応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
金剛兵衛は盛高や吉盛、盛次、盛匡など工銘に盛の字を用いる筑前国の刀派で、南北朝期から室町後期に、太宰府に近い宝満山南西麓の有智山に鍛冶場を設けて活躍した。遠祖は源氏の宝刀髭切と膝丸の二太刀の作者正應とも伝える。

脇物 · 筑前
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南北朝期の筑前国には左文字派と金剛兵衛派の二大流派が並存した。金剛兵衛派は福岡を拠点とし、同時代の左文字派とは異なる作風を示す。現存する有銘作には室町期を遡るものは見られず、最も古い紀年作として「筑州冷泉貞盛 正平廿五一月日」[[c:1]]銘の短刀(重要美術品)が知られる。貞盛作に見られる地刃の大和気質は、この派の成立に大和鍛冶の影響があったことを示唆している。 鍛えは大板目に板目を交え、処々大杢目が混じり、刃寄りに僅かに流れ肌を交えて柾となる。総体に肌立ちごころで、地沸がつき、かな色はやや黒みがかって濁りを帯びる。刃文は細直刃を基調とし、僅かに浅くのたれをおび、小互の目ごころの刃を交える。小足が入り、匂口は締まりごころに小沸がよくつく。刃縁はほつれ、ささやかながら砂流しや金筋が地刃にまたがって現れる。九州独特のかな味を示しつつ、匂口がやや沈みごころとなる点にこの派の特色がある。 現存する金剛兵衛派の古作は、いずれも大磨上げの無銘品として「古金剛兵衛」と極められている。身幅が広く、反りが浅くつき、中鋒から大鋒となる南北朝期の体配を示し、棒樋や棒樋に添樋を施した例が多い。質実にして力強い姿形を備え、地景が頻りに入った地がねと、細直刃ながら変化に富んだ刃文は見どころが多く、鎌倉末期から南北朝期における筑前鍛冶の優れた作例として評価されている。 詳しく見る →
室町時代
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
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