鉄地 藻柄子(そうてん)風 鐔 鉄地に高彫を施した藻柄子風の鐔です。非常に肉厚で立体感に富み、同系統の作風である鉄玄堂を彷彿とさせます。この様式の優品と言えるでしょう。 深く切り込まれた彫り込みが、高彫の迫力をより一層引き立てています。武者が配された表側の厚みは8mmを超え、一方で左側の鳥は羽が裏側にまで達するかのように傾斜して彫られており、見事な立体感(3D効果)を生み出しています。残念ながら写真ではこの奥行きを十分に伝えきれず、ぜひ手に取って鑑賞していただきたい一枚です。 本作には布目象嵌は用いられておらず、彫り込まれた箇所に金塊を嵌め込む、あるいは銅の据紋に金色絵を施すといった贅沢な手法が取られています。また、二種類の異なる金合金が使い分けられている点も特筆すべき見所です。 画題は「石橋山合戦 源頼朝」です。 十三歳で伊豆へ流刑となった源頼朝は、成人後、石橋山に陣を敷き挙兵しました。しかし、平氏軍の兵力は頼朝軍の11倍という圧倒的な差があり、奮戦虚しく撤退を余儀なくされます。 伝承によれば、頼朝は追手から逃れるため大木の洞(ほらあな)に身を隠しました。平氏方の梶原景時がその洞を改めましたが、「誰もいない」と報告します。疑った大庭景親が自ら確かめようとしましたが、景時は「私を疑うのか」と立ちはだかり、結果として頼朝の窮地を救ったとされています。 寸法:86 mm × 71 mm × 5 mm(切羽台厚) 時代:江戸時代後期








金工 · 近江
現在33点販売中
彦根派は、近江国彦根に興った刀装具の一流派であり、その彫法は世に彦根彫の名をもって知られる。開祖は藻柄子入道宗典で、『装剣奇賞』によれば元来は京都の出身と伝えられ、後に江州彦根に移住して彦根彫の祖となったという。彦根御家中川北氏の抱え工となり、氏を喜多川(喜多河)と改め、初銘を秀典と称した。同名二代があるといい、現存する行年紀作などから初代は承応元年に生まれたことが知られ、その活躍期は江戸時代前期から中期にかけてである。美濃彫の流れを汲むとも伝えられ、作風に後藤風、美濃風が見られるとする見解もある。宗典の門からは野村包教をはじめとする有力な作者が輩出し、包教は宗典門第一の上手と称され、同派の有力な分派として独自の地位を確立した。 作風は、鉄地または赤銅魚子地を用い、鋤出高彫に金・銀・赤銅・素銅などの各種の色金を駆使した象嵌色絵をもって飾るものが多い。たっぷりとした地の表裏画面一杯に主題を肉置き豊かな高彫で表し、各種の色金にかつ金の種類をも複数使用して、壮大な画面に仕立てる点に大きな特色がある。題材は武者、竹林の七賢、花鳥、藻貝尽くし、唐人物、群仙図、十二支など多岐にわたり、また『源氏物語』の「明石」や『小督』の物語に取材した作例も見られる。賑やかに華やかに展開する様はまさに宗典の真骨頂であり、その彫口はおおらかでゆったりとしており、観る者を幽玄の世界に誘うと評される。包教もまた、大胆な構成力と繊細な色がね象嵌をもって画面を広く使い物語を演出し、師の作風を継承しつつ独自の魅力を加えた。 彦根派の作は、その濃密な彫法によって名を馳せ、宗典は代表工として多くの鐔好きを魅了した。ともすれば賑々しい鐔は行き過ぎの感を否めないこともあるが、宗典の手にかかると不思議と行き過ぎ感がないばかりか、品格をも兼ね備えた豪華な優鐔となる。包教の作もまた、師である宗典の傑作に勝るとも劣らない出来と評され、その白眉と見られる一枚も伝えられている。一方、宗典の名はあまりにも有名であったために、後代の彦根彫の作品に宗典の刻銘が多用され、土産物といわれる粗悪な作品にまで刻銘されているのが現実である。それゆえ真作においては、賑々しい作柄に品格を兼ね備えた豪華な優鐔が多く、行年銘が貴重であり、保存状態が良いことも好ましい評価の点とされる。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
30-day refund policy. Items must be returned in original condition and packaging; customized products are non-returnable. 2-week inspection window with full item refund (shipping costs non-refundable). Customer pays return shipping.
$2,200
鉄地 藻柄子(そうてん)風 鐔 鉄地に高彫を施した藻柄子風の鐔です。非常に肉厚で立体感に富み、同系統の作風である鉄玄堂を彷彿とさせます。この様式の優品と言えるでしょう。 深く切り込まれた彫り込みが、高彫の迫力をより一層引き立てています。武者が配された表側の厚みは8mmを超え、一方で左側の鳥は羽が裏側にまで達するかのように傾斜して彫られており、見事な立体感(3D効果)を生み出しています。残念ながら写真ではこの奥行きを十分に伝えきれず、ぜひ手に取って鑑賞していただきたい一枚です。 本作には布目象嵌は用いられておらず、彫り込まれた箇所に金塊を嵌め込む、あるいは銅の据紋に金色絵を施すといった贅沢な手法が取られています。また、二種類の異なる金合金が使い分けられている点も特筆すべき見所です。 画題は「石橋山合戦 源頼朝」です。 十三歳で伊豆へ流刑となった源頼朝は、成人後、石橋山に陣を敷き挙兵しました。しかし、平氏軍の兵力は頼朝軍の11倍という圧倒的な差があり、奮戦虚しく撤退を余儀なくされます。 伝承によれば、頼朝は追手から逃れるため大木の洞(ほらあな)に身を隠しました。平氏方の梶原景時がその洞を改めましたが、「誰もいない」と報告します。疑った大庭景親が自ら確かめようとしましたが、景時は「私を疑うのか」と立ちはだかり、結果として頼朝の窮地を救ったとされています。 寸法:86 mm × 71 mm × 5 mm(切羽台厚) 時代:江戸時代後期








金工 · 近江
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彦根派は、近江国彦根に興った刀装具の一流派であり、その彫法は世に彦根彫の名をもって知られる。開祖は藻柄子入道宗典で、『装剣奇賞』によれば元来は京都の出身と伝えられ、後に江州彦根に移住して彦根彫の祖となったという。彦根御家中川北氏の抱え工となり、氏を喜多川(喜多河)と改め、初銘を秀典と称した。同名二代があるといい、現存する行年紀作などから初代は承応元年に生まれたことが知られ、その活躍期は江戸時代前期から中期にかけてである。美濃彫の流れを汲むとも伝えられ、作風に後藤風、美濃風が見られるとする見解もある。宗典の門からは野村包教をはじめとする有力な作者が輩出し、包教は宗典門第一の上手と称され、同派の有力な分派として独自の地位を確立した。 作風は、鉄地または赤銅魚子地を用い、鋤出高彫に金・銀・赤銅・素銅などの各種の色金を駆使した象嵌色絵をもって飾るものが多い。たっぷりとした地の表裏画面一杯に主題を肉置き豊かな高彫で表し、各種の色金にかつ金の種類をも複数使用して、壮大な画面に仕立てる点に大きな特色がある。題材は武者、竹林の七賢、花鳥、藻貝尽くし、唐人物、群仙図、十二支など多岐にわたり、また『源氏物語』の「明石」や『小督』の物語に取材した作例も見られる。賑やかに華やかに展開する様はまさに宗典の真骨頂であり、その彫口はおおらかでゆったりとしており、観る者を幽玄の世界に誘うと評される。包教もまた、大胆な構成力と繊細な色がね象嵌をもって画面を広く使い物語を演出し、師の作風を継承しつつ独自の魅力を加えた。 彦根派の作は、その濃密な彫法によって名を馳せ、宗典は代表工として多くの鐔好きを魅了した。ともすれば賑々しい鐔は行き過ぎの感を否めないこともあるが、宗典の手にかかると不思議と行き過ぎ感がないばかりか、品格をも兼ね備えた豪華な優鐔となる。包教の作もまた、師である宗典の傑作に勝るとも劣らない出来と評され、その白眉と見られる一枚も伝えられている。一方、宗典の名はあまりにも有名であったために、後代の彦根彫の作品に宗典の刻銘が多用され、土産物といわれる粗悪な作品にまで刻銘されているのが現実である。それゆえ真作においては、賑々しい作柄に品格を兼ね備えた豪華な優鐔が多く、行年銘が貴重であり、保存状態が良いことも好ましい評価の点とされる。 詳しく見る →
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