二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
特別貴重刀剣鑑定書附、筑前国信国光昌(安永三年)銘 刀 【解説】 概要 本作は、江戸時代中期から後期にかけての安永三年(1774年)、筑前国(現在の福岡県)にて信国光昌(のぶくに みつまさ)によって制作された一振りです。光昌は筑紫信国系の職人で、特に明和から天明年間(1764-1781年)にかけて活躍しました。盛次の子として生まれ、四代信国吉政の養子となり、後に五代吉政を継承しました。 信国系の興り 信国系は、もともと京都の初代信国を祖とし、数代にわたり京の地で活動しました。しかし、南北朝時代の激化により京の街が戦火に見舞われた際、四代信国貞光は戦乱を避けて豊後国宇佐(大分県)へと下り、安心院(あじむ)氏に仕えました。その後、三代から十一代にわたり同地で繁栄しましたが、安土桃山時代の天正十年(1582年)、豊臣秀吉による安心院氏滅亡に伴い、十二代信国吉貞は黒田長政公の招聘を受け、慶長七年(1602年)に筑前国(福岡県)へと移住しました。二代吉政も父に従ったと伝えられています。以来、信国系は江戸時代を通じて黒田家の御用鍛冶として庇護を受け、代々その技を伝えてきました。 本作の作者である光昌は、この名門信国系の後期の工であり、長きにわたり培われた同派の優れた伝統技法を色濃く継承しています。 ※刀身には一部、黒錆や鍛え傷、切先に僅かな零れ(こぼれ)が見られます。あらかじめご了承ください。 【刀身】 長さ(長):66.4 cm 反り:1.6 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地文(地肌):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先:刀身の先端部分 茎(なかご):刀身の柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄内での赤錆を防ぐために茎に黒錆を残します。この茎の経年による色調の変化(錆色)は、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 【拵】 拵(こしらえ):刀の外装一式。鞘、柄、鍔などの諸工作で構成されます。 縁頭(ふちがしら):柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭には、秋虫や秋草といった秋の情景が意匠化されています。カマキリや鈴虫など、様々な虫の姿が見て取れます。カマキリは別名「拝み虫」や「祈り虫」とも呼ばれます。前脚を合わせ、長い羽で体を覆う姿が神仏に祈りを捧げる僧侶のように見えることから、その名が付きました。また、カマキリは多産であることから子孫繁栄の象徴ともされ、こうした宗教的・吉祥的な意味合いから刀装具の意匠に好んで用いられました。余白を活かしつつ、複数のモチーフが均衡良く配置された装飾性の高い名品です。 鍔に配された花の一つは菊です。古来、大陸において菊は延命長寿の薬草として重宝され、
取扱店 サムライミュージアム





























山城伝 · 筑前 · 1764-1772頃
刀剣大鑑 上位49%
現在1点販売中
山城伝 · 山城
現在21点販売中
信国派は山城国京都に興った名門で、その流れは南北朝時代に遡る。一派の祖と仰がれる信国は了戒系の京鍛冶で、血脈の上では来の伝統を承けながら、修業の上では相州貞宗の門に入って貞宗三哲の一人に数えられた。来の系譜と相州伝という二つの根がこの一門の作のすべてを導く。銘鑑は祖を建武に置くが、説明書はこれを繰り返し退ける。建武年間の作は残らず、現存最古の延文・貞治の年紀作が貞宗に直結することから、本会は延文・貞治の工をもって初代と見做す。南北朝の末期には永徳・至徳・明徳の代替りの信国が続き、同銘数工があったと見られる。室町初期には左衛門尉・式部丞を冠する応永信国が栄え、これを通常三代と数える。一派は後に豊前へ、さらに筑前へ移り、慶長の頃より明治初年まで福岡藩黒田家の抱え鍛冶として吉貞・吉政・吉次・吉包・重包の代々を出し、新々刀期まで栄えた。 一派に通う語法は、まず地鉄に現れる。鍛えは杢を交えた板目で、刃寄りに流れて柾となりやや肌立ち、地沸を厚くとり地景が頻りに入り、よくつんだ作には淡い沸映りが立つ。刃寄りに流れる鍛えは了戒系の所伝を首肯せしめる証とされ、厚い地沸と頻りの地景は貞宗に学んだ相州伝の痕跡として読まれる。刃文は文様の如何を問わず沸で焼かれ、砂流し・金筋が絶えず働き、匂口は明るい。その作域は二様を基とする。一つは来派の伝統を示した直刃で、中直刃・細直刃に小沸つき、細かにほつれ喰違刃・二重刃ごころを交えて京物の格調を伝える。いま一つは貞宗風ののたれ乱れで、小のたれに互の目・小互の目を交え、足・葉入り、沸厚く明るく、刃縁にほつれ湯走りがかかり、最も多く出会う作域をなす。帽子はのたれ込みまたは乱れ込んで小丸となり掃きかける。御家芸とも言うべき濃密な彫物も貞宗譲りで、梵字・素剣・護摩箸・三鈷剣・倶利迦羅を重ね彫りにし、刀身に八幡大菩薩の神号を切る作もあって、彫物によって一門を見分けうる。代を下ると差異が明瞭となる。南北朝末期の後代は一派に初めて太刀を生み、二様に加えて互の目主調の乱れ刃を新たに見せ、互の目が二つ宛連れたものを腰の低い小のたれで繋ぐ矢筈状の刃を見どころとする。応永信国は左衛門尉が「国」の字のクニ構えの中を左字に作る点を大きな鑑別点とし、直刃と互の目乱れの双方に冴えた沸を宿す。筑前に移った吉包・重包は相州伝の志向と、流れ肌の乱れ映りを伴う一派の丁子乱れとを高い技倆で並べ持ち、重包は名物写しの名手として石堂風に紛う華やかな丁子を、地沸・地景・刃中の沸の顕著さによって石堂と分かった。 鑑定の勘所は明快である。刃寄りに流れる柾がかった肌、厚い地沸と頻りの地景、沸で焼いた直刃と貞宗風ののたれ乱れ、重ね彫りの宗教彫物が一門を束ね、相州の同門とも後世の備前丁子とも分かつ拠りどころとなる。無銘極めも代の弁別も延文三年紀の作との照合によって決せられ、後代は連れ互の目と矢筈刃で、応永信国は逆字の銘で、筑前の工は流れ肌の乱れ映りで読み分けられる。藤代の極めは初代信国を上々作とし、後代から応永信国まで京古刀の上位に列し、筑前の吉包・重包は地方新刀の堅実な工として上作の評を得る。在銘作は祖において短刀・小脇指に限られて稀であり、それゆえ年紀のある後代の太刀・薙刀は何よりの好資料として貴ばれる。伝来は大名家と社寺に厚く、黒田家・浅野家・山内家・佐竹家らの蔵刀に加え、本願寺名物や富士山本宮浅間大社に奉納された式部丞の脇指がある。上位指定の多くは公私の蔵に秘められて市に現れず、在銘の信国が世に出ること自体が稀であって、現れた時は南北朝以来の山城物の蒐集で特筆すべき機会となる。 詳しく見る →
江戸時代
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、現在の日刀保ではほとんど認められていません。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)に再提出し、現行の鑑定を受けることもご検討ください。
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