鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
元重は備前国の元重派の祖であり、並外れた系譜を持つ刀工です。 守重の弟であり成真の兄である彼は、守家の孫でもありました。そして、相州貞宗の著名な「貞宗三哲」の一人として知られています。 この血統は作風に現れています。元重は多作な作者であり、鎌倉時代末期に始まり、この刀が制作された動乱の南北朝時代まで続いた長いキャリアの中で、至高の切れ味を持つ刀を打つ才能に長けていました。 実に10cmに及ぶ大鋒が、この刀身に紛れもない力強い威厳を与えています。 よく練られた板目肌に木目肌が交じり、光の下で鮮明に浮かび上がり、刃文の上には背景に淡い映りが漂っています。これは優れた備前伝の象徴です。 明るい直調の刃文には小沸がつき、小互の目、足、そして刀身に生命を吹き込む鮮烈な黒い筋である金筋が混じります。 帽子は直に走り、わずかにのたれ、短く小丸に返ります。 茎はきれいな大磨上、切尻で、目釘孔は3つです。 この刀は注目すべき伝来を有しています。 1709年の本阿弥光忠による稀少な折紙は、この刀身を金七枚と評価しており、さらに1893年付けの折紙が鑑定の連鎖に加わっています。 昭和1979年付けの本阿弥日洲による鞘書きが、この極めを裏付け、長さを記録しています。 美しく作られた拵は、黒漆塗の刻鞘、白絹の蛇腹巻の柄、そして桜、鈴虫、菊、蝶を題材とした金具を備え、すでに格別な一振りにさらなる品格を添えています。 この刀は第30回においてNBTHK重要刀剣に指定されました。

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Osafune, Motoshige line (Bizen) · 備前 · 1316-1363頃
藤代 上々作 · 刀剣大鑑 上位14%
現在3点販売中
長船元重の年紀作は、現存最古の正和五年(1316)紀の短刀に始まり、南北朝時代中期の貞治に至る、およそ半世紀に亘る。説明書はこの間に初・二代の存在を認める説を載せながら、その境をいつとするかについては定説がないと併記する。一方で、指定書の冒頭に繰り返される判断は一貫している。すなわち、備前国長船派の元重は、兼光や長義とは別系統の刀工だということである。古伝はその流れを畠田守家に求め、二代守家の子が守重、守重の子が元重と伝える。光忠・長光を祖とする長船正系からも、傍らの兼光・長義の系からも離れて立つ刀工であり、その作の強い個性はこの別系の出自に応えている。
説明書が同工に与える作風は、記録を通じてほぼ同文で繰り返される。鍛えに流れ柾や地斑を交え、刃文には直刃調に角ばる互の目が目立ち、総体に逆がかり、刃中には逆足・葉などの働きが見られ、帽子が尖る。そしてこれらの特色について、「青江気質を混在させる点に同工及び一派の見どころがある」[[c:1]]と結論づける。なかでも角ばる刃は最も個性的な見どころであり、説明書は「焼頭が一直線上に揃った角ばる刃」[[c:2]]が表裏の物打あたりに明瞭に看取されると記す。匂口は締まりごころに小沸がつき、匂勝ちで、刃中には細かな金筋・砂流しがかかる。
地がねは板目に杢や流れ肌を交えて総じてやや肌立ち、地沸が微塵につき、地景が細かに入り、地斑を交えて、乱れ映りが、しばしば鮮明に立つ。同じ鍛えは静かな作域をも支えている。内反りの短刀は流れごころを帯びた小板目に鍛えられ、出色の太刀の精良な鍛えは一見純然たる小板目とも見えるほど、板目や杢目がよく練り込まれている。
現存作はいくつかの作域に分かれる。太鏨の二字銘を佩裏に切る「古元重」の一群は、重要美術品に嘉元二年(1304)紀の太刀があり、説明書は長銘の長船元重とは別人でやや年代の上がる鍛冶とし、その祖か青江鍛冶との関連かは研究の余地があるとする。その作は別項に記される。同工自身の鎌倉末期の年紀作は正和より嘉暦・建武に亘り、尋常・内反りの短刀に片落ち互の目を焼いて、「殆んど景光を見るよう」[[c:3]]とまで評される。南北朝に入ると体配は一変して大柄となり、身幅広く元先の幅差が目立たず、反り浅く、大鋒の延文・貞治型を呈し、現存の大半はこの作域の大磨上無銘の刀である。在銘では刃長九四・四五糎の生ぶ太刀が往時の姿を完存している。最後に、例外的な沸の作域がある。江戸時代には信国・法城寺国光と共に「貞宗三哲」の一人に数えられたが、説明書はこれを「俄かに信じ難い」とし、現存作の多くはあくまで備前伝で、兼光・長義ほど相州伝を帯びたものは少ないと記す。しかし例外は実在する。島津家伝来の脇指(重要文化財)では地刃の沸が極めて強く、地景・金筋が目立ち、これに次ぐ沸の強い作も少数知られている。
鑑定上の位置は、同工自身の見どころによって定まる。逆がかる直刃調の焼刃が最も近づくのは青江であり、説明書は「粗見すれば青江に擬する作風」[[c:5]]としながらも、焼頭の揃った角ばる刃と鮮明に立つ乱れ映りとによって極めは元重に帰着する、備前気質を基盤に隣国備中青江の風情を窺わせるものと断ずる。古伝書が似るとする景光に対しては、刃幅の広さ、帽子の尖り、地がねの処々ゆるんだような流れ柾や地斑に、「景光らとは系統を異にする元重の個性」[[c:6]]が窺われる。これらの見どころは同工一人にとどまらず、重真ら一派に共有され、角ばり逆がかる作風は南北朝期を通じて受け継がれた。
藤代の極めは上々作。指定を受けた作は一五三口に上り、重要文化財七口、重要美術品八口、本間による御物台帳に所載の観応年紀の生ぶ茎の長大な太刀一口、その下に特別重要刀剣二十一口・重要刀剣百十六口、あわせて百三十七口が連なる。無銘九十九口が在銘四十九口を上回り、蒐集家がまみえるのは多く延文・貞治型の大磨上無銘刀である。名のある作が一派の歴史を担う。「同作中の白眉」と称される建武元年(1334)紀の太刀、菊桐紋散蒔絵の糸巻太刀拵を伴う閑院宮家伝来の観応三年(1352)紀の太刀、宝永八年(1711)に将軍徳川家宣より拝領され本阿弥光温の金象嵌極めが「至当」とされる秋田佐竹家伝来の刀、そして『徳川実紀』が寛永元年(1624)に家光が伊達政宗に下賜したと記す元重に該当するとも思われる仙台伊達家伝来の刀である。来歴の録された刀は二十七口、伊達・佐竹・上杉・蜂須賀・細川・島津・尾張徳川・柳沢の諸家を経て皇室に及ぶ。重要文化財の諸作は島津家伝来の脇指を含めて永く取引されることがなく、東京国立博物館・林原美術館・静嘉堂文庫美術館・上杉神社・大英博物館の所蔵もまた市場の外にある。それでも特別重要刀剣・重要刀剣の級に百三十七口を数える同工は、南北朝備前の大きな名のうち、なお現実に手にし得る数少ない一人であり、鮮明な映りの下に角ばり逆がかる焼刃が、その手をおのずから名乗っている。
元重の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 相伝備前· 1330–1394
現在5点販売中
相伝備前 相伝備前とは、南北朝時代の備前国長船派にあって、相州伝の作風を加味した一群の刀工およびその作風期を指す呼称である。景光に続く長船派の嫡流たる兼光をはじめ、兼光と並んで傑れた技術を示すとされる長義、その門と伝える兼長、兼光門下の一人にして一説に兼光の弟とも伝える倫光、さらに兼光や長義とは別系統で青江気質を窺わせる元重、長船傍系と目される義景など、多くの備前鍛冶がこの時期に活躍した。兼光の現存する年紀作は鎌倉時代末期の元亨元年から南北朝期の貞治に及ぶ約四十五年に亘り、その南北朝時代初期の康永頃までの作は姿が尋常で父景光風を踏襲した感があるが、貞和・観応頃から姿が大柄となり、それまでになかったのたれ主調の刃文が出現する。長義は「備前刀の中で最も備前ばなれした刀工は長義也」と古来称され、相州伝を強く加味した作風で知られる。長船における正系の技量を継承しつつ、隣国相模の作風を取り込んだ点に、この作風期の独自性が存する。 作風は、まず体配において南北朝期の時代色を色濃く反映する。身幅が広く元先の幅差が目立たず、重ね頃合、大鋒に結ぶ堂々たる姿で、延文・貞治頃を最盛期とする雄渾なる体配を示す。鍛えは板目に杢を交え、総じてよく錬れて地沸つき、地景入り、乱れ映りが立つのを常とする。この乱れ映りは、相州伝の色彩を帯びながらも備前気質を表出する標識であり、相伝備前と鑑する重要な拠所となる。刃文は兼光・倫光においてはおおどかなのたれを主調に互の目・小互の目・角ばる刃・尖りごころの刃などを交え、匂勝ちに小沸つき、単調とならず変化を見せる。一方、長義・兼長においては、のたれ基調に丁子風の刃や腰開きの刃を交えて大模様に華やかに乱れ、よく沸づき、金筋・砂流し頻りにかかり、湯走り・飛焼を見せるなど、地刃の沸が一段と強い出来口を示す。元重は鍛えに流れ柾や地斑を交え、刃文に角ばる互の目が目立ち、逆がかり、逆足・葉を交えて帽子が尖るなど、青江気質を窺わせる点に同工一派の見どころがある。 評価としては、相州伝の影響が単に備前の伝統を駆逐したのではなく、長船の作域を著しく拡大せしめた点に、この作風期の歴史的意義が認められる。精錬の良さは際立ち、肌模様に緩みや荒れが看取されず、長船派棟梁としての鍛錬の妙味が遺憾なく発揮されている。匂口は明るく冴え、保存状態の健全な作が多く、備前の華やかさと強さを存分に堪能できる。兼光が先駆けたおおどかな乱れ、長義の放胆にして個性的な大乱れは、いずれも南北朝期長船を代表する達成として賞される。在銘の年紀作に乏しく無銘の極め物が多いものの、年紀を有する生ぶ茎の遺存例は資料的価値が頗る高く、後世には『集古十種』所載の名品や本阿弥折紙を伴う伝来品も知られる。相伝備前は、備前と相州という二大伝法が融合した到達点として、日本刀の歴史に重きをなすものである。 詳しく見る →
鎌倉時代の備前
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,348口(約202口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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