近江甘呂俊長(延文 1356年頃)中古刀上作 天国(あまくに)あるいは貞宗門下とも伝えられますが、その伝来については未だ研究の余地が残されています。近江国蒲生郡に住した後、越後国でも作刀したとされています。年代については元弘・建武(1331-1334年)頃とする説もありますが、現存する押形の年紀を鑑みるに、延文頃と見るのが最も妥当でしょう。 銘: 近江国甘呂俊長 近江国高木住俊長 甘呂俊長は延文頃に活躍した刀工で、通称を天九郎と称し、高木貞宗の門人と伝えられます。近江国蒲生に住し、越後でも打っています。本作は南北朝時代の作。 三ヶ棟(みつむね)となり、身幅広く重ね厚く、表裏に棒樋を彫り上げます。 地鉄は板目肌に木目が交じり、よく練れて地沸つき、映りが現れます。 刃文は沸出来、二重刃ごころを交え、明るく冴えます。砂流し、金筋の働きが見て取れます。物頭付近からはさらに刃が活性し、砂流し、金筋が頻りに現れ、帽子は掃き掛けとなります。 外装は海老鞘の一作拵です。 鞘は赤漆塗の海老鞘。 鍔:真鍮地 粟穂図 目貫:銅地 鼠図 小柄:真鍮地 粟穂図 笄:真鍮地 粟穂図 小尻:真鍮地 海老尾図 すべて一作で揃った、見事な拵です。 本刀はかつて特別保存刀剣の指定を受けておりましたが、原本が紛失しているため、当時の写真(コピー)が付属いたします。 名工の手による真髄を、ぜひこの機会にお手元へお迎えください。 銘:無銘 時代:鎌倉〜南北朝(1300年代) 長さ:28.2cm(11-1/8インチ) 反り:3.0mm 元幅:29.2mm 元重:6.7mm 造り:平造り 棟:三ヶ棟 茎:生ぶ 鍛え:板目流れ 刃文:直刃調に小乱れ 帽子:掃き掛け 状態:研ぎの状態は良好です 【最新情報をお届けします】 当店のメーリングリストにご登録いただくことで、最新の入荷情報やニュースをお受け取りいただけます。 [登録する] ご登録ありがとうございました。 ※お客様のメールアドレスは厳重に管理され、当サイトからの更新通知以外には使用いたしません。






Kanro (Amaro), Takagi, Ōmi Province — transmitted of the Takagi Sadamune line · 近江 · 1338-1342頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位18%
現在1点販売中
甘呂俊長は自ら「江州甘呂俊長」と高木に切り、昭和五十一年に特別重要刀剣に上げられた短刀には、その全銘が目釘孔の下に刻まれている。近江国高木・甘呂に住し、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した。古来同国高木貞宗の系統と伝えられ、説明書はその所伝を伝えつつ、額面通りには受け取らない。現存する在銘作を検するに、「弟子とみるよりは同時代の刀工とみるべきものである」[[c:1]]と結論する。在銘の作は僅かで、数口の短刀に長銘の一口、紀年のある剣と稀な太刀があるのみであり、薄いながら稀に見るほど一貫した作群を通じて知られる名である。
その作群の示す手は、まず鍛えと帽子に読まれる。流れて柾を交えた板目に地沸厚くつき地景入り、その上に焼の低い静かなのたれを焼いて、丁子の房を連ねることをしない。刃縁にはほつれ・喰違刃・二重刃が入り、刃は沸に崩れ、砂流し・金筋がこれを貫き、上半に湯走りが集まる。帽子は小丸に返りながら、先で掃きかける。この組み合わせ、すなわち地鉄の柾と返りの掃きかけこそ、説明書がその一貫した標とするところで、これに拠って「大和系の刀工と見られている」[[c:2]]と読む。
地鉄は本工の作を通じて変わらぬところである。板目に時に杢・大板目を交え、肌やや立ちて流れ、地沸厚く、地景頻りに入り、刃の広がるところでは地が明るく冴える。身幅の広い無銘の刀では地鉄が流れた板目に処々大肌を交え、匂口は明るく冴えると評される。かくも働く地に対して刃文そのものは比較的抑えられ、低いのたれを基調に互の目と尖りごころを交え、見どころは焼の高さではなく刃中の沸の働きに托される。ある在銘の短刀について説明書は、上半の湯走り・喰違刃・二重刃と掃きかけの帽子が「俊長の特色をよく示し」[[c:3]]と記す。
その記録は二つの面に分かれる。第一の面は在銘の短刀で、数口は生ぶに残って本工自身の作を損なわず伝え、切刃造あるいは平造に三ツ棟、時に梵字に素剣・護摩箸を彫る。この一群のうちに重要文化財の二口、すなわち平造の短刀と、延文五年すなわち一三六〇年紀の両刃の剣が立つ。第二の面は、時代と一派から極められた大磨上無銘の刀で、身幅広く地鉄流れ、同じ低いのたれと掃きかけの帽子を寸法いっぱいに延べる。説明書はある一口の刀を、所伝を首肯し得るものと平らかに認め、また別の一口については俊長でなければならぬという極め手はないとし、ゆえに柾と掃きかけが、個性のみでは極め難いところでその極めを支える。
本工を分かつのは、その隣人にではなく本工に判者の見るところである。整った備前の丁子ではなく、沸を帯びた大和味の作域で、流れた柾と掃きかけの帽子がその地鉄と帽子を、つまった長船の手から分かち、また同時代の貞宗の周辺に結ぶ同じ沸の働きが、周囲の素朴な地方の工とは別たれる。貞宗との繋がりは、師弟ではなく時代と作風の共有として読まれる。ある身幅広い南北朝期の脇指、頻りに沸づいて金筋・砂流し・湯走りが地に流れ込むものを、説明書は「実に覇気漲る一作であり」[[c:4]]と称え、ある無銘の短刀を「同工の有銘作に繋がる佳品である」[[c:5]]として受ける。
収集の観点では、稀な初期の名で、その記録は小さく、概ね世に出ない。藤代の極めは上作。国宝はなく、その評価はむしろ重要文化財二口、すなわち平造の短刀と延文五年紀の剣、いずれも市場の外に守られた文化財と、特別重要刀剣の短刀一口、短刀・刀・脇指にわたる重要刀剣六口に拠る。所載の所有者のうち、一口の短刀は香雪美術館に、いま一口は東京国立博物館に伝わり、一口は伊達家の所伝を帯び、残る所在は記録されない。世に動き得るのは特別重要刀剣・重要刀剣の級のみで、それすら稀にしか現れず、現存する在銘作は説明書が繰り返すごとく極めて少ない。流れた柾と掃きかけの帽子を備えた在銘の甘呂俊長は、私蔵家が出会うことの稀なものであり、所伝の確かな一口はなお注目すべき加わりである。
俊長の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 越後
現在2点販売中
起源 百川派は、越後国の地名「桃川」に由来する一派であり、鎌倉時代末期から南北朝時代を経て室町時代にかけて活躍した刀工群である。一派の祖と目される甘呂俊長は、近江国高木の産で、古来高木貞宗の門人と伝えられている。しかし現存する在銘の太刀・短刀を見るに、俊長の作風には貞宗に通じる処が乏しく、むしろ貞宗とほぼ同時代の刀工とみるべきものであって、その地刃は総じて大和風が強い。 桃川の地に長吉と名乗る刀工があり、南北朝時代から室町時代にかけて二代あるいは三代続いたといわれる。一説に長吉は甘呂俊長の弟子と伝えるが、俊長に似た処は少なく、地刃は総じて大和風である。また越後国住の秦長義は、一説に長船長義の弟子あるいは二代と伝えられるが、作風からも銘振りからも俄かに賛し難く、むしろ越中則重に近い出来のものが存在することが指摘されている。さらに山城には平安城長吉の名が続き、室町時代の作が多く、伊勢の村正に共通する処が見られる。これらの諸工は、直接の師資相承によるというよりは、大和伝の鍛刀・焼刃の手法を地方に移植したという点において、緩やかに結ばれた一群をなしている。 作風 一派の作風は、大和伝に根ざした沸出来を基調とする。鍛えは板目に杢目あるいは流れ肌を交え、柾が交じって肌立ちごころとなるものが多く、地沸が厚くつき、地景が頻りに入る。刃文は浅いのたれ、小のたれ、あるいは直刃調を主調として小互の目を交え、頻りにほつれて喰違刃・二重刃・打のけがかかり、沸よくつき、砂流し・金筋が盛んにかかる。帽子は乱れ込んで先が尖りごころとなり、掃きかけて金筋が入るものがあり、これは俊長の特色として鑑定上の要点に挙げられる。俊長の作には飛焼き・湯走りを地に交えて激しい沸出来となるものもあり、桃川長吉は綾杉風に流れて白け、匂口の明るさを見せる。平安城長吉は片切刃造の稀なるものを遺し、秦長義は匂口やや締まりごころに小沸つく穏やかなのたれを示すなど、各工に個性を見せながらも、地沸・地景と大和系の地鉄構造によって一群として相通じている。 評価・伝承 百川派は、その出自を近江・越後に持ちながら、作風においては大和気質を顕著に示すという、地方に展開した一伝統として刀剣史上に独自の位置を占める。各工とも在銘作の現存は極めて稀少であり、一口ごとが地方刀工研究の好資料として高い資料性を有する。俊長の作は地刃の出来が優れて健全であり、覇気漲る一作と評される。桃川長吉の在銘の太刀・短刀は越後刀工の伝統を伝える数少ない遺品として珍重され、大磨上無銘ながら俊長と極められる作にも、所伝を首肯し得る優品が見られる。一派の意義は、多作や様式の革新にあるのではなく、大和の作風を地方の工房に忠実に伝えた点にあり、その質実にして沸の冴える作域は、今日なお高く評価されている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトWe offer a 48 hour inspection period for all Antique items shipped within the United States only. If the item is not to your satisfaction, we will gladly refund your money less any shipping and handling fees. All sales are final after the 48 hour inspection period. Please note that all discounted items are a final sale and not returnable.
近江甘呂俊長(延文 1356年頃)中古刀上作 天国(あまくに)あるいは貞宗門下とも伝えられますが、その伝来については未だ研究の余地が残されています。近江国蒲生郡に住した後、越後国でも作刀したとされています。年代については元弘・建武(1331-1334年)頃とする説もありますが、現存する押形の年紀を鑑みるに、延文頃と見るのが最も妥当でしょう。 銘: 近江国甘呂俊長 近江国高木住俊長 甘呂俊長は延文頃に活躍した刀工で、通称を天九郎と称し、高木貞宗の門人と伝えられます。近江国蒲生に住し、越後でも打っています。本作は南北朝時代の作。 三ヶ棟(みつむね)となり、身幅広く重ね厚く、表裏に棒樋を彫り上げます。 地鉄は板目肌に木目が交じり、よく練れて地沸つき、映りが現れます。 刃文は沸出来、二重刃ごころを交え、明るく冴えます。砂流し、金筋の働きが見て取れます。物頭付近からはさらに刃が活性し、砂流し、金筋が頻りに現れ、帽子は掃き掛けとなります。 外装は海老鞘の一作拵です。 鞘は赤漆塗の海老鞘。 鍔:真鍮地 粟穂図 目貫:銅地 鼠図 小柄:真鍮地 粟穂図 笄:真鍮地 粟穂図 小尻:真鍮地 海老尾図 すべて一作で揃った、見事な拵です。 本刀はかつて特別保存刀剣の指定を受けておりましたが、原本が紛失しているため、当時の写真(コピー)が付属いたします。 名工の手による真髄を、ぜひこの機会にお手元へお迎えください。 銘:無銘 時代:鎌倉〜南北朝(1300年代) 長さ:28.2cm(11-1/8インチ) 反り:3.0mm 元幅:29.2mm 元重:6.7mm 造り:平造り 棟:三ヶ棟 茎:生ぶ 鍛え:板目流れ 刃文:直刃調に小乱れ 帽子:掃き掛け 状態:研ぎの状態は良好です 【最新情報をお届けします】 当店のメーリングリストにご登録いただくことで、最新の入荷情報やニュースをお受け取りいただけます。 [登録する] ご登録ありがとうございました。 ※お客様のメールアドレスは厳重に管理され、当サイトからの更新通知以外には使用いたしません。






Kanro (Amaro), Takagi, Ōmi Province — transmitted of the Takagi Sadamune line · 近江 · 1338-1342頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位18%
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甘呂俊長は自ら「江州甘呂俊長」と高木に切り、昭和五十一年に特別重要刀剣に上げられた短刀には、その全銘が目釘孔の下に刻まれている。近江国高木・甘呂に住し、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した。古来同国高木貞宗の系統と伝えられ、説明書はその所伝を伝えつつ、額面通りには受け取らない。現存する在銘作を検するに、「弟子とみるよりは同時代の刀工とみるべきものである」[[c:1]]と結論する。在銘の作は僅かで、数口の短刀に長銘の一口、紀年のある剣と稀な太刀があるのみであり、薄いながら稀に見るほど一貫した作群を通じて知られる名である。
その作群の示す手は、まず鍛えと帽子に読まれる。流れて柾を交えた板目に地沸厚くつき地景入り、その上に焼の低い静かなのたれを焼いて、丁子の房を連ねることをしない。刃縁にはほつれ・喰違刃・二重刃が入り、刃は沸に崩れ、砂流し・金筋がこれを貫き、上半に湯走りが集まる。帽子は小丸に返りながら、先で掃きかける。この組み合わせ、すなわち地鉄の柾と返りの掃きかけこそ、説明書がその一貫した標とするところで、これに拠って「大和系の刀工と見られている」[[c:2]]と読む。
地鉄は本工の作を通じて変わらぬところである。板目に時に杢・大板目を交え、肌やや立ちて流れ、地沸厚く、地景頻りに入り、刃の広がるところでは地が明るく冴える。身幅の広い無銘の刀では地鉄が流れた板目に処々大肌を交え、匂口は明るく冴えると評される。かくも働く地に対して刃文そのものは比較的抑えられ、低いのたれを基調に互の目と尖りごころを交え、見どころは焼の高さではなく刃中の沸の働きに托される。ある在銘の短刀について説明書は、上半の湯走り・喰違刃・二重刃と掃きかけの帽子が「俊長の特色をよく示し」[[c:3]]と記す。
その記録は二つの面に分かれる。第一の面は在銘の短刀で、数口は生ぶに残って本工自身の作を損なわず伝え、切刃造あるいは平造に三ツ棟、時に梵字に素剣・護摩箸を彫る。この一群のうちに重要文化財の二口、すなわち平造の短刀と、延文五年すなわち一三六〇年紀の両刃の剣が立つ。第二の面は、時代と一派から極められた大磨上無銘の刀で、身幅広く地鉄流れ、同じ低いのたれと掃きかけの帽子を寸法いっぱいに延べる。説明書はある一口の刀を、所伝を首肯し得るものと平らかに認め、また別の一口については俊長でなければならぬという極め手はないとし、ゆえに柾と掃きかけが、個性のみでは極め難いところでその極めを支える。
本工を分かつのは、その隣人にではなく本工に判者の見るところである。整った備前の丁子ではなく、沸を帯びた大和味の作域で、流れた柾と掃きかけの帽子がその地鉄と帽子を、つまった長船の手から分かち、また同時代の貞宗の周辺に結ぶ同じ沸の働きが、周囲の素朴な地方の工とは別たれる。貞宗との繋がりは、師弟ではなく時代と作風の共有として読まれる。ある身幅広い南北朝期の脇指、頻りに沸づいて金筋・砂流し・湯走りが地に流れ込むものを、説明書は「実に覇気漲る一作であり」[[c:4]]と称え、ある無銘の短刀を「同工の有銘作に繋がる佳品である」[[c:5]]として受ける。
収集の観点では、稀な初期の名で、その記録は小さく、概ね世に出ない。藤代の極めは上作。国宝はなく、その評価はむしろ重要文化財二口、すなわち平造の短刀と延文五年紀の剣、いずれも市場の外に守られた文化財と、特別重要刀剣の短刀一口、短刀・刀・脇指にわたる重要刀剣六口に拠る。所載の所有者のうち、一口の短刀は香雪美術館に、いま一口は東京国立博物館に伝わり、一口は伊達家の所伝を帯び、残る所在は記録されない。世に動き得るのは特別重要刀剣・重要刀剣の級のみで、それすら稀にしか現れず、現存する在銘作は説明書が繰り返すごとく極めて少ない。流れた柾と掃きかけの帽子を備えた在銘の甘呂俊長は、私蔵家が出会うことの稀なものであり、所伝の確かな一口はなお注目すべき加わりである。
俊長の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
相州伝 · 越後
現在2点販売中
起源 百川派は、越後国の地名「桃川」に由来する一派であり、鎌倉時代末期から南北朝時代を経て室町時代にかけて活躍した刀工群である。一派の祖と目される甘呂俊長は、近江国高木の産で、古来高木貞宗の門人と伝えられている。しかし現存する在銘の太刀・短刀を見るに、俊長の作風には貞宗に通じる処が乏しく、むしろ貞宗とほぼ同時代の刀工とみるべきものであって、その地刃は総じて大和風が強い。 桃川の地に長吉と名乗る刀工があり、南北朝時代から室町時代にかけて二代あるいは三代続いたといわれる。一説に長吉は甘呂俊長の弟子と伝えるが、俊長に似た処は少なく、地刃は総じて大和風である。また越後国住の秦長義は、一説に長船長義の弟子あるいは二代と伝えられるが、作風からも銘振りからも俄かに賛し難く、むしろ越中則重に近い出来のものが存在することが指摘されている。さらに山城には平安城長吉の名が続き、室町時代の作が多く、伊勢の村正に共通する処が見られる。これらの諸工は、直接の師資相承によるというよりは、大和伝の鍛刀・焼刃の手法を地方に移植したという点において、緩やかに結ばれた一群をなしている。 作風 一派の作風は、大和伝に根ざした沸出来を基調とする。鍛えは板目に杢目あるいは流れ肌を交え、柾が交じって肌立ちごころとなるものが多く、地沸が厚くつき、地景が頻りに入る。刃文は浅いのたれ、小のたれ、あるいは直刃調を主調として小互の目を交え、頻りにほつれて喰違刃・二重刃・打のけがかかり、沸よくつき、砂流し・金筋が盛んにかかる。帽子は乱れ込んで先が尖りごころとなり、掃きかけて金筋が入るものがあり、これは俊長の特色として鑑定上の要点に挙げられる。俊長の作には飛焼き・湯走りを地に交えて激しい沸出来となるものもあり、桃川長吉は綾杉風に流れて白け、匂口の明るさを見せる。平安城長吉は片切刃造の稀なるものを遺し、秦長義は匂口やや締まりごころに小沸つく穏やかなのたれを示すなど、各工に個性を見せながらも、地沸・地景と大和系の地鉄構造によって一群として相通じている。 評価・伝承 百川派は、その出自を近江・越後に持ちながら、作風においては大和気質を顕著に示すという、地方に展開した一伝統として刀剣史上に独自の位置を占める。各工とも在銘作の現存は極めて稀少であり、一口ごとが地方刀工研究の好資料として高い資料性を有する。俊長の作は地刃の出来が優れて健全であり、覇気漲る一作と評される。桃川長吉の在銘の太刀・短刀は越後刀工の伝統を伝える数少ない遺品として珍重され、大磨上無銘ながら俊長と極められる作にも、所伝を首肯し得る優品が見られる。一派の意義は、多作や様式の革新にあるのではなく、大和の作風を地方の工房に忠実に伝えた点にあり、その質実にして沸の冴える作域は、今日なお高く評価されている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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