説明

室町初期にみる優しい太刀姿をした光則。南北朝から室町期に栄えた備前吉井鍛冶は、長船の隣地ながら比較的穏やかな出来口が多く、高低差の少ない粒の揃った互の目刃文が特徴。本作、銘を見ずとも吉井の作と分かる特徴的な出来映えで、太刀表に銘を切り、珍しい正長年紀も見逃せない。スラリとした姿に棒樋を掻いて引き締め、清涼な小板目肌は良く詰み、小互の目刃文は小沸がしっかりとついて金筋や砂流し交じり刃中は明るい。黒々とした錆色の茎は生ぶで、当時の備前物らしく小振り。600年近い年月を感じさせない澄んだ地刃は生まれの良さを感じさせる。付属の金工拵も一際目を引き、黒呂鞘の腰元は段刻みを入れる。赤銅七々子地の鐔は典型的な美濃秋草図で、縁頭はカマキリや鈴虫に秋草を散りばめた美濃光仲在銘。目貫は縁起のよい瓢箪図で、古い柄前ながら状態良く保たれている。保存刀剣鑑定書附。

太刀/備前国吉井光則
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太刀/備前国吉井光則

太刀

売却済

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仕様

長さ

65.7 cm

反り

1.7 cm

元幅

3 cm

先幅

2.1 cm

流派について

Yoshii School吉井派

26 重要刀剣

備前国吉井川をへだてて長船村と相対する吉井の地に、室町期に至って他の備前諸派が長船本流に統合される中、ただ一派その流れに与せず独自の作風を保って続いた一門がある。これが吉井派である。鎌倉後期の為則を祖として始まると伝えるが、その頃まで遡る作は稀有で、現存して年代の知れる作は鎌倉末期から南北朝期に始まる。NBTHKは南北朝を降らぬ作を古吉井、室町期のものを吉井として区別する。一門は「次」ならぬ「則」の字を通字とし、清次の伝えとともに景則・盛則・清則・永則と「則」字の名跡が連なる。中でも景則は名跡が最も長く続き、一説に吉井の嫡流とも伝えて、鎌倉末から室町中期まで一派の縦糸をなす。清則の子永則はのち出雲へ移住したとの伝えがあり、同国には後代の永則が数工あって伝えに符合する。 この一門を決するのは、規則的に連れて焼かれる小互の目である。やや肌立つ板目の上にこの刃を焼き、尖り刃・角がかる刃を交えて尖りごころを生み、しばしば逆がかって小丁子を交える。整然と反復するこの「吉井刃」を背骨として、清則・盛則らはこれを匂本位に控えめな小沸で締め、景則は刃中の強い沸を立てて、伊達家旧蔵の太刀が古備前と極められるほど最も古い備前へと結びつく。地鉄は杢を交えてつんだ板目で、処々綾杉風を呈し、地沸つき地景入る。その上に一門は備前物中独特の映りを立てる。これは焼刃の形がそのまま地に影となって映じたようなもので、長船本流の柔らかな雲のような乱れ映りのように漂うのではなく、上の刃文の輪郭を地に呼応させて繰り返す。連れた互の目の華やかな半面に対し、僅かに小互の目を交えた細直刃という静かな半面があり、同じ工が両様を打ち分ける。永則の細直刃に交じる小互の目のように、最も静かな刃にも畳み込まれた互の目が窺え、これが則光風の尋常な直刃と紛れるところを吉井へと引き戻す。銘は逆鏨を多用して切られ、銘字までもが一門の標を帯びる。 鑑定の勘所は、何よりこの整然たる連れにある。吉井の刀を分かつのは華やかさでも大きさでもなく、刀身の全長を一定の調子で走る小互の目の反復であり、これによって長船嫡流と分かたれる。背後に立つ影のごとき映りと、逆鏨の銘とが、これを補強する。逆にその作風の強さゆえ、後代のものが往々美濃物と誤鑑され易い点も心得るべきである。主要工の格は名高い鎌倉の名工というよりは記録の明確な上手で、藤代は清則を中作、盛則・永則を中上作とし、一門の手の平均を上回る位置に置く。その作はことごとく在銘で多くは年紀をもつため、求める者は年代まで定め得る工に出会い、これは室町備前の手にとってそれ自体が一つの魅力である。連れた互の目と映りに惹かれる収集家にとって、年紀作はこの一派の作風を最も明快に手にする道であり、伝来の知れるものでは景則の太刀が佐野美術館に、清則の太刀が靖國神社に、永則の大太刀が徳川美術館に納まる。古吉井の精緻な基準に最も近づくのは清則文安の脇指のような頂点の作で、室町期の吉井物にしてはよく沸づき、説示はこれを古吉井の作域にせまる出来と評する。

刀剣商

十拳

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