三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
日本刀 刀:伝備州長船祐定(天正頃) NTHK鑑定書付 【解説】 本作は、天正年間(1573-1592年:安土桃山時代)の「伝 備州長船祐定」と極められた一振りです。「備州」とは現在の岡山県および広島県にまたがる広範な地域(備前・備中・備後)を指しますが、本作の「長船」は備前国に本拠を置く名門流派であり、「祐定」はその代表的な名跡です。 室町時代末期(1492-1569年頃)に備前国で打たれた刀剣は「末備前」と称されます。中でも祐定派は長船派の本流として代々隆盛を極めました。この時期、祐定を名乗る刀工は実に60名以上にのぼったと伝えられており、その名は当時の武士の間で一種のブランドとして絶大な信頼を集めていました。 戦国時代の真っ只中であった当時、有力大名たちの台頭により刀剣の需要は最高潮に達していました。本作のような戦国期の作は、群雄割拠の時代を生き抜いた武士の気概を今に伝える資料としても非常に魅力的です。その出来映えから、位の高い侍が注文し、実際に戦場へと携えた可能性も十分に考えられます。 備前国は中国山地に近く、刀剣の主原料である良質な砂鉄が豊富に採れました。さらに吉井川の豊かな水と燃料となる薪炭にも恵まれており、この地質学的な利点が、古来より備前伝の洗練された高品質な作刀を支えてきました。備前伝の歴史は平安時代末期(12世紀後半)にまで遡り、日本刀の聖地として長く栄華を誇りました。 ※本作には、研ぎで取りきれなかった鍛え傷が数箇所見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):71.1 cm 反り(Sori):1.5 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃縁に現れる結晶構造。 肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる地鉄の模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる中心(なかご)部分。 日本の刀工は、柄内部での赤錆を防ぐためにあえて黒錆を温存します。この茎の経年変化(錆色)は、専門家が制作年代を推定する上での重要な指標となります。 【外装(拵)】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などを含めた刀装具一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭の図案は「葵唐草(あおいからくさ)」です。葵は太陽に向かって葉を伸ばす性質から「仰ぐ(あおぐ)」に通じ、古来より吉祥文様として尊ばれてきました。 また、蔓(つる)が力強く伸び続ける唐草文様は、一族の繁栄と長寿の象徴です。蔓は「万(まん)」、帯状に連なる様は「代(だい)」に通じることから、合わせて「万代(ばんだい)」、すなわち永遠の繁栄を願う武士の嗜みが込められています。

























備前伝 · 備前 · 1573-1592頃
刀剣大鑑 上位39%
現在7点販売中
祐定の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
時期区分: 末備前· 1441–1596
現在87点販売中
嘉吉から文禄に及ぶ室町時代後期、長船派の最末期を画するのが末備前である。応永備前が古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃を甦らせたのに続き、この期の長船鍛冶は戦国の世の旺盛な武器需要に応じて作刀の規模を一段と広げ、長船の名のもとに膨大な数の刀剣を世に送り出した。説示にあらわれる主要工は、勝光、宗光、貞光、治光、忠光、清光、春光、祐定の一群である。勝光は宗光・忠光と並ぶ巧者で、右京亮・次郎左衛門尉・修理亮など様々な俗名を冠する同名工を擁し、貞光や子の治光との合作銘も伝わる。祐定にあっては与三左衛門尉・源兵衛尉・彦兵衛尉を冠する者がとりわけ技術が高く、与三左衛門尉祐定は名品の数多くその筆頭に挙げられ、彦兵衛尉はその父と伝えて慶長まで数代を数える。清光は五郎左衛門尉と孫右衛門尉が筆頭格、春光は文明から文禄に及ぶ長期に同名数工があって十郎左衛門が最も知られる。この期には播磨・備前・美作の守護赤松政則が宗光・勝光の一党を陣中に招いて鍛刀の技を学び為打を遺したことも説示に見え、注文打と数打物とが併存した末期の様相をよく伝えている。 体配はまず時代を映す。身幅広く寸のつまり、重ね一段と厚く、踏張りがあって先反りつき、中鋒、茎は片手打に適した短いものとなる、室町後期特有の打刀姿である。鍛えは小板目肌がよくつみ、地沸が微塵につき、地景が細かに入って、淡くあるいは鮮明に乱れ映りが立つ。刃文の中心をなすのは末備前固有の腰の開いた互の目で、焼頭が割れて複式に乱れる複式互の目を基調に、尖り刃・尖りごころの互の目・小互の目を交え、足・葉頻りに入り、匂勝ちに小沸がつき、金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交える。さらに飛焼・棟焼が頻りにかかって皆焼風となる作もあり、帽子は乱れ込んで先小丸に長く返る。これは光忠の蛙子丁子、長光の丸い頭の丁子、景光の片落ち互の目といった古長船・相伝備前の整然たる丁子主調とは趣を異にし、応永備前の腰開き互の目をさらに崩して量感と変化に向かわせた戦国期の姿である。同時に勝光のように乱れの中へ丁子を多く交えて一段と華やかに焼き、忠光や清光のように直刃の上手として定評を得る工もあり、作域は広い。 鑑定にあっては、まず乱れ映りで備前と読み、つまった寸と厚い重ね、先反り強き打刀姿で時代を末備前に定める。次に俗名と作風で工を分かつ。乱れの中に丁子を多く交えた華やかな出来は勝光、複式風の互の目に飛焼を交えてやや皆焼がかるは与三左衛門尉祐定、板目に杢を交えてやや肌立つ直刃は孫右衛門尉清光、直刃に佳作多きは彦兵衛尉祐定、というように看どころが工を指し示す。表裏に施された梵字・蓮台や棒樋連樋の刀身彫もまた末備前の特色をよく示し、長光景光以来の彫の伝統がこの期まで継承されたことを物語る。代表作には、勝光・貞光合作の明応八年紀の薙刀、勝光・治光父子合作の大永七年紀の短刀、与三左衛門尉二代の元亀元年紀の刀があり、合作銘や所持銘・添銘を伴う注文打は、末備前とそれを支えた三宅氏のごとき在地の氏族を知る上でも資料性が高い。 詳しく見る →
桃山時代
三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
NTHKの中心的な鑑定書で、相応の出来を備えた作に発行されます。在銘作は銘の正真を、無銘作は審査員による刀工・流派の極めを示します。点数を記す詳細な審査表が付されます。
NTHK(日本刀剣保存会)は、NBTHK(1948年設立)に先立つ1910年に創立された、日本で最も古い刀剣鑑定団体です。長く会を率いた会長の没後、NTHKとNTHK-NPOの二つに分かれ、いずれも審査を続けています。NTHKの鑑定書は、点数と審査員の所見を併記する詳細な審査表が特徴で、特に無銘作の極めに定評があります。
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