室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
長船勝光は、初代が応永頃で、室町後期まで代の継承がみられるが、室町中期文明(1469年)頃の右京亮、その子永正(1504年)頃の次郎左衛門尉には、重文や重美の指定品もあり特に上手で、右京亮の弟左京進宗光を含め末備前を代表する名工である。この刀は、文明十二年の年紀が入る右京亮勝光の作で、身幅広く、重ね0.8cm、反り深い豪壮な片手打ちの姿で、板目肌に、杢目・小杢目肌交じり、地沸厚くつき、地景仕切りに入り、乱れ映りが立つ地鉄に、中直刃に、小互の目交じり、ほつれ・食い違い・二十刃など掛り、小足・葉入り、小沸つき、金筋細かく頻りに掛るなど刃中よく働き、匂口明るく冴える優品である。
Certificate reading — 銘 備州長船勝光 文明十二年八月日





















Osafune (Sue-Bizen), Bizen · 備前 · 1469-1487頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位14%
現在5点販売中
文明十六年二月紀、大振りの長銘に「備前国住長船右京亮勝光」[[c:10]]と切り、表裏に「天下泰平国土安穏」[[c:11]]「冨貴萬福皆令満足」[[c:12]]の祈念の文字を陰刻した一刀は、本工の手の頂点とされ、その作中ただ一口特別重要刀剣に達したものである。この銘を切った工こそ、ひしめく同名のうちの筆頭である。勝光は末備前と総称される室町末期の長船鍛冶を代表する名の一つで、室町中期以後に十数工がこの名を用いた。説明書は銘に俗名を冠する者を特に挙げ、なかでも右京亮勝光とその子次郎左衛門尉勝光を著名とし、右京亮を子よりも先輩、左京進宗光の兄、末備前中でも技術すぐれた者とする。すなわち「右京亮と銘するものは次郎左衛門尉よりは先輩であり」[[c:13]]、「末備前中でも技術が優れている」[[c:1]]。
本工の典型は、末備前を診断する腰の開いた互の目を基調とする焼の高い明るい刃である。板目に杢を交えてつみ、処々流れ、地沸つき地景の入る地に、腰の開いた互の目を焼き、これに丁子・小互の目・小丁子を交え、足・葉よく入り、匂勝ちに小沸つき、尖り刃や小さな飛焼を交え、匂口明るい。説明書がその個性とするのは、共有の作域のなかの程度の差で、すなわち「乱れの中に丁子を多く交えた一段と華やかな出来を得意としている」[[c:2]]点であり、丁子が諸工より目立つ。特別重要刀剣の刀においてこの刃文は「末備前の作中勝光の典型的な作風を示している」[[c:3]]と読まれ、明るく変化に富む乱れを本工の出色の出来とする。
その華やかさの下、地鉄は終始変わらぬところである。末長船の板目から小板目の地に地沸つき地景入り、優品では地沸が微塵につき、処々やや肌立ちあるいは流れごころとなる。この地に乱れ映りが鮮明に立ち、説明書は同時期の備前物に比して乱れ映りが鮮明で刃文は丁子が目立って変化に富むとする。帽子は刃文に応じて乱れ込み、小丸あるいは尖りごころに返る。表裏には末備前の彫物、棒樋を丸止めにし下に梵字を彫り、倶利迦羅・三鈷剣・八幡大菩薩などの神号が施され、説明書はこれを鍛冶自身の彫ではなく一派専属の彫物師の手とする。姿は室町末の打刀で、身幅広く先反りつき、重ねやや厚く、茎短く片手のために造られる。
勝光はなにより一門の合作の名手で、その記録は大半が合作である。弟左京進宗光とは両名を二行に切り分けた連銘の刀があり、文明年間の年紀をもち、その数口は長船を離れて備中草壁・備前児嶋で打たれ、説明書は児嶋打を彼らの動向を知る貴重な資料と読む。これらの合作では、刃文が小湾れに互の目・小丁子を交え、あるいは互の目に丁子を交えて砂流しかかり、匂口締まって小沸つき、帽子は乱れ込んで小丸となる。両工はともに技術すぐれるがゆえに高く評価され、「両工とも技術が優れており」[[c:4]]、「愛刀家の最も珍重するところである」[[c:5]]。文明十六年紀の一刀は彦兵衛忠光を加えた三人合作で、説明書はこれを「忠光を加えた合作刀は他に殆んど見たことがない」[[c:6]]とし、直刃調に小互の目を交え、足・葉入り、砂流し・金筋かかる。
一派のうちで勝光を分かつのは、一つの見どころではなく手の幅である。華やかな互の目と直交して、説明書が真の技倆の証と読む意図して穏やかな手があり、本工はこれを年紀ある自作に能くする。文明十六年紀に弟宗光と児嶋で打った合作の脇指は、直刃を基調に処々浅くのたれて小互の目ごころを交え、足・葉入り、ほつれ、細かに砂流しかかり、匂口締まりごころに小沸つき、説明書はこれを「忠光などによく見られる作柄」[[c:7]]とする。文明十一年紀の五郎左衛門尉則光との合作短刀は、寸の割に身幅広く重ね厚く内反り強く、小板目のよくつんだ地に乱れ映りの立つ地へ中直刃に小互の目ごころを交え、小沸よくつき、金筋・砂流し細かにかかり、匂口明るく冴え、帽子は直ぐに小丸で長く焼き下げ、説明書はこれを「忠光に相通じる作域」[[c:8]]とする。明るく丁子を交えた互の目と冴えた直刃の技倆が、末備前の作域の上限を画す。
勝光は多作の工で在銘年紀の作も相応に残るが、世に出るものは少ない。藤代の極めは最上作。国宝も重要文化財もなく、その指定の記録は特別重要刀剣一口と重要刀剣七口を通り、指定を受けた八口はいずれも在銘で年紀がある。特別重要刀剣に達した一口は珍しい祈念の文字をもつ文明十六年紀の刀で、当時としては頑健な姿態を示した稀少な作とされ、「勝光の出色の出来栄えを示した秀逸な一口である」[[c:9]]と評される。この祈念の文字は他に類がなく、特別の注文によるもので後世これを模したものがあるとされる。来歴は作自身の伝来に拠るもので、御物として伝わる刀があり、文明十一年紀の短刀は拵とともに大久保家に伝来する。これらの外、指定を受けた作のうち特別重要刀剣・重要刀剣の級にあるもののみが世に現れ、在銘の勝光が市場に出るのは折にふれてのことであり、年紀を有し丁寧な彫物をもつ明るく丁子を交えた乱れの一口は、末備前を集める者にとって出会う価値のある作である。
勝光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在18点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。
長船勝光は、初代が応永頃で、室町後期まで代の継承がみられるが、室町中期文明(1469年)頃の右京亮、その子永正(1504年)頃の次郎左衛門尉には、重文や重美の指定品もあり特に上手で、右京亮の弟左京進宗光を含め末備前を代表する名工である。この刀は、文明十二年の年紀が入る右京亮勝光の作で、身幅広く、重ね0.8cm、反り深い豪壮な片手打ちの姿で、板目肌に、杢目・小杢目肌交じり、地沸厚くつき、地景仕切りに入り、乱れ映りが立つ地鉄に、中直刃に、小互の目交じり、ほつれ・食い違い・二十刃など掛り、小足・葉入り、小沸つき、金筋細かく頻りに掛るなど刃中よく働き、匂口明るく冴える優品である。
Certificate reading — 銘 備州長船勝光 文明十二年八月日





















Osafune (Sue-Bizen), Bizen · 備前 · 1469-1487頃
藤代 最上作 · 刀剣大鑑 上位14%
現在5点販売中
文明十六年二月紀、大振りの長銘に「備前国住長船右京亮勝光」[[c:10]]と切り、表裏に「天下泰平国土安穏」[[c:11]]「冨貴萬福皆令満足」[[c:12]]の祈念の文字を陰刻した一刀は、本工の手の頂点とされ、その作中ただ一口特別重要刀剣に達したものである。この銘を切った工こそ、ひしめく同名のうちの筆頭である。勝光は末備前と総称される室町末期の長船鍛冶を代表する名の一つで、室町中期以後に十数工がこの名を用いた。説明書は銘に俗名を冠する者を特に挙げ、なかでも右京亮勝光とその子次郎左衛門尉勝光を著名とし、右京亮を子よりも先輩、左京進宗光の兄、末備前中でも技術すぐれた者とする。すなわち「右京亮と銘するものは次郎左衛門尉よりは先輩であり」[[c:13]]、「末備前中でも技術が優れている」[[c:1]]。
本工の典型は、末備前を診断する腰の開いた互の目を基調とする焼の高い明るい刃である。板目に杢を交えてつみ、処々流れ、地沸つき地景の入る地に、腰の開いた互の目を焼き、これに丁子・小互の目・小丁子を交え、足・葉よく入り、匂勝ちに小沸つき、尖り刃や小さな飛焼を交え、匂口明るい。説明書がその個性とするのは、共有の作域のなかの程度の差で、すなわち「乱れの中に丁子を多く交えた一段と華やかな出来を得意としている」[[c:2]]点であり、丁子が諸工より目立つ。特別重要刀剣の刀においてこの刃文は「末備前の作中勝光の典型的な作風を示している」[[c:3]]と読まれ、明るく変化に富む乱れを本工の出色の出来とする。
その華やかさの下、地鉄は終始変わらぬところである。末長船の板目から小板目の地に地沸つき地景入り、優品では地沸が微塵につき、処々やや肌立ちあるいは流れごころとなる。この地に乱れ映りが鮮明に立ち、説明書は同時期の備前物に比して乱れ映りが鮮明で刃文は丁子が目立って変化に富むとする。帽子は刃文に応じて乱れ込み、小丸あるいは尖りごころに返る。表裏には末備前の彫物、棒樋を丸止めにし下に梵字を彫り、倶利迦羅・三鈷剣・八幡大菩薩などの神号が施され、説明書はこれを鍛冶自身の彫ではなく一派専属の彫物師の手とする。姿は室町末の打刀で、身幅広く先反りつき、重ねやや厚く、茎短く片手のために造られる。
勝光はなにより一門の合作の名手で、その記録は大半が合作である。弟左京進宗光とは両名を二行に切り分けた連銘の刀があり、文明年間の年紀をもち、その数口は長船を離れて備中草壁・備前児嶋で打たれ、説明書は児嶋打を彼らの動向を知る貴重な資料と読む。これらの合作では、刃文が小湾れに互の目・小丁子を交え、あるいは互の目に丁子を交えて砂流しかかり、匂口締まって小沸つき、帽子は乱れ込んで小丸となる。両工はともに技術すぐれるがゆえに高く評価され、「両工とも技術が優れており」[[c:4]]、「愛刀家の最も珍重するところである」[[c:5]]。文明十六年紀の一刀は彦兵衛忠光を加えた三人合作で、説明書はこれを「忠光を加えた合作刀は他に殆んど見たことがない」[[c:6]]とし、直刃調に小互の目を交え、足・葉入り、砂流し・金筋かかる。
一派のうちで勝光を分かつのは、一つの見どころではなく手の幅である。華やかな互の目と直交して、説明書が真の技倆の証と読む意図して穏やかな手があり、本工はこれを年紀ある自作に能くする。文明十六年紀に弟宗光と児嶋で打った合作の脇指は、直刃を基調に処々浅くのたれて小互の目ごころを交え、足・葉入り、ほつれ、細かに砂流しかかり、匂口締まりごころに小沸つき、説明書はこれを「忠光などによく見られる作柄」[[c:7]]とする。文明十一年紀の五郎左衛門尉則光との合作短刀は、寸の割に身幅広く重ね厚く内反り強く、小板目のよくつんだ地に乱れ映りの立つ地へ中直刃に小互の目ごころを交え、小沸よくつき、金筋・砂流し細かにかかり、匂口明るく冴え、帽子は直ぐに小丸で長く焼き下げ、説明書はこれを「忠光に相通じる作域」[[c:8]]とする。明るく丁子を交えた互の目と冴えた直刃の技倆が、末備前の作域の上限を画す。
勝光は多作の工で在銘年紀の作も相応に残るが、世に出るものは少ない。藤代の極めは最上作。国宝も重要文化財もなく、その指定の記録は特別重要刀剣一口と重要刀剣七口を通り、指定を受けた八口はいずれも在銘で年紀がある。特別重要刀剣に達した一口は珍しい祈念の文字をもつ文明十六年紀の刀で、当時としては頑健な姿態を示した稀少な作とされ、「勝光の出色の出来栄えを示した秀逸な一口である」[[c:9]]と評される。この祈念の文字は他に類がなく、特別の注文によるもので後世これを模したものがあるとされる。来歴は作自身の伝来に拠るもので、御物として伝わる刀があり、文明十一年紀の短刀は拵とともに大久保家に伝来する。これらの外、指定を受けた作のうち特別重要刀剣・重要刀剣の級にあるもののみが世に現れ、在銘の勝光が市場に出るのは折にふれてのことであり、年紀を有し丁寧な彫物をもつ明るく丁子を交えた乱れの一口は、末備前を集める者にとって出会う価値のある作である。
勝光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在18点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
室町の長船は輸出産業であった。明との勘合貿易はおよそ十二万八千振の日本刀を海の彼方へ運び、国内では戦国の軍勢が買い手となった。注文主の俗名を銘に刻む注文打ちが、兵卒用の数打ち物と並んで鍛えられている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。