直綱 近日公開。正宗十哲の一人に数えられる、石州直綱の極めが付いた非常に魅力的な一振をご紹介いたします。 直綱は鎌倉時代末期に活躍した工であり、まさに正宗と同時代に位置します。石見国を代表する名工であり、正宗の影響を色濃く受けた相州伝を主として焼いています。 本作は、後世に大磨上げ無銘となった一振りですが、現状でも長さは72.7cmを誇ります。製作当時の姿は、さぞかし壮大な大太刀であったことが容易に想像されます。南北朝時代の名品の多くは、江戸時代の佩用様式に合わせて磨上げられましたが、本作のような優れた刀剣は、時の権力者や高位の武家によって大切に受け継がれてきました。 刃文は、互の目にのたれを交えた力強いもので、相州伝の特色が顕著に表れています。沸出来が深く、刃中には砂流しが盛んにかかります。地鉄は板目に肌立ち、政目を交え、地景が明瞭に現れます。帽子も相州伝らしい乱れ込みとなり、健全な状態を保っています。 本作は直綱の作風を顕著に示した代表的な優品です。 白鞘入り。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣鑑定書付。 将来の重要刀剣昇格への期待もかかる一振りです。




Sekishu Naotsuna (Iwami), Soshu-den · 石見 · 1334-1338頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位14%
現在3点販売中
直綱は南北朝時代、刀剣書が石州と呼ぶ西国の石見に作刀し、銘に「石州住」あるいは「石州出羽住」と居住地を切った。古来の所伝は本工を相州正宗の十哲、いわゆる正宗十哲の一人に数え、説明書も江戸時代以来その所伝を伝える。しかしそれをそのまま是とはしない。初代について説明書は「正宗十哲の一人に数えられているが、年代的にみて、直接のつながりにやや無理があるように思われる」[[c:1]]と記し、その当否は今後の研究に俟つとする。現存に永和より古い年紀がないからである。確かに定め得るのは作風で、これは相模の相州伝を西の石見に伝えたものであり、説明書はその作風を「相州伝の志津、左文字に一脈相通じるところがある」[[c:2]]と読む。
本工の手は銘よりも作風から読まれる。在銘の直綱が乏しいからである。説明書は端的に「直綱有銘作は比較的に少く」[[c:3]]と記し、現存の多くは大磨上の無銘ゆえ、僅かな在銘の太刀はその数以上の重みを負う。極めの手がかりとなる見どころは、角ばって連れた互の目、すなわち角がかった刃が互いに歩を揃えて連れる刃に、小互の目・小のたれ・尖り刃を交えるところにある。よく沸づいた乱れに盛んな砂流しと頻りの金筋がかかり、足・葉がよく入る。説明書はある磨上の一刀にその全容をまとめ、流れた板目に地沸・地景の入った地鉄を「独特の連れた互の目、尖り刃などを駆使して砂流しや金筋のかかった作風は、石州直綱の特色ある見どころである」[[c:4]]とする。この一文こそ本工の鑑定の核である。
地鉄は刃文の下に終始変わらぬものである。板目が流れて肌立ち、杢を交え、つむというよりは肌が開いて、地沸つき地景よく入り、かねは総じて黒みをおびて、時に僅かに白気を帯びる。その地の上の働きはまったく相州のもので、沸が厚くつき、湯走り・飛焼が上半に流れ、ある作では二重刃風が刃縁を重ね、匂口は沈みごころとなる。帽子は下の乱れに応じて乱れ込み、掃きかけて、一方は尖り一方は小丸となり、しばしば焼詰め風に結ぶ。刀の多くは表裏に棒樋を掻き通し、折々これに添樋を添える。
記録は一人の手の二つの面に截然と分かれる。第一は僅かな在銘の太刀で、その幾口かは初代の作と鑑せられ、有銘であること自体が貴ばれる。要となるのは「直綱」と二字を大振りに切った特別重要刀剣の太刀で、説明書はこれを初代と鑑し有銘ゆえ極めて貴重とし、尖りごころを交えた小のたれの刃を志津・左文字に擬する。第二の、はるかに多い面は、作風のみによって石州直綱と極められた大磨上無銘の刀である。いま一口の特別重要刀剣、長い額銘を負う磨上の刀は、角ばった互の目が刃を貫いて連れ、相州伝の働きを示す。これらは銘振りそのものが作ごとに異なり、初二代の決し難い一因となって、古伝書は世代を建武・永和・応永と区々に置く。
相州伝の中で本工の作は志津兼氏・左文字の傍らに置かれ、説明書はその刃を「相州伝の志津、左文字に一脈相通じる」[[c:5]]とする。彼を分かつのは借り物ではなく自身のもので、黒く流れる板目の上に連れた角ばる互の目と盛んな砂流し・金筋を見せる点こそ、無銘の作を本工と極める拠り所であり、相模の相州諸工ならより精緻な地を、備前の工なら映り立つ明るくつんだ地を示すところである。彼は相州の作風を石見に持ち出して郷土の訛りを与えた工であり、切銘を欠くところでは連れた互の目がその署名となる。
収集の観点では、本工はほとんど極めを通じて出会う名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は特別重要刀剣二口、重要刀剣六十九口ほど、そして在銘の太刀と短刀を記す戦前の重要美術品三件を通じ、幾つかは名家の旧蔵である。その作は来歴の確かな機関・旧家に伝わり、徳川美術館・東京富士美術館がこれを蔵し、所有の記録は徳川家・上杉家、鷹司家、池田利隆、立花忠茂らに遡る。指定を受けた作も、私蔵・公蔵を問わず多くは伝えられて売買されず、しかも在銘の直綱はその指定数が示す以上に稀である。在銘の作がそれほど少ないからである。連れた互の目を負う大磨上無銘の刀は折々、根気をもって私蔵家のもとに現れる。初代と鑑せられる生ぶ在銘の太刀は出会い得る最も稀なものの一つであり、相州伝が遠き西国へいかに渡ったかを静かに語る証である。
直綱の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 石見
現在6点販売中
石州直綱は石見国に住した刀工で、同名数工の存在が知られ、古伝書の多くは初代を建武、二代を永和、三代を応永と記している。厳密な代別についてはなお研究すべき点が残されているが、初代直綱は相州正宗の門人と伝え、いわゆる正宗十哲の一人に数えられる。もっとも、年代的にみて正宗との直接の繋がりにはやや無理があるように思われ、その明確な当否は今後の研究に委ねられている。山陰の地にあって相州伝の作域を示す一派であり、南北朝期、わけても延文・貞治の頃を中心に活躍した。直綱の子には真綱があって南北朝より室町にかかり、また貞綱が出て石見国出羽に住し、時代が降ると同国長浜の地に祥末・祥貞・林祥らの後流を生じ、貞綱の子を初代とする末貞も室町に数代続いた。 姿形は身幅広く、元先の幅差さまで目立たず、反りやや深く、中鋒延びごころから大鋒に至るものが多く、延文・貞治体配を明瞭に示す堂々たる作り込みを身上とする。鍛えは板目に杢を交え、流れ肌をまじえて肌立ちごころとなり、地沸厚くつき、地景がよく入り、鉄色は総じて黒みをおびて、ときに淡く映り立ち、あるいは白気風を見せる。刃文は互の目を主体とし、角ばる互の目が連れ、小互の目・小のたれ・尖りごころの刃・丁子ごころの刃などを交え、足・葉よく入り、沸厚くついて金筋・砂流しが頻りにかかり、湯走り・飛焼・棟焼や二重刃風を交えるなど、相州伝の覇気に富む。総じて互の目が連れて乱れる態と、よく沸づいて働きの豊かな刃中に直綱を見分ける要点があり、その作風は相州伝の志津・左文字に一脈相通じるところがある。子の貞綱は直綱に似て、互の目調のものと小のたれ調のものとを見るが、いずれも沸がよくつき、砂流しが盛んにかかる点に共通する。 鑑定にあたっては、黒みをおびた板目鍛えに地沸・地景の発達した地鉄と、互の目を主調とした変化に富む乱れ刃、刃中に頻りに看取される金筋・砂流しの働きを併せ見て、直綱と極められるものが多い。在銘の作は遺例に乏しく、額銘の刀や二字銘の太刀がわずかに伝わるほか、有銘の太刀には重要美術品に認定された一口が現存して、その銘振りは比較の基準となる。無銘ながら延文・貞治の豪壮な体配によく相州伝の作域を映した優品が伝存し、薙刀を磨り上げて刀・脇指に仕立て直したものも見られる。南北朝の山陰にあって相州伝を継承し、正宗十哲の名のもとに伝えられてきた点に、この一派の位置づけがある。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト直綱 近日公開。正宗十哲の一人に数えられる、石州直綱の極めが付いた非常に魅力的な一振をご紹介いたします。 直綱は鎌倉時代末期に活躍した工であり、まさに正宗と同時代に位置します。石見国を代表する名工であり、正宗の影響を色濃く受けた相州伝を主として焼いています。 本作は、後世に大磨上げ無銘となった一振りですが、現状でも長さは72.7cmを誇ります。製作当時の姿は、さぞかし壮大な大太刀であったことが容易に想像されます。南北朝時代の名品の多くは、江戸時代の佩用様式に合わせて磨上げられましたが、本作のような優れた刀剣は、時の権力者や高位の武家によって大切に受け継がれてきました。 刃文は、互の目にのたれを交えた力強いもので、相州伝の特色が顕著に表れています。沸出来が深く、刃中には砂流しが盛んにかかります。地鉄は板目に肌立ち、政目を交え、地景が明瞭に現れます。帽子も相州伝らしい乱れ込みとなり、健全な状態を保っています。 本作は直綱の作風を顕著に示した代表的な優品です。 白鞘入り。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣鑑定書付。 将来の重要刀剣昇格への期待もかかる一振りです。




Sekishu Naotsuna (Iwami), Soshu-den · 石見 · 1334-1338頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位14%
現在3点販売中
直綱は南北朝時代、刀剣書が石州と呼ぶ西国の石見に作刀し、銘に「石州住」あるいは「石州出羽住」と居住地を切った。古来の所伝は本工を相州正宗の十哲、いわゆる正宗十哲の一人に数え、説明書も江戸時代以来その所伝を伝える。しかしそれをそのまま是とはしない。初代について説明書は「正宗十哲の一人に数えられているが、年代的にみて、直接のつながりにやや無理があるように思われる」[[c:1]]と記し、その当否は今後の研究に俟つとする。現存に永和より古い年紀がないからである。確かに定め得るのは作風で、これは相模の相州伝を西の石見に伝えたものであり、説明書はその作風を「相州伝の志津、左文字に一脈相通じるところがある」[[c:2]]と読む。
本工の手は銘よりも作風から読まれる。在銘の直綱が乏しいからである。説明書は端的に「直綱有銘作は比較的に少く」[[c:3]]と記し、現存の多くは大磨上の無銘ゆえ、僅かな在銘の太刀はその数以上の重みを負う。極めの手がかりとなる見どころは、角ばって連れた互の目、すなわち角がかった刃が互いに歩を揃えて連れる刃に、小互の目・小のたれ・尖り刃を交えるところにある。よく沸づいた乱れに盛んな砂流しと頻りの金筋がかかり、足・葉がよく入る。説明書はある磨上の一刀にその全容をまとめ、流れた板目に地沸・地景の入った地鉄を「独特の連れた互の目、尖り刃などを駆使して砂流しや金筋のかかった作風は、石州直綱の特色ある見どころである」[[c:4]]とする。この一文こそ本工の鑑定の核である。
地鉄は刃文の下に終始変わらぬものである。板目が流れて肌立ち、杢を交え、つむというよりは肌が開いて、地沸つき地景よく入り、かねは総じて黒みをおびて、時に僅かに白気を帯びる。その地の上の働きはまったく相州のもので、沸が厚くつき、湯走り・飛焼が上半に流れ、ある作では二重刃風が刃縁を重ね、匂口は沈みごころとなる。帽子は下の乱れに応じて乱れ込み、掃きかけて、一方は尖り一方は小丸となり、しばしば焼詰め風に結ぶ。刀の多くは表裏に棒樋を掻き通し、折々これに添樋を添える。
記録は一人の手の二つの面に截然と分かれる。第一は僅かな在銘の太刀で、その幾口かは初代の作と鑑せられ、有銘であること自体が貴ばれる。要となるのは「直綱」と二字を大振りに切った特別重要刀剣の太刀で、説明書はこれを初代と鑑し有銘ゆえ極めて貴重とし、尖りごころを交えた小のたれの刃を志津・左文字に擬する。第二の、はるかに多い面は、作風のみによって石州直綱と極められた大磨上無銘の刀である。いま一口の特別重要刀剣、長い額銘を負う磨上の刀は、角ばった互の目が刃を貫いて連れ、相州伝の働きを示す。これらは銘振りそのものが作ごとに異なり、初二代の決し難い一因となって、古伝書は世代を建武・永和・応永と区々に置く。
相州伝の中で本工の作は志津兼氏・左文字の傍らに置かれ、説明書はその刃を「相州伝の志津、左文字に一脈相通じる」[[c:5]]とする。彼を分かつのは借り物ではなく自身のもので、黒く流れる板目の上に連れた角ばる互の目と盛んな砂流し・金筋を見せる点こそ、無銘の作を本工と極める拠り所であり、相模の相州諸工ならより精緻な地を、備前の工なら映り立つ明るくつんだ地を示すところである。彼は相州の作風を石見に持ち出して郷土の訛りを与えた工であり、切銘を欠くところでは連れた互の目がその署名となる。
収集の観点では、本工はほとんど極めを通じて出会う名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は特別重要刀剣二口、重要刀剣六十九口ほど、そして在銘の太刀と短刀を記す戦前の重要美術品三件を通じ、幾つかは名家の旧蔵である。その作は来歴の確かな機関・旧家に伝わり、徳川美術館・東京富士美術館がこれを蔵し、所有の記録は徳川家・上杉家、鷹司家、池田利隆、立花忠茂らに遡る。指定を受けた作も、私蔵・公蔵を問わず多くは伝えられて売買されず、しかも在銘の直綱はその指定数が示す以上に稀である。在銘の作がそれほど少ないからである。連れた互の目を負う大磨上無銘の刀は折々、根気をもって私蔵家のもとに現れる。初代と鑑せられる生ぶ在銘の太刀は出会い得る最も稀なものの一つであり、相州伝が遠き西国へいかに渡ったかを静かに語る証である。
直綱の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 石見
現在6点販売中
石州直綱は石見国に住した刀工で、同名数工の存在が知られ、古伝書の多くは初代を建武、二代を永和、三代を応永と記している。厳密な代別についてはなお研究すべき点が残されているが、初代直綱は相州正宗の門人と伝え、いわゆる正宗十哲の一人に数えられる。もっとも、年代的にみて正宗との直接の繋がりにはやや無理があるように思われ、その明確な当否は今後の研究に委ねられている。山陰の地にあって相州伝の作域を示す一派であり、南北朝期、わけても延文・貞治の頃を中心に活躍した。直綱の子には真綱があって南北朝より室町にかかり、また貞綱が出て石見国出羽に住し、時代が降ると同国長浜の地に祥末・祥貞・林祥らの後流を生じ、貞綱の子を初代とする末貞も室町に数代続いた。 姿形は身幅広く、元先の幅差さまで目立たず、反りやや深く、中鋒延びごころから大鋒に至るものが多く、延文・貞治体配を明瞭に示す堂々たる作り込みを身上とする。鍛えは板目に杢を交え、流れ肌をまじえて肌立ちごころとなり、地沸厚くつき、地景がよく入り、鉄色は総じて黒みをおびて、ときに淡く映り立ち、あるいは白気風を見せる。刃文は互の目を主体とし、角ばる互の目が連れ、小互の目・小のたれ・尖りごころの刃・丁子ごころの刃などを交え、足・葉よく入り、沸厚くついて金筋・砂流しが頻りにかかり、湯走り・飛焼・棟焼や二重刃風を交えるなど、相州伝の覇気に富む。総じて互の目が連れて乱れる態と、よく沸づいて働きの豊かな刃中に直綱を見分ける要点があり、その作風は相州伝の志津・左文字に一脈相通じるところがある。子の貞綱は直綱に似て、互の目調のものと小のたれ調のものとを見るが、いずれも沸がよくつき、砂流しが盛んにかかる点に共通する。 鑑定にあたっては、黒みをおびた板目鍛えに地沸・地景の発達した地鉄と、互の目を主調とした変化に富む乱れ刃、刃中に頻りに看取される金筋・砂流しの働きを併せ見て、直綱と極められるものが多い。在銘の作は遺例に乏しく、額銘の刀や二字銘の太刀がわずかに伝わるほか、有銘の太刀には重要美術品に認定された一口が現存して、その銘振りは比較の基準となる。無銘ながら延文・貞治の豪壮な体配によく相州伝の作域を映した優品が伝存し、薙刀を磨り上げて刀・脇指に仕立て直したものも見られる。南北朝の山陰にあって相州伝を継承し、正宗十哲の名のもとに伝えられてきた点に、この一派の位置づけがある。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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