彦左衛門尉祐定の銘の下に伝わる指定作はいずれも生ぶ茎で年紀を有し、刀七口と両刃造の短刀一口からなる。最も古いのは長銘の傍らに九字印と「大吉」の文字および梵字を刻す天文十六年(一五四七)の刀、最も新しいのは播州の和田出雲守のために鍛えた天正四年(一五七六)の注文打である。祐定は室町末期の長船を代表する名で、末備前の祐定のうち最も尊ばれるのは与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉と俗名を冠する一群であり、彦左衛門尉もこれと並べて挙げられる。説明書は彦左衛門尉の名が与三左衛門尉・源兵衛尉より低いとしつつ、これらの作を特に出来がよいとし、その一口を「末備前物の代表作の一口」と見るべきであろうとする。銘は同銘三代にわたり、銘鑑により初代を永正、二代を天文・永禄、三代を元亀・天正とする。
作の見どころは、明言された作風の二分にある。説明書はほぼ同文でこれを繰り返し、この期の作風は大別して腰開きの互の目乱れが複式風になったものと、「直刃調に足・葉の入ったもの」の二様があるとする。前者は華やかな極で、腰元の開いた互の目を焼深く焼き、互の目が複式の構造に発展し、足・葉よく入り、小沸つき、砂流し・金筋がかかる。最も激しい作では匂口明るく、ほかの作ではやや沈む。後者は静かな極で、直刃調あるいは広直刃に足・葉よく入り、小沸に砂流しかかり、匂口は締りごころとなり、天正の一口では物打辺に湯走り・飛焼がかかる。多くの作はいずれか一方に明らかに属し、説明書は数口についてそのどちらであるかを明記する。
地鉄は二様の下に一貫する。よくつんだ小板目、身幅の広い刀では板目となり、地沸がつく。一口はつみつめて無地風となり、別の一口は板目に杢交じり肌立ち、棟焼が入る。鍛えこそ説明書が最もしばしば揚げるところで、天文十六年の刀には「殊に鍛えは抜群」と記し、板目に地沸がついて地景がよく入り、「総体につよい鉄味を呈している」とする。帽子は刃文に応じ、華やかな作では乱れ込んで小丸に返り、時に焼深く焼詰風となり、直刃の作では小丸に長く返り、あるいは尖りごころに、わずかに掃きかける。姿は終始室町末期の刀で、身幅広い鎬造に庵棟、先反りつき、中鋒延びて大鋒ごころとなり、鎬を削いで高くするものもある。
世代は茎から読まれる。作はいずれも生ぶ茎で、表に長銘、裏に年紀を切り、説明書は各作を年代に定めた上で銘鑑の彦左衛門尉三代に当てる。天文十六年・天文十七年の刀を二代とし、天正元年・天正四年の刀と天正元年の短刀を三代とする。その作域は広く、腰の開いた互の目・直刃・皆焼等多彩で、いずれにも高い技術が窺われると、説明書は天文十七年の刀で二代について述べ、短刀で三代について繰り返す。年を追って刀身も茎も伸びるのは時代の徴と読まれ、太刀が全く廃れて長い打刀を両手で使用するようになったことを物語るとされる。第六十六回指定の天正元年紀の両刃造短刀は、文明や永正頃のものに比して少しく大振りな点に室町後期の時代色を現す。小板目肌よくつみ、地沸微塵につき、地景細かに入り、淡く映りが立つ地に、広直刃調に互の目・小互の目を交え、処々叢沸となり、総体に砂流し細かにかかり、金筋入り、匂口明るく冴え、帽子は焼深く尖りごころに長く返る。説明書は「地刃共に明るく冴えて、抜群の出来映えを示しており」とし、江戸時代末期の制作と思われる合口短刀拵が附帯する。二様の作風と三代の世代とは直交し、一は作風、一は年代の事であって、一口を読めばその両方が得られる。
一門の中では、室町後期の厚い末備前長船の一群、長船の長い系譜の最後の大きな段階に属する。説明書は彦左衛門尉を与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉と共に祐定を代表する一人とし、祐定の中には名品の数が多く、とりわけ技術の高い者があると記す。本工自身の見分けは借りものの比較ではなく自らの特徴、すなわちよくつんだ小板目に地沸の地鉄に保たれた二様の作風と、説明書の賛える鉄味にある。同銘の作が少ないとされる天文十六年の刀を、説明書はその代表作と称すべきものとする。
藤代はこの工を上作に位し、指定の記録は控えめである。記録されるのは八口、いずれも重要刀剣で、それより上の指定はない。私蔵や長く記録された手に伝わる末古刀の刀と短刀の一群で、所在の知れる一口は時に現れ、鎌倉期の太刀ほど稀ではないが、それゆえにありふれたものでもない。伝来は一口に明らかで、天正四年の刀は播州住の和田出雲守のために鍛えられ、その所持銘に「為播州住和田出雲守重代延之也」とあって、同家重代の作として伝えられたことがわかる。収集家にとって彦左衛門尉祐定は名高い名の近づきやすい端であり、年紀と銘をもつ末備前の作に二様の読みと世代の枠を手に取って確かめることができ、その最良の作には、天文十六年の刀について説明書が言うように、抜群の鍛えが見られる。