結であり、稀少な在銘作は手を定める資料として殊に貴ばれる。伝来は乏しく、致道博物館や徳川美術館に蔵されるものを除けば、多くは所在の知れぬ私蔵にあって、市場に現れることは稀である。 詳しく見る →
大和五派は奈良の大寺の影で育った。手掻の名は東大寺転害門に由来する。柾目と静かな直刃の厳格は寺の美学であり、後世はまさにその節度を賞美してきた。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。
出ました出ました古来より本阿弥家では無銘極めの作に地景を交えた板目肌がうねるような地鉄、刃中にきらめく金筋など沸の働きがすこぶる激しく現す作を当麻と極め相州上工の新藤五国光や相州行光は本当麻の刀を先生として見習って作刀したと言われています、相州気質が多くみられるのが当麻派と言われ大和鍛冶の中でも別格扱いとされています。当麻派は二上山の麓(現奈良県葛城市当麻)にある当麻寺に従属していた鍛冶集団で鎌倉後期正応頃(1288年)(738年前)の国行を始祖とし以降南北朝期にかけて活躍します。友行、友清、友綱がいますが在銘現存作はほとんど有りません。本刀は鎌倉時代の約700年前の作で身幅が広く鎬が高く鎬幅広く反りの高い勇壮な造り込みを現し、地鉄は良くねられた小板目肌に地沸や地景が良く付き精良な地金を現し、刃紋は直調で浅くのたれ小互の目交じり二重刃かかり刃中葉をしきりに交え上に行くほど沸が強く金筋を現し明るく冴えて見事です。帽子は沸づいてはきかけています。本刀がいわゆる初期相州伝に大いに影響を与え作風が受け継がれ相州行光と当麻は古来紙一重と言われる位相州伝に影響を与えました。地刃の冴えや沸の豊富な働きが見所満載の作で当麻極めの白眉と言える優品です、重要刀剣の指定も回の早い第13回の重要刀剣に指定されています。この度世の中に初めて出た為に特別に格安にてご提供いたします。重要刀剣で当麻と極められたあまり拝見する事が出来ない名刀を是非お楽しみ下さい。
当麻派は、鎌倉末期の国行を祖として南北朝期にわたり、当麻寺に隷属して繁栄した一派であり、従って国行 銘のもの数口、当麻銘のもの一二の他は、南北朝期に稀れに有銘作があるだけである。 この刀は大磨上げ無銘であるが、鎌倉時代の同派の作と鑑せられるもので、地刃も健全である。

























当麻派は、鎌倉末期の国行を祖として南北朝期にわたり、当麻寺に隷属して繁栄した一派であり、従って国行 銘のもの数口、当麻銘のもの一二の他は、南北朝期に稀れに有銘作があるだけである。 この刀は大磨上げ無銘であるが、鎌倉時代の同派の作と鑑せられるもので、地刃も健全である。
大和伝 · 大和
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当麻派は大和五派の一に数えられ、大和国当麻寺に隷属した一群の刀工に発する。祖は国行で、鎌倉時代末期に当麻の地に拠り、以下数代を経て南北朝期に栄えた。寺院に従属する工であったため自ら銘を切ることが少なく、その作は今日大半が無銘の極めものとして伝わり、在銘の確かな作は国行と有俊、さらに友清・友行・俊長らに僅かに遺るに過ぎない。一派の古さは、この系統を引くと伝える有俊の永仁六年紀の太刀によって裏づけられ、製作はこれより遡ると解される。寺工という出自は単なる来歴ではなく、その作風と彫物の双方に及ぶ。短刀や脇指に梵字、三鈷剣、護摩箸、素剣の類が刻まれるのは、当麻寺を中心とする大和の寺院世界に根ざした意匠であり、密教的な趣を帯びる。室町初期には信長が越前浅古へ移り、同銘が数代続いて浅古当麻と総称され、柾がかる鋼と沸の刃を北陸へ伝えた。 作風は大和諸派に通ずる語法に立つ。地鉄は流れる板目に杢を交え、刃寄りや処々で柾に集まって柾がかり、地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに入って冴える。鍛えが締まれば肌は静まり、大磨上の刀ではやや肌立ちて流れを開く。優れた作には地に沸映りが立つが、これは備前の乱れ映りではなく沸による反映であって、当麻の特色がここに最も強く現れると評者は読む。刃文は直刃を基調に浅くのたれ、小互の目・小丁子・二重刃・喰違刃を交え、刃縁はほつれ、刃中に足・葉が入って金筋・砂流しが頻りに閃き、匂口は明るく冴える。帽子は直ぐに掃きかけ、小丸に返り、あるいは返らずに焼詰め、時に乱れ込んで尖る。この掃きかけの止め方は遺例を貫く最も恒なる徴である。同じ大和の中にあって当麻を分かつのは、抑えた直刃の上に営まれる沸の働きが諸派より厚く豊かなことであり、有俊の永仁紀の作にみる連続した二重刃のごとく、その傾きが時に異風と称されるほどに目立つ。 鑑定の勘所は、この沸の働きと帽子、そして柾がかる地鉄の三つにある。流れて柾がかる板目に掃きかける帽子を併せて読むことが、より素朴な手掻や千手院の手から当麻を分かち、保昌の強い柾立つ地や尻懸の手とも別をなす。沸厚く二重刃や打のけのさかんな無銘の刀は当麻と鑑するのが妥当とされ、逆に地刃はよくとも刃が静かでこの働きを欠くものでは極めはなお控えめに示される。俊長のごとく高木貞宗に近い手は古来その弟子と伝えられたが、評者はこれを認めず、貞宗風の地に重なる大和の徴によって当麻と読む。祖たる国行は来派の同銘工と区別されつつ一派の格を定め、楷書風と行書風の二様の銘振りが当麻の作の徴とされる。遺例の多くが身幅広い南北朝の刀を大磨上にした無銘極めであるのは、一派が寺に隷属して銘を遺さなかったことの帰結であり、稀少な在銘作は手を定める資料として殊に貴ばれる。伝来は乏しく、致道博物館や徳川美術館に蔵されるものを除けば、多くは所在の知れぬ私蔵にあって、市場に現れることは稀である。 詳しく見る →
大和五派は奈良の大寺の影で育った。手掻の名は東大寺転害門に由来する。柾目と静かな直刃の厳格は寺の美学であり、後世はまさにその節度を賞美してきた。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。