題:土屋派 柳に鳥図 説明 本作はNTHK(日本刀剣保存会)の鑑定書が付帯しており、土屋派の金工、昌親(六代安親)の作と極められています。 土屋昌親(生年不詳〜1861年)は、五代土屋安親の長男として生まれ、江戸時代後期に活躍しました。特に色絵高彫の技法に秀でた名工です。 土屋派の始祖である初代土屋安親(1670-1744)は出羽国の出身で、江戸中期に活躍しました。佐藤珍久に学んだ後、江戸へ出て奈良辰政の門下となります。安親は、奈良利寿(1667-1736)、杉浦乗意(1701-1761)と共に「奈良三作」の一人に数えられる至高の名工として知られています。その卓越した技術を礎に、土屋派は幕末まで連綿と受け継がれました。 本作は、柳の下を舞う鳥と、枝に羽を休める鳥の姿を描いています。 柳は生命力が強く、挿し木でも容易に根付くことから、古来より吉祥の植物とされてきました。大陸の伝承によれば、旅立つ者に柳の枝を折って贈る風習があり、その呪術的な力で道中の安全を祈願したといいます。日本においても、柳は邪気を払う植物として尊ばれ、境界の印として町外れや村境に植えられました。また、根が強く張ることから護岸のために川辺に植えられるなど、実用的な面でも重宝されました。 数ある柳の意匠の中でも、特に枝垂柳(しだれやなぎ)はそのしなやかで優美な姿から、和歌や絵画の画題として日本人に深く愛されてきました。 本鐔に見られるように、柳は他の動植物と組み合わせて描かれることが多く、花札の「柳に燕」などはその代表例です。本作に描かれた鳥は、その姿から燕とは異なるようですが、自然界の情景を細やかに描写した、非常に出来の良い一枚です。 ※本品はアンティーク品(骨董品)のため、状態については写真にて詳細をご確認ください。 鐔(つば)とは 鐔は日本刀の拳を守る護具です。格式高い武士は、刀身のみならず、鐔をはじめとする美しい刀装具を設えた拵(こしらえ)を帯びていました。特に鐔の表側は、登城の際や街を歩く際に他者の目に触れるため、装飾性の高い意匠が凝らされる傾向にありました。 なぜ武士にとって刀装具は重要だったのか 日本刀の装身具には、鐔、目貫、縁頭など多くの種類があります。刀は武器であると同時に、持ち主の身分や格、精神性、あるいは美意識を象徴するものでした。現代で例えるなら、スマートフォンの装飾のように個性を映し出す鏡であったとも言えるでしょう。 ぜひ、細部まで拡大してご覧ください。鉄や赤銅、四分一といった地金に、金・銀・銅の色絵や象嵌を施す日本の高度な彫金技術が見て取れます。鐔一枚をとっても、その造形や重量感は千差万別です。刀身と共に時代を生き抜いてきたこれらの装具は、美術的価値においても刀身に引けを取りません。一見、控えめな部品ではありますが、こうした細部にまで拘ることこそが、武士の嗜みであり、真の愛刀家への道と言えるでしょう。 鑑定書 : NTHK(日本刀剣保存会) 鑑定書 日本刀剣保存会(NTHK)は、日本で最も歴史ある刀剣鑑定組織の一つです。







昌親
江戸
無銘
町彫 · Musashi (Edo)
町彫 · Musashi (Edo)
現在13点販売中
土屋派は奈良金工の流れを汲む一派であり、奈良三作の一人に数えられる土屋安親を祖として江戸(武蔵国)に拠点を置いた。安親の名は六代にわたり嫡流が襲名し、元禄期より幕末に至るまで連綿と工房の系譜を維持した。門弟の安族は『庄内金工名譜』に「鈴木与平と称し初代安親門」と記され、「江戸で安親の協力工として暮し、晩年は庄内に戻り安親より弥五八の名を授かり子孫も弥五八を襲名した」と伝えられる。六代目の土屋昌親は五代国親の長男として下野国下館に生まれ、「青年時代に諸国を遊学して修業し、やがて江戸の芝新橋で開業した」。出羽秋田の佐竹家の藩工として扶持を受け、後年には法眼の位に叙された。石燕子・東遷と号し、万延二年に歿している。別の一門、土屋守親(東燕舎土屋嵩僊守親)も一作金具の制作で知られる。 土屋派の作風は奈良派の彫金技法を基盤とし、鋤出高彫を根幹とする。地金には鉄・赤銅を主とし、石目地や槌目地を多用して、金・銀・四分一・素銅による色絵を豊かに施す。説示が一貫して強調するのは、一作の中に多彩な彫技を駆使する点である。昌親の脇指拵では「高彫色絵・肉合彫・片切彫・毛彫・甲鋤彫と様々の彫技が駆使されており、それぞれに昌親の高い技術が示されている」と評される。意匠面では文学的・暗示的な構図を重んじ、守親の五節句大小拵では「行事そのものの風景ではなく、それを示唆させる景物描写によって各々を表現している」とあり、「意匠は端的に、彫金技術は的確に纏めており、守親の技術の高さが窺える」と記される。安族の猛馬山水図鐔においても「松樹に馬図の構図、鋤出高彫象嵌の彫法などには、奈良派及び安親の晩年作の特色をよくあらわしている」と評され、初代の作風が門弟に深く継承されたことが窺われる。 説示は土屋派を、奈良派の原理を江戸中期から幕末にかけて継承・展開した一派として位置づけている。初代安親の工房における権威は絶大であり、安族は「安親の陰の存在」と推測されるほどであった。六代昌親に至っても、大名家(佐竹家・前橋松井家)の注文に応じた入念作において、金具・漆・柄の各要素を「拵全体が典雅な趣として結実」させる統合力を示し、守親もまた五節句の各場面を大小金具に分配して「すっきりとした黒色の鞘に様々に描かれた金具のひとつひとつが冴える」一作を完成させている。上層武家の需に応じ続けた事実は、土屋派が幕末に至るまで武家社会の上層において高い評価を保ち続けたことを証するものである。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
題:土屋派 柳に鳥図 説明 本作はNTHK(日本刀剣保存会)の鑑定書が付帯しており、土屋派の金工、昌親(六代安親)の作と極められています。 土屋昌親(生年不詳〜1861年)は、五代土屋安親の長男として生まれ、江戸時代後期に活躍しました。特に色絵高彫の技法に秀でた名工です。 土屋派の始祖である初代土屋安親(1670-1744)は出羽国の出身で、江戸中期に活躍しました。佐藤珍久に学んだ後、江戸へ出て奈良辰政の門下となります。安親は、奈良利寿(1667-1736)、杉浦乗意(1701-1761)と共に「奈良三作」の一人に数えられる至高の名工として知られています。その卓越した技術を礎に、土屋派は幕末まで連綿と受け継がれました。 本作は、柳の下を舞う鳥と、枝に羽を休める鳥の姿を描いています。 柳は生命力が強く、挿し木でも容易に根付くことから、古来より吉祥の植物とされてきました。大陸の伝承によれば、旅立つ者に柳の枝を折って贈る風習があり、その呪術的な力で道中の安全を祈願したといいます。日本においても、柳は邪気を払う植物として尊ばれ、境界の印として町外れや村境に植えられました。また、根が強く張ることから護岸のために川辺に植えられるなど、実用的な面でも重宝されました。 数ある柳の意匠の中でも、特に枝垂柳(しだれやなぎ)はそのしなやかで優美な姿から、和歌や絵画の画題として日本人に深く愛されてきました。 本鐔に見られるように、柳は他の動植物と組み合わせて描かれることが多く、花札の「柳に燕」などはその代表例です。本作に描かれた鳥は、その姿から燕とは異なるようですが、自然界の情景を細やかに描写した、非常に出来の良い一枚です。 ※本品はアンティーク品(骨董品)のため、状態については写真にて詳細をご確認ください。 鐔(つば)とは 鐔は日本刀の拳を守る護具です。格式高い武士は、刀身のみならず、鐔をはじめとする美しい刀装具を設えた拵(こしらえ)を帯びていました。特に鐔の表側は、登城の際や街を歩く際に他者の目に触れるため、装飾性の高い意匠が凝らされる傾向にありました。 なぜ武士にとって刀装具は重要だったのか 日本刀の装身具には、鐔、目貫、縁頭など多くの種類があります。刀は武器であると同時に、持ち主の身分や格、精神性、あるいは美意識を象徴するものでした。現代で例えるなら、スマートフォンの装飾のように個性を映し出す鏡であったとも言えるでしょう。 ぜひ、細部まで拡大してご覧ください。鉄や赤銅、四分一といった地金に、金・銀・銅の色絵や象嵌を施す日本の高度な彫金技術が見て取れます。鐔一枚をとっても、その造形や重量感は千差万別です。刀身と共に時代を生き抜いてきたこれらの装具は、美術的価値においても刀身に引けを取りません。一見、控えめな部品ではありますが、こうした細部にまで拘ることこそが、武士の嗜みであり、真の愛刀家への道と言えるでしょう。 鑑定書 : NTHK(日本刀剣保存会) 鑑定書 日本刀剣保存会(NTHK)は、日本で最も歴史ある刀剣鑑定組織の一つです。







昌親
江戸
無銘
町彫 · Musashi (Edo)
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土屋派は奈良金工の流れを汲む一派であり、奈良三作の一人に数えられる土屋安親を祖として江戸(武蔵国)に拠点を置いた。安親の名は六代にわたり嫡流が襲名し、元禄期より幕末に至るまで連綿と工房の系譜を維持した。門弟の安族は『庄内金工名譜』に「鈴木与平と称し初代安親門」と記され、「江戸で安親の協力工として暮し、晩年は庄内に戻り安親より弥五八の名を授かり子孫も弥五八を襲名した」と伝えられる。六代目の土屋昌親は五代国親の長男として下野国下館に生まれ、「青年時代に諸国を遊学して修業し、やがて江戸の芝新橋で開業した」。出羽秋田の佐竹家の藩工として扶持を受け、後年には法眼の位に叙された。石燕子・東遷と号し、万延二年に歿している。別の一門、土屋守親(東燕舎土屋嵩僊守親)も一作金具の制作で知られる。 土屋派の作風は奈良派の彫金技法を基盤とし、鋤出高彫を根幹とする。地金には鉄・赤銅を主とし、石目地や槌目地を多用して、金・銀・四分一・素銅による色絵を豊かに施す。説示が一貫して強調するのは、一作の中に多彩な彫技を駆使する点である。昌親の脇指拵では「高彫色絵・肉合彫・片切彫・毛彫・甲鋤彫と様々の彫技が駆使されており、それぞれに昌親の高い技術が示されている」と評される。意匠面では文学的・暗示的な構図を重んじ、守親の五節句大小拵では「行事そのものの風景ではなく、それを示唆させる景物描写によって各々を表現している」とあり、「意匠は端的に、彫金技術は的確に纏めており、守親の技術の高さが窺える」と記される。安族の猛馬山水図鐔においても「松樹に馬図の構図、鋤出高彫象嵌の彫法などには、奈良派及び安親の晩年作の特色をよくあらわしている」と評され、初代の作風が門弟に深く継承されたことが窺われる。 説示は土屋派を、奈良派の原理を江戸中期から幕末にかけて継承・展開した一派として位置づけている。初代安親の工房における権威は絶大であり、安族は「安親の陰の存在」と推測されるほどであった。六代昌親に至っても、大名家(佐竹家・前橋松井家)の注文に応じた入念作において、金具・漆・柄の各要素を「拵全体が典雅な趣として結実」させる統合力を示し、守親もまた五節句の各場面を大小金具に分配して「すっきりとした黒色の鞘に様々に描かれた金具のひとつひとつが冴える」一作を完成させている。上層武家の需に応じ続けた事実は、土屋派が幕末に至るまで武家社会の上層において高い評価を保ち続けたことを証するものである。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
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