山城とは京都であり、平安の京都とは朝廷である。伝承はその筆頭に十世紀末の三条宗近を置き、その三日月宗近は後に天下五剣に数えられた。優美が先に立つのは、注文主ゆえである。
この刀身は明治時代(1868-1912)の三条宗近と伝されています。三条宗近は約1000年前の平安時代まで遡る歴史を持つ有名な刀工名です。この伝は後代の宗近に対して与えられたものと私たちは考えています。 彫物 彫物はこの刀身の美しさの要素の一つです。両面にそれぞれ異なる彫物が彫られています。一つは素剣の文様です。これは不動明王(仏教の崇拝対象の一つ)が持つ三鈷柄剣を簡略化したデザインです。これは密教の祈祷、瞑想、浄化、お守りに用いられる密教法具です。この剣は悪霊を追い払うと信じられています。 一方、この刀身には二本の直線が彫られています。これは樋の一種で、このタイプの樋は二筋樋と呼ばれます。樋は刀身に沿って彫られた棒状の溝です。樋の正確な役割は不明ですが、認められている説が三つあります。第一に、強度を落とさずに刀を軽量化するため。第二に、刀身の外見を良くするため。そして第三の説は、刀を振った際に風を切る音を出すためです。 *棟に部分的な黒錆があることにご留意ください。 縁頭 この縁頭の表面は魚子地技法で装飾されています。この工程は、金属の表面に魚子地鏨を打ち付けることで、均一で微細な突起のパターンを作るものです。 頭の部分の縁と側面の穴には金色の金属が施されています。この彩りが本作の優雅さを生み出しています。 柄と目貫 この目貫のモチーフは扇を持つ男で、踊っているように見えます。経年により表面が摩耗しており、この目貫の詳細を見ることは困難になっています。この短刀の柄には柄巻の糸が巻かれていません。そのため、何度も握られたことで表面の凹凸が徐々に摩耗したのではないかと想像しています。アンティーク品としての風合いとして楽しんでいただければ幸いです。 小柄 小柄の中には小刀が収納されています。縁頭と同様に、この小柄の表面にも魚子地技法が用いられています。意匠については、一人の男(おそらく僧侶)が描かれているのが見て取れます。彼はいくつかの球体が付いた道具を持っています。私たちはこれが神楽鈴であると推測しています。これは神楽(神道の聖なる舞)を舞う際に用いられる鈴です。その柄はいくつかの小さな鈴を繋いで作られています。これは神職や巫女が神事の際に神を呼んだり、悪霊を追い払う祈祷をしたりするために使用する道具です。このような宗教的な思想が、この小柄のデザインに影響を与えたのかもしれません。 鑑定書 NPO法人日本刀剣保存会として知られるNTHKは、近代における日本刀鑑定の最も古い組織です。武士の時代の後の1889年に設立されました。彼らは令和5年(2023年)2月19日にこの刀身を鑑定しました。私たちは3月末までに鑑定書を受け取る予定です。



























販売店の記載のまま
店舗の英語原文からの機械翻訳・誤りを含む場合があります ·
山城伝 · 山城
現在1点販売中
三条派は、平安後期、京の三条の地に興った京鍛冶の最古層であり、鎬造の湾刀という所謂日本刀の様式が確立した最も早い時期に名を遺す一門である。その祖を宗近といい、永延頃に三条に住したと伝えて俗に三条小鍛冶と呼ばれ、山城伝の全きが出る古い京の流れの源に立つ。王城の地に営まれた鍛冶の集まりであって、その作には宮廷文化を負う品位がある。一門には祖宗近のほか、宗近の流れに連なると伝える吉家・近村があり、さらに宗近の子とも孫とも門人とも伝える兼永が京の五条に住して五条派を分かち、第二の家を成した。もっとも有銘確実の作は古来きわめて少なく、銘鑑の伝える系図をそのまま受けることはできない。吉家については有銘の作刀から見て宗近と直結することに無理があるとされ、やや時代の下る同派の工と読まれるなど、各工の年代と続柄には説明書がたびたび留保を付している。 作風を貫くのは、後の粟田口や来が完成へ向けて洗練していく古京物の祖型である。鎬造庵棟の細身で、生ぶの作には腰反り高く深く、元先の幅差が著しく狭まって踏張りがつき、小鋒ないし中鋒にうつむきごころに結ぶ古調な太刀姿を本領とする。鍛えは板目・小板目がよくつみ、つんだ作でもやや肌立ちごころに処々流れて大肌を交え、地沸が微塵に厚くつき、地景が入り、淡い沸映りが地に柔らかく立つ。この立って開いた地鉄と地に立つ沸映りこそが、つんで完成された粟田口・来の小板目より一段古調であることを語り、これを大和ではなく京の物と鑑せしめる。刃文は直刃調を基調に小丁子・小互の目・小乱れを交え、小足・葉が頻りに入り、匂深く小沸つき、砂流し・金筋かかって匂口明るい。同じ手の中にも振幅があり、宗近は細直刃調に小乱れを交えた幅の狭い刃に打のけ・湯走りを断続させ物打辺で二重刃・三重刃を重ね、吉家もまた小乱れが飛焼を伴って二重刃となり帽子までも二重ごころを帯びるなど、二重刃の働きを一派の見どころとする。兼永の五条はこれよりやや整い、静かな直刃調に交わる小丁子を一派の徴とする。 鑑定の勘所は、その古さと品位にある。すなわち地に立つ沸映り、直刃調の小乱れに宿る古香、二重刃や掃きかける帽子の古雅な働きが揃えば、成熟した諸派の明るい丁子ではなく、源にある古京の手と鑑せられる。各工は祖と隣人から分かたれて読まれる。五条兼永は宗近よりは整った刃文によって祖から分かたれ、その整った小丁子によって直刃に純化する後続の粟田口・来から分かたれる。吉家は沸の強さと明るく冴える匂口によって、同じ小乱れを焼く綾小路定利や、華やかな丁子乱れを主とする備前一文字の同名の工から分かたれる。一門の格の頂に立つのは祖宗近であり、その遺産には天下五剣の一として名高い名物三日月宗近があって、本阿弥光徳が石田三成に送った刀絵図に載るなど来歴の確かな作が伝わる。吉家の太刀は加治木島津家に長く伝来し、兼永の作は尾張徳川家に家康の所蔵と伝えて伝わるなど、その伝来は古京物にふさわしく大名家と幕府を経る。京鍛冶の最古層に連なる三条の作が世に現れることはまれであり、日本刀がいかに始まり山城伝がいかに源を発したかを語る証として重んじられている。 詳しく見る →
平安時代の山城
山城とは京都であり、平安の京都とは朝廷である。伝承はその筆頭に十世紀末の三条宗近を置き、その三日月宗近は後に天下五剣に数えられた。優美が先に立つのは、注文主ゆえである。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた刀剣に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。刀剣に対するNTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴です(刀装具の鑑定書に点数は付されません)。特に無銘作の極めに定評があります。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.