説明

桃川住長吉(刀苑社 寿法刀剣 1976年認定) 時代:古刀 貞治頃(1362-1368年) 鑑定:刀苑社 寿法刀剣(1976年) 銘:「長吉作」 刀工大鑑評価:初代 700万円 / 三代 450万円 藤代鑑定:貞治頃 長吉(上作)、永正頃 長吉(中上作) 体配:短刀 長さ:29.5 cm(九寸七分強) 姿:平造り 反り:僅かに先反り 反り:2 mm 棟:三ヶ棟 重ね:5 mm 元幅:2.9 cm 茎の状態:摺上げ 茎形状:標準、栗尻 目釘穴:二個 鑢目:勝手下がり 刃文:表は直調に乱れ、裏は逆がかった互の目。両面ともに沸出来。小沸厚くつき、金筋入る。 帽子:小丸に掃き掛け。返りは表は短く、裏は長く返る。 鍛え:綾杉肌に地景入る。裏の棟寄りに板目肌が現れる。 【解説】 本作についてお伝えすべきことは多々ございますが、まず特筆すべき点として、本作はアーノルド・フレンゼル教授の旧蔵品であり、氏が殊の外愛蔵していた一振りであるということが挙げられます。 鑑定については、村上孝介氏による刀苑社「寿法刀剣」の鑑定書(1976年)が付属し、梶原皇刀軒氏による鞘書きがございます。また、1965年から1970年頃にかけて中島宗吉氏の手により研磨が施されています。 刀苑社は今日ではあまり知られておりませんが、かつて日本美術刀剣保存協会(日刀保)の重要刀剣審査員を務めた村上孝介氏が、同会を離脱した後に設立した団体です。村上氏の没後に解散いたしましたが、村上氏および梶原皇刀軒氏は、共に本阿弥光遜氏の門下における双璧として知られた人物です。 本作の銘や歴史的背景に触れる前に、2001年9月にロチェスター研究会にてフレンゼル教授が記した解説の一部をご紹介いたします。 「北陸道七ヶ国の一つである越後国は、南北朝時代(1333-1392)以前には定まった流派は見られませんが、貞治年間(1362-1368)に至り、山村派および桃川(または甘露)派が興りました。山村派は京都の信国派の流れを汲みますが、桃川派と同様に現存作は極めて稀です。桃川派の祖は天九郎利永とされ、相州の高木貞宗の門下と伝えられています。高木貞宗は、相州貞宗の養子、あるいは実子とも言われる名工です。 『日本刀講座 古刀編』によれば、桃川派の刀剣は高名ながらも現存数が少ないとされており、その理由は、当時の刀工たちが武士の傍らで刀を打っていたためではないかと推察されています。銘振りがいささか稚拙(童子銘風)に見えるのも、その背景を裏付けているのかもしれません。また同書では、古来より綾杉肌を用いるのは月山、波平、そしてこの桃川のみであると言及されており、これら三派の間には何らかの未知の交流があった可能性を示唆しています。」 本作は、その特徴的な綾杉肌を顕著に示しており……

桃川住長吉

桃川住長吉

短刀

$10,000

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刀工

Nagayoshi

流派

Momokawa

時代

Teiwa (1345-1350) ND

仕様

長さ

29.5 cm

反り

0.2 cm

元幅

2.9 cm

作者について

Momokawa Nagayoshi長吉

3 重要刀剣

長吉は越後国桃川派の刀工で、南北朝期に活躍し、僅かな在銘の重要刀剣によって伝わるのみである。桃川は越後国の地名で、説明は長吉と名乗る刀工が南北朝から室町時代にかけて二代或いは三代続いたと伝える。作刀は少なく、現存する作に年紀のあるものがなく、代別を明らかにすることは出来ない。一説に越後の甘呂俊長の門と伝えるが、説明は作風の上からこれを穏やかに退け、稀な在銘の太刀について「俊長に似た処は少なく」と記し、「地刃は総じて大和風である」とする。ゆえに彼は師系によってではなく、その手によって読まれる。手は現存する短刀・脇指・太刀の三体によく一貫している。 その手は何よりもまず、越後の地鉄に移された大和の手である。説明は地に直刃を主調とし、刀により広狭の差はあれ、刃縁は処々頻りにほつれ、これに砂流し・金筋がかかって匂口は明るいと記す。静かで抑えた焼刃であり、同時代の備前の華やかな丁子とは隔たっている。頻りなほつれと流れる砂流しこそ、これを備前ではなく大和と見る目処である。帽子も同じ流儀に従い、太刀・脇指では掃きかけて先尖り、短刀では金筋を伴う小丸に返り、表裏とも長く焼き下げる。地鉄は焼刃と同じ古さを帯び、鍛えは板目に杢を交えて流れ、肌立ちごころとなり、脇指ではその流れが綾杉風に開いて、地鉄は白けごころを帯びる。この肌立って流れ白ける地こそ彼の作の常であり、三体を結ぶ特色であって、同時代の備前諸工の地から桃川の手を分かつものである。 現存する作は一つの手の二つの作域に分かれる。稀なのは在銘の太刀で、腰反りに中鋒、ほぼ生ぶの鎬造の刀身に、棟寄りに長銘を切り、鎬に沿って細樋を掻き流して樋中に素剣を浮彫にする。つんだ板目の上に小互の目交じりの直刃を焼き、地景を交えて匂口が明るい。数の多い作域は平造の短刀・脇指で、身幅広く寸延び、短刀は目釘孔下に細鏨の二字銘、脇指は地名を冠した五字銘を負い、脇指の彫物は表が草の倶利迦羅、裏が梵字に護摩箸である。説明はこの脇指を、ほつれ・砂流しの頻りな直刃調が大和風を顕著に示すとして、「長吉の作風をよく示しており」と判じ、その直刃調をこそ彼の作風の徴とする。代別は未決のまま残され、文献は貞治の年紀作を載せるが、現存の太刀・短刀は極めて少なく無年紀である。 収集の観点では、長吉は名高い名ではなく細く静かな名であり、その正直な尺度は記録に残る僅かな作の量である。刀剣書は彼を刀工大鑑に載せるが藤代の極めは記さず、指定を受けた作に国宝も重要文化財も特別重要もない。公の記録は三口の重要刀剣に留まり、いずれも彼の手が読まれる短刀・脇指・太刀であって、大名家への伝来は記録にない。現存する在銘の作は、新潟と静岡で私蔵されて審査を経たものであり、桃川長吉は稀に、そして殆ど常に在銘で見られるに過ぎない。説明は短刀を「同名中でも時代が古く」と評し、稀な在銘の太刀については「現存数少ない長吉在銘の太刀として」資料性も極めて高いと記す。北国の作を学ぶ者の前にひとたび現れれば、それは画期というよりも静かな一会であり、説明が呼ぶところの「長吉研究の好資料の一口である」として、大和を遠く離れた越後の海辺で営まれた大和の手を蔵しうる、正直で珍しい一つの道として価される。

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