江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
Stock number:WA-060119Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TokenCountry・Era:Bizen(Okayama)・Middle Edo period about 1661~Blade length(Cutting edge): 59.3cmCurve(SORI): Inner curve 1.3cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.30cmThickness at the Moto-Kasane: 0.80cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.50cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: Two parts, Gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered,,Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Chu-kissaki, Shinogizukuri, IorimuneJigane(Hada): Koitame with JinieTemper patterns(Hamon): GunomeTemper patterns in the point(Bohshi): Sugu turning KomaruRegistration Card: Sizuoka【Additional Information】室町中期から続く備前祐定派は、数十人規模で鍛刀していた大刀工群でしたが、古刀期末期の度重なる吉井川の氾濫にともない多くの鍛冶を失い、祐定の一族のみとなりました。横山上野大掾祐定は、新刀祐定派復興の功労者七兵衛尉祐定の子にして古刀期永正の与三左衛門尉祐定から数えて六代目、通称を平兵衛と称し寛永十年に生まれ、寛文四年七月、三十二歳の時に上野大掾を受領、以降需要の最盛期にあって長船祐定派を統率し、八十九歳という長寿を全うするまで末備前祐定流復興に心血を注ぎ、消滅寸前の長船を復活させた新刀祐定随一の名匠です。本作は刃長が一尺九寸六分と刀に迫る長さの脇差である。身幅広く、重ねしっかりと、反り姿頃合で、踏ん張りを見せる肉置たっぷりとした健全な一振です。地鉄は潤いある小板目肌がよく練れて微塵に詰み、地沸よくつき、肌模様が誠に美しく、冴えた精美な鍛肌です。刃文は小沸出来の互の目大乱を基調として、丁子交じり飛び焼きも現れる冴えた覇気を感じる刃です。刃中には足良く入り、葉が現れ働きも盛んです。帽子は直となって小丸へ深くしっかりと返ります。本作は出来が良く、横山上野大掾藤原祐定の特徴が顕著で、名工の技を余す事無く発揮した地刃共に冴える傑作の一振りです。白鞘、金着二重はばき。
取扱店 銀座誠友堂






備前伝 · 備前 · 1661-1704頃
藤代 上々作 · 刀剣大鑑 上位8%
現在1点販売中
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在54点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
江戸時代
江戸は刀の目利きの時代である。本阿弥の鑑定、1719年の享保名物帳、盛んな刀剣書が、戦で抜かれることのなくなった刀を学問の対象へと変えていった。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).